少女の日記 星のない夜
「え、藍紗の娘なんだ? 確かに似てるかも。ふふっ、でも藍紗より美人さんになりそうだよね。あの子跳ねっ返りだったし、子供の頃の藍紗はよく覚えてないけど」
「そう言えばその藍紗って人には会ったことないな。子供の頃から知ってるってことは……大分年の近い真魔なのか?」
「そうね、私達の次に若い真魔で、私と桜のお姉さんみたいな人よ。歳的には二つか三つ上だったかしら。私達三人の次に若いのは数百歳は年上だし、本当に私達の姉の様な人だったわ」
(…………なんで、こんな事に……)
少女は今自分が置かれている状況に頭を抱えていた。あの後無事に少年をこの人達に預け、さて帰ろうと思った矢先のことだった。全身真っ白の雪を思わせる白銀長髪の少女に強引に手を引かれ、こうして家に連れ込まれてしまったのだ。彼女の名は桜と言うらしく、聞いてもいないのに勝手に自己紹介をしてくれた。先程の緑髪の少女の名は新羅、少年を背負い帰った二枚目気味の青年は進と言うらしい。少女二人はどうやら真魔の様だ。何にしろ、少女は興味もなかったが。
「……私、帰っても良いですか?」
「ええっ!! だって家とかないんでしょう? 帰るって何処に帰るつもりなの?」
「住処なんて地べたで十分です」
「ダメダメッ!! 女の子がそんな事したらダメだよっ!! 確かに私達は風邪なんて引かないけど、それでも女の子が地べたで寝たりするなんて……」
「……じゃあどうしろと……」
思わず溜息をついてしまうくらいには迷惑だった。一体何が目的なのか。同じ真魔だから、単に興味があるのか。何にしろ……面倒だ。
「はぁ……じゃあ家を作ります。ベッドを置きます。それで良いでしょう?」
「そうだ!! 一緒に此処に住めばいいのよ!!」
「人の話聞いてましたかっ!? なんで私が貴女達なんかと一緒に暮らさないといけないんですか!!」
「ま、まあまあ、二人共落ち着いて……」
新羅が止めに入るが、生憎少女は最初から落ち着いていた。ぶっ飛んでいるのは目の前のこの女一人だ。そもそもなんで自分がこんなところに連れ込まれなきゃいけないのか。もう勝手に帰ってしまおうか。
「あのね、貴女のお母さんの藍紗は私達のお姉さんの様な人だったの。だから、貴女の事を放っておけないのよ」
「……別に、私の母親の事なんて今更どうでも良いでしょう? 今更死人に気を使ってどうなるって言うんですか。……下らない、帰らせてもらいます」
「あ、ちょっ、ちょっと!!」
もう付き合っていられない。こんな場所から一秒でも早く消え失せたい。少女は席を立つと、そのままいつものあの丘を思い浮かべた。本当に面倒な家族だ。何から何まで……うっとおしい。
「それじゃあ、もう会うことも……」
「どこか行くの……?」
「っ………!?」
「あ、しょ、翔坊君……起こしちゃったわね……って、起きてきたの!?」
さあ消えようと思った瞬間、リビングのドアを開けて翔坊と呼ばれた少年が顔を出した。大声をあげた新羅だけでなく、桜と進まで少年を見て目を丸くしている。しかしなんだろうか、この嫌ーな感じは。途轍もなく面倒な事が起こるような、そんな気がする。
「別に、帰るだけよ。貴方はもう寝なさい」
「……僕も行く」
「………はぁっ!?」
は? え? こいつは今なんて言った?
「………僕も……行く……」
「……………」
少年はどうやらまだ眠いようで、足取りがフラフラとしている。しかし、この少年は何を言っているのだろう。ボクモイク? どういう意味だ。少女の辞書にはそんな単語は存在しない。
「ええっと……貴方、一体何を言っているの?」
「あそこ行くなら……僕も……」
「……………」
そこまで言われて、現実逃避をする少女ではなかった。少年の発言は理解した、そう理解はした。だが意味が分からない。何故帰ると言っているのに付いてくるのか、外は夜で、ここは少年の家で、自分と、この少年は家族でもなんでもない。
「あーもう!! あんたもいい加減に意味分からないこと言ってんじゃないわよ!!」
「…………すぅ………」
「寝るなああああああああああああああああああ!!!!!!!!」
こ・の・ガ・キ!! 人をおちょくってるのか? そうだ、そうなんだ!! あれから一ヶ月以上も付き纏った挙句に人の事を怒らせてノイローゼにでもさせる気なんだ!!
「ちょっ、お、落ち着いて? 冷静になって?」
「私は充分冷静よ!! あんた達が冷静に真面目に馬鹿な事言うのが悪いんでしょうが!!」
「………ねえ進君、私馬鹿な事言ってる?」
「……あー……どうだろうなあ」
「そこの男、アンタの女でしょうが!! 自分の女くらい自分で操縦しなさいよこの日和見野郎!!」
「なっ!? ちょっと今のは聞き捨てならない、進君は日和見野郎じゃないよ!! 最近は私達以外の女の子相手にしないし、素敵な人だもん!! それに進君は私達の操縦とか滅茶苦茶上手いし!!」
「知らないわよそんな事っ!! アンタらの下ネタ惚気なんて聞いても楽しくもなんともないの!! ああああああああああっ、もう!! そこの子供を寝かしつけて帰らせなさいよ!!」
爆発する様に少女は叫んだ。何せ一ヶ月分のストレスだ。そうそう簡単に発散しきれるものでもない。今すぐ帰って一人になりたいが、この少年が邪魔をする。ここで無理に帰ってもきっとあのフラフラとした足取りでこっちに向かってくるつもりだろう。そしてそれを心配したこいつらもまたついてくるはずだ。自分のお気に入りの場所が踏み荒らされる。それだけは我慢出来ない。
「はぁーっ、はぁーっ……」
「………んぅ………すぅ……」
「………っ……」
少年を見て、その後使えない大人三人組を見た。思わず舌打ちが出てしまうくらいに使えない。こいつらに少年を任せるのは不安だ。隙を見て少年が抜け出さないとも限らない。そうなれば、自分の時間はまたこの少年に妨害される。
「……貴方、眠いんでしょ?」
「ん………行く………」
「……………」
少年はもう、眠るか眠らないかの瀬戸際にいる。この子供さえ寝かしつければ、もうこのイライラから開放されるのだろうか。少なくとも、今日の間は。
「……ほら、ベッドは何処? それとも布団で寝てるの?」
「……寝ない……」
「馬鹿な事言ってないで案内しなさい。来るならまた明日でも良いでしょ」
「………ん……んんぅ……」
「………はぁっ」
少年は僅かに首を横に振る。そしてそれに合わせるように今日何度目か知れない溜息が少女の口から漏れた。もう一生分くらいの溜息が出たかも知れない、なんて馬鹿な事を考えてしまうくらいには、少女は色々と諦めていた。
「新羅さんって言ったっけ? 案内してよ、この子の部屋」
「え? あ、あー、うん、そうね」
「………? 何よ、貴方まで私の邪魔をするの?」
「ううん、そうじゃないの。ただこの子の部屋にはベッドとかないのよ。寝室に案内するわ」
「ああ、そう。どっちでも良いわ。……ほら、行くわよ」
案内する為に先に部屋を出てドアを開けてくれた新羅に続き、少女は少年の手を引いて部屋を出た。フラフラとした足取りに合わせながら歩く少女に対して、少年には先程の頑なさはもうなかった。少女はそんな様子にほんの少し安心しながら、どうやら今夜も星を見て過ごせそうだと心の中で呟いたのだった。
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「………ねえ、なんで寝ないの?」
「…………すぅ……」
「あら、やっと寝……」
「……んー……行くの……?」
「……………」
先程から一体何度目だろう。もう数えるのも馬鹿らしいくらいこのやり取りを繰り返している気がする。少年を寝かしつける作戦は順調に進み、少年をベッドに寝かしつけるまでは完璧だった。だが、とてつもなく大きな問題が現在発生しているのだ。
「………もう寝た?」
「……………」
「………よしっ」
「………だめ………」
「うぐっ……」
何度やっても同じだ。一見寝ているように見えても、いや、本当に眠っているのだろうが、少女がそこから離れようとする度に起き上がるのだ。この少年には鋭敏なセンサーでも付いているのだろうか? そんなものが付いているとしたら付けたやつを今すぐ此処に連れてきて欲しい、一発と言わず何度でも殴ってやる。
「……はぁっ、もう現実逃避は止めよう」
「………ふぅ……」
「…………仕方ないわね、これは」
離れれば起きてしまう、寝かしつけなければ帰れない。これは完璧に少女の目的とは矛盾した状態だ。しかし、こうなった以上はもう選択肢など他にはないだろう。新羅にはこの少年を寝かしつけると約束してしまった。約束を守る義理はないが、破るのも後味が悪い。
「……今日は一緒に居てやるわよ。だから、もう寝なさい」
「…………んん……」
それは少女の言葉に対する返事だったのか、それとも全く関係ない何かだったのか。結局少女には判別出来なかったが、それでも別に構わない。それが分かったところでどうする訳でもないのだし。
「本当………この子も真魔なのよね……?」
自分の魔法の中に入ってきたと言う事は、普通の存在ではない。真魔の魔法も真魔には効かないという法則がある以上、この子は恐らく真魔なのだろう。少なくとも真魔でなければ、どんな特異体質を持っていたとしても真魔の魔法は破れない。アンチマジックという体質の人間も居るが、それはあくまでこの世界レベルでの話だ。世界の枠を越えた存在に対して、この世界の力ではどうする事も出来ない。それがルールだ。絶対に曲がることはない。
「男の真魔………眠たがりの真魔か………」
だが、絶対を捻じ曲げる力を持つ自分たちがそれを言うのは、少々滑稽だ。
「……まあ、たまには世界に合わせて見るのもいいか」
少女はポツリとそう呟くと、少年の隣に横になって目を閉じた。睡眠を取る必要はない、必要はないが……体験するのも悪くない。らしくないと思いながらも、少女はそんな事を考えてしまった。