第74話:お姉さんの気持ち
「むー翔ちゃん、何だかあんまり嬉しそうじゃないわね………どーせ私は最年長者ですよ、翔ちゃんよりも年上のおばさんですよー。」
「琴先輩、俺達一つしか違わないじゃないですか……。世の女性が聞いたら怒りますよ?」
「周りは関係ない、翔ちゃん基準でどうかが問題なの。」
翔の家について早々にそう言って瞳を潤ませた琴の発言を、翔は当たり障りのない返事で受け流した。どうやら今日は琴が来てくれる日らしい。翔は自分の部屋で出迎えながら、そんな琴の態度に苦笑を漏らす。
「……もう、来ていきなり良く分からない理由でいじけ出さないで下さいよ……。それに嬉しくないわけないでしょ、先輩が心配して来てくれたんですから。」
「………んー、『大好きな』先輩じゃないの?」
「………それを言わせたかった訳ですね。」
「ふふっ、何の事かなー?」
翔が琴の考えを察してジト眼で睨むと、琴は視線を逸らして惚けた様に言った。仕方ないからちょっと反撃に出て見ようと思う。
「良かったよ、大好きな琴が来てくれて。澄の事もあるし、来てくれないかと思ってた。」
「うっ………な、何だか翔ちゃんがパワーアップしてる………狡い。」
「ふふふっ、俺も何時までも弄ばれてばかりじゃいられませんから。」
翔が琴の想像以上の返しをしたせいで、顔を少し赤くして吃った琴に、翔は満足げな笑みを送った。とは言え、琴が来てくれたのは本当に嬉しい。魔夜が来てから今まで、美里や命も来てくれていたが、琴だけはまだだった。こちらから澄もいる家に行くのも憚られ、澄の姉である琴には色々と蟠りが出来てしまった様に感じていたのだ。だがどうやらそれは翔の杞憂だったらしい。
「なーに、そんな顔して? 私が澄に遠慮して別れ話でもすると思った?」
「流石にそこまでは………でも、意図的に会うのを控えてるかもくらいの心配はしてましたよ。」
「うーん、まぁそうだよね。翔ちゃんと合うの、随分久しぶりに感じるし。最後に会ったのはもう二週間前かな。これでも結構寂しかったのよ?」
「………すみません、俺もこの問題を解決するまでは気が落ち着かなかったので。遊びに行くって気分でもなくて、そんな状態で呼び出すのもどうかと思ってたんですよ。」
「………変な遠慮しちゃって………。」
琴はそう言って苦笑すると、翔の髪を優しく撫でた。翔にはそれが、何だか不思議な感覚だった。
「別に何処にも連れていって貰え無くても、呼んでくれるだけで嬉しいものよ。翔ちゃんの愛が感じられるってだけでも、私には十分価値ある時間なんだから。」
「………何だかそれ、凄く大人な意見ですね。」
「さっきも言ったでしょう、私は最年長のお姉さんなのよ? 年上は年上らしい愛し方ってのを意識したりもするのよ。………と言う事で、今日はお家デート決定ね。」
琴はそう言うと翔の後ろに座り、翔の頭を倒して抱きしめた。
「ふふっ、このまま膝枕と翔ちゃん抱き枕計画、どっちが良い?」
「………膝枕で。」
「了解っ。」
琴の言う抱き枕計画も気になるが、若干怖い気がするので膝枕を選択。と言うより、琴が後ろに回った時点でどの道膝枕が決定していた気もする。そんな事を考えていた翔は、スルリと頭を琴の膝の上に固定された。
「………これ、結構恥ずかしいわね。」
「年上のお姉さんはどうしたんです?」
「し、仕方ないじゃない、私は純情ピュアなお姉さんなの。どっかの誰かさんみたいに擦れてないのよ。」
琴はそう言いながら、照れ隠しに翔の頬を突いた。それでも膝枕を止めない辺り、こういうのも嫌いではないようだ。そんな最近の琴が見せてくれる様になった女の子らしい照れた表情を、翔はとても魅力的に思っていた。
「にしても翔ちゃん何だか慣れてるわね。誰よ、私の翔ちゃんを擦れさせたのは、魔夜ちゃん辺り? あの子は何だかんだで一番翔ちゃんを甘やかしそうだわ。何でもしてあげそう。」
「………いや、真夕ですね。最近は暇さえあれば真夕が膝に座るか、俺が膝枕されるかです。一緒に居てくっ付いてない時間がないですから。」
「あー、まゆまゆか。確かに今一番一緒に居るのはあの子だもんね。なんせ泊まり込みだし。………あっ、そうだ。」
琴に顔をグリグリされた翔が素直に白状すると、琴は納得した様に頷いた。そして何かを思い出した様に、あっ、と声を漏らした。
「まゆまゆと言えば、最近、毎日一緒にお風呂入ってるんでしょ?」
「うっ………。」
「ふふっ、やっぱり本当だったんだ。」
琴が思い付いた様に呟いた一言に対し翔が言葉に詰まると、琴はニヤリと笑った。翔は琴の眼が一瞬キラリと光った様な錯覚を覚える。
「………な、何でそれを知ってるんですか。」
「うーん。あの子は元々人気の高い子だったけど、今のまゆまゆって女の子からもモテモテなのよ。って言っても変な意味じゃなくて、あの子の雰囲気が柔らかくなった御蔭で、皆から声を掛けられる事が増えたって意味なんだけど。最近は、皆の前でも少し笑う様になったし。男女問わず、まゆまゆの可愛さの虜になっちゃってるわけ。」
「……へー、真夕がですか。で、それがどういう関係が?」
「うーん、じゃあヒント。あの子が話す話題で、うちのクラスの女の子達が一番興味を示すのってなんだと思う?」
「………さ、さぁ……なんでしょう。」
なんだか嫌な予感がする。琴の笑顔が暗に答えを言っている様な気がするのだが、目を逸らさずにはいられなかった。と、現実逃避をしていても何も始まらない。一縷の望みに賭けるべきだ。
「じゃあもう一つヒント、って言うかもう答えね。あの子が笑顔で話す話題なんて、一つしかないでしょう?」
「そ、その言葉自体は凄く嬉しいんですけど………。いや、でも、流石に真夕でも皆にそんな事言いふらしたりなんて…………。」
「………まぁ、あの子に言い寄る男への牽制くらいに思ってれば良いんじゃない? 実際今うちのクラスに私と翔ちゃんとまゆまゆの事を知らない人なんていないわよ。光明祭の影響で、私とまゆまゆが翔ちゃんと付き合ってるって噂もかなり広がってるし、最近あの子に告白してくる人なんて殆んどいないわ。なんて言ってもそれ以前に、あの子の強い警戒心を解いて告白までいける子自体いないけど。元々難攻不落過ぎて、ラブレターか私経由の告白くらいしか術がない子だったし。そんなまゆまゆをモノにした翔ちゃんの話題は、女の子の間でも結構ホットなのよ。」
「………つまり、やっぱりそう言う事を皆の前で話しちゃってる訳なんですね。」
牽制にしても、ちょっと恥ずかし過ぎる。と言うかプライバシーの欠片もない。そんな事を考えながら、真夕にちょっとは自重させなければならないなーと思っていた翔に、琴がふにふにと頬を突いて攻撃した。
「それはそれとして、まゆまゆの猫耳どこやったのよ。猫耳まゆまゆは私の癒やしだったのに………。まさか私のオリジナル魔法を解除してくるとは……。」
「あ、あー、そう言えば、学園に行く時は外してるって言ってた様な………と言うか、オリジナル魔法とか無駄な才能を使わないでくださいよ。半分以上呪いの装備じゃないですか。」
「………なるほど、つまり猫耳まゆまゆを独占してる訳ね? 横暴よ、横暴。まゆまゆはそのままでも滅茶苦茶可愛いけど、あれがあると可愛さ五割増しだもの。全猫好きの共有財産にするべきだわ、独占反対!!」
「……ま、諦めて下さい。真夕は共有財産ではなく俺の彼女なので。」
「む………まさかまゆまゆと同じ返しをされるとは。」
「それはなんて言うか………今更でも恥ずかしいですね。」
翔の真夕は俺の物宣言に、琴は不満そうな顔をしながら嘆息した。自分で言ってて恥ずかしかったが、真夕が外でそんな風に言っていると言うのは中々に恥ずかしい。凄く今更な気もするが。
「まぁ、真夕の猫耳の話は置いときましょう。」
「………納得出来ない。翔ちゃんと一緒にお風呂入る時はしてるのに。」
「そ、そんな事まで話してるんですか!?」
「えっ………まさか本当に?」
「………………。」
何だろう、自分で凄い墓穴を掘ってしまった気がする。流石に琴も予想外だったらしく、笑いながら顔を赤らめていた。
「………ほーんと、変わったわね。まゆまゆもだけど、翔ちゃんも。」
「ははは………。」
「そりゃあ恋人なんだし、エッチするのはいいけど。まだ学生なんだから、色々と自重しなさいよね? あの子なんて油断してたら直ぐに出来ちゃうわよ? 私が注意しても、翔ちゃんのなら寧ろ欲しいって取り合ってくれないし。学園を中退するなんて事になったら大変よ。あの子副会長なんだから、前代未聞にも程があるわ。」
「は、はい、承知してます。」
「本当かしら? まゆまゆだと思ったら美里ちゃんでしたーとかも無しよ? 一応私達生徒会は学生の御手本なんだから。………まぁ、それは良いとして。」
真夕の事からいきなりお姉さんモードになった琴に、翔もなんと答えていいのか分からずに渇いた笑みを溢すしかなかった。そして、琴が何か話題を変えようとしたその時、翔の真上から琴以外の女の子の声が聞こえた。
「もう、翔様の前だからってお姉さん風吹かせちゃって。」
「あ、天っ!? 何勝手に出てきてるのよ!!」
「天ちゃん? 何だか久しぶりだなー。」
「お久しぶりです、翔様。それもこれも、琴様が魔法具の類を携帯して居なかったのが悪いのですが。」
翔の目の前に唐突に現れた天は、翔にぺこりと一礼すると、そう言って溜息をついた。そういう仕草も人間そっくりである。だが、天が出て来たと言う事は……。
「琴先輩、やっと杖を持ち歩き出したんですね。」
「えっ? ま、まぁね……。」
「それもこれも翔様のお陰です。琴様が杖を携帯し始めたのは、翔様に無用な心配を掛けない為なのですから。」
「ちょ、ちょっと天。翔ちゃんに余計な事言わないでよ………。」
「ふふっ、申し訳ございません。」
琴が杖を携帯し始めた理由を、天がクスクスと笑いながら翔に教えると、琴は仄かに顔を赤らめて天を諌めた。
「私だって色々考えてるのよ。私はもう翔ちゃんの彼女なんだし………。」
「………そうですね。琴先輩の事はずっと心配でしたし、自衛の事を考えてくれると少しは安心出来ます。」
「………うん、ありがと。」
翔がそう言って微笑むと、琴は素直に頷いてそう一言呟いた。
「ふふっ、素直な琴様と言うのも珍しいですね。翔様、ムラムラっと来たら襲ってしまっても構いませんよ?」
「えっ?」
「ちょっ、天!! その発言は私の護としてどうなのよ!!」
「あら? でも、真夕様の話を聞きながら密かに憧れたりしてるじゃありませんか。男性の欲望に快く答えて差し上げるのも良い妻の条件の一つだと奥様もおっしゃいましたし。」
「うぅー………またお母さんか……、天はもう帰りなさい!! これは命令よ!!」
「ふぅ、仕方ありませんね。翔様、それではまた。」
琴が真っ赤になりながらそう叫ぶと、天はやれやれとでもいいたげな表情になってその場から消え去った。どうやら琴の中に戻ったらしい。
「あはは……、天ちゃんってああいう子だったんですね。」
「もう翔ちゃんの前で猫被っても仕方ないしね。これからは頻繁に会うかも知れないし。」
「まぁ、無理して取り繕うよりは全然良いですよ。」
「私としては、翔ちゃんの前で雰囲気を壊すような事をされるのはあんまり嬉しくないんだけど……。」
何だか不満そうに言った琴に対して、翔は苦笑するしかなかった。確かに、二人っきりだと思っていたのに、天に見られていたと言うのは結構恥ずかしい。それについて琴は特に気にしていない様子だったが、翔は天に慣れていないのだ。
「ねぇ、翔ちゃん。」
「何ですか、琴先輩?」
「えっと、その先輩って言うのもうやめない? 後出来れば敬語も……。さっきみたいに琴って呼び捨てにして欲しいかなーって。」
「………いつか言われるかもとは思ってましたけど……また唐突ですね。」
「だ、だって、天に言われたからじゃないけど、将来……その……私が翔ちゃんの奥さんになったりするかも知れないじゃない。いきなりは緊張するから、今から徐々に慣れたいなーって……駄目?」
琴が真っ赤になりながら言った事に対して、翔は拒否する理由を持たなかった。付き合い始めてから見せてくれるようになった、琴のこういう表情は見ていて嬉しくなってしまう。
「………本当に、琴は唐突に目茶苦茶可愛くなるなぁ……。」
「うっ………だ、だって、言おうと思ったら天に邪魔されちゃったんだもん……仕方ないじゃない。」
「まぁ、俺としてはうろたえる琴が見れるから全然構わないんだけど。」
「もう、調子に乗って年上をからかわないの。」
「ちょっ、琴、それ痛い。」
琴は翔の返しの言葉に、つい赤くなったまま視線を逸らしてしまい、反撃とばかりに翔の頬を抓った。地味に痛い。
「私は弄るのは好きだけど、逆は嫌いなの。知ってるでしょう?」
「うーん、でもそういう琴もそれはそれで可愛いし……いや、痛いから抓らないで。」
「……まったくもう。そういう気障な台詞は澄やまゆまゆみたいな子に言って上げれば良いのよ。喜ぶわよ、あの子達。」
「………それもそうですね。」
さりげなく出た澄の名前に、翔は一瞬どう答えるべきか悩んでしまう。琴はそんな翔の態度や言葉から何を感じたのか、今度は翔の頬をそっと撫でた。
「翔ちゃんがどんな決断をしたとしても、私は翔ちゃんの傍に居るからね。それが、彼女である私の意思だから。」
「………はい。」
「………本当、何でこんなに好きになっちゃったんだろ。やっぱり血が繋がってなくても、好きな人のタイプは似ちゃうのかしら。澄の事を大事にしてくれる翔ちゃんに、いつの間にか……。」
「………え?」
琴がポツリと呟いた台詞に、翔が反応して琴の表情を覗き込む。琴は何も言わずに、翔の顔を撫でた。
「私の大事な妹の事、宜しくね。」
琴はそう言うと、翔を愛おしむ様な視線で見詰めた。そして琴は、それから何も言わずに自分の唇を重ねたのだった。