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まじかるタイム  作者: 匿名
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少女の日記:アカイハネノテンシ

「ぼう……そう……?」


「ええ、私が行った時にはもう……全てが消え去った後だったわ。」


 翔を連れて家に帰った後のこと、翔はいつもであればリビングや寝室に優と一緒に行くのだが、今日の翔は一人無言のまま自室へと戻っていった。翔を一人にしてしまう事になるが、優も新羅達に報告をしなければならなかった。


「そ、そんな……何で今になって暴走なんて……。」


「っ……!! そ、そうだ、翔坊は何処にいるんだ!! 連れて帰ってきたんだろ!?」


「多分、翔の部屋だと思います。一人でフラフラと2階へ上がって行ったので。」


 優の淡々とした事後報告に、桜と新羅は受け入れられない、信じられないと言う様な様子で茫然としてしまい、普段は冷静で飄々としている進も動揺を隠せない様子だった。


「私っ、翔坊ちゃんの所に行ってくる!!」


「待て桜!! ……優ちゃん、翔坊の様子は……どうなんだ?」


「今は大分落ち着いた様ですが、先程まではかなり情緒不安定になってましたね。今もこちらからの問い掛けにも答えませんし、翔自身も無言です。」


 翔は公園の跡地から帰る際も、自分で立ち上がり、自分の意思で家に戻った。その間には優が何か話しかけても一言も何も話す事はなかったのだ。


「……そうか。なら、もう少し時間を置いた方が良いだろうな。」


「なんでよっ!! 進君だって心配でしょう!?」


「当然だ。だが感情が高ぶって魔力が暴走したんだ、今俺達が翔坊の所へ行ったところで下手に刺激してしまうだけだ。万が一、もう一度暴走なんて事になったら翔坊は本当に人前に出ることを止めてしまうかもしれない。」


「それはっ……そうだけど……。」


「桜……今は翔坊君を一人にしてあげましょう? もし進君の言うように、私達の前にも出て来てくれなくなっちゃったら……。」


「…………分かった。」


 桜は拳を握り締め、苦渋の決断をした。もしかしたら、なんて可能性でも翔の身に降りかかる事があるかも知れないのだ。そんな危険を冒してまで、様子を見に行って安心感を得ようとは桜は思えない。


「きっと大丈夫よ。優ちゃんは真魔、翔坊君も真魔。だから結果的に二人共無事だったんだから……。」


「……そうだな。一緒に居たのが優ちゃんで助かったよ。本当に、翔坊の事では世話になりっぱなしだな。」


「…………。」


 優は迷っていた。本当の事を言うべきか、言わざるべきか。三人は一緒に居たのが優だと思っている。そして、全てを収めてくれたのだと考えている。だが現実は違う、翔は……また一人失ったのだ。今度は家族ではなく友人を。たった一人の、きっと前向きに生きるために初めて勇気を出したその友人を。紛れもない自身の手で、きっとその目の前で……消し去ってしまった。


「優ちゃん、どうしたの?」


「え? ……あ、ああ、すいません。なんですか?」


「何って程じゃないんだけど……なんか、ぼーっとしてるみたいだから。」


「……いえ、ちょっと流石に疲れただけです。初めてですよ、こんなに振り回されたのは。」


「……そっか、ありがとね。」


 言えなかった。最悪の自体だけは回避出来たのだと、縋り付く様に安堵出来る要素を求める三人に対してそんな現実は厳しすぎる。


「……翔の所に行ってきます。」


「ん……そうだね、優ちゃんなら翔坊ちゃんも平気だろうし。」


「そうだな……結局、また君に頼ってしまうのか。本当に済まない。」


「別にもういいですよ。それじゃあ、私は失礼します。」


 優はそう言って席を立った。三人もきっと、自分抜きでこれからの事を話し合いたいだろう。









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「此処……か。」


 優は、翔の部屋の前に立っていた。飾り気のない扉の向こうに翔がいる。もしかして今の自分は緊張しているのだろうか? どんな顔で翔に会えばいいのか、慰めるべきか、叱咤するべきか、そのどちらでもない何かか。頭の中で整理が付いていなかった。


「そういえば、この部屋に入るのって初めてね。いつも寝室と外の往復ばかりだったし……。」


 今更そんな事を思い出しながら、優はドアノブに手をかけた。細かい事は後で考えればいい。とにかく今は翔の様子を探ろう、話はそれからだ。


トントントン


「翔、私よ。入るわよ。」


カチャ


 優は空いた手で扉をノックしてから、翔の返事を待たずにその扉を開いた。






「……………翔?」






 翔が、居た。明かりのない部屋、暗闇の中で一つだけの窓から僅かに月と星の光が差し込んでいる。その光の中に、ペタリと座り込むように、少年は項垂れていた。


「翔、灯りくらい点けなさい。」


「…………。」


「ふう……。」


 優が話しかけても翔からの反応はない。部屋の外からでは余りにも暗くて表情が見えなかった。優の声が聞こえているのかいないのか、それすらも無反応の為分からない。仕方なしに、優は部屋の中へと一歩踏み出し……気付いた。


「……何、この臭い……?」


 部屋に一歩足を踏み入れた瞬間に鼻をついた異臭。優が嗅いだことのない臭いだった。いや、違う、良く思い出せないが嗅いだことはある。少し鉄っぽい様な、この臭いは……。……その原因を探る為、優はその部屋の暗さに自分の視力を調整する………そして優は初めて翔の部屋を見た。そして……、






「………あ……あっ……な、なに、これ……。」





 天使が、居た。






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 そこには、天使が居た。


 大きな深紅の翼を床に、壁にと広げた天使。翼と同じ色に染まった服を来て、天使は項垂れたまま月明かりに照らされていた。


 身動ぎ一つせず、まるで絵画の中の様に幻想的な光景だった。


 それは優が、暫く言葉を忘れて魅入ってしまう程で……。









 ………鉄臭い、『血』の臭いだけが異常だった。




「っ……!! 翔っ、何をしてるのっ!!」


 優はその臭いの正体に気付いた。大きな大きな深紅の翼。それは、幾層にも重なった血の痕が作り出す幻想だった。翔に駆け寄る程に、血の臭いは噎せ返る程に強くなる。その発生源は分かっている、翼の中心に座り込む翔自身だ。その真っ赤な天使は、腹部に大きな包丁を突き刺していた。


「翔!! しっかりしなさい!!」


「……ゆ、う?」


 急いで翔に近づいた優は、大きく叫ぶような声と共に俯く翔の肩を揺さぶる。そんな優の声に、翔はゆっくりと顔を上げ優を見つめた。いつもと同じ、寝ぼけ眼のような瞳で。


「どうしたの……?」


「どうしたのじゃないでしょう!? 何してるのよ、これは何!!」


 そういって優は、腹部に刺さったままの包丁へ目をやる。元の長さがどれほどかは分からない。しかし殆んどの刃は翔の腹部へと埋まっている。深く深く刺さり、止めど無く、黒く、赤い血が流れ落ちていた。


「………包丁……。」


「っ………おちょくってんの?」


「………抜く。」


 強く噛み締められ、優の歯が軋む音が伝わるようだった。翔は優の表情を見つめ、その後、淡々と言いながら包丁の柄を掴んで、何の躊躇いもなく引き抜いた。グチャ、と嫌な音と共に大量の血が流れる。


「包丁を渡しなさい。……なんでこんな事したのよ?」


「……大丈夫、治るから。」


 包丁を翔から奪い取るように受け取ると、優は続いて翔に問いただした。翔はそれに対して、自身の腹部を見ながら、血が止まっているという事実だけを述べた。優の聞いている事をはぐらかしているのか、それとも、優の心情を予想しての発言か。

 何にしろ翔の言う通り、包丁が抜けた瞬間に翔の腹部からは傷口が消え去っていた。真魔としての力は翔を守っている。翔が望む望まぬに関わらず、こんな事をしても死ねないことは、翔自身にも分かっている筈だ。


「あんたの傷が治ることくらい知ってるわ。私はなんでこんな事したのかって聞いてるの。」


「………。」


「答えなさい。」


「……………。」


「翔っ!!」


 翔は、何も言わない。優がどれだけ問い詰めても、声を荒げても、無言のままで、俯いているだけ。そんな翔を前にして、優は自分の頭に血が上っている事を自覚していた。しかし、このままでは仕方がないと優は一度自身を無理矢理に落ち着ける。こんな状態では、翔に本音を吐かせることは出来ない。


「………はぁっ。」


 大きく溜息をつく。何とか、自分を冷静に抑えていく。……こんなに自分を押さえつける程に感情が高ぶるのは初めてだった。優は、苛々とした感情に似た、でも違う何かを感じていた。これは、焦りだろうか?


「翔、私の声が聞こえてないわけじゃないわね……?」


「……うん。」


「じゃあ、答えて。私に隠し事はしないでって言ってるわよね? 約束は、守りなさい。」


「………うん。」


 翔の表情は変わらなかった。俯いたまま、自身の、包丁が刺さっていた腹部を見つめているままだ。未だ血で真っ赤に染まった衣服の下の、無傷の腹部を。


「……澄に……謝らなくちゃいけないから。」


「澄……?」


「……殺しちゃった。お母さんと、お父さんと……同じ。」


「………あの子を……。」


 やっぱり、優は心の中でそう呟いていた。もしかしたらあの時の呟きは自分の聞き間違いかも知れないなんて、都合のいい考えはもう完全に消え去った。そして、一つの可能性に思い当たる。


「謝るって言ってたけど、もしかして……死のうとしてたの?」


「……………。」


「……翔、それは出来ないわ。翔だって言ってたじゃない、治るって。」


 ある意味では、幸いであったか。この小さな真魔がいくら自分を傷つけたところで死ねはしない。さっき自分で言っていたように、傷を付ければ治ってしまう。血を吐き出せば、充填されてしまう。そもそもの話、前提として血や体が完全になくなろうとも真魔に死と言うものはやってこない。どんな方法を試そうが無駄なのだ。


「……うん。」


「……もう止めなさい。こんな事をしても無駄よ、何度やってもあの子の所へ行けるわけないの。……辛いかも知れないけど、忘れなさい。」


 それは翔にとってどんなに酷な言葉だっただろう。それが分かっていても、優にはそう言うしかなかった。今から出来る事などない、死んでしまったものは仕方がない。


「翔が望むのなら、あの子の事を生き返らせる事も出来る。でもそれじゃあ、駄目なんでしょう?」


「…………。」


 厳密に言えば真魔の力で復活させる事は可能だ。他の真魔には死んだものを復活させるのは禁忌だとするルールがあるが、優には関係ない。澄が死んだ事実を、本当は生きていたと言う風に書き換えるなり、澄と言う存在を復元するなり、全く新たに創造する事も出来る。極論、『翔に吹き飛ばされて死んだ澄が生きている』という事実だけを世界に刷り込む事も出来る。だが、それは澄であって翔の会いたい澄ではない。絶対に何かを、僅かでも変える事になる。存在とはあらゆる方面からの知覚で成り立っている。澄から見て同じ自分でも、翔から見て復活させた過程があるのなら、あくまで別の存在なのだ。翔に殺されたことを恨んでいない……別の澄。優としてはそれで翔が納得するなら構わないが……この少年は、そんな事で自分の罪を許すのだろうか。


「……どうすれば、いいの。」


「……翔?」


「どうすれば、謝れるの?」


「…………。」


 優は何も応えられなかった。翔が得たいのは自己満足ではない、本当にただただ謝りたいだけなのだと優にも分かるからこそ、何も言う事が出来ない。そんな方法はないと、どこまで言っても自己満足なのだと言ってしまう事は……優には出来なかった。そして、


「っ………。」


「え?」


 ザクリと、肉が破れる音がした。


 何かが翔の右太ももに突き刺さる。優は余りに唐突な事に一瞬混乱し、自身が持っている包丁に視線を向けた。確かに包丁は此処に……。


「って、アンタいくつ持ってるのよ!! そっちも渡しなさい!!」


「………罰を……受けなきゃ……。」


「煩い!! 良いから早く抜き……………なっ!?」


 ザク、ザクッ


 左足に、脇腹に、埋め込むように深く、次々と刃物が突き立って行く。いくつ持っているのか。魔法を使えない翔は、刃物を生み出す事は出来ない。なのに、何故こんなにも多くの刃物がある? 床から拾い上げられるナイフやカッター、包丁、果ては画鋲に釘。こんなに多くの凶器をいつ持ち込んだ? ……そして、優は気付いた。


「この血……何層も……。」


 壁に張り付いた血糊は、昨日今日のものではない。床に広がる翼の如き血の層は一度の出血で出来るものではない。そんな当たり前の事に、今気付いた。暗い部屋の中、床に散らばる、血の迷彩がなされた凶器にやっと気付く。この部屋は、この惨状は、一体いつ始まったのだろう。

 段々と、優は目の前が暗くなって行く感覚がしていた。


「いつ、から……。」


「……すみ……ごめん、なさい……。」


「駄目よ!! 翔、止めなさい!!」


「………ごめんなさい……。」


「っ!!」


 優は、翔の手に握られたカッターナイフを無理矢理に奪って遠くに投げ捨てた。いつから? 一体私は何を言っているんだ。少なくとも澄が死んだ今回の事が始まりではない。では、その前は、その前はいつだ? 翔を罰する人が、文字通り翔の前から消え去ったのはいつだ!?


「……ごめんなさい……おとうさん………おかあ、さん……。」


「もう、止めてって言ってるでしょうっ!!」


 願った。翔を傷つける凶器を、文字通り消し去る。翔の手から、太もも、脇腹、肩、腕、胸の至るところから一つ残らず。最初からこうするべきだったと後悔する。説得しようなんて馬鹿な事を考えてしまった。そんな事をしていたせいで、気付いてしまった。一番気付きたくなかった事実に。


「これ、いつからやってるの……答えなさい。」


「……………。」


「答えなさいって言ってるのよっ!!!!」


 声が、震えているのが分かる。答えが分かっているのに、分かりたくないと叫んでいる。自分の感情が制御出来なくなってくる。震えが声から伝播して、体にも伝わっている様に感じる。そして優は、睨みつけるような眼光を向けながら、翔の肩を掴んだ。翔の口が……開く。


「……此処に来た……日から。」


「…………。」


 何かが、優の中で音を立ててひび割れていく。


 それは、優の心に大きく、暗い闇の様に広がっていく。


 全てが、塗り替えられていく。


「はっ、はははっ、何よ……それ。」


 最初から? そんなもの、気付きようがない。あんなに無邪気に接して来た少年に対して、想像しようがない。


「なんで、なんでなんで!? 意味分からないわよ!!」


「……………。」


 ボーッとしてるだけの、能天気な少年だと思っていた。無駄なおせっかいばかりの、鬱陶しい少年だと思っていた。どんな時でもニコニコと、馬鹿正直な少年だと思っていた。主体性がなくて、いつも自分の後を付いて来て、変に頑固で、自分を表現するのが下手で…………自分の知っている少年は、目の前の少年とは全く噛み合わない。あの思い出はなんだったのだ、この記憶は何なんだ、私の知っている翔は、どこの誰なんだ。分からない、分からない分からない!! 頭の中が滅茶苦茶になりそうだ、そうだ、この少年は別の誰かなのだ、自分の知っている翔じゃない、だってそうじゃないか、こんな風に絶望して壊れているとしか思えない少年が、何故あんな風に生きられる、何の為に私に近付く。


「あんたなんか知らない!! ふざけるな!! 翔の格好して私に近づくな!! あの子は馬鹿で能天気で、素直さが突き詰まってる様な奴なのよ!! 一人ぼっちが寂しくて、偶然見つけた私に付き纏うような奴なのよ!! 死にたいなら勝手に死ね!! あの馬鹿でのんきな翔を、私の翔を返せ!!!」


 そうだ、こいつは翔じゃない。今回の事で変わってしまったなら分かる。だが、最初からこんな死にたがってる様な奴なら私に近付く理由がない。だから違う、絶対にこいつは違う。優は翔に掴みかかった、憎悪と、戸惑いと、複雑に絡み合った感情が篭った視線を向ける。そうだ、こいつが居なくなれば、いつもの翔が……。優は必死でそう思考する、頭の中に蔓延る思考を自分自身で滅茶苦茶にする。なのに……。


「……うん、分かった。」


 笑顔で。優の知っている、いつも通りの笑顔で。その翔は頷いたのだった。










 そして、優は理解する。この翔と言う少年が、紛れもない翔自身で。







 自分が最初から全て、騙されていただけだと言う現実を。







「今、返すから……ね。」







 少年は眠るように眼を閉じる。この世界から消えるために、目の前の少女に、少女の『本物』を返すために。






 そしてふらりと、少女の胸の中へと……倒れ込んだ。







「あ……ああ……ああああああああああああああああ。」


 翔の重みが、優の胸に掛かる。そしてそれと同時に優は全てを理解していた。狂ったように意味のない声を上げながら、理解したくない現実を直視する。


「こいつは、翔は、なんで!!」


 何故? 声に出した疑問とは裏腹に、自分に近付いた理由が、優には分かってしまう。


「私は望んでない!! 友達なんて!! 名前なんて!! 家族なんて要らない!! 寂しいだなんて思ってない!!!」


 叫ぶ。自分の言葉を自分自身に刻み付ける様に。


「一人で良い!! 誰も要らない!! 何も要らない!! 私の邪魔をしないで!!!」


 ずっと一人だった、それが当たり前だった、他の何も必要はなかった。翔のしたのは、ただのお節介だ。


「私は……私は……翔のものなんて要らない!!!」


 自分が失ったもの、自分が手に入れたもの、それは一体なんだ? 一人が奪われ、二人になって、それがいつしかもっと多くの人々に囲まれていた。


「奪われたのよ!! 私は全部奪われただけなの!!」


 名前が出来た。翔が呼びたいから、それだけの理由で優を貰った。皆がそう呼ぶようになって、いつしか自分の物になっていた。人に呼ばれる事が増え、一人の時間は更に減った。


「私は……要らないっ……!!」


 初めて、誰かに負けた。大した事じゃない、ただのチェスの勝負だった。でも負けて、悔しくて、のめり込んで行った。チェスは一人じゃ出来ないから、新羅や進を付き合わせて、いつの間にか翔は何処かへと消えていて……。


「………私、は……っ。」


 いつの間にか一人なのは少年の方になっていて、本当に何も、持たなくなっていて。馬鹿で、素直で、頑固で、暢気で、いつもニコニコ笑っていて……そんな翔が……何処にも居なくなって……。


「私は……翔……なんて……。」


 代わりに自分は、苛々して、悩んで、呆れて、怒って………翔に、返せと言って詰め寄った。いつも自分が見ていた『本物』の翔を……自分の知らない『偽物』の筈の翔から……。


「翔なんて……翔なんて……私は……。」


 胸に、一人分の体重が掛かる。穏やかな寝息を立てて、いつも通りの寝顔を見せる……最後に、少年がくれたもの。それは初めて、優が『返せ』と望んだものだった。



 奪い取った……最後の一欠片だった。


「い、いやああああああああああああああああああっ!!!!!!!」




 少女の叫びは、闇に呑まれて消え去っていった。



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