第77話:君でなければ
今回にて長きに渡る澄編終了です。2年くらいやっていた気がしますね。
私の別作品である、異世界と絆な黙示録とのリンクの関係もあり、まだまだハイペースで投稿しますので、ここまで6年間付き合って下さった皆様、もう暫くお付き合い下さい。
『これが、私の覚えてる全部だよ。お姉ちゃんには、教えておきたかったの。』
「………翔ちゃんと澄が……。」
昨日澄から全てを聞いた。澄の過去と翔との出会い。澄が怖くて外に出られなかったのは翔のせいだけではなかった。自分の身の上が分かってしまって、もうこの家に居られなくなるんじゃないかと言う不安もあったと澄は言っていた。だが勿論、翔の事もある。
「そりゃあ何もない真っ暗闇に放り込まれれば、おかしくもなるわよね。」
記憶を全て失ったのも、何も考えないためだったのだろう。もしかしたら、無意識の内に自分を守っていたのかも知れない。もし子供でなかったとしても、これは完全に狂い死んでもおかしくない状況なのだから。そして、何より翔が原因らしきその事故。
「………どうすればいいのよ。そんな体験した澄が怖がるのも無理ないし……。」
そもそもそれが事故であったのか、幼い翔が自ら起こした事であるのかも分からない。事故であったのならもうその心配はないのか。あの翔が自らそんな事をするとは思えないが、では何がきっかけであったのか。分からないことはまだ沢山ある。
「もしかしたら優ちゃんも……こうして悩んだのかしら。何がきっかけで起きたのかも分からないなんて……せめて翔ちゃんの記憶が元に戻れば分かるのかも知れないけど……。」
だが優はどうやら翔の記憶を取り戻させたくないらしい。もしかして優なら事件のきっかけも全部把握済みなのかも知れないが、聞いたところで恐らく無駄だろう。あれだけ必死に翔を守っているのだ……。澄が庭で見つかった日からだとしても、一体どれだけの間たった一人の少年の為に身を粉にして動いていたのだろうか。その苦労も、覚悟も、琴には分からない。
「……悪いことしたのかも……知れないわね。」
自分たちは優を責めるばかりで、彼女の苦労を僅かでも理解しようとしなかった。真夕からそれとなく、優が元々女性であったであろう事も聞いている。それが本当だとすれば、何の意図があってかは知らないが、自分の人生全てを翔に捧げていると言っても過言ではないのではないか。女でありながら、幼い身で、どれだけの苦労を背負ってきたのか。自分の人生すら棒に振って、翔の為だけに。そんな彼女にしてみれば、確かに自分たちなど翔の事を何も知らない部外者なのだろう。そんな事を考えている琴の隣で、携帯電話が振動し、着信を告げた。携帯のライトが光った事で、部屋の中が暗かった事に気付く。どうやらいつの間にか日も暮れ始めていたようだ。
「……誰だろう………って、翔ちゃん!?」
琴は思わず確信し直してベッドから飛び起きた。先程まで暗い気持ちになっていたと言うのに、ただそれだけで心に光が差したように感じてしまうのは、正直自分でも呆れてしまう。いつの間にそこまで彼に溺れていたのだろうか、自分でも分からなかったが、嫌な気はしない。
「も、もしもし?」
『ああ、琴、俺だ。いきなりで悪いんだけど、ちょっと頼みがある。』
「え? あ、うん、何?」
そういえば翔は普段電話をする様な事はない、なんだか珍しい。それになんだろう、ちょっと雰囲気が変わった様な気がするのは、電話越しだからなのだろうか……。
『澄は家にいるか?』
「うん、多分……、寝てるかも知れないけど。」
『そうか、じゃあそれでもいいや。今家の前にいるから、ちょっと入れてくれ。澄に会いたいんだ。』
「うん、分かった………え?」
『門の前で待ってるよ、それじゃあ。』
「あ、ちょっとっ……!!」
切れた。切れてしまった。一体どういうことだろう。何故いきなり翔が澄に会いたいと言い出すのか分からない。会うことは優に止められていると言うのに……。
「……どうして突然……もしかして、記憶が……?」
琴は思い立つと同時に立ち上がった。きっとそうだ、思い出したのだろう。だから澄と話をしようと来たのだ。……とにかく、考えていても仕方がない。まずは翔に会わなければ……!!
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「あ、えっと、こんばんわ。」
「ああ、こんばんわ。」
門を開け、なんとも聞く限りでは他人行儀な挨拶を交わすと、琴は翔を招き入れて門を閉じた。さっきまで悩んでいたと言うのに、こうして会ってしまうとどうだろう、やっぱり好きだ、自分にとっての翔はそれだけだ。そんな事を考えてしまうくらいには、琴もテンパっていた。
「翔ちゃん? こんな事を聞くとあれなんだけど……。」
「ん……?」
「えっと、やっぱり記憶が戻ったりしたのかな?」
「ああ、今さっき全部思い出した。なんで忘れてたのかまでは、まだ思い出してないけど。」
「………そう、なんだ。あのね、私も聞いたのよね。澄から……。」
琴がそう言ったのに対し、翔は少し驚いたような表情となり、苦笑した。翔がどんな思いを持ってそんな顔をしたのか、琴には分からなかったが……。
「取り敢えず澄に会いたいんだけど、いいか?」
「あ、えっと……うーん………。」
「………何か、まずいのか?」
「いや、まずいっていうか……こんな事は翔ちゃんに言いたくないんだけど、澄は暫くそっとしておいてあげた方が良いかもしれないって思うのよ。」
女としては翔の味方をしてあげたい。しかし澄の話を聞いたあとでは、姉としてはそうもいかない。優が翔と澄との接触を避けたがっていた理由は分からなかったが、少なくとも澄側からは翔を避けようとする感じがある。あの話を聞いただけでは、何故澄が翔を避けているのかは明確には分からなかったが、ああいう話を聞いてしまうと、無理に合わせるのは逆効果なのではないかと考えてしまうのだ。自分を暗闇に放り込んだ翔が憎いのか、またその様な状況になるのではないかと単純に恐れているのか、それとも何か別な理由があるのか。
「私も協力してあげたいんだけど、澄がなんで翔ちゃんを避けてるのか分からないのよ。全部を聞いたって言っても、あの子の心の内を全部聞いた訳じゃないし。ほら、やっぱりこういうのって、あの子の気持ちに整理がついてからでも良いんじゃないかしら?」
「それは困る。」
「……困るって、なんで?」
翔の予想外の答えに、琴も思わず聞き返した。此処に来たからには、翔にも何か目的があるのだろうが、翔自身が困るとはどういう事だろうか。翔の記憶も戻ったばかりなのだろうし、澄と話をするなら、また日を改めてでも……。
「澄には色々と言わなきゃならない事があるからな。もし気持ちを整理するなら、それを聞いてからにして欲しい。俺はただ澄と話に来ただけだ。」
「そんな……翔ちゃん、ちょっと焦りすぎだよ。そんなに急がなくても時間は沢山……。」
「焦りもするさ、なんせ十年だ。俺は今までずっと、こんな大事な事を忘れたまま生きてきたんだ。俺が起こした問題を、このまま澄に丸投げする訳に行くかよ。嫌われたとしても、現実今嫌われていたとしても、何よりもまず最初に、言わなきゃいけない事があるだろうが……。」
「それはっ……。」
翔はそう言うと、琴を真っ直ぐに見つめた。翔の瞳が琴の瞳に写って、訴えてくる様だった。
「俺は澄に一人で悩んで欲しくない。俺が憎いなら俺はそれを知らなきゃならないし、単純に怖がられてるならそれでもいい、それが分かれば十分だ。でも、それすら知らないままあいつ一人に悩ませるのは、最低だと思う。だから俺は此処に来たんだ。」
「…………。」
「悪いな、琴が困るって知っててこんな事言ってるんだ。でも、もう十年待たせて、記憶が戻ってからも、随分と一人で悩ませてしまったんだ。俺を信じてくれなんて、言える立場じゃないんだろうけど。」
そう言った翔の目は真剣そのものだった。翔にそこまで言われては、琴ももう、止める訳にはいかなかった。何故なら、自分は翔に約束してしまっている。ならば、自分もその約束を守らなければ。
「……ううん。私言ったもんね、何があっても私は翔ちゃんの味方だって。」
「ああ……。」
「翔ちゃんが本気でそう考えてるなら、分かった。元よりこれは二人の問題なんだもんね。私に出来るのは、せいぜい話を聞いて上げることと、慰めて上げることくらいだもん。」
「助かる………振られたら、慰めてくれ。」
「………ふふっ、了解。」
琴は翔のそんな言葉に一瞬呆気に取られながら、表情を綻ばせた。翔は何か、変わっただろうか。前はこんな冗談を言うような事はなかった。記憶が戻った事で何か心情に変化があったのか、それとも……自分たちが翔を変えたのだろうか? だとしたら嬉しいな、と琴は思う。
「澄の部屋は分かるわよね?」
「ああ、前に一度行ってるからな。」
「うん。ならいいの、行ってらっしゃい。」
「んっ………ああ。」
翔は琴に返事をすると、小さく笑った。琴も美里も、同じ事を言うのだ。帰ってくる場所は自分の場所だと、そう言ってくれている。だから、自分も同じように返すだけだ。
「それじゃあ、行ってくるよ。」
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コンコンッ
「……お姉ちゃん?」
ノックの音が部屋に響く。時計を見ればもう遅い、夕飯時のこの時間に部屋を訪れるのは姉だと相場が決まっている。夕食の準備が出来たから伝えに来た、と言うところだろう。昨日琴に全てを話して、澄は少しスッキリした気分だった。久しぶりに皆で食卓を囲んで、なんて良いかもしれない。そんな風に考えていた。……しかし、次に聞こえてきた声で、澄の表情は固まった。
「澄、俺だ。翔だ。」
「なっ………!? しょ、翔君っ!?」
「ああ……入っていいか?」
「あ……う……な、なんで……。」
翔の声に、澄は一気に混乱状態になる。翔が何故此処にいるのだろうか。確か昨日聞いた琴の話では、自分と会うことは優に禁止されているのではなかったか。それに何故今なのか。今まで電話の一本もなかったのに、今になって、何故。
「……澄、入っても……。」
「ま、待って、入ってこないでっ!! あの、えっと………そう、今私、髪ボサボサだし、パジャマだし、部屋も……散らかってるから。」
「………分かった。」
そんな翔の声に、澄はホッと胸を撫で下ろした。今言ったことは別に嘘ではない。部屋はずっと掃除していないからホコリが立っているし、起きてからずっとパジャマ姿で、髪も梳かしていないのは本当だ。別に翔と会ってどんな顔をすればいいのか分からないからなんて、そんな理由からではない。澄は自分で自分をそう納得させると、深く一度深呼吸をした。
「はぁっ………その、翔君? どうしたの、いきなり。」
「ああ、澄に話があって来たんだ。……なんだか凄く久しぶりに感じるよ、澄と話すのがさ。」
「あ……うん。そうだね、なんだか、凄く……。」
「……ああ、懐かしい。」
「えっ……。」
翔が澄に続けるようにそう言うと、澄はそこから何かを感じ取ったかのように震えた。翔も、そんな澄の態度には気付いていた。壁や扉越しでも、なんとなく分かる。だから翔はいきなり本題へと歩を進める。
「澄も思い出したんだよな。……あの時か?」
「うん。あの後、全部思い出したんだよ……翔君は?」
「俺はさっき思い出した。まだ全部は思い出せてないけど、澄の事は全部思い出したと思う。」
「………そっか。」
静寂が訪れた。いつも一緒に授業を受けたり、色々な事を話したり、一緒に遊びに行く事もあった。だがこんな静寂は初めてだった。居心地が悪いな、と澄は思ってしまう。翔と一緒にいる時間で、こんな事を思うのも初めてだ。最近の話だけではなく、昔も合わせて。
「俺は、澄に色々と謝らなくちゃいけないからさ。それだけでもと思って、今日は此処に来たんだ。」
「謝るって……何を?」
「沢山あり過ぎて困るくらいだけど……昔の話からかな。」
そう言った翔の言葉には、自嘲が滲んでいた。澄もそんな翔の言葉にズキリと胸が痛くなる。そう、あれは全ての始まりだ。
「昔の話って言うと、私を……次元の狭間に飛ばした事?」
「次元の狭間……か。やっぱりあの後……。」
「そうだよ。あの時は分からなかったけど、あそこは多分、そういう場所だと思う。……何もなかったから。」
澄はそう言って、俯いた。扉越しの翔ではその澄の様子は分からない。だが怖い思いをしたのだろうという事だけは分かる。次元の狭間とは、魔法学において定義される空間と空間の継ぎ目にある空間の事。空間を捻じ曲げた際にそこが開いてしまう事があると聞いたことがある。空間魔法や次元魔法と言う分野もあるが、それは卓越した技術が必要で、天才だけが僅かに見る事が出来る世界だ。そんな良く分からない場所に澄を飛ばしてしまった、今更ながら、誤って済む話ではないなと翔は思う。なんせ、帰って来れる保証もなかったのだ。
「済まなかった。澄に、怖い思いをさせちまった。」
「もういいよ、済んだ事だもん。……それに、あれはきっと翔君だけのせいじゃないんだって、今なら分かるから。……私が酷い事を言ったから、罰が当たったんだよ。」
澄は覚えていた、最後に見せた翔の悲しげな表情と、苦し気な叫び声を。澄の翔との思い出の、最後の記憶だ。だから澄は、あれは自分が悪いんだと思っていた。あの暗い闇の中で、何度も懺悔をする様に思った事だ。だからきっとあれは、仕方のない事だ。自分の下らない、子供心の嫉妬が招いた事。
「本当に、悪かった。」
「……だから、それはもう……。」
「……俺は助けに行けなかった。たった一人の友達が苦しんでいるのに、助けに行けなかったんだ。」
「っ………!!」
翔の言葉に、澄は息を呑んだ。一瞬呼吸が出来なくなるほど切なくなる。そうだった、あの暗闇の中で、自分は確かに待っていた筈だ。大好きな少年が自分を助けに来てくれる事を、少年が、自分が叫べば現れてくれる事を。……結果としてそれは叶わなかったが、それでもずっと、信じていたのだ。
「行けなくて、ごめん。」
「……そんな、それこそ……今更、過ぎるよっ……。」
思わず声が震える。分かってくれていた事が嬉しかったのか、それとも今更過ぎるその答えに怒っているのか、澄は自分でも分からなかったが、なんだか自然と泣けてきてしまった。いつの間にか、嗚咽まで漏れてきてしまう。
「うっ……くっ……。」
「謝っても、きっと済まされない事だと思う。俺は澄を裏切ったんだ。今までずっと、全部の事を忘れてた。……だから、ごめん。」
翔のその言葉を最後に、後は澄の啜り泣く嗚咽だけが、二人の間に聞こえた。
そしてそれから、どれだけの時間が経ったか。凄く長い時間だった様な気もするし、そうでもなかった様な気もする。二人の沈黙の時間は、翔の前の扉が開いた事で破られた。
「入って。」
「……入っても、良いのか?」
「……うん。だって、話したい事はこれだけじゃないんだもんね。」
咄嗟に聞き返してしまった翔に、澄は頷いて返した。扉を開けて久しぶりに姿を見せた澄の眼はまだ赤く、潤んでいる。
「翔君は勘違いしてるのかも知れないけど、私はあの事故のせいで翔君を怖がって、避けてる訳じゃないよ。ただちょっと……うん、ちょっとだけ、一人になりたかっただけなの。」
「今更俺が言うのもなんだけど……また、同じ事がないとは限らないぞ。何が原因だったのかも、思い出せていないんだ。」
「……うん、良いよ。でも次は、もし同じ事があったら……絶対に助けに来てね、信じてるから。」
澄はそう言って、潤んだ瞳で微笑んだ。翔もそれに釣られた様に表情を緩める。ならばもう、昔の話は終わりだ。今からするのはこれからの話。それを確認する様に翔は澄の部屋に入り、扉を閉めた。澄は自分のベッドに座ると翔にもそれを促す。
「それで翔君は、次は何を謝ってくれるのかな?」
「そうだな……、数が多過ぎて迷うよ。」
「私としては、私に優しくしながらお姉ちゃん達に手を出していた事を真っ先に謝って欲しいなぁ。」
澄が不満そうに呟いたその発言に対して、翔は驚いた様な、呆気に取られた様な表情になる。澄は翔のそんな表情すら不満な様子で、逆に呆れた表情になって溜息をついた。
「まさか、バレてないとでも思ったの?」
「………い、いや……まぁ、それなりに。」
「……バーカ、分からない訳ないでしょう。」
珍しい澄の悪態に、翔はなんとも言えない微妙な表情をしていた。もしかしたら気付かれてるかなー程度には考えた事もあったが、何と言うか、女は強い、鋭い、ごめんなさいと言う感じだ。
「なんか翔君って普通に最低だよね。色んな意味で女に甘え過ぎ。」
「……返す言葉もございません。」
「お姉ちゃんのは聞いたけど、真夕先輩とか美里ちゃんはそれで納得したの?」
「それはまあ、二人ともノリノリだし。寧ろ全力で後押しされた。」
翔の発言に、澄の表情は明らかにちょっと引くわーみたいな物になっていた。普通の反応だ、これが普通の反応なのだ。他の皆が翔にあまあまなだけで。
「翔君はちゃんと反省するように。」
「はい………ごめんなさい。」
とは頷いたものの、反省とはどうすれば良いのだろうか。今更関係の清算なんぞするつもりはないし、これからの事に気をつければ良いのだろうか。
「うん、まあ、でもそれだけ謝ってくれれば他の事は謝らなくても良いよ、気にしてないし。」
「………そうはいかないだろ。昔の事だけじゃなくて、最近の事件だって俺のせいな訳だし……。」
学園で、澄の家で、街のファンシーショップで。澄を翔の事件に巻き込んだのは紛れも無い事実だ。そして澄が翔に明かした、昔虐められていた事実も、元を辿れば翔にも責任があると思える。自分が澄の今までを狂わせたのは、明らかだ。
「私が思うに、最近の事件は昔の事件との関係が深いんでしょう? ならもう謝って貰ったしいいよ。翔君が何か深読みして心配してくれてる様な事も、多分私が今幸せな事に比べれば、お釣りが来るよ。」
「本当に、そう思ってるのか?」
「思ってるよ。私お姉ちゃんっ子だし、施設にも良い思いで無いし。今より幸せにはならなかったよ、多分ね。」
澄の言葉に迷いはなかった。確かに澄は昔も施設に預けられていると言っていたし、あまり良い印象を持っていなかったとも言っていた。とはいえ、
「………澄も大概、俺に甘いな。」
「自分で言うな、女の子たらしめ。やっぱり謝って。」
「ごめんなさい。」
澄に睨まれ、やっぱり謝る事になる。やはりただ何も言わずに許して貰いたくはない。謝る事で今までの事を許して貰う。これは一種の儀式なのだ。澄もそれが分かっているからこういう態度を取っている。本当に澄は自分に甘いなあと思う。ありがた過ぎて申し訳なくなるくらいだ。
「でも、謝って許すのはその事だけだからね。」
「ああ、分かってる。」
「………全く、なんで私が最後なのよ。明らかに一番チョロイじゃない、最初からデレデレだったじゃない。」
「……俺は今までは基本的に全部受け身だったからな、魔夜以外。その魔夜も、最初に誘ったのは向こうからだったし。……本当ならあの日に、澄には全部話すつもりだったんだ。」
「………そんな事だろうと思ったけどね。翔君は一緒に寝ても手を出さない臆病者だもん。」
成り行きを話す翔を見て、澄は呆れた様に言う。そう言えば最初から全部自分で行動を起こすのは今回が初めてだと、翔は自分で言って気付いた。
「記憶がどうとかじゃなくて……皆が俺を変えてくれたのかもな。」
「なにそれ惚気? それになんか倫理的にはまずい方向に変わっちゃってる気がするけど。」
「それはそれだ。俺は皆が幸せならそれで良い。権力もあるし、貫けない気持ちじゃないさ。」
「………本当にそう思ってるんだ。」
自信を持って言った翔を横目にしながら、澄は少し複雑そうな表情で呟く。それはネガティブもポジティブも混ざり合ったあまりに複雑な表情だった。
「でもそれは俺の理屈だ。皆と上手くいってるのは、皆が俺の理屈を認めてくれたからだ。……俺も、澄の気持ちは分かってる。今更朴念仁を気取る必要もないしな。……分かってるから、最後まで言えなかった。」
「………うん、知ってる。何となく分かってた。と言うよりも、あれだけしたのに気持ちに気付いてくれなかったら酷過ぎるよ。」
「……実を言えば、最初にパートナーに誘われた辺りから気付いてたんだけど……確信したのは家に呼ばれた辺りだな。」
「………それは、根性無しだよ翔君……。」
翔の盛大な暴露に、澄はかなりショックを受けた様子でうなだれた。澄のアピールは成功していたのだ。相手が悪かっただけの話である。
「……だから、澄の希望には応えられない。ずっとその気にさせた挙句にこんな答えで、本当にごめん。」
「あははー……その上、告白もしてないのに振られたし……もう結構本気で私泣きそうなんだけど、泣いていい?」
「……えっと。」
澄の妙なテンションに、原因を作ってしまった翔も反応に困っていた。これは取り敢えず話を続けるしか……。
「あの、澄、それで……。」
「やだ。女の子を何だと思ってるの? 鬼畜、変態、犯罪者、ペド野郎。」
「まあ否定できな………あ、いや、ロリコンだけは否定したい。否定させてくれ。」
「だって真っ先に真夕先輩を落としたじゃない!! そうよね、可愛いもんね、守りたくなるわよねっ!!」
「いや、あれは真夕から………って、真夕は一応年上だ!!」
「だから、もうずっとあのままだものね!! 翔君のバーカ変態!! 今に皆にも愛想尽かされちゃうんだから!!」
何だかどちらも酷い事を言っている気がするが、真夕がいたら酷く怒られていた事だけは間違いないだろう。暫く言い合って、やっと落ち着いた頃には澄はもう涙目で息を切らせていた。翔も色々と泣きたくなったが気にしない。
「……そっか、本当に本気なんだ。お姉ちゃん達を断れなかっただけかと思ったけど。」
「実際、最初はそんな感じだったよ。でも自分なりに色々考えた結果だ。俺はそう生きたい。」
「翔君の生き方に皆を付き合わせても? 不幸にはしなくても、幸せに出来ないかも知れないよ? 女の子に限らず人間なら、翔君がそう思ってる様に独占したがるものだよ。それを皆に我慢させるの?」
「それでもだ。それに皆はどうやら幸せになる自信を持ってるらしいからな。自分に自信を持てなくても、皆の事は信じられる。」
翔の言葉には自信が溢れていて、澄はちょっと妬けてしまった。翔を変えるのが自分だったなら、過去が何か一つでも変わっていたなら、自分と翔は互いだけを好きでいただろうか。それとも、これは最初からこうなるべくして成ったのだろうか。
「それを翔君は、私にも望んでしまうの? 一人の澄じゃなくて、翔君を好きな女の子の一人になる事を望むの?」
翔の周りに居る者が個人であるかその他大勢であるか、そんな事は考えるまでもない事だが、友人の中に親友が別枠で存在する様に、大きな枠になれば成る程に個人は消えていく。それだけ愛情も薄れていくものだろう。だからきっと人は、小さい枠を求めるのかも知れない。
「俺は澄を、澄としてしか見ないし、ずっとそうであって欲しい。だから俺の隣で澄であり続けて欲しいんだ。代えが効く様な人は誰もいない、だから俺はこんな道を選んだんだよ。」
「………その言葉は、信じていいの?」
「信じていい。信じて欲しい。……俺は自分の願望だけ言ったけど、嘘はついてない。」
その言葉に澄は、諦めた様に、深く、深く溜息をついた。その溜息には、果たしてどんな意味が込められているのか。
「翔君……馬鹿だね。」
「……それは、褒めてるのか?」
「さーてね。でも、同じくらい私も馬鹿なのかも。」
澄はそういうと、翔に飛び込むように抱き着いた。いきなりの事に、翔は澄の表情を覗き込む。
「澄……いいのか?」
「良くはないよ。ただ、我慢出来ないだけ。……翔君は最低だけど、大好きだから。私が翔君の傍に居ないのは我慢出来ないの。……ずっと前から大好きだから、全部忘れても大好きだから……最初からこうなるしかなかったのかもね。」
澄は笑顔だった。諦めた様な、しかし何だか納得した様な。そんな不思議な表情をしていた。
「真夕先輩に先を越されたのに気付いた時から分かってたのかも知れない。ううん、きっともっと前から気付いてた。……翔君はどんなに頑張っても、私だけを見てはくれないって。……でもそこで諦められない私の負けだよ。全部気付きながら、少しでも長く一緒に居たいなんて思っちゃった私の負け。私はもう、翔君無しじゃ駄目だよ。」
「………ふふっ。」
「翔君?」
そう言って笑う澄と見つめ合いながら、翔は笑った。澄も、そんな翔の表情は予想していなかった。また謝りながら澄を受け入れると思っていた。……だが、翔は笑っていた。
「……なら、俺が変えてやる。」
「か、変える……って、何を? 何もしなくても私は……。」
「他の誰が居ても、俺が居れば良いって言わせて、ただ素直に幸せだって言わせてやる。そんな顔で仕方ないなんて言わせない……きっと俺は、そういう風に澄を変えてみせる!!」
澄の言葉を遮り、翔はそんな事を堂々と言った。……澄は唖然、というより信じられないものを見るような眼で翔を見ている。そして一言。
「もしかして……翔君、そんなに私の事が好きなの?」
「好きじゃなきゃ告白なんてしないだろ、普通。」
「……いや、でも……。」
「中途半端な気持ちなら、誰も選ばない事に決めるよ。俺は恋人が沢山欲しい訳じゃない。全員本気で好きだから、全員選ぶんだろ。少なくとも、今の俺はそうだ。」
それは説得力のある様な、ただ最低なだけの様な言葉だった。しかし、今の澄は自然と翔らしいなと思ってしまった。
「澄が好きだからこんな無茶苦茶通しに来たんだ。澄が好きだから澄を幸せにしたいんだ。……俺が言ってる事おかしいか?」
「………ううん、おかしくない。」
「そうだろう。」
翔はそういうと、今度はポーっとしている澄を訝しむ様に見た。確かに最初の頃の真夕達の場合は中途半端と言うより一方的に受け入れる感じだったが、今は違う。翔は責任や義務感でそうしている訳ではないのだ。それが、澄にも伝わった。
「……本当に、変えてくれる? 幸せにしてくれる?」
「ああ、そう決めた。今の澄じゃ俺の希望通りにならなそうだし、そうするしかないだろ。俺が望んだ様にするには、澄を変えるしかない。だから変えてみせる。無理かどうかはやってみなきゃな。」
「……そっか、翔君は私じゃなきゃ駄目なんだ……私が幸せじゃなきゃ……。」
「だからさっきからそう言ってるだろ? 信じてくれなかったのか?」
翔の言葉も耳に届いていないかの様に、澄は呟く。それに対して翔は、仕方ないながらも少し複雑そうだった。そして不意に、澄の熱っぽい視線が向けられた。
「翔君がキスしてくれたら、変わってあげるかも。」
「………は? それだけで良いのか?」
「うん、もう何でも良いから早くして。朝まででも明日の夜まででも、死ぬまででも良いから。」
「………いや、実は言いにくいんだけど今日は帰る約束をしてしまって……。」
「じゃあ今日は翔君の家に行く。そうすれば明日まで良いよね。でも取り敢えずキスしたい、翔君からして。初めてだから、翔君からが良い。」
「あ、う………わ、分かった。」
翔が頷くと、澄は熱に浮された様に眼を閉じた。何だか妙に迫力があるが、もしかしたら自分は、かなり危険なスイッチを押してしまったのかも知れないと、翔は覚悟を決めつつ思ったのだった。
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「うふ、あはは、ふふふふふっ。」
笑う少女は視ていた。その一部始終を、物語が終わり、幸福へと導かれる時を。遥か遠く、闇夜の中でただ眺めていた。
「ふふふっ、あはは……翔が……救われちゃった……くふふふふっ!!」
膝をついて笑い転げる少女の瞳の中には、何も無くとも何かがあった。虚無を持って見詰める先には、少年だけしか映らない。
「……翔は、ずっと……私が……私が護るのに………私は……。」
少女の声は、夜の空の闇に消えていく。誰もそれを受け取る者はいない。ただ消えていく。
「結局、私が……一番………翔を………ふふっ、くふふふ。」
笑い声は止まず、少女の姿は夜に消える。誰の気配も影もなく、大きく立った一本だけの木の下で、狂った様な声だけが響き渡っていた。