少女の日記 変わりゆく日々
「おはよー♪」
「……………」
「ほら、ご飯出来てるよ? 翔坊君も座って座って?」
「うん………食べる……」
朝の澄んだ空気に響き渡る、調理の音と朝食の匂い。真魔は食物を取る必要性はないが、人間としての本能が、それを良い匂いだと感じている。
「……………」
「うっ、納豆……新羅ぁっ、私納豆嫌だって言ったじゃん!!」
「良いじゃない納豆。進君も私も好きだし、好き嫌いは良くないわよ? ねー、翔坊君も食べるわよね?」
「………うん、食べる……」
「うんうん、翔坊は良い子だなあ。……ほら桜、翔坊の前なんだから」
「うっー……分かったよぉ。じゃあ進君食べさせて?」
初めての睡眠も悪くはなかった。今まで眠るという行動を無駄にしか感じていなかったが、これからは生活サイクルの一つに加えても良いかも知れない。
「……………」
「ちょっと桜、それはお行儀が悪いわよ。と言うかズルい!!」
「えー、良いじゃないちょっとぐらい!!」
「こらこら……二人とも喧嘩は……」
「……んー………はむっ……」
わーわー、もぐもぐ、ぎゃーぎゃー
「ああああああああああっ、煩い煩い煩いいいいいい!!!!!!!!」
「わわっ、どうしたの!?」
「もしかして女の子の日……なわけないか」
「荒れてるなあ……寝起きが悪いタイプか」
少女の叫びに反応は三者三様。自分達が原因だと言う事を理解していないらしい。唯一、少年だけはのほほんといつもの調子でご飯を食べている。
「………大体、なんで私の分まで用意してるのよ」
「え? 朝ごはん食べないの? 毎日の活動の基本は朝ごはんだよ?」
「…………」
少女が言ったのはそういう意味ではないのだが……どうやらこの桜という女性にとっては少女がここで朝食を摂る事が確定しているらしい。別にそれ自体はいい、寧ろ何かと突っかかる方が疲れると理解したし、この人達の気が済むように穏便に付き合ったほうがストレスも少ないだろう。
「はぁっ………食べたら出ていきますからね」
そう、これでもう終わりだ。もうこの人達に会うこともない。この人達の独特の空気とテンションにイライラする事もないのだ。それならば、最後くらい我慢してやろう。そう思い、少女は席に着いた。
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「……………」
「ああ………そうだった、そうだったわ」
ぽかぽかとした気持ちのいい陽気の中で本を読む。それは少女にとっての日常であり、全てであった。昨日の事はただのイレギュラー、だからもう同じ事は起こらない。少女はいつの間にか、そう『思い込んで』いた。
あの家で朝食を摂り、そんな時間もたまには悪くないかも知れないと思いつつ、それでも少女は早く自分の日常に戻りたいと思っていたのだ。
だが一つだけ忘れていた。それは……
「………? 読まないの……?」
「……………」
既に少女の日常は、昨日と言わずもうとっくに崩れ去っていたのだ。他の誰でもない、この目の前の少年によって。少女がそれに気付いて恨めしげな視線を送っても、少年は首を傾げて不思議そうに見つめ返してくるだけだ。会った時から変わらない、この少年は変わらない、自分の日常だけが変えられてしまった。
「………なんでついてくるのよ……」
「………?」
「首を傾げてんじゃないわよっ!! あーもうっ!!」
忌々しいことにこの一ヶ月と少しで学んだ事がある。この少年に何か文句を言っても無駄なのだ。まさにのれんに腕押し、騒ぎ立てても疲れるだけだ。
「………そう、そうだったわ。何も問題は解決してなかった……はぁっ」
てっきり、朝食を食べたらそれっきりで関係が切れると思っていた。しかしこの少年からしてみればそんな義理はないのだ。今までも勝手に隣に座り込み、昨日も勝手に付いてこようとして、今日もまた勝手に付いて来て隣に座っている。なんというストーカーだ。しかも、少女はある事に気がついてしまった。気付いてから、気付かなければ良かったと頭を抱える程の事態だ。
(それにこの流れ……今日もまた……)
昨日も帰らずに此処に居た。そして連れ帰っても付いてこようとした。そして今此処にいる。それはつまり、今日もまた昨日と同じシチュエーションになると言う事ではないのか? 本を読む内に日が暮れて、少年は帰らずに此処で寝て、自分の一人でいる時間がなくなってしまう。そして仕方がないからと家に送り返せば強引に粘着される。それは昨日と同じ流れだ。そして更に始末が悪いことには……
「……あの三人、この子を探しに来るんじゃ………」
自分で考えていてゾクリとした。来る、あの三人は間違いなくここの場所を探しに来る。簡単に見付かるとは思えないが、少年の移動範囲を考えれば二、三日で絞り込めるだろう。そうなれば最悪だ、このお気に入りの場所は最悪の場所に成り代わる。なんという悲劇だろう。そんな状況では少年を送って行くしかないではないか!!
「………あ、悪夢よ……」
「………?」
少年は相変わらず座り込んだままじーっとこちらの様子を伺っている。少なくとも少年は読書を直接的に妨害する様な子ではない。しかしあの三人はどうだろうか、はっきり言って邪魔のレベルが違う。今までギリギリ我慢出来ていたのは少年の性質的な所に寄る部分が大きい。だが、間違いなくあの三人は少女に取って大きなストレスとなるだろう。ゆっくり読書をするどころの話ではない。
「ああ……結局、私に選択肢なんてないじゃない……」
詰んでいる。少女がそう感じてしまうくらいには状況は最悪だった。
「……読まないの?」
「………はぁっ。言われなくても読むわよ」
まったく、誰のせいでこんなに悩んでいると思っているのか。そんな事を考えながら、考えても仕方がないと割り切り、少女は少々乱暴に木に腰掛けて本を開き、そしてそれを少年が覗き込んだ。
少女の日常は変わってしまった。少年によって、変わらない日常へと……変わっていったのだった。