第78話:再スタート?
内定と時間が欲しいです。
「………あふっ。」
「あらら、まゆまゆ可愛い欠伸ね。」
「………昨日は……大変だった……。」
「……あー、なんか澄がお世話になったみたいね。いいなー、私も行けば良かった。翔ちゃんとイチャイチャしたいなー。昨日はお楽しみでしたねー?」
澄と翔が和解した翌日の朝、真夕と琴のクラスの教室で小さく欠伸をした真夕に琴がそう言うと、真夕は小さく首を横に振った。その表情は些か疲れている様に見える。
「………多分、来てもイチャイチャ出来なかったと思う……。」
「なんで?」
「……澄ちゃんが……狡くて……。」
「…………?」
琴の疑問に、真夕は何かを言おうとして、止めた。そんな真夕に琴は不思議そうな顔をしたが、あまり突っ込まない方が良さそうだと判断する。取り敢えず話題変更。
「じゃあ、今日翔ちゃん達は?」
「……来てる……一緒に来た。」
そう言いながら、真夕は下を指さした。恐らく翔達が下のクラスに居ると言う事だろう。
「そっか、良かった……。」
「………うん、本当に………。」
安心した様な琴に対し、真夕もまた穏やかな表情で微笑んだのだった。
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「よう、おはよーさん。」
「えっ、篠原君!?」
何気ない朝の挨拶、その声と共に、そこそこ賑やかだった教室内が一気に静まり返る。そして、一気に爆発。
「おまっ、翔っ!! 今までどこ言ってたんだよ!! 心配してたんだぞ?」
「ああ、悪かったな。辰や皆も元気そうで何よりだ。」
「元気そうでって、お前な……。」
「うわー、なんだか凄い久しぶりに感じる。」
教室の扉を開けて久しぶりに登校した翔の姿に、ちょうど扉の前にいた辰や、クラスの面々が次々に殺到した。何だか転校生の気分だ。休んでいたのは一月程度のはずだが、翔はそんな光景が凄く久しぶりに感じていた。
そして、その後に続いた人物に再び教室が静まり返る。
「あ、皆おはよう。久しぶりだね!!」
「すっ、澄ちゃん!?」
澄が教室に入ると、再びクラスメイトから驚きの声が挙がった。こちらも久しぶりなのだから仕方がないだろう。……しかし、今度は教室の空気が爆発する事はなかった。
「あ、あれ……? 皆、どうかしたの?」
「いや、その………澄ちゃん、大丈夫なの? 具合とか。」
「そうだよっ、篠原君はともかく……澄ちゃんは安静にしてた方が……。」
「えーっと……?」
そんな教室の異様な気遣いの空気に、澄は困惑する。自分は学園に来てはいけなかったのだろうか? と言うちょっと寂しい気持ちになりつつ、助けを求めて翔を見ると、翔の方もそんなクラスメイト達に困惑気味だ。
「翔、お前御嶋さんに無理させちゃ駄目だろ。」
「ああ、これは篠原が悪いな。二人共今日はもう帰れ。奏先生には俺達から言っておくから。」
「えっ、俺達今来た所なんだけど……。」
「篠原君……貴方澄ちゃんが大事じゃないの? 良いから早く帰りなさい。」
先程の歓迎ムードも醒めきって、翔と澄はクラスメイト達から何やら気遣われる様に追い返された。そして疑問でいっぱいの二人に向かって、女子生徒の一人から興味深々な視線が向けられる。
「私、澄ちゃんに質問!!」
「え、な、何っ?」
「あの……じゅ、順調なの? 二人の赤ちゃん……。」
「「………はっ?」」
その子の言葉に、質問をされた訳じゃない翔まで素っ頓狂な声を上げてしまった。だがクラスメイト達はそんな二人の様子を気にした様子もなく、興味津々な表情でその答えを待っていた。
「ちょ、ちょっとマキ……そんな事……。」
「でも、皆も気になるでしょー? ねー、どうなの澄ちゃん?」
「澄ちゃん相変わらずスタイル良いけど、今何ヶ月目くらいなの? もう性別とか分かった?」
「な、名前は? もう名前は決めたの?」
「はい? え、ちょ、ちょっと……。」
1人の質問を皮切りに、次々と澄と翔へ質問が浴びせられる。そんな中、翔は訳も分からず澄へと視線を送った。
「す、澄、子供が出来たのか?」
「んなわけないでしょ!? というか翔くんは私に子供が居るはずないって知ってるでしょうが!!」
「「「………えっ?」」」
「あっ………。」
澄が自分の失言に気付く頃には、教室の空気はまたもや一転していた。とはいえ、澄の発言の意味を正確に捉えているのは恐らくそれ程の数ではない。今誤魔化せばまだ空気は変えられると澄は判断し、何かいい誤魔化し方を考えて……。
ガラッ
「あら、皆さんおはようございます、なんでこんなに集まって………あっ、翔さんと澄さんも早速御一緒に御登校なさったのですね、良かったです。」
「皆おはよう。それはそうと翔殿、翔殿の家に順番に行っている件なのだが、あれはこれからも続けてもいいのだろうか。それならば今日は昨日澄殿に譲った分も私と美里で……むぐっ。」
「ちょっ、命ちゃんっ!? ストップストップ!! 今の空気にその話題は危険過ぎるよ!!」
「「「…………。」」」
ちょうど良いタイミングで現れた美里と命と魔夜の発言のおかげで教室の空気は確かに変わり、少なくとも澄に対する視線は減った。……だが、翔に取って悪い方向に進んでいる事は間違いないだろう。
「………おい、篠原。お前御島さんだけじゃ飽き足らずに愛沢さん達にまで……どういう事だ、御島さんを選んだんじゃなかったのか? 俺達にチャンスをくれたんじゃなかったのか?」
「というか、そもそも御島さんが妊娠したから二人で駆け落ちしてたんじゃないのか? なんで篠原の家に愛沢さん達が……。」
「いや、でもさっき赤ちゃん出来てないって澄ちゃんが言ってたよ? ……それより篠原君って今四股かけてるの?」
「えっ? 私は2年の御島先輩と澄ちゃんが姉妹で篠原君を取り合った挙げ句に妊娠しちゃったから駆け落ちしたって聞いたんだけど……。」
「はっ? 取り合ったのは御島先輩じゃなくて渚先輩だろ?」
「俺は御島先輩と渚先輩がタッグを組んでアタックをかけてたって聞いたんだけど……違うのか?」
「えっ、じゃあ今篠原君って六股……?」
クラスメイト達が何やら、ああでもない、こうでもないと騒ぎはじめる。どうやら学園を休んでいた間に良く分からない噂が立っていたらしい。何にせよ、当事者に目が向くのは時間の問題だろう。その噂の方も微妙に否定できない物が混じっている為、逃げるしか選択肢がない気がする。……取り敢えず、朝のホームルームぎりぎりまで。
「えっと……あ、理事長に退学取りやめて貰うように言ってこないと……。」
「あ、わ、私も行く。ま、魔夜ちゃん達も行くよね?」
「あ、あははっ……そうさせて貰うわ。」
「むう……すまない、つい口走ってしまった。」
「命ちゃんのせいじゃありませんよ、それより早く行きましょう。私もあの方には話したい事がありますし。」
話の渦中にある5人は口々にそう言うと、教室内でああでもないこうでもないと騒ぐ友人たちに気付かれない様に、音もなく、素早く教室から抜け出した。何にせよ今は逃げるしかないだろう。翔達の久々の学園は、また波乱と共にスタートを切ろうとしていた。
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コンコンッ
「えっと、シュリ理事長居ますか? 私達です。」
「その声は美里ちゃんね。入って良いわよー、どうしたのかしら?」
ガチャ
「し、失礼します。」
「っ……て、天使っ、じゃなくて翔君!? ここに来てるって事はもしかして……。」
「はい、久しぶりです。一応まだ完全じゃないですけど……シュリさんの事も、少しずつ思い出してきました。」
美里がノックして声をかけると、中から直ぐに声が返って来た。そして翔はその声に聞き覚えがあった。澄と相談に来た時、生徒会選挙の時、学校行事の時………そしてずっと昔に、何度も何度も。
「………うっ。」
「う?」
「うわあああああぁぁぁんっ!! 天使がっ、私の天使が帰って来たあぁぁぁぁっ!!!」
「ちょっ、シュリさん!?」
「………翔さん、昨日から凄く色んな女の人を泣かせてますね。」
「……美里、その言い回しはちょっと勘弁して欲しい。」
翔が皆を連れて理事長室に入った途端、シュリは瞳に大粒の涙を浮かべて翔の胸に飛びついてきた。咄嗟に受け止めたものの、なんだか周りからの視線が痛い。超痛い。自分は何か悪いことをしただろうか? ……とにかく今は朝のHRも近いので、シュリを落ち着かせながら、本題に移ることにしよう。
「あのシュリさん、退学の件なんですけど。」
「はっ、そうだった。安心して、今直ぐ取り消すわ!! シュノには悪いけど、こうなった以上翔君を引き渡す必要なんてないもの!! ふふふっ、これで後2年ちょっとは天使と……くふふっ。」
シュリは翔の言葉を聞くと、途端に机に戻り、パソコンに何やら打ち込み始めた。何やら最後の方は聞き取れなかったが、恐らく重要な事ではないだろうし、気にしないことにする。さて、これで翔の用事は済んでしまったのだが……。
「シュリさん、約束覚えてますよね?」
「………ん、ああ、貴方達いたの? 何? 私今滅茶苦茶忙しいんだけど。」
「いましたよっ、返事したじゃないですかっ!! というか翔さんとの扱いの差が酷すぎませんか? 私も一応光明の生徒なんですけど……。」
「気のせいよ。天使の周りがキラキラ光ってて見えなかっただけよ。……それで、なんだっけ?」
シュリは美里の言葉に反応こそしたものの、決してパソコンから目を離そうとはしなかった。美里の言葉も頭に入っていない様で、結局また聞き返している有様だ。美里達はその姿に少々頭が痛くなったが、ここで怒っても仕方がない。
「ううっ……だから約束したじゃないですか、翔さんが全部乗り越えたらって……。」
「………ああ、その事ね。」
美里が溜息混じりにもう一度要件を言うと、シュリはそこで初めてパソコンから視線を美里達へと移した。今思い出したとでも言うような間と発言だ。
「んー、天使から聞いた方が良いと思うんだけど……さっき、完全じゃないって言ったわよね? どれくらい思い出してるの?」
「えっと、澄との事とか、桜婆ちゃんや新羅婆ちゃんの事とか、シュリさん達の事とか……。」
「………そっかぁ……うーん……。」
翔が思い出した事を順に挙げて行くと、シュリは悩む様な間を置いて一言だけそう呟いた。そして腕を組んで眼を閉じると、暫く唸るように考えたのち、口を開いた。
「そうね、まぁ約束だし仕方ないか。琴ちゃんとかも気になるだろうから、今日の放課後にでも天使の家に行きましょう。それでいいわね?」
「まぁ、そうよね。先輩達にも声を掛けないと……澄ちゃんにもちゃんとした説明まだしてないし。」
「あ、うん。実は簡単になら昨日真夕先輩から聞いてるんだけどね。皆が私のいない間にどんな事してたかとか。」
「……なんにせよ、全ては今日の放課後ということか……美里。」
シュリの言葉に、各々納得した様に頷いた。そして最後に命が美里へと視線を送ると、美里もそれに答えるように頷いて微笑んだ。
「はい、ではその様に致しましょう。翔さんもそれを聞けば全部思い出すでしょうし……。」
「ああ、そうだな、多分思い出すだろう。」
「ちょっと待ちなさい。」
全員の意見が固まりかけたその時、シュリがそれを阻むように声を上げた。全員がシュリに視線を向ける中、シュリの視線は翔を捉えている。そして翔に向けて、少し躊躇いがちに口を開いた。
「天使は……その場にいない方がいいわ。思い出すのもゆっくりで良いの、貴方のペースで……直ぐに思い出せないなら、それでもいいのよ。」
「え?」
「しゅ、シュリ理事長? なんで今更そんな事言うんですか……。」
「そうだな。翔も……聞く権利があるだろうと思う。」
提案者であるシュリの予想外と言えば予想外な発言に、翔以外の面々からも何故そんな事を言うのかと疑念が沸き起こる。そんな中でシュリも、若干申し訳なさそうに視線を下げて皆の視線を受け止めていた。
「別に天使を除け者にしてる訳じゃないのよ。ただ思い出すなら、出来るだけ自分の意思で思い出して欲しいの。時間が掛かってもいいから………優ちゃんの為にも、ね。」
「優の為……ですか?」
「そういえば、今日は優と一緒に来なかったの? 姿が見えないけど。」
「優は……。」
「実はね、昨日から姿が見えないのよ。朝になればいるだろうと思ったんだけど……。」
シュリの言葉に魔夜がふと気になって言うと、口篭ってしまった翔に代わって澄が事情を説明してくれた。それを聞いて、シュリはやっぱりねと言いたげな表情で苦笑する。まるで最初から分かっていた様に。
「シュリさんは、優が何処にいるのか知ってるんですか?」
「私が? まさか。あの子の居場所がわかる人がいるとしたら、それは天使、貴方だけよ。」
「……俺だけ、ですか……?」
正直に言って、今の翔には優の居場所の検討がつかなかった。ただなんとなく、このままでは優は絶対に姿を現さないという確信だけが翔の中にあった。
「そもそもあの子は貴方以外の人の言葉なんて聞きやしないわ。見つけた所で無視されて……いや、耳にすら届かずに終わりよ。そういう子なのよ、あの子は。」
「で、でもそれなら尚更、翔さんは早く記憶を……っ……翔さん?」
「いいんだ、美里。」
シュリの言葉に考え込む翔を見かねて、ついつい口を挟んだ美里を、翔は片手で制した。これは、自分の問題だと、自分が一人で解決すべき問題だと、不思議と納得していた。
「ですが翔さん……。」
「自分で思い出す。それが優の為だって言うなら、シュリさんを信じるよ。………今日はもう帰る。無理矢理にでも眠って起きれば、また少し記憶も戻ってるかもしれないし。」
「えっ? か、帰るって、学園は?」
「悪い、サボるよ。それじゃあシュリさん、失礼しました。」
「あ、ちょっと翔君!?」
翔はそう言うと、澄の静止も聞こえないかの様に何やら考えながら理事長室を出た。後に残されたのは、呆気に取られた澄達四人と、何やらクスクスと可笑しそうに笑っているシュリの五人。
「ふふっ、やっぱり天使は優しいわね。優ちゃんの事になったら途端にこれだもん、他の子じゃ絶対こうはならないでしょうね。……妬けちゃうわ、うふふふっ。」
「……シュリ理事長、一体何を企んでるんですか?」
「あら、企むなんて人聞きの悪い。……私はただ、本当に幸せになるべきあの子に幸せになって欲しいだけよ。順番で言えば貴女達はその後。今回の件の全てを知ってる訳じゃないけど、優ちゃんの頑張りは皆知ってる。だからそれは私達全員の総意なの。……まぁ貴女達の事も認めてるけどね、個人的には。」
「私達って、新羅さんと翔君のお爺さんの事ですか? それとも、誰か他にいるんですか?」
何やら意味深な事を言いながら、嬉しそうにクスクスと笑うシュリに対して、魔夜はふと思った疑問を投げつけて見た。しかし、シュリは答える気などないと言うかの様に微笑みを浮かべるだけだった。
「ふふっ、それもまた放課後かしらね。……まぁ十分に覚悟して来なさい。天使との事も、それこそ一生を考えられる人じゃないと、認めるつもりはないから。」
「………覚悟なら出来てます。翔君と、約束しましたから。」
「……ええ、それじゃあまた放課後に。天使の家で会いましょう。」
シュリの微笑みと共に、HRのチャイムが響く。どうやらいつもの学園生活は、もう少し先の話になりそうだった。