第79話:世界のルール
「……ただいま……」
「お、お邪魔します。」
「真夕ちゃんに……琴ちゃんだよね? いらっしゃーい、シュリから全部聞いてるよ♪ あ、好きな場所に座ってね? 私の分の席はいらないから。私は進君の膝の上に座るし……。」
「ちょっと桜っ、勝手な事言わないでよ!! 順番だって言ってるでしょ? 進君には私が座るから桜は椅子に……。」
「……む、むう、桜も新羅も少し落ち着きを持て、これから真面目な話をするのじゃぞ。」
「「お爺さん言葉禁止!! 私達まで老けて見えるじゃない!!」」
「相変わらず騒がしいわねー、あんた達……桜もまるで変わっちゃいないわ。」
「えーっと、これは一体……どゆこと?」
「あはは……先輩方いらっしゃい。気持ちは分かりますが、まずは座って落ち着きましょう。」
昼休みに美里達から話を聞いていたので、放課後は真夕と共に翔の家に着たのだが……そこで見た光景と会話に、琴は驚きを隠せなかった。
椅子に座っている魔夜達とシュリはいい。だが、新羅と一緒にいる二人は誰だろう。片や、容姿の整った二十代前半くらいの青年。片や、新羅とその青年を取り合っている、新羅と同じくらい小柄な少女。少女の方にはまったく見覚えがないが、青年の方には……かなり、知っている人物の面影があった。
「え、あの……まさか、進お爺さん……?」
「おお、琴ちゃん。少しぶりじゃ……こ、こほんっ……少しぶりだね。……二人共、これでいいか?」
「「ギリギリ合格、60点。」」
「…………。」
「……無理もない。私も最初は……、驚いた。進お爺さん……若返ってるし……。」
新羅と銀白髪の少女に合格点を出されてホッとしている、進と呼ばれた青年に対して琴が絶句していると、真夕も琴の反応に同意する様に頷いた。本当に、目の前の青年が進だと言うのだろうか? 確かに面影はあるが……若返る等という事が本当にあるのか?
「ああ、ほらほら、琴ちゃん達もさっさと座りなさい。話が進まないわ。」
「うっ、すいません理事長。」
「……命ちゃん、そのクッション取って……。」
「あ、これですか? 渚先輩ってこういうふわふわクッション好きなんですね。」
「……うん、ありがとう……でもこれ、翔君の……今は私と共用。」
「なんかまゆまゆ、ちゃっかり一番に翔ちゃんとラブラブよね。なんか狡い。」
「……そんな事ない……気のせい。」
シュリに急かされ、琴の呟きも聞き流す様にそう言って、真夕は椅子にクッションを敷いてその上にちょこんと座り込んだ。なんだか釈然としない気持ちになりながらも、琴も隣の席に座る。ギャーギャーと騒いでいた新羅と少女もなにやら進の膝を折半という事で決着がついたらしく、やっと話が出来る空気になってきた。
「えーっと、バタバタしちゃって御免ね。初めましての人も居るから自己紹介しとくと、私は新羅と同じく進君の妻で、桜って言います。翔坊ちゃんとは血の繋がったお婆ちゃんに当たるかな。皆の事は良く知ってるから自己紹介は不要だよ、宜しくね。」
「え……しょ、翔君のお婆さん!? 若いって言うか……え、私達より年上………? あ、でも昔、翔君がそんな名前を出してた様な……。」
「ふふっ、澄ちゃんは翔坊ちゃんから名前くらいは聞いてたかもね。ほら翔坊ちゃんはお婆ちゃんっ子だし、勿論私の。ねー、進君♪」
「何言ってるのよ、翔坊君はお婆ちゃんっ子だけど間違いなく私っ子だったわ。良く新羅お婆ちゃん大好きって言ってたもの。ねー、進君?」
「う、うむ、どうじゃったかな……。」
「「……お爺さん言葉禁止。」」
「二人共、進まないから後にしなさい。」
また先程のテンションに戻りかけていた二人を、シュリが溜息混じりに制止させた。皆が呆然とするなか、一応昨日の内からある程度知っていた美里が怖ず怖ずと手を挙げた。
「美里ちゃんどうしたの?」
「昨日から気になって居たのですが……桜さんが進さんの奥様なのは分かるのですが、新羅さんは渚先輩の御祖母様なのでは……。」
「あー、真夕ちゃんとは血の繋がりはないし、実の祖母って訳じゃないの。昔ちょっとした偶然から一緒に住むようになったのよ。ふふっ、懐かしいわ。」
「……駆け落ちした私の親が、勝手に住み着いちゃって……。」
「な、成る程……。」
笑いながら言った新羅の答えに対して、真夕が少しバツが悪そうに呟いた。美里も、どうやら渚家にも色々あるようだと察した様でそれ以上の追求はしなかった。
「まあ、優ちゃんは偶然じゃないと思ってたみたいだけどね。あのタイミングで真夕ちゃんっていう、優ちゃんの計画に都合の良すぎる人材が出て来たんだし。」
「優の計画……?」
「うん。まあそれについては話しても良いんだけど、一つだけ条件があるのよね。」
「条件、ですか。」
条件、そう言った新羅に対して復唱した美里を含め、全員が身構えるように硬くなった。まさかこの期に及んでやっぱり何も話さないとか言い出すのではないだろうかと不安になる。
「ほら新羅ちゃん、条件なんて言うから皆固くなったじゃない。」
「でも、大事な事よ。それに、これはどうしても呑んでもらわないといけない。そうでなきゃ話すわけにはいかないのよ。」
「なんなんだ? その条件とは。」
回りくどくも聞こえる新羅の言葉に急かされて、命がそう尋ねると、新羅は一層真面目な表情になった。
「別に何も難しいことじゃないわ。貴女達に聞きたいのよ、本当に、翔坊君と添い遂げる覚悟があるのか。」
「そんなの……。」
「待ちなさい。その答えはよく考えた末のものかしら? 心変わりする事がないと言える? 貴女達はこれから何年もの間ずっと、死ぬまで一緒に生活するのよ。貴女達が過ごしたこの数ヶ月所の話じゃない。死ぬまで翔坊君を愛し続けられるの?」
そう鋭い口調で言った新羅の言葉は、あの時美里に向かって、何も知らないと言った優の口調とよく似ていた。突き放すような口調。そして、試すような雰囲気が感じ取れた。しかし、
「……何を今更……。」
「真夕ちゃん、これは大事な事なの。」
「その大事な事って、翔くんより大事なの!?」
「っ……。」
「ちょ、ちょっとまゆまゆ、落ち着きなよ!!」
「私は早く翔君のところに行って、翔君の苦しんでる部分を取り除いてあげたいの。そんな覚悟なんて、優ちゃんに脅された時から出来てる。此処にいる皆もそう、覚悟が出来てるから此処にいるの。今更そんな話、早く翔君の所へ行く事以上に大事だと思えない。」
悟すような口調で言った新羅の言葉も遮り、真夕は睨みつけるような視線と共に自分の祖母に言った。咄嗟に真夕を落ち着けようとする琴の言葉も、どうやら届いていないようだった。いつもは無表情な真夕の、珍しく激情を見せたその表情に、当の新羅を除いた他の面々も一同に驚きの表情を見せていた。
「翔君を裏切るような人なら、私が気付く。美里ちゃんと魔夜ちゃんもそうでしょ?」
「え、ええ、そうですね。」
「少なくとも、今はそんな考えの人はいませんわ。どうですか、新羅さん。」
「……そうね。なんだか、ちょっと驚いたわ。今の真夕ちゃんは……まるで、優ちゃんを見てるみたいだったわ。」
優を見ているみたいだと、真夕の事をそう評価した新羅は、薄く口元を綻ばせていた。その評価がどの様なものなのか、完全に理解することは出来なかったにしろ、どうやら新羅を納得させることが出来たらしい。新羅は桜へ目配せをすると、桜がシュリへと視線を送った。
「シュリちゃん、翔坊ちゃんの話の前に……いいよね?」
「ええ、10年待ったんだもの。後数時間、数分程度待てないわけないわ。」
「うん、分かった。それじゃあ、此処にいる皆に……世界の話をするね。」
そう言った桜の表情は、何処か儚げで、どことなく嬉しそうで、それでいて大きな憂慮を抱えたような、そんな笑顔だった。
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「皆は、魔法って分かるよね?」
「えっと私達が使う魔法の事ですよね?」
「そう、その魔法。」
唐突な桜の質問に、呆気にとられながらも美里が応えると、桜は首肯した。
「じゃあ何故、魔法があるか分かる?」
「何故って……そりゃあ、魔力があるから?」
「私達が使えるからある……としか言えませんね。」
「まあ、普通そうだよね。そう考えるのが普通なの。この世界で魔法が生まれたのは今から数千年前の事になるんだよ。その頃の世界は荒廃しててね、それはもうひどい有様だったのよ。」
「あ、それって『浄化』の話ですか? 数千年前に起こったって言う、荒廃した地球を再生した。」
浄化とは、荒廃した地球から脱出するべく人類が奔走していた際に起きた奇跡。外宇宙からの宇宙船によりもたらされた技術、『魔法』により地球が再生したという、この世界に住む者なら誰もが一度は聞いたことのある、おとぎ話。
「ああ、あれね。あれは私達の流したデマだよ。私達はまだ生まれてないけど、確か、アマツは生まれてたよね? アマツとアマナは参加したって言ってたし。」
「………はい? デ、デマなんですか? と、言うか私達が流したって……。」
「荒廃してたのは地球だけじゃないんだよ。人の心も酷かった。力なき者、財無き者はひたすらに貧しくなる。力の強いものが支配して、弱者は太刀打ち出来ない。そんな世界だったんだってさ。」
そう語る桜の口調は、まるでお話の中の言葉を読むように淡々としていて、現実味がなかった。実際そんな事を言われても俄かに信じられないし、想像も出来ない。
「地球だけじゃないよ、宇宙や外宇宙にも資源を求めて、結果どこまでも枯渇して、ひたすらに力が全てになっていった。自由に慣れきった人間は作物を育てようともしないのに、作物を育てる心を持った人間にストレスをかけていく。そんな感じで食べるものも減っていったみたいだよ。そういう人類的な意味でも、世界は完全に荒廃してたんだよね。もう生物が完全に居なくなるのも時間の問題って感じで。」
「………まあ、信じろってのが無理な話よね。」
桜の説明に対するシュリの言葉に、賛同こそしないものの、全員が似たような認識を持っていた。しかし、今は信じるしかほかにない。否定する要素も理由もないのだから。
「それで、それが魔法とどう関係が?」
「うん、だからね? 私達と世界が無理矢理に調整をかけたの。魔法っていうバランスブレイカーを投入して、食べ物の問題も解決させたし、善人や世界の味方になる素質のある人程、強い魔力を持つように世界のシステムを調整して正義の味方を氾濫させた。それが魔法の始まりなんだよ。」
「………ちょ、ちょっと、想像が追いつかないんですが……。」
「想像なんてしても意味ないわよー? 全部事実なんだから、教科書に載ってる歴史みたいに暗記しちゃいなさい。」
桜の超歴史授業を受ける面々に対して、なんだか教師らしいのからしくないのか良くわからない事を言うシュリだった。
「さっき言ったデマってのは、魔法がいきなり存在すると世界の中で矛盾が出ちゃうから、適当な物語を作って、それを人の心に流したの。所謂一種の洗脳になるのかな。」
「………まあ、大体分かりました。いえ、分かってはいませんが、覚えました。それで桜お婆さん、そうだとすると、貴女達は一体なんなんですか? それに世界のシステムって……。」
「そうね。じゃあ次は世界のシステムについての授業を始めましょうか♪」
「桜、ふざけないの。大事な話なんだから。」
琴の質問に対して段々と乗ってきた桜に、ため息をつきながら新羅がツッコミを入れた。ただでさえブッ飛んだ内容なのに話し手がこれでは余計に混乱すると言うものだ。
「まず世界って言われて何か分かる? はい、澄ちゃん。」
「……えーっと、私達が暮らしてる此処ですよね?」
「そうそう、正確には世界の中にある地球って場所だけどね。あくまで世界って言うのは概念的なものだから地名とかじゃないんだけど、ある意味地名でも間違いじゃないかな。この世界っていうのは生命体がどんな形にしろ認識出来る全ての場所で構成されてるから。」
「えっと、それは……宇宙開発的な意味ですか? 人間が開拓したところまでが世界だーみたいな。」
「ノンノンノン、違うよー。宇宙や外宇宙ってそもそも全部人間が認識してるじゃん。つまる所、生命体が知覚できない部分を除く全てって事だよ。宇宙とか外宇宙とか、この地球の中心部とかもそうだけど、行けなくても認識は出来るでしょ? マントルって呼ばれてる場所だーみたいに。そういう事すら出来ない部分を除いた全てが世界なの。」
「ああ、成程。つまり想像出来る場所全部が世界って事ですね。」
「おお、理解出来てるねー、流石美里ちゃん。まあ深く考えないでいいよ、つまるところ世界ってのは皆に取っては全部って事だから。」
そう言って結局説明を投げっぱなしにする桜だったが、澄や命が助けを求めて新羅やシュリや進を見ても、ただ苦笑しながら首を横に振るだけだった。つまりは理解出来なくてもいいのだろう、なんとなくで。
「まあその世界なんだけど、つまるところ、その世界の中に生き物あっての世界なのよ。」
「ああ、それ知ってます。確か、世界を世界だと認識する者がいるから世界があるって言う哲学ですよね。」
「そうそう。だからさ、もしそこに生まれてくる全ての命が、生まれた瞬間に自殺する様なのじゃ困るでしょ? でもそんな事はない様に世界は出来てる。生き物は皆生きようとするわけよ。」
「つまり、生存本能こそが世界のシステムって事ですか?」
「うん、それもシステムの一つね。正確には、生存本能をもって生物が生まれてくる事自体がシステムなのよね。他にも、長さは色々だけど全ての生き物には寿命があったり、だからこそ数を増やして種として生きながらえようと性欲があるのよ。どう、難しくないでしょ? 簡単に言えば、哲学で行き詰ってしまう部分、『何で人間なんて生まれてきたの?』とか、『なんで生き物は種として残ろうとするの?』とか、そういう分からない部分は大体世界のシステムで決まっているからなのよ。そしてそれが真理とされるわけ。世界のシステム自体は世界から外れてるから、貴女達が知覚しようとしても無理だけどね。哲学って悲しいよね、どう頑張っても真理が真理たる理由に行き着けないんだから。」
桜はそう言って肩を竦めた。これに関してはさほど難しい話でもない。つまり分からない部分を世界のシステムのせいにしてるだけなのだから。所謂『真理』と呼ばれる部分。どう頑張っても変えられない部分が世界のシステムなのだろう。
「これでさっきの魔法の話に繋がるわけなんだけどさ。さっきの生存本能もそうだけど、世界のシステムって大体が世界を保つ為の、所謂『世界の防衛本能』なんだよね。世界が世界を守るために、自分に取って都合の良いルールをバンバン作ってあるのよ。例えば、ある世界では魔王が世界を滅亡させようとしても絶対に勇者が止めに来たり、ある世界では荒廃した惑星や人類のバランスを改善する魔法なんて存在が突如現れたり。」
「な、成程。つまりその、世界のシステムによってもたらされた魔法が、私達の使っている魔法なのですね。」
「そういう事。事実、魔法を使えば大それた悪事だって出来そうなものだけど、世界はこうして何事もなく無事じゃない? それっておかしいわよね、魔法なんて大きな力があるのに支配だって長くは続かないし、洗脳とか記憶改竄すら出来ない。寿命だってなくならないし、性欲だって消えない。テロや戦争だって最終的には収束して、人類滅亡なんて事には決してならない。貴女達の魔法はそういう風に出来てるのよ。魔法を使った犯罪だって、対したものないでしょ? そりゃあ元々そういう資質のない人程魔力が高いんだから当然よね? 寧ろ力に対する抑止力にしかならないわ。」
「………確かに、そうなのかも知れません。魔法の実力のある方々は、会合などであっても善い方が多いですし。」
「ふふっ、美里ちゃんも良い子よー? 流石は高魔力保持者ね♪」
「はぅ……。」
唐突に、不意打ち気味に褒められて、美里は自分が自画自賛気味の事を言っている事に気付いた。確かに、その理論で行くと自分たちの様な高魔力保持者は善人であると言う事になる。あくまで、世界にとっての善人という良く分からない存在ではあるのだが。
「……世界のシステムについては大体分かった……世界の自衛システムみたいなものだと思ってる……それで……貴女達は……何?」
「真夕ちゃんも結構ズバズバ行くねー。まあいいや、魔法の事も世界の事も、最低限知ってもらったしね。それじゃあここからは新羅ちゃんに頼もうかな? ほら、進君にスリスリするの止めて、順番だよ順番。」
「ちっ……えーっと、こほん、それじゃあ、私達の事を教えてあげるわ。貴女達も一番知りたい事だと思うから。」
桜が進から離れていた隙に進を独占していたらしい新羅は、舌打ちをした後で、皆の視線に気付いて一つ咳払いをしてから始めた。しっかりと真面目モードの表情になって全員を見つめる。
「ここまで桜の話を聞いて、皆、何かおかしいと思うところはあったかしら? 質問に答えるわ。」
「えっと、ハッキリ言っておかしいと思う所しかないんですけど……新羅さん達って、今は何歳なんですか?」
「私は831歳よ、桜は私より二つ下。えっと、シュリは……。」
「……女に歳は聞かないで。」
「だ、そうよ。勘弁してあげて。」
「「「「「………………。」」」」」
その瞬間、全員が同じ事を思っていた。いや、正直な話予想はしていたのだが、こうもあっさりと831歳というとんでもない数字を出されては、つっこむ気すら起きない。
「それじゃあ、次の質問に……。」
「ちょ、ちょっと待ってください!! 831歳って……ええ?」
「何よ、アマツとアマナなんて5000歳くらい行ってる筈よ? こう見えて私と桜が、優ちゃんと翔坊君以外の真魔じゃ一番若いんだから。」
「ご、ごせんさい……。」
琴がツッコンだ事により更に数字が大きくなった。5000歳と言う事は、5000年生きたと言う事だ。確かに、先程の話に出てきた時代に生きていたのならそれくらいでもおかしくはないが……前提自体がおかしい。そんな皆のリアクションを見て、新羅がクスリと笑った。まるで、自嘲をする様な笑みだった。
「驚いたかしら?」
「お、驚いたと言うか……失礼ですが、貴女方は本当に……人間なのですか?」
「難しい質問ね。私達は人間とも言えるし、そうでないとも言える。私達を知る者は私達の事を色んな名前で呼ぶわ。アウターと呼ぶ者、神と呼ぶ者、でも一番一般的なのは『真魔』かしら。」
「真魔……。」
「真なる魔法を使う者って事でね。化物とか神とか言われるよりは格好いい呼び方でしょう?」
新羅が言った名前『真魔』。それは、不思議な響きを持って皆の耳に入っていった。まるで、聞きなれた言葉の様にも感じてしまう。初めて聞いた言葉だと言うのに。
「真なる魔法……それは、私達の魔法とは違うのですか?」
「そうね、呼び方なんてどうでも良いけど、確かに貴女達の魔法とは違うわ。そもそも、魔法っていうのは人に使えないから魔法なのよ。世界の法則を真理とするなら、魔法はその名の通り魔の法則。世界に属する人間には届かない真理の外側、それが私達の言う魔法なの。」
そんな新羅の言葉に、真夕は首を傾げた。イマイチ要領を得ない。
「……良くわからない、何が違うの?」
「そうね、例えば貴女達の魔法に必要なのは何かしら?」
「えっと、魔力と……杖が必要な人なら杖かな? 後は……想像力?」
「まあそうね。正確には魔法を顕現する為の魔力、魔力を変化させる為の資質、そして魔法を操る想像力。資質に関しては、魔道具である杖に頼ればいいし、想像力なんてのは慣れよね。それが貴女達の魔法。」
新羅はそれを説明しながら、貴女達のと区切りをつけた。それはつまり、自分たちの使う魔法がまったく別物である事を示していた。
「それじゃあ、真魔の魔法はどうなんですか?」
「簡単よ、私達の魔法に必要なのは一つ、望むこと。」
「望むことって……なんですか、それ。それじゃあ、望めばなんでも叶うと?」
「ええ、叶うわ。どんな事でも。世界を破滅させたいと願えば、次の瞬間には世界は破滅するでしょうね。私達を除いて。」
「そ、そんな馬鹿な事が……。」
驚愕というよりも、呆気に取られた。まさかこの期に及んで冗談を言うつもりだろうか、しかし今はそんな冗談を言う空気でもない。
「本当にね、馬鹿げてるわ。でも本当の話よ、私も桜も常識的に考えてさっきから色々とおかしい事ばかり言ってるでしょう?」
「今の魔法の話も大概ですよ!!」
「うーん、そうなんだけど、こればっかりはね。私達が望めば全て思いのままなのよ。そもそも世界には、新しい世界のシステムを構築する力なんてないの。世界は世界のシステムに則って、ただ世界を維持するに都合のいい方向に存続するだけ。一時的にバグに対する対処なら出来ても、大まかなルールの付け足しなんてしやしないわ。でも魔法が生まれた。それってね、私達が世界を維持する為に魔法を使ったのよ。言ったでしょ? 私達が調整したって。」
「そんな……それじゃあ、冗談じゃないんですか?」
「ええ、冗談じゃないわ。私達の力は世界からも外れてるの。だから本来なら世界の内部にいる筈の人間が関与出来ない部分にまで関与できる。例えば私達なら、世界から生き物に生存本能を付与するってシステムを除外する事や、生物同士で洗脳や記憶改竄の様な支配的行動が出来ないって前提をぶち壊してそれが出来る。ただ望めばいいのよ、それだけで全てが終わる。」
「滅茶苦茶ですね……そんなの、使われたらどうしようもない……。」
そう言った魔夜の表情には、恐れの様なものがにじみ出ていた。自分が他人に向けていた、心理透視能力もまた、こんな恐怖を与えていたのだろうかと、そこでも少し怖くなる。
「とは言ってもね。私達は普段は使えないのよ? 本当に必要が有る時だけ使うことが出来るの。私達にはそういう誓約が生まれた時からついてる。人間っていう鳥籠に入れられた時点でね。」
「どういう事ですか?」
「そうね、さっき私は人間であるとも、ないとも言えると言ったけど、つまりはそこが世界との繋がりなのよ。世界から外れた力を持ってる私達は、世界から外れた時点で人間とは呼べないわ。でも、こうして世界に人間として生まれ、存在しているの。これって矛盾よね?」
新羅の苦笑に、誰も、何も答えられない。
「世界は私達に誓約を掛けた。人間である以上持っている生存本能、それは世界あっての物なのよ。だから私達は人間である時点で世界を敵には出来ないの。でも一方で世界を無視出来る力がある。その矛盾が私達と世界を同時に存在させてるの。更に言えば世界も既に私達に関与できないわ。真魔の魔法は、私達の望みに対して発動するの。私達人間が持っている自意識が、世界からのアプローチを嫌ってるのよ。真魔の力は無意識下でも発動しちゃうからね。これが私達と世界の関係よ。実際の所、世界からも真魔からも基本は接触できないのよ。」
「……では、さっき言っていた様な場合は……。」
「それは特例よ。世界の危機は世界の住人である私達の危機でもあるからね、世界に関与できる私達が世界からバグを取り除くの。誓約っていっても、実際に魔法が使えないわけじゃないのよ。ただ常に使いたくない、使ってはダメだって感じてしまう程度のものなの。つまるところ真魔は世界の法律に従っているに過ぎない。破ることは出来るのよ。職業がデバッカーだけどチートを使わずに人生と言うゲームをプレイしたいって感じなのよ、真魔って。その癖詰みそうになったらチートを使ってしまう軟弱者。」
「そう言われると……元も子もないですね。凄くどうしようもない存在に思えてきます。」
あんまりと言えばあんまりな例なのだが、分かりやすかったのでよしとする。だが、真魔という存在が出てきたお陰で、先程の魔法と世界のシステムの話にも現実味が出てきた。勿論真魔自体が超常の存在なのだが。
「あの、それではもしかして、私や渚先輩、魔夜ちゃんの力が効かないのって……。」
「ええ、真魔の力よ。自意識や本能によって一切を拒絶するのよ。世界からの干渉もそうだけど、貴女達の力や、外的、内的な損傷、毒物やアルコールの様なものから薬品まで、あらゆる物は無意味ね。魔法的な物も駄目よ。普通の食べものみたいに意識してなければ栄養にはなるけど、そもそも栄養も真魔の力で補給されるし、余分なものは真魔の力で消え去るわ。感触とか、味覚とかはあるんだけどね。五感ってやっぱり、生きている事を実感出来るし、そうでないと、生きている事が分からなくて壊れちゃうから。真魔の力も心で作用するから、そういう所は敏感なのね、きっと。」
「成程、それででしたか。やっと謎が解けました。」
翔の力の謎が解けて、美里はホッと胸をなで下ろした。観覧車の一件からずっと、翔が何かの病気なのではないかと気が気ではなかったのだ。そんな美里の心情を察したのか、新羅は口元に小さく笑みを浮かべた。
「心配してくれたのね、翔坊君の事……ありがとう。」
「あ、い、いえ………えっと、それでは、皆さんのお歳の事も、外見の事も、真魔の力で不老不死になっているという事でしょうか?」
「それは……まあ、そうなんだけどね。正確にはちょっと違うかな。一応、人間である以上死ぬ事が出来るようには出来てるし。」
新羅は少し考えるような間を置いた後、シュリと桜の方に目配せをした。そして、何やら頷き合う。
「私達は確かに貴女達の言う通り、そして見ての通り、ある一定の時期から全く老いないわ。時期は人によって違うけど、私達の体が一番生きるのにストレスのない時に止まるみたい。不死の方もそう、最初からそうなってる。でも、それは私達が望んでの事じゃないの。」
「それって、どういう……。」
「言ったでしょ? 私達は一応人間よ。生存本能ってのがあるのよ。心の何処かで生きる事に執着してしまう、だから死ねない。どんなに死にたくても死ねないのよ。真魔の魔法も結局は心に発生源があるから、理性でどうにか出来るわけじゃないの。それに、真魔の力は真魔には効果がないの。だから私達はお互いに殺して上げることも出来ない。愛する人が、大切な友人が、周りが皆死んでしまっても、私達は決して自分の意思では死ねないのよ。そうして壊れていく真魔を、私は沢山見てきたわ。もし進君が居なくなれば、私達だって……。」
「……………。」
それ以上の言葉を新羅は言えなかった。琴達もまた、言おうとはしなかった。不老不死というのは、物語の中ではよく聞く言葉だ。そういう魔法が研究された事も少なくない。しかし……不老不死というのは、死ぬ自由を奪われる事にもなる。
「で、でも、さっき言ってましたよね。人間だから、死ぬように出来てるって。それって……。」
「ええ、死ぬ方法はあるわ。でも死ぬ方法なんて言葉、なんだか変よね。普通は逆なのに……。っと、ごめんなさいね、その方法は単純よ、真魔の魔法が発動しなくなればいいの。そうなれば私達もただの人間だもの。」
新羅はそう単純そうに言ったが、そんな方法があるのだろうか。そもそもそれが出来ないから死ねないと先程言っていた筈だ。
「……そんな方法あるんですか? 常に発動しちゃうんですよね? しかも理性でどうにか出来ないって……。」
「難しく考える必要はないの。心があるから真魔の魔法が発生する。なら、心が壊れてしまえばいいのよ。」
「えっ……。」
「ねっ、簡単でしょ? これが、私達真魔が死ぬ、ただ一つの方法なの。何度も何度も違う接し方で人と触れ合って行くのよ。恋人として、友人として、家族として、その末に皆に先立たれ、自分の心が摩耗していくのを感じながら、それを続けるの。いつか何も感じなくなって、死ぬ事が出来る時までね。いっそ麻薬の類が使えれば、それが一番早いのかも知れないけど、生憎私達には効かないのよね。」
「そんな、そんなの……辛すぎます……。」
「その辛さがなければ、そうでなければ死ねないのよ。真魔はね。」
新羅はそういったっきり、口を閉ざした。シュリと桜、進すらも皆一様に黙りきっている。いっそ、今の話が全て冗談であると言われた方が楽な沈黙だった。だがその場で一人だけ、そんな沈黙に苛立った様に声をあげる少女がいた。
「それで終わり? さっきから魔法の起源とか、世界のシステムとか下らない事ばっかりで、翔君の事をまだ全然聞いてない。翔君が真魔なのは分かった、言ってないこと、他にもあるでしょ?」
「真夕ちゃん……今の話を聞いても何も感じないの? 貴女が愛すれば愛する程、愛された翔坊君が苦しむかも知れないのよ?」
「関係ない、そうならないくらいに愛してあげるのが私の愛だから。それに、もし翔君が寂しがるなら私も生き続ける方法を探す。それが無理なら私が死んだ瞬間壊れるくらいに翔君を私に溺れさせる。そうすれば、翔君も寂しくない。だから、どうでも良い事はもう御終いにして。」
「……………わ、分かったわ。」
本当に全く動じていない所か、今の話に何の価値があったのかとすら言いたげな真夕の態度に、新羅を含めて全員が唖然となってしまった。これ程までに饒舌な真夕は、新羅も今まで一度も見た事がなかった。そしてそれは、他の面々も当然同じ事。この場で一番小柄な少女から発せられる苛立ちが、その場の雰囲気を一気に塗り替えていく。
「本当なら、これが最後のチャンスだと思ってたのよね。ここまで聞いて、翔坊君から離れるならそれでもいいかなって思ってたのよ。でも、脱落者もいないみたいね。ちょっと……ううん、凄く驚いた。」
「まあ、まゆまゆの言う通り、今更ですしね。正直少し悩みましたけど、他の誰かに翔ちゃんを任せるなんて、それこそ不安になっちゃいますから。」
琴の言葉に、美里や命、澄と魔夜も頷く。真夕は相変わらず早くしろオーラをビンビンに出している有様だ。今回は完全に新羅の杞憂だったらしい。
「せっかちさんも居る事だし完結に言うわ。本来、真魔は女しかいないのよ。理由は色々あるんだけど、単純に男性に比べて支配欲が小さいとか、精神力が強いから中々心が壊れないとかが理由ね。同じ理由で魔力の高い子ってのは大体が女の子になるわ。まあそういう訳で、真魔に男は生まれないようになってるの。」
「……まーた意味の分からない事を。それじゃあ進お爺さんや翔殿はどうなる?」
「あ、進君の方は説明不足だったわね。進君は別に真魔じゃないわよ。ただの普通の人間。っていっても超格好良いし優しいし、浮気性だけどそれも矯正したから今は完璧な……。」
「あー、はいはい。ノロケは後にしなさい、真面目に進まないから。」
「……どういう事ですか? だって、現に若返って……。」
「うん、その時点で真魔じゃないのよ。真魔には真魔の魔法すらも効かないから。」
「そういえば、そうでしたね。」
新羅がそう言った途端、澄も納得した様に呟いた。確かに真魔であるならそのような外見変化すら不可能と言う事になる。そう考えると、真魔もなかなか不便なものである。
「進君にはちょっとした事情でお爺さんの格好になってもらってたのよ。だから進君は普通の人間、ただし、真魔の魔法で不老不死になってるけどね。」
「そ、そんな事が出来るんですか!?」
「出来るも何も、実際やってるもの。でも、真魔の魔法はさっきも言った様に簡単には使えないの。私利私欲の為に使っちゃいけないって意思のストッパーがあるから。お陰で色々大変だったよ、世界のルールに従うために、世界を護り続ける勇者って名目で他の真魔の皆にも認めてもらって、やっとの事で不老不死の魔法をかけられたんだから。あの頃の進君はえっちだったから、他の真魔の皆もこんな勇者嫌だって言って………。」
「ああ、懐かしいなあ……シュリ達にも最初は引っぱたかれたっけ。」
「出会って早々に下着を履いてるか聞いてくる馬鹿だったからね、当然だわ。天使の爪の垢でも煎じて飲みなさい。」
「あー、最低ですね。」
世界の勇者という大それた名前を持った人間がそれでは、納得させるにも苦労しただろう。流石の琴も、それには呆れてしまう。……さて、そろそろ本題に入らなければ真夕のストレスが臨界に達してしまう。もう進を見る目がゴミを見る目と化している有様なのだ。
「新羅さん、まゆまゆがキレない内に続きを。」
「え、ええ、それでまあ、翔坊君なんだけど……。」
「まさか、翔君まで真魔じゃないとか?」
「いえ、あの子は間違いなく真魔よ。私達が真魔って言うんだから間違いないわ。」
「……でもさっきは男は生まれないと……。」
「ええ、生まれないわ。生まれない筈なのよ、世界のシステムではね。」
「……それって、どういう事?」
翔の事になり、新羅に真夕が食いつく様に尋ねた。新羅は僅かに視線を泳がせ、何か悩む様な沈黙の後、重苦しい空気を吐き出すように溜息をついた。
「私もこんな言葉を使いたくはないんだけど……怒らないで聞きなさい。」
「……分かった。」
「翔坊君は……言うなれば、世界のバグと呼ばれる存在よ。世界のシステムや私達世界のデバッガーに取っては、本来排除しなければならない存在になるわ。」
そう言った新羅の表情は、泣き出しそうな程に歪み、机の下に隠れた拳は強く握り締められていた。