少女の日記:無題
「あれ、天使は?」
「………いい加減に翔を解放したらどうですか?」
「えー……でもー……。」
「って、本当に居ないじゃない。何処に行っちゃったのかしら?」
「……はぁっ……。」
今日は他の真魔が翔目当てに集まってくる日だった。優のリベンジの相手であるエルトリエルはどうやら居ないようだったが。その代わりにシュリとシュナの姉妹と、アリスと言う真魔が家に来て翔に様々な衣装を着せて楽しんでいた。先程までシャッター音と犯罪臭のする笑い声の絶えないカオス空間だったのだが、どうやら翔は珍しく逃げ出してしまったらしい。
「翔だって逃げたくなりますよ。もうちょっと自重を覚えたらどうです?」
「うー……でもでも、私だってエルトと同じで向こうの勤務だし、天使には滅多に会えないんだもん。」
「それは私だって同じよ。エーラ勤務誰か代わってくれないかなー……娘の恋路も応援したいし。」
「恋路ねえ。確かに美羽ちゃんは可哀想だけど、そういうのは裏界勤務のアマツに頼むのね。……ってかあんた前回も天使と遊んだんでしょ? なんで今回も来てるのよ、シュノが血の涙を流してたわよ。」
「えっ、シュリ前回も来てたの!? 狡い!! 私なんて五回振りなのよ!?」
「アリスは一回でも天使に負担が大きすぎるの。もう少し落ち着きなさいよ。」
「………私が探しに行ってきますから、皆さんはもう帰ってください。翔が可哀想です。」
三人の自分勝手過ぎる態度に霹靂しながら、優はそう言って部屋を出た。三人の中で言えばシュリはまだ大人しい方だが、それでも優に取っては五十歩百歩である。そもそも翔が天使だとか頭の悪い事を言い出したのはシュリだと言う話だし……、もうちょっとまともな真魔は居ないのだろうか。さて、それはともかくとして。
「翔は、またあそこなのね。」
あの公園。あの少女。あれからも毎日の様に翔はあそこへ通っている。GPSを見ると、点は地図上のいつもの場所に留まっていた。翔はあれから律儀にGPS端末を持ち歩いているが、ハッキリ言ってもう必要などないくらいだ。
「…………はぁっ。」
最近、溜息が多くなったように感じる。別に、毎日が退屈な訳ではない。読書も以前のようにあの場所で本を読む代わりに家で翔と読むようになったが、それにも慣れたし、不満もいつの間にか消えていた。チェスの勉強も、打倒すべき目標を倒すまでは続けるつもりだ。ただ読書をしていただけの昔よりもやる事が増えた分、退屈を感じる時間も減っている。なのに、何かが足りない。
「……何故かしらね。」
元々、人生が満たされていたわけではない。人生が常に満たされていないと満足出来ないと言う様な人間な訳でもない。退屈も、それはそれで満喫していたのだ。なのに、最近ではそれが変わってきている気がする。何かが足りないと感じてしまう。この気持ちは、翔があの少女と一緒に居るからなのだろうか。この一年程の時間、自分の隣に常にいたあの少年が居なくなったから、こんな気持ちになるのだろうか。
「まるで、恋する乙女じゃない。……馬鹿馬鹿しいわ。」
これで顔でも赤らめていたら可愛げもあったのだろうが、優はただ、興味もない他人事を口にする様に言っただけだった。そして優は本心からそう思っていた。例えこの気持ちが恋でも、子供の様な独占欲でも、優に取ってはどちらでも構わない。ただ、苛々したり、ムカムカするのが煩わしい。自分の感情がうっとおしい。そんな風に感じてしまう。
「本当に人間って、面倒だわ。」
優は、吐き捨てるようにそう言った。そして、何時もの様に虚空へと消える。何時もと同じように公園で二人を見守る。この出処の判断が難しい独占欲もきっと、いずれは掠れて消えるだろう。この日常が続けば、当たり前になれば………。
そんな優の考えは、その日、終わりを迎えることになる。
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「あああああああああああああああああああああああっ!!!!!」
「………え?」
転移した途端、凄まじい突風と魔力の塊が優に叩きつけられた。いや、正確には優に当たる直前にはその両方ともが無力化されてしまっている為、優にしてみれば何かが起こっている程度の認識にしかならなかったのだが、それでも異常事態である事だけは優にも直ぐに理解する事が出来た。もしも優が真魔でなかったら、突風に吹き飛ばされるか、魔力の塊を受けて体が消滅していた事だろう。
「な、何!? 何が……。」
「いいいいいいいいいあああああああわああああああああああああっ!!!!!」
「翔の声!? まさかっ……。」
あまりの魔力の濃度に視界が黄色く埋め尽くされ、翔の叫び声だけしか聞こえない。魔力からは優の良く知る翔の力が感じられ、優の脳裏には翔の力の暴走という可能性が瞬時に浮かび上がった。次の瞬間、優の真魔の力が一帯の魔力を全て消し去る。そして再び一帯が魔力で満ちるその前に肉眼で翔の位置を確認し、飛び付くように近付いた。
「ああああああああああああああああああっ!!!!!!」
「翔っ!! しっかりしなさい!! くっ……!!」
パンッ!!
「っ………。」
優の声にも気付かない様子の翔を見て、優は翔の顔に平手打ちをして無理矢理意識を自分に向ける。それからゆっくりと、暴走していた翔の魔力の勢いが押さえ込まれていく。優はその間に流れ出る魔力の本流を無効化していった。後には、震える翔と、寄り添う優だけが残る。公園であった筈のそこには翔を中心とした巨大なクレーターが出来上がっていた。
「あっ……あ……。」
「翔どうしたのっ!? 何があったのっ!?」
「……ゆ……う……? すみ……ちゃ……は……?」
「すみ……? ああ、あの子の名前ね………って、まさかっ。」
優は辺りを見渡す。公園の外には、騒ぎを聞きつけた野次馬が集まっているが、それらしき少女の姿はない。公園の中は綺麗に何もなくなっていて、隠れられる場所など、何処にもなかった。
「……あの子、一緒に居たの……?」
「……………。」
「……翔……。」
優の問いに一瞬体を震わせ、力なくうな垂れた翔は、何も応えなかった。優が何も言えずに居ると、サイレンの音が鳴り、次第に周りから聞こえる声も騒がしくなる。どうやら、野次馬以外にも騒ぎを聞きつけ、収めようとする人間がやって来たようだ。
「き、君たち!? 一体ここで何が!?」
「………煩い、消えなさい。」
「な、何を、…………あれ、こんな所で何してんだ、俺。」
優に声をかけた警官の男は、優に射るように睨まれて怯んだ様だったが、直ぐに何事もなかったかのように首を捻りながら入口の方に戻っていった。そしてそれに連なるように、野次馬の連中も一緒になって解散していく。
「………翔、私達も……。」
「……ふふっ、はっ、ははっ。」
「……翔?」
静かになった公園に、聞いたこともない、翔の笑い声が響く。聞いているだけで不安になるようなその声は、優の知っている翔の声とはまるで違う異質なものだ。
「………僕……また……。」
「……帰りましょう。」
「………ごめ、んね……すみ……ちゃ……ごめ……っ。」
「……………。」
優の言葉にも、翔は動かなかった。震えながら、何度も何度も同じ言葉を繰り返し、表情に笑顔を貼り付けたまま、翔はいつまでも、その場に留まり続けた。二人がその後に家に戻ったのは、夜も更け、翔の体の震えと唇が動かなくなってからの事だった。