第73話:海月と魔夜と水族館
後三ヶ月でこの小説も五周年を迎えます。もう物語も終盤ですが、愛読してくれている方には感謝の言葉が尽きません。どうか最後までまじかるたいむをお楽しみ頂けたら、私も、この子達も、それ程嬉しい事はありません。
「………眩しい。」
「あ、起きた? 寝過ぎよ。もうお昼になるのに、それじゃあ体に毒だわ。」
「………魔夜? 何で此処に。」
カーテンが開けられ、外から日の光が部屋に差し込んでくる。翔はあれから外出する気にもなれず、夢の中に出てくる少女達を追う様に眠ってばかり居た。だからだろうか、まだ数日しか経っていない筈なのに、魔夜の笑顔を凄く久しぶりに見た気がしていた。
「何で此処にって、私は翔君の恋人なのよ? あれから連絡の一つもくれない彼氏の事が心配になって見に来ても、不思議じゃないでしょう? ………それとも私の事、ううん、私達の事、そんなにどうでもいいの? 澄ちゃんの事しか考えられない?」
「い、いや、そんな事は………すまん。」
「もう……。」
なんだかバツが悪そうにそう言った翔に、魔夜は溜息混じりに一言だけそう言ったが、その表情は包み込む様な優しい笑顔だった。窓を少しだけ開けて風を入れると、魔夜は翔に寄り添うようにベッドに座った。そして、翔の顔を手で包み込むように撫でて、そのまま顔を近づけた。
「んっ………ちゅっ……んくっ……………はぁっ。」
「ま、魔夜?」
「今日から交代で翔君の傍に居る事になったの。とは言っても、渚先輩は毎日居るんだけどね。いーなー、ちょっとズルイ。」
熱く押し付ける様なキスをした後、戸惑う様な声色になった翔に対して魔夜は少し不満そうにそう言った。交代で傍に居る、と言う事は明日は真夕と魔夜でない誰かが来ると言う事だろう。だが翔には何故いきなりそんな事になったのか検討も付かない、それに………。
「交代でって………学園はどうするんだ?」
「……………。」
ムギューッ!!
「ちょっ、魔夜いひゃいっ!!」
「もう、それが会いたくて仕方ないって思って家に来た彼女に対する発言なの? そもそも翔君が学園に来ないからいけないんじゃない。本当なら交代制なんかじゃなくて、毎日沢山時間取れたのに。大体何よ、私キスだってまだ二回目なのよ? そりゃあ翔君にとっては綺麗な女の子を毎日とっかえひっかえ好きなように出来るんだしキスくらいで今更って思うかも知れないけど、私だって凄く勇気出したんだから!! そりゃあまだ舌を絡めたディープキスとか出来ないけど………。」
「そ、それは、俺が悪かった。俺もこんな事じゃいけないって分かっては居るんだけど、なんだか調子出なくって。」
綺麗な笑顔のまま頬を思いっきり抓って来る魔夜の言葉に、翔はなんだか危機迫る物を感じてとにかく謝る方向に作戦をシフトチェンジする。だが、どうやら魔夜が自分の事を本気で案じてくれている事は伝わって来た。それに対してどう答えればいいのか、翔は分からなくなってしまったのだが。なんだか、そんな自分が情けなく思えてきてしまう。
「もう、そんな顔しないの。私だってそんな顔して欲しくて此処に居るんじゃないのよ? 分かってるでしょう?」
「うっ、それは御尤も。」
「さて、そうと決まればデートよ。さっきも言ったけど、私達付き合い始めて間もないんだからね。二人だけで過ごすの時間って大事だと思うの。特に私達は凄ーく特殊な例なんだから、ねっ?」
魔夜はそう言うと、翔に同意を求める様に翔の顔を覗き込んで首を傾げた。その仕草を見て、なんだか体の力が抜けてしまった翔は、賛成を口にする代わりにそっと微笑んで頷いた。
「じゃあ決まりね!! さっさと準備して行くわよ、私の彼氏さん!!」
そう言って向日葵の様な笑顔を見せた魔夜に促され、翔は久しぶりに外出をする事になった。
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「やっぱり水族館は基本デートスポットの一つよね。」
「お気に召しましたか、お姫様?」
「ええ、満足よ。ここの水族館って前から来てみたかったの。」
今日いきなりデートと言われてプランを考える暇もなく、魔夜のアイデアで、落ち着けて平日ならそこそこ空いている水族館に決めたのだが、予想通り人も少なく、丁度良い時に着いた様だ。
「私も実は水族館って小さい時以来なのよね。何だかちょっと懐かしいわ。」
「そうだな、俺も小さい頃に遠足で行った以来だ。」
「そうなの? 真夕先輩とかこういう場所好きそうなのに。デートとかで行かなかったの?」
「真夕は………あの体質もあってあんまり外出が好きじゃないしな、二人で居る方が良いらしい。というかデートで他の子の話は御法度じゃないのか?」
「普通ならそうだろうけど、翔君の場合今更過ぎるわよ。」
「………御尤もで。」
翔が今日最も気を付けようと思っていた事を、魔夜に溜息混じりで否定されてしまった。それに対し渇いた笑みを零した翔に、魔夜が不満な様な、ちょっと嬉しい様な、複雑な表情で言った。
「翔君ってデート慣れしてると思ってたのに全然そんな事ないのね。」
「デート慣れって……実際俺は光明学園に入るまでずっと一人だったからな。水族館なんて友達同士じゃ行かないし。でもいきなり何でだよ?」
「………だ、だって、普通デートって言ったら色々あるじゃない。手を繋ぐとか、腕を組むとか、肩を抱くとか。………私は初めてなんだから、ちゃんとリードして欲しいな。」
「………そ、それもそうか。」
魔夜が顔を少し赤らめてそう言うと、翔は何だか気恥ずかしくなって顔を背けてしまった。そして、一時の間を置いて魔夜の手を取った。
「ふふっ、傍から見れば五人の女の子を股に掛けるプレイボーイには見えないわね?」
「そんな風に見られる様になったら終わりだと思ってるからな。」
「あははっ、別に良いじゃない。寧ろちょっと危ない雰囲気男の人になって貰わないと。これ以上翔君の周りに女の子が増えても困るし、私達が皆翔君の物だって分かれば、私達に虫が寄って来る事もなくなるし。」
「そうは言ってもな、人間そう簡単に変われる物じゃないからな。おっ、11時半からイルカの餌やりが出来るらしいけど、どうする?」
「行きたいっ!! 何だか上手いこと話を避けられた気がするけど行きたいっ!!」
何だか雲行きが怪しい話題になってきたので、咄嗟にパンフレットのイルカの話題に移ると魔夜は眼を輝かせてそれに飛び付いた。やはりこういう所は女の子だ、助かった。
「それって何処でやるの?」
「えっと、この先のイルカショードームだな。そろそろ時間みたいだし、行くか?」
「うんっ!!」
どうやら平日はイルカショー自体は休みの様だが、その代わりとして餌やり体験があるらしい。今度は休日にでも魔夜を連れて来てイルカショーを見るのも良いかも知れない。
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「しょ、翔君、あの子食べたよ!? あの子訓練されてるよ!?」
「ああ、魚がダイレクトに口の中に入ってたな。でも大丈夫なのか、あれ。喉に詰まったりとかしないんだろうか。」
「んー、そう言われればそうね。蛇じゃないんだし、餌の丸呑みは体に毒かも知れないわ。」
「まぁでも飼育係のお姉さんも似たような事してたし、きっと大丈夫だな、うん。」
イルカの餌やりは大した混み具合でもなかったので直ぐにやる事が出来た。二匹のイルカと戯れつつ餌を上げていたのだが、魔夜が腕を組んで体を押し付けてきたので別の意味でもかなりドキドキの体験になってしまった。カップルが多かったのが、せめてもの救いと言うか何と言うか。
「でもあの飼育係の人、翔君にくっつき過ぎよ。私の前だって言うのに下心丸出しで……ちょっとムカッと来ちゃった。」
「ああ、だからあんなにベッタリ抱き着いてきたのか。カップルが多いとは言え内心かなり焦ったぞ。彼女が居るってのに男共の視線も痛かったし。まぁ、とっくに慣れたけどな。」
「焦る事ないじゃない。私と翔君の愛をもっと見せ付けてやれば良いのよ!! 私の眼が黒い内は、翔君に私達以外の女の子は近寄らせないわ。」
「はははっ、心配しなくても今は魔夜しか眼に入ってないよ。それよりも魔夜の場合もうちょっとスカートを気にしてくれ、周りに見えそうで気が気じゃない。」
「ふふふっ、大丈夫。私は周りの心の声で分かってたから。万が一にも翔君以外に見せないわよ♪ これでも前の学校ではガードが硬い女で有名だったんだから。」
「………まぁ確かに、魔夜のガードは異常に硬かったな。打ち破るのに苦労した。」
「あうっ………。」
言われて思い出したが、魔夜には心の声が聞こえるって力があるんだった。ついつい忘れてしまう事だが、あまり人混みになりそうな場所は避けた方が良いかも知れない。
「……翔君………。」
「んっ? もうちょっと人が少ない所行くか?」
「………私のガードの奥の柔らかい所………見たい?」
「うっ………。」
「ふふっ、やっぱり翔君は翔君だね。………よかった。」
油断していた所に、突然魔夜から赤い顔で上目遣いにそう言われ、翔は咄嗟に顔を逸らしてしまった。魔夜の反応を見るに、どうやら魔夜の悪戯だったらしい。
「魔夜らしいけど、リスクの高い悪戯だな、それは。」
「あははっ、ごめんね。でも、翔君は私のガードを溶かした責任を取るべきだよ。」
「………責任、か。」
魔夜に責任と言われて美里や命達の事も頭に浮かぶ。自分は一体何をやっているのだろうか、魔夜や皆に心配ばかりかけて、全員を幸せにすると覚悟を決めた筈なのに全く実行出来ていない。それどころか、澄の事を追いかける様に夢の中の出来事ばかりを気にかけて………。
「………ありがとうな。俺の傍に居てくれて。」
「え? な、何よ、いきなり。」
「特に深い意味はないんだけどな。何だか言いたくなったんだ。」
「………そっか。」
翔が唐突に言った御礼の言葉を、魔夜は少し戸惑ったが、特に追求することなく受け入れた。
「………さてと、そろそろクラゲ見に行こうよ!!」
「く、クラゲ? 構わないけど、水族館にクラゲ何て居るのか?」
「あっ翔君、クラゲを軽く見てるわね? 私の友達曰く、今や水族館の定番らしいわよ? ……ほら、この水族館にもクラゲの特設展示場あるし。」
そう言われて魔夜が突き出す水族館パンフレットのクラゲの特設ページを見ると、どうやら本当にあるらしい。クラゲは疲れた心を癒すとか何とか。
「うーん、現代社会の生み出した癒しの需要は凄いんだな。遂にクラゲにまで癒しを求め始めたか。」
「ふふっ、そんな事言って。クラゲの魅力に取り付かれても知らないわよ? 人に寄っては家で飼い始めた人も居るんだから。」
「その言い分だと、魔夜は既に取り付かれてるみたいだな。この水族館って目茶苦茶クラゲを推してるみたいだし。凄いなこれ、世界で確認されてるクラゲの殆どが見れるのか。………何となく、魔夜がこの水族館を選んだ理由が分かったよ。」
「あ、あはは………バレた?」
魔夜の推し様からの予想だったが、どうやら図星だったらしい。魔夜はそれをごまかす様に視線を逸らすと、翔の腕を引いた。
「ほ、ほら、私の事は良いから、早く行かないとクラゲが逃げちゃうよ。」
「いや、クラゲが水槽の中からどうやって逃げるんだよ。」
「うっ、そんなの私には分からないよっ!! クラゲならきっと何とかしてくれるもんっ!!」
「クラゲに逃げて欲しいのか、欲しくないのかどっちなんだよ……。」
「水槽からミラクルを起こして逃げ出す瞬間のクラゲが見たいのっ!!」
顔を赤くして視線を逸らしながらそう叫んだ魔夜に苦笑しながら、クラゲの展示場へと足を延ばした。………この後、翔もクラゲの魅力にすっかりやられてしまい、二人が帰途へ着く頃には将来クラゲを飼おうとか、種類は何が良いかとか話し出すレベルにまでなってしまったのだが、それはまた別の話。