少女の日記 少女の居場所
「優ちゃん、翔坊くん知らない?」
「さっきまで居たんですけど……、またみたいですね。」
「………GPSも置いていってるみたいだし……心配ね。」
「…………。」
それはいつ頃からだったか。いつも優の傍にいた翔が、いつの間にか、フッと消えるように何処かへ出かけてしまうようになった。……優が翔に出会ってから今まで、一度もなかった事だった。
「優ちゃん、居場所が分かったりしない?」
「……いえ、分からないですね。新羅さん達の方が詳しいんじゃないですか? 私に会う前は、いつもそうだったんでしょう?」
「ええ……でも今まではちゃんとGPSを持ち歩いてくれてたし……。」
「そうですか。」
心配そうに外を見る新羅に釣られ、優もチェスのスコアから目を放し、窓の外へと視線を移す。
「そろそろ夕方ですね。」
「そうね。出て行く時間もマチマチだけど……朝まで帰らない日もあるし……何処かで寝ちゃってるのかしら。」
「……どうでしょうね。」
恐らく、それはないだろうと、優は思っていた。翔の眠気は、自己暗示のような物だ。少なくともまだその時間ではない。
「ねえ、優ちゃん。」
「なんです。」
新羅の呼びかけに、優は溜息混じりに応える。問いを投げかけつつも、次に来る言葉は予想出来ているのだ。
「翔坊君の事……お願いできないかしら?」
「私の事、便利屋だと思ってません?」
「……そんな事ないわよ?」
「………はぁっ。」
優は溜息を一つ吐き出し、立ち上がる。また桜達が騒ぎ出しても面倒だ。さっさと探して連れてこよう。……それに、優も少し気になっていたところだ。
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「……って言ってもねえ。」
溜息をつきつつ、辺りを見回す。取り敢えず家から出た優は、空から翔を探すことにした。第一に考えたのは、優といつも一緒に過ごしたあの場所だ。だからあそこに至る道、その周辺を空から探せば何処かにいるだろうと思っていたのだ。そう思って探していたのだが……もう、着いてしまった。
「……居ない、か。もう手詰まりよねえ、正直。」
優は、一本の巨木の下に降り立ちながら辺りを見回した。やっぱり居ない。安請け合いをしてしまったが、翔がここにいないのだとしたら新羅や桜達が翔を探しても大して変わらない気がする。
「はぁっ……なんだかここも、久しぶりね。」
いつからだろう。前はここに一人で戻ることばかり考えていた筈なのに、いつの間にか、あの家が自分の居場所の様に考えてしまう様になっていた。翔とこの場所に来ても、時間になれば自然に足があの場所へと向いてしまう。前はうっとおしいだけだった翔を連れてあの場所へ帰る事が、自然な事の様に感じられて……。
「……これが、人なのかしらね。必要ないと思っていても、いざ手に入れれば手放せない。」
それ程長い年月だと言う訳ではない。これから自分が歩む長すぎる程に長い人生の中では、ちっぽけな時間量だろう。なのに、今の自分はこの時間に支配されている。
「………やめやめ、さっさと探して帰りましょ。」
『帰る』そんな言葉が自分の口から出てしまう事に苦笑しながら、優は飛び立つ。翔の足で移動できる範囲なんて大したことはない。しらみ潰しに探せばいいのだ。
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「…………。」
翔を見付けた。あれから暫く探し回って、やっと翔の姿を見付けた。
『澄ちゃん、危ないから木の上はダメだよ。』
『えー……だって普通の場所に隠れても翔くんに見付けられちゃうし……。』
『え。うーん……。』
心配そうな顔をする翔、困った顔をする翔。
『じゃあ隠れんぼは止めて別のことしよ? あ、ブランコとか!!』
『うん、やる!!』
笑顔一つ取っても、優の見たことのない翔が居た。いつもとはかけ離れた態度、翔はあれほど活発だっただろうか?
「…………。」
優は、翔と知らない少女が遊ぶ公園の上空に飛んでいた。夕日に照らされて、優はただその二人をじっと見ていた。
「……何よ、随分と楽しそうじゃない。」
それは無意識に口に出た言葉だった。
「いつも無表情で、何を考えてるのか分からなかったのに……。」
あんな翔を、自分は知らない。何故、いつもとは違う表情をしているのか、あそこに居るのは本当に自分の知っている翔なのか。
「……馬鹿馬鹿しい。」
頭の中が、ぐちゃぐちゃとしてくる。人の顔なんていくつもある。表の顔、裏の顔、人によって表情を変えるのは当然だ。それに、どちらが本当の翔なのかなんてどうでもいいはずだ。それ程、翔を気にする理由なんてない。
「……本当、馬鹿馬鹿しいわ。」
翔のあの表情を見る度、苛々と、不快な感情が自分の中に産まれるのを振り払うように、そう吐き捨てる。何も不快に思うことはない。いや、不快に思っていたとしてもあの表情は関係ない。探し回らせたことに対してなのだと心の中で反芻しながら、優は結局、翔と少女が別れるまで、二人のことを眺め続けていた。
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「……翔、探したわよ。」
「………優?」
日も暮れた頃になって、二人はやっと別れたようだった。優は、今まで探していたのだと言う雰囲気で翔に声をかけた。当の翔は、そんな優に不思議そうな視線を向ける。……いつもの、翔の表情だ。
「新羅さんが心配してるわ。あんまり遅くなっちゃ駄目でしょう? 偶に深夜に抜け出したりしているの、私が知らないとでも思ってるの?」
「……知ってたの?」
「知ってたわ。最近毎日じゃない。」
どうやら、深夜に抜け出しても気付いていないと思っていたようだ。何とも翔らしいボケっぷりだが、優は何故か苛々した。
「翔、何で私に黙って出かけるの?」
「………ごめんなさい。」
「別に謝って欲しいわけじゃないわ。出かけるのは翔の勝手だもの。でも、いつもの翔らしくないわ。」
翔らしくない。自分の口に出たそんな言葉に、先程の少女との情景がフラッシュバックするように頭の中に浮かんだ。不快だ、なんでこんなにも気にしてしまうのか。
「とにかく、これからはGPSくらい持ち歩きなさい。怒らないから、皆に心配させちゃダメよ。私が探しに行くことになるんだから。」
「うん、分かった。」
「………そう、ならいいわ。」
それで、会話は途切れる。元々、翔とまともな会話などする機会は殆んどないのだ。優が何か指示をすれば、翔は基本素直に従う。無論それは、付いてくるなとか、離れろとか、そう言った類の命令を除いてなのだが……。そう考えていたところで、優はふと気付く。最近、その手の命令をしていないなと。もう随分前に諦めてしまった事だったから。
「…………。」
「…………。」
今の素直な翔にその命令をすれば、従うのだろうか。自らの意思で優から離れようとしている様にも見える今の翔に……。
「……はぁ、そんな命令して本当に何処かに行かれても迷惑ね。」
「………?」
「なんでもないわ、気にしないで。」
優は直ぐにその思考をストップする。その思考に言い訳をして、自分の中の苛々に決着をつけるように全てをリセットした。
「ほら、早く家に帰るわよ。皆待ってるわ。」
「………。」
「ん、どうしたのよ。」
急かす優の隣で突然歩みを止めた翔を不審に思い、優は振り返って訝しげな視線を翔へと送った。
「翔、聞いてるの?」
「……うん、帰ろ?」
「…………。」
優に答えるように、翔は微笑んだ。先程優が見た、にこにこと明白な笑みではない。優の知るいつもの笑みと似た、それでも少し違う様に感じる翔の微笑み。優の初めて見る、ちょっと大人びた翔の表情がそこにあった。
「ふふっ……もう、変な翔ね。」
「僕、変、かな?」
「ええ、変よ。でも気のせいかも知れないわ。そうよね、翔の事なんて、まだそんなに知らないもの。知らない部分くらい、まだまだ沢山あるわよね。」
「……?」
「いいから、行くわよ。」
優は、何となく胸の内がスッキリとしつつあった。優の知らない表情、しかし先程とは違い優の心を苛立たせはしない。なんとなくその結果に満足しながら、優と翔は、今度は肩を並べて闇に覆われた道を歩いていく。
事が起こったのは、それからいくらかの時が経ったある日の事だった。