少女の日記 感情の矛先
「ほら、行くわよ。」
「う、うんっ、あぶっ!?」
少女が優と言う名前になってから、三ヶ月程度が経った頃だった。いつものように家を出ようとする優の隣から、翔だけがまるで竜巻に攫われたように居なくなる。
「きゃあああああああっ、かーわーいーいいいいいいいいいいいいいひゃああああああああっほおおおおおおおおおおいっ!!!!!! 天使天使天使ちゅーして、ちゅーっ!!!」
「待って待って、後200枚だけ!! ちょっとシュナ邪魔よっ!! あんた娘いるでしょうが、写真ならミウちゃんと撮りなさい!! あ、馬鹿、アンタと天使のキスとかさせるかあああああああああああああああああああっ!!!!!!!!!」
「おいシュナ、エルトリエル。お前らちょっとはしゃぎ過ぎだ。」
「うっせーのよ天津!! 裏界勤務のアンタと違ってこっちはエーラ勤務でたまの集会でしか天使に会えないのよ!! 毎日毎日この日を滅茶苦茶楽しみに頑張ってるのよ!! ミウも司君のことばっかでお母さんのことなんて眼中にないのよチクショー!!」
「私なんて生まれてこの方一人身で娘どころか子孫もいやしねーのよ!! 天使のアルバム作ってニヤニヤするのが私のジャスティスなんだから邪魔すんな、生きがいがコスプレのクソ一人身女!!」
「そうかそうか、上等だ。ちょっと表でろ!! 私は結婚出来ないんじゃなくてしないだけなのよこのやろおおおおおっ!!」
「…………はぁっ。」
朝からずっとこの調子だ。今日はどうやら数ヵ月に一度の真魔の集会があったらしく、別世界で生活している真魔も何人かこっちに来たそうだ。最初は数十人規模で押し寄せる予定だったらしいが、新羅達が流石にそれは翔への負担が激し過ぎると少し前から人数を振るいにかけている。というわけで、今日はシュナとエルトリエル、そして天津という真魔がやって来ている。……本当にうるさくて堪らない。
「……け、喧嘩は……。」
「はっ!? ごめんね天使!! 私が間違ってたわっ、私が悪いのっ、これからは心を入れ替えて良い子にするからナデナデしてー♪」
「エルト狡い!! 天使天使私もしてーっ!!」
「うっ、うん……(ナデナデ)」
「ああ……もう死んでもいい……。」
「寧ろ此処が天国……。」
「おい、無視するなって……ああもういいや。」
「馬鹿馬鹿しい……と言うかこんなのが私の同族なの……?」
いい年した(恐らく歳は千歳を遥かに超えているだろう)真魔が頭を撫でられて蕩けているという現状に、何とも筆舌に尽くしがたい気持ちになりながらも、優は翔に視線を送った。
天使と呼ばれ困ったように微笑む表情がこの変態真魔共には堪らないらしい。翔も翔だ、困っているならそう言えばこの女達も落ち着くだろうに。
「……はぁっ、馬鹿しか居ないのかしら。新羅さん達も家の事を任せてデートとかふざけてるわ。」
「あ、あはは……手厳しいね……えっと、優ちゃん?」
「これでも優しい表現を選んでいるつもりなんですけど? 新羅さん達も大概ですけど、あの二人はもう異常者ですね。天津さんって言いましたっけ、翔からあの二人を引き剥がしてくれません? これじゃあ読書に行けません。」
「……うーん、私じゃあ無理かなあ……そうしてあげたいけど。」
「…………。」
翔に撫でられて至福の表情を浮かべている同族二人に呆れの視線を送りながら、天津は優に苦笑を返しただけだった。そんな天津の様子に、ここは自分がなんとかしない限り状況は変わらないのだと優も察した。
「はぁっ………すいませんが、翔を解放していただけますか?」
「えーっ……。」
「やだっ!!」
「………即答ですか。」
まあ、予想はしていたが。とはいえ、翔を置いていって後で追い掛けてこられては都合が悪い。
「申し訳ありませんが、貴方達の意思は関係ありません。翔は連れて行きます。……ほら、行くわよ。」
「う、うん。」
「あ、ちょっと!!」
ここで無駄な問答をする趣味はない。こういう輩は相手にするだけ時間の無駄なのだ。優はそんな事を考えながら翔の手を引いて、二人の真魔から引き離した。
「横暴よ、おーうーぼーう!!」
「そうよそうよ!! 天使は私達皆の天使でしょうっ!?」
「貴方達の理屈は知りませんが、翔が此処にいては不都合なんです。残念ですが諦めて留守番しててください。それでは失礼します。」
優がそう言って翔の手を引きながら踵を返すと、後ろから大ブーイングが飛んできた。とは言え、それを聞き入れる義理もない。……そう考えていた優だったが、次の一言で脚を止めずにはいられなくなった。
「あ、じゃあ私達も一緒について行けばいいんじゃない?」
「なっ……!? 何故そうなるんですか!? それに貴方達は新羅さん達から留守を預かっている身でしょう?」
「留守を預かるって言っても、天使を一人にしないのが目的な訳だし……その天使が出かけるなら私達もついていくのが責任ってやつじゃない?」
「ぐっ……こんな時だけ正論を……。」
無論、本音はエルトリエルは自分が一緒に居たいだけだろう。とはいえ、この人達がついてくると言うのなら同じ事だ。
「ほらほら、そう言う事だから早く行きましょう? お外で撮影会もたまには良いわね♪」
「エルトにしては良いアイデアよね。ふふっ、新しいシチュエーションでの写真が撮れるなんて今日は幸せな日だわ!!」
「か、勝手な事を言わないでください!!」
「えー、でも最初に勝手を言ったのはそっちでしょう?」
「くっ……。」
確かにそうなのだが、それを許す訳にはいかない。この二人に知られたら、これから先偶然を装い突然訪ねてくるのが目に見えている。
「優……どうするの?」
「…………。」
この人達に言って聞かせるのは無理だ。とは言え、無理矢理翔を連れて行っても勝手に付いてくるだろう。そして翔をここに残して一人で行くのはリスクが高い。……ならば、何か条件を付けて実力行使しかない。
「エルトリエルさん、シュナさん、賭けをしましょう。」
「ん? 賭け?」
「どうしたのよ、いきなり?」
優の突然の提案に、シュナもエルトリエルも怪しげな撮影機材を調整する手を休めて注目した。
「先に言っておきますが、私は貴方達を連れて行きたくありません。」
「そうみたいねー。でも私とエルトは天使と一緒にいたい。……だから賭け?」
「はい、そういう事です。」
流石に真魔だけあって頭の回転は早いようだ。お互いの利害が一致しない故に、どちらかの意見を抑えなければならない。だからこその賭けだ。
「内容はそちらに任せます。シュナさんかエルトリエルさんのどちらかが代表になってください。そして私が勝ったら、今日は私達に付き纏わないでください。もし負けたら、私が出掛けるのを諦めます。」
「あら、そんな事言っちゃっていいの? 賭けの内容までこっちが決めちゃって。」
「ええ、どうぞ。その代わり二人の内のどちらかだけで済ませてください。余計な時間は使いたくないですし。」
「ふーん、そっか。私は構わないわよ、シュナは?」
「ええ、私も問題ないわね。内容も代表もエルトに任せるわ。」
「………決まりですね。」
上手くいった。そう考えながら優は内心で自分を褒めてあげたくなった。恐らく競技内容は運が絡まずにルールがしっかりと作り込まれた戦略系のゲームか何かのはずだ。身体能力や運が絡むゲームであれば、真魔同士であるが故に決着は付かないだろう。
「それでは、エルトリエルさん。内容はどうしますか……?」
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「(……イライラ)」
「ゆ、優ちゃん……? 顔が怖いわよ?」
「元々です。それより、新羅さんの手番ですよ。」
「あ、う、うーん……ご、ごめんなさい、もう投了。」
「………そうですか。」
新羅が投げた戦場を見下ろし、優は内心で深く溜息をついた。新羅のキングは未だ手を掛けられてはいないが、先の先まで見据えれば既に決着は付いている。なるようにしかならない、それがチェスと言うボードゲームだ。
「優ちゃん、本当に強いわね……今日が初めてには思えないわ。」
「ルール自体は知ってましたから。……次、桜さん御願い出来ますか?」
「あ、う、うん。私は良いけど……エルト程強くはないよ?」
「……私には、対人経験がなさ過ぎるらしいので。」
優はそう呟くと、何を思い出したのかこめかみをヒクつかせ、表情を歪ませた。その不機嫌オーラたるや、対面に座っていた新羅が思わずいそいそと退席してしまう程のものだ。
「まさか、私があんなストーカー紛いの変態女に……っ!!」
「あ、あはは……その印象は概ね間違ってないんだけどね。」
拳を握り締める優のあまりと言えばあまりの物言いに、桜もカラ笑いで返すしかない。結局あの後行った勝負の内容はチェスで、対戦相手はエルトリエルだった。そして、そのチェス勝負の結果は……。
「まあエルトリエルはチェスだの将棋だのってゲームでは真魔でも敵なしだからな。一度負けたくらいであんまり気にしない方が………イエ、ナンデモナイデス。」
「……負けは負けよ。」
フォローに回ろうとした進も優の眼光に怯み、視線をつい逸らしてしまった。進は既に新羅の前に対戦済みであり、中々強かったがそれでもエルトリエル程ではなかった。リベンジの機会がいつになるかは分からないが、何とか一泡吹かせてやりたい。
「翔坊君、大丈夫?」
「……うん、大丈夫。」
「……………。」
結果として優が負けたということは、その後も翔があの二人に振り回されたと言う事である。それは、別に優に非がある訳ではなかったが……なんとなく、放って置くのも目覚めが悪いというものだ。
「すいません桜さん。お相手をお願いしようと思いましたが、今日はもう遅いですし、翔を寝かしてきます。」
「えっ? ああそっか、それじゃあお願いするね。」
「はい。……翔、行きましょう。」
「……うん。」
優はフラフラとしている翔の手を引いて寝室へと連れて行く。どうやら大分疲れてしまっているようだ。真魔故に肉体的な疲れはないのだろうが、それでもあれだけの時間振り回されていれば、精神的に疲れが溜まっても全くおかしくはない。
「……おやすみなさい……。」
「うん、おやすみ二人共。」
バタンッ
二人が寝室へと去った後、リビングに残った三人は、優のその様子に顔を見合わせた。
「………ふふっ。」
「エルトには、ちょっとだけ感謝……かな?」
「そうだな。あいつは単に翔坊とベタベタしたかっただけだろうけど。」
そんな三者三様の反応をしながら、三人は揃って、二人の消えた寝室の方へと優しい視線を送るのだった。