第72話:真実の価値
「御祖母様ただい……。」
「もう、いい加減はっきりしなさい!! 優ちゃんの発言だからっていきなり問答無用で退学させるなんて冗談じゃないわ。そもそも天使の保護者は貴方達なんだから、貴方達がしっかりしないと駄目じゃない!!」
「ううっ、それは………そうなんだけど。」
「………と言うかシュリよ、その天使と言うのはどうにかならんのか? ワシ、聞いてて恥ずかしいんじゃが。」
「何? 私のネーミングにケチ付ける気? あんたのジジイ言葉に比べたら恥ずかしくも何ともないわ、誰もいない時くらい普通に喋りなさいよ!!」
「…………えっと………御祖母様……?」
「「「…………あ。」」」
真夕達が話し合いを終えてから五人揃って翔の家に向かうと、家の中で激しく言い合いをしていた進と森羅、それに何故か理事長に鉢合わせた。理事長達は周りに気を配るのを忘れていたらしく、三人合わせて何だかばつの悪そうな表情になってしまった。先頭を切って部屋に入った真夕に続いて、若干苦笑混じりの四人も部屋に入ってくると、部屋に森羅の溜息が一つ漏れたのだった。
「…………え、もしかして私のせい?」
「シュリのせいじゃないって言いたいけど………タイミングが悪すぎたかも知れないわね。」
「ふむ、これは優ちゃんに知れたら大変じゃな。もう二度と顔を合わせてくれなくなるじゃろう…………翔坊が。」
「ちょっ、優ちゃんにってならまだしも何で私が天使に無視されなきゃいけないのよ!!」
「翔坊君は優ちゃんの言うことなら無条件に聞く所があるからね、冗談じゃ済まないかも。」
「ぐっ……………否定出来ない。」
見てはいけない物を見てしまったと言う感じの雰囲気に声が出なくなっていた五人の前で、シュリと呼ばれた五人が知る限りでは光明学園理事長である女性が、進と森羅にジト目で見られて顔を背けていた。そんな理事長、シュリに琴が質問を投げかけた。
「あの、理事長が何で此処に居るんですか? というか翔ちゃんのお祖父さん達とお知り合いだったんですか? それに天使って……何かそれ、翔ちゃんの事なんですよね?」
「それは…………。」
「まぁ、天使って言うのはシュリや一部の人がそう呼んでるだけよ。私達は恥ずかしいから止めろって言ってるのに、全然止めないのよ。」
「……いいじゃない別に、私にとっては天使も同然なんだから。寧ろ天使と同列に扱うのはあの子に対する侮辱だって言うなら分かるけど。」
琴からの質問にシュリが答えあぐねて居ると、向かいの森羅が横槍を入れる様にそう言って、シュリはそれに不満そうな顔をして答えた。
「本当に病気じゃな、シュリやシュナ達の翔坊への入れ込み様は。」
「ふんっ、本当に進と血が繋がってるなんて思えないわ。」
「ま、ある意味翔坊君は進君よりも素質あると思うけどね……。」
森羅がそう言って入口付近に立っている五人に眼を向けると、シュリは面白くなさそうに自分の顔に掛かった黒い長髪を払いのけ、鼻を鳴らした。そんなシュリを見て、琴は溜息をついた。まるで茶番を見せられているかの様な不満そうな表情で。
「理事長、誤魔化し切れると思ってるんですか?」
「………やっぱり?」
「はい、駄目です。」
「…………まぁ、退学の事に関しては奏ちゃんが私の部屋覗いてたし、バレてると思ってたけどね。優ちゃんも奏ちゃんの事は気にしてなかった訳だし、これは暗黙の了解と取ってしまいましょうか。………はぁっ、災難だわ。」
どうやら奏の行動はシュリには筒抜けだったらしい。優もその上で見逃したのだからと言う理屈だが、なんともこじ付けである。それでもシュリは観念した様に肩を竦めた。どうやらようやく少しは話をしてくれる気になった様だと、五人はそれぞれ安堵した。ここで駄目だと一点張りをされていたらそれに続く策などなかったのだ。森羅は不満そうだが、これで少しは前進した。シュリが此処に来ていたのはタイミングが良かったとしか言いようがない。
「………私が此処に居る理由だけど、単純に退学の事について話に来たのよ。見ての通り私と森羅は古い友人で、結構連絡とかも取り合う仲だから。このアホ助とは森羅ほど昔からの付き合いって訳でもないけどね、確か四、五十年前だったかしら? ほら、生徒会選挙の時にも進と天津をゲストで招待したりしてたでしょう? 琴ちゃんと渚さんは生徒会選挙に出てなかったんだし、覚えてない?」
「あー、そう言えば確かにそんな事もありましたね…………って四、五十年前!? り、理事長って今何歳なんですか!?」
琴はあの解説者的立ち位置の席に進が坐っていた事を今更ながら思い出し、それよりも気になる事実に飛び付いた。四十年前と言う事は現在六十歳くらいなのだろうか? とてもそうは見えないプロポーションに琴達は表情を引き攣らせた、と言うか唖然とした。あれは完全に二十歳過ぎかどうか怪しい程度の容姿だ。正直光明学園の制服を着ていても、ちょっと大人びた学生くらいに見えてしまうだろう。意味が分からない。
「まぁ女同士であっても、女に歳は聞かない方が良いわよ? 血の雨が降るから。」
「シュリは聞かれて困る年齢はとっくに過ぎてるけどね?」
「………森羅、ケンカ売ってるの?」
「ふふふっ、シュリもさっき進君の事をアホ助とかほざいたよね。進君への侮辱はシュリでもいい加減に許さないよ?」
「………あのー、話が進まないんですけど。」
「ふぅ、森羅も少し抑えろ。」
歳の話題からリアルファイトへ突入しそうになった二人を進と魔夜が制した。進もなんとも言えない表情で溜息をつく。なんというか、この話題からは早く離れた方が良さそうだ。そう判断した美里は早速本題を切り出した。
「取り敢えず、先程も仰られていましたが翔さんの退学に関して聞きたいことがあるのですが。」
「そうだな、こんな唐突にでは納得出来ん。理事、説明をお願いします。」
「うーん…………教えてあげたいけど、私も何とも言えないのよね。」
美里の視線を受け、シュリは考えるように唸りながら視線を森羅と進へ移した。そして、五人の視線もつられて森羅達の方へと向く。森羅はその視線を受けて苦笑にも似た笑顔を見せた。
「うーん、翔坊君の学園生活に関しては優ちゃんに全部任せてるから私も何とも言えないかなぁ。確かにやり過ぎだと思うけど、あの子が過保護になるのも分かる気がするし………。それに、翔坊君の事を世界で一番理解してるのは他の誰でもないあの子な訳だしね。私達としても口出し出来ないのよ。ごめんね、力になれなくて。」
「翔君の事を理解って………私はそうは思わないんですけど? 優はやり過ぎよ、翔君の事を考えるならやっぱりもっと意思を汲んで上げるべきだわ。翔君は退学だって望んでないだろうし、少なくとも澄ちゃんとこんな形で会えなくなるのは望んでないわ。」
「………翔坊君の意思か……。」
森羅に反論した魔夜のその言葉に、森羅は空を仰ぐ様な遠い眼をして天井を見た。恐らく翔の部屋がある場所だろうと魔夜は感じたが、その眼が何となく翔へ向けられた物ではないような、不思議な印象があった。
「翔坊君の意思を考えれば分かるわよね。あの子が学園に行けば、あの子は澄ちゃんに会いたくなるもの。それが恋愛的な感情にしろ、そうじゃないにしろ、翔坊君は澄ちゃんに何が起きたのか気になってるわ、会いたくなるのは当然よ。だから優ちゃんは翔坊君を退学させたいんでしょうね。あの子なりに翔坊君の心の負担を軽くしようとしてるのよ。……まぁ、澄ちゃん自体をどうにかしようとしないだけ、あの子にとっては平和的な方法ね。」
「………それ、やっぱり根本的におかしいです。貴方達がそこまで優さんに翔さんの事を任せきりにするのも理解が出来ません。筋が通ってる様で通ってないです。」
「………御祖母様……。」
「………ごめんね、真夕ちゃん。貴方達の気持ちは痛いほど分かるわ。でもこれは私達が口を出せるレベルを超えてるの。優ちゃんだって別に意地悪してるわけじゃないのよ、何時だって翔坊君の事を考えて、それで出した答えなの。こと翔坊君の事に関しては、あの子は誰よりも頼りになるわ。あの子が決めたなら………退学の事は、諦めて貰うしかないわね。」
「……………。」
森羅が言ったのは澄と合わない事を前提とした話だ。澄と会いたいと思っているであろう翔の意思を優先する五人からしてみれば、既にそこから噛み合わない話であるし、優に頼り切りになる説明としては適当で抽象的な意見過ぎる。やはり琴達も薄々感じていたが、こんな議論はまるで意味を成さない。森羅も進も協力的に見えて、結局は何も話す気はないのだろうと理解したのだ。自分達の知らない所に何かがある。だがその何かは、この三人の本当の協力なくして知ることは出来ない。段々と場の雰囲気が暗くなっていくのを感じて、シュリは溜息をついて、言った。
「………退学の事は、分かったわ。私だって天使が一番大事だもの、我儘は自重するつもり。寂しくなるけど、会えなくなる訳じゃないしね。そもそも素性をちゃんと知らなかったとはいえ、澄ちゃんを天使と同じクラスにした私にも責任があるんだもの、シュノの所への転校手続きもしてあげるわ。あそこなら今まで通り監視や融通も利くしね。シュノなら二つ返事で了解が取れるはずよ、あの子も最後まで天使を自分の学園に入れたがってたし。」
「ありがとう、シュリ……。本当に助かるわ。」
「そのくらいはお安いご用よ、私達は家族みたいなものだもの。でも………。」
シュリは言葉を切って琴達の方を振り向いた。そして、不安そうな表情をしている琴達全員の顔を見まわして、ふっと優しく微笑んだ。
「天使が自分で全部解決出来るだけの男の子になっていたら………話は別だけどね。」
「………それ、どういう事?」
「そのままの意味よ。天使の心が、優ちゃんが心配しないでも良いくらいまで成長していたら、退学も要らないわねってこと。あの子も意地悪で退学って言ってるわけじゃないんだし。」
「…………なるほどのぉ、そうなってくれれば確かに一番良い結果だと言えるかもしれんな。」
シュリが言い放ったその言葉に、進が興味を持った様に反応した。森羅は少し不安そうにシュリを見て、それから真夕達を見た。そしてシュリはそんな森羅に悪戯っぽく笑うと、一つの提案をするように言った。
「ねぇ森羅、分かってるわよね? もしそうなって、全部元に戻ったら。この子達にも洗いざらい話さないといけないわよ。天使がこの子達の事を愛してるなら、なおさらね。」
「………うん、分かってる。あくまでも本当にそうなったら………だけどね?」
「あら、森羅ってばいつになく弱気じゃない。そうなるのを一番に臨んでるのは貴方でしょうに。そんなに心配なら、あんたが信じてる神様とやらにでも祈ってなさい。優ちゃんに言ったら鼻で笑われるでしょうけど。」
溜息をつく森羅に、シュリは悪戯気味にそういうと、踵を返して玄関の方へ脚を向けた。そして、シュリの意図が掴めずに戸惑っていた琴達の肩にポンと手を乗せた。
「ほらほら、あんた達も行くわよ。取り合えず今は森羅と進を二人にしてあげなさい、森羅は何か落ち込む事あると直ぐに進に甘えたがる癖があるからね。私達は邪魔ってわけ。」
「わ、私は別にそんな………。それに落ち込むって何によ……意味が分からないわ。」
「はいはい、クーデレクーデレ。………取り合えず皆ちょっと来なさい。私から話があるから。」
「………そういう事でしたら。」
シュリの言葉に少し赤くなりながら答えた森羅を茶化しながら、シュリは五人を連れ立って部屋を出て行った。そして残された森羅と進は、揃って息苦しさが解けた様に深く溜息を吐いたのだった。
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「………えーっと、悪く思わないでね。森羅も別にあんた達が気に入らないって訳じゃないのよ? ただ、私達は人に話せない秘密がちょっと多いのよ。天使の事もそうだけど、色々とね。」
「「………………。」」
五人を家の中から連れ出したシュリは、外に出るなりそう言って苦笑した。五人の表情は相変わらず晴れやかな物ではなかったが、それでも薄く理解の色は見える。森羅がそういう人間ではないのはなんとなく分かる。そもそも真夕が御婆様と慕う様な人間をそんな風に考えることは出来なかった。全員が沈黙していたそんな中、唐突に魔夜がシュリに頭を下げた。
「……ありがとうございます、理事長。」
「………魔夜ちゃんだったわよね。何よ、いきなり。」
「御爺さん達と私達だけではきっとスムーズに話を進める事が出来ませんでしたから、それに対してです。それに、こんなに上手く情報を掴むチャンスも得られなかったと思います。」
「情報を掴むチャンスねぇ。もしかしてさっき私が、全部終わったら貴方達にも話せって森羅に言った事を言ってるのかしら?」
「ええ、それもありますけど………。一番知りたかった事は、その片鱗だけですけど知ることが出来ましたから。だよね、みっちゃん。」
訝しげな表情をするシュリに、魔夜は柔らかい笑みを浮かべて応えた。そして美里の方に視線を向ける。シュリも同じ様に視線を美里へと向けると、そこには苦笑とも取れる表情をしている美里が立っていた。
「なんとなく予想していた事ではありますけどね。それに肝心の内容については聞けませんでしたし。上出来と言っていいかは分かりませんが、確かに前進しました。」
「………どう言う事よ。」
「簡単な事ですよ。翔さんと澄さんが離れる事になった原因がどういう問題なのかが少し見えて来たって事です。」
「………翔殿の御爺様方も理事の御蔭で結構口を滑らせていたからな。本来なら上手く聞き出さなければいけなかった事についても勝手に話してくれた。」
命がシュリにそう言うと、シュリは一瞬考える様な沈黙の後、一転して挑発するような表情を5人に向けた。まるで品定めをする様な、そんな視線で。
「あら、じゃあ貴方達の答えを聞かせて貰いましょうか。貴方達が心を読む力も感情を読む力も封じられた上で推理した答えをね。」
「………あーそっか、理事長も翔ちゃんとか優ちゃんと一緒なんだ。だとしたらますます怪しいわよね。事情を知ってる人だけそうなんだもん。」
「………気付かなかった………理事長とは良く顔を合わせてたのに………。」
「そりゃあそうよ、真夕ちゃんの事は森羅から聞いてたからね。余計な影響を与えたら困るでしょ? 私は天使一筋だし、そもそも女の子趣味じゃないから本気で懐かれたら困るし。暁君みたいに適度に苛められて、本気にならない子じゃないとね。貴方だって、私なんかに依存したくなかったでしょ? 無論天使に依存されてそのままくっ付くくらいなら、その方が随分マシだったんだけどね。私とした事が失敗だったわ。まさか優ちゃん以外の子に天使を寝取られるなんて思わなかったわ。」
「…………翔君は渡さない………もう遅い………。」
「はいはい、分かってるわよ。…………っと、話がズレたわね。」
琴の突っ込みから段々と話題がズレて行ったのを溜息混じりにシュリが修正し、そして再び美里達に視線を向けた。なんだか今のやり取りに不服な点でもあったのか、少し不満そうな美里だったが、気を取り直して話し始めた。
「まず確証を得られたのが、今回の事の発端が澄さん自身、または翔さん自身に依存する問題だと言う事です。私達は外的要因から翔さん達があの様な事件に巻き込まれたのだと思っていましたが、理事長が先程、『澄さんと翔さんを同じクラスにした自分にも原因がある。』と言っていた事から判断して、どうやらあの二人自身に問題がある事が分かりました。そもそもこれが分からないと私達も動きようがありませんから。」
「あー、そこからなのね。って言うか、貴方達本当に何にも知らされてなかったのね。優ちゃんらしいって言えばそうかも知れないけど。………後、お願いだからその事は優ちゃんに言わないでよね? 私が寂しさで死ぬ病に掛かりかねないわ。」
今回の問題を考える上で最も重要な点である部分を話すと、シュリは眼に見えて不味い事をしたかもしれないと言いたげな表情になった。美里達からしてみれば報告したりする意味もないのでどうでもいいのだが、向こうからすると結構切実な問題らしい。苦虫を噛み潰したような顔になったシュリを尻目に美里は続ける。
「それと次ですが、これは確証は正直ありません。ですがその可能性が高いと思います。」
「………まぁ言ってみなさい。」
「単刀直入に言います。翔さんは記憶が欠落、もしくは、高い確率で捏造されていますよね? 魔法で脳や心を操れないと魔夜さんから聞きましたし、故意の物とは考えにくいですが……もしかしたら魔法で改竄された可能性もありますね。優さんの技術ならありえます。私達のレベルを遥かに超越していますし。」
「つまり、魔法で記憶を弄ったって言いたいの? 物騒な話ね。人権侵害とかそういうレベルじゃないわよそれ。」
美里が言い出した一見とんでもない論理を聞いて、シュリは冗談めかして笑った。だが美里はそれを特に気にもせずに微笑み返した。
「……先輩が翔さんから聞いたと仰っていました。優さんと翔さんが初めて出会ったのが小学生くらいの頃だと。ですからその少し前くらいからの記憶がおかしいのではないかと予想しています。」
「あはは、大真面目な訳ね。………うーん……。」
美里がそう言うと、シュリは視線を一旦逸らし、何かを考える様に少し唸った。一件すると何かを思い出そうとしている様にも見える、そんな状態。そして暫く何も言わなかった美里はシュリから何もリアクションが取れないと分かると話を続けた。
「理事長が此処に来ていた事でそのイメージがかなり確証に近くなりました。渚先輩の話を聞いた時にも思いましたが、森羅さんと言い理事長と言い、翔さんが一方的に面識のない関係者が多過ぎます。」
「それは森羅も私もあの子が小さい頃に会ってから会ってなかったのが原因よ。覚えてないのも無理はないわ。貴方達だって三、四歳の事なんて記憶にないでしょう?」
「あら、でもそれはおかしいんじゃないですか? 翔さんは既に優さんと出会う時点での記憶がはっきりしています。つまり優さんとの繋がりはそれからです。そして理事長と森羅さんは翔さんとそれ以前に会ったきりだと言う。ならば理事長と森羅さんと優さんは如何にして翔さん自身の問題に共同で当たる様になったんです? そもそも翔さんが自分自身の問題なのにまったく心当たりがないと言うのも気になります。本来なら記憶喪失を疑いますが、本人にその自覚がない以上、高い確率で考えられるのは記憶の買い残になるんです。」
「………………。」
美里はそこまで話し終えると、シュリの出方を待つ為に口を閉ざした。どうやらかなり核心に近い所に触れた様だと言う手ごたえがあった。そして、こちらにはもう一つだけ切り札に近い情報がある。優が直接漏らしたその情報は、この論理を組み上げるのに最も役に立ったものだった。どうやらシュリが完全に黙ってしまったのを察した美里は、琴にアイコンタクトを図った。この事は琴から直接話した方が良い筈だ。先程の喫茶店での会議の後、この可能性を冗談交じりで話した時に琴は凍りついた様な表情になった。何故ならそれはあまり考えたくなかった事でもあったのだろうから。
「理事長、今さっき美里ちゃんが言った可能性を最初に聞かされた時に私もピンと来たんです。何故だか分かります?」
「………分からないわね。」
「そんな訳ないですよね。さっき理事長言ったじゃないですか、『澄の素性』を調べなかったって。それってつまり、今は知ってるってことでしょう?」
「………………。」
琴の言葉に、シュリはあからさまに渋い表情になった。今更になって自分のもう一つの失言に気付いたらしい。気付いたからと言ってそれを取り消す事は出来ないのだが。
「優ちゃんが一度私をチェスの勝負に誘ったんです。商品はなんでも一つ質問に答えることっていう良く分からない勝負だったんですが、結局負けちゃいました。滅茶苦茶な勝負でしたけどね、キングを動かさないっていう物凄い舐めプレイされたのにもう完敗でしたよ。なんであんな事をしたのか分かりませんが、今思うと、あれは優ちゃんなりの決意の表れだったのかなぁって思ったりもしてます。」
「へぇ、そんな事がね……。それで、結局なんて質問されたのかしら。」
「それがですね、『澄は貴方達の本当の家族じゃないですよね?』なんて聞かれたんですよ。本当に、吃驚しちゃいました。あの時はなんでそんな事知ってるんだって随分焦りました。」
「…………いいの? あの子の事だから口止めされてたんでしょ?」
「ええ、話したら殺すなんて言われました。でも私は翔ちゃんの恋人ですから、優ちゃんは翔ちゃんが無駄に悲しむ様な事はしないって信じてます。」
「…………それはまぁ、なんというか、壮大に惚気られた気分ね。」
そんな琴の発言を凄く嫌そうな表情で受け取ったシュリは一つ溜息を吐いた。そして苦笑交じりで話した琴は前置きは済んだとばかりに切り出した。
「澄は今から十年くらい前、私の家の、御島の家の庭で意識を失っていました。警察にも通報しましたが捜索願も出ていなくて親も見つからず、オマケに名前以外の記憶が全くなかったんです。それにあの子、余程怖い目にあったのか、最初に見つけた私から離れようとしなくて………。だから私の家で引き取ったんです。私の家に捨てて行ったなら、いつか澄の本当の親が現れるかも知れませんし。」
「………そうだったの……。」
琴はそこまで話すと、一息吐いてまた美里の方を見た。後は任せたと、そういう事だろう。美里は一つ頷くと、気不味そうに視線を逸らしているシュリの前に出た。
「理事長、澄さんの十年前と、翔さんと優さんが出会った十年前、これは偶然なんかじゃないですよね。渚先輩に聞いた話ですが、森羅さんがあの家に戻ったのも十年前くらいらしいじゃないですか。正直先輩の家の事情は分かりませんが、これも立派な事実です。そして澄さんの失われた記憶の中に翔さんとの記憶があったとすれば、優さんが危険視する理由も分かります。優さんが翔さんに記憶を取り戻してほしくないと思っているならば、ですが。」
「………まあ確かにそうねぇ……。」
美里が話し終えると、シュリは短く感想の様な物を添えた。あまりと言えばあまりな反応だが、美里は対して気にした様子もなく微笑んだ。まるで予想通りだと言いたげな、そんな視線をシュリに向けて。
「今回の件、翔さんのおかしい心に関係があるんでしょう?」
「……………。」
「私達の推理を纏めるとこうなります。十年前に何かがあった。それは澄さんが記憶を失い、翔さんが記憶を改変させるくらいにショックな事で、その影響で澄さんは先輩の家まで弾き飛ばされた。もしくはそのショックな出来事を忘れさせる為に、翔さんの記憶を優さん辺りが改竄した。今まで起こった謎の現象は、その時の記憶を無意識の内に魔法で具現化させてしまっているが故の物か、単純に精神が深層心理の時点でパニックを起こして魔力が暴走したかです。そしてその鍵となったのが二人の再開、そしてこのままいくと翔さんの記憶が戻ってしまう、だから二人を引き離すことにした。実際前回澄さんが翔さんを怖がっていたと聞いたので、恐らく澄さんの記憶が戻ってしまったのでしょう。それは警戒するでしょうね、そんな状態の澄さんと翔さんが一緒に居たら………ん。」
「………やめて。」
美里がそこまで話すと、シュリはそれ以上の発言を止める様に、人差し指を美里の口元に当てた。苦笑交じりに微笑む様な、そんな寂しい表情で。そんなシュリの大人びた哀愁に、美里は言葉が出なくなってしまった。
「………ごめんね、それ以上は聞きたくないの。」
「…………理事長…………今の……。」
「私達も今言った全部が完璧に正解だとは思ってないわ。実際は十年前に何が起こったかも含めて色々と分からない事も沢山あるし、個人的に気になってることもあるの。理事長や翔君達の不可思議な関係とか、私の言えたことじゃないけど、なんで皆こんなに翔君に執着するのか、とかね。優の執着は正直言って重いとかそういうレベルじゃないのよ、まるで翔君を神様みたいに思ってるとしか思えないわ。」
「神様か………天使呼ばわりしてる私が言うのもなんだけど、そうかもね…………。もっともあの子は神様が大っ嫌いだから、そんな物と同列に扱わないでしょうけど。」
バツが悪そうに美里から離れたシュリに、魔夜がそう訴えると。シュリは五人を見まわして、自嘲するかのような響きで一言そう言った。
「ごめんね、私だって全部知っている訳じゃないの。私よりは知ってるでしょうけど、森羅や進だって同じ、結局のところあの子を頼る他ないの。森羅が言ってたでしょう、天使の最高の理解者は優ちゃんだって。私もあの子に全面的に賛成だわ。天使を想う気持ちで負けないと思っても、きっとあの子からあの場所を奪える人は現れないわ、これからずっとね。」
「………それは、黙って見ていろと言うことか………?」
白状する様に、それとも自分の不満をぶつけるかの様にだろうか、そんな風な不安定な表情をしたまま言ったシュリの言葉に、命は強く出ることが出来なかった。シュリも自分達と同様か、それよりも苦しい立場なのかも知れないと感じてしまったから。
「………そう、そうね。確かにさっきまでの私ならそう言っていたかも知れないわね。正直私から見て貴方達は、優ちゃんしか入れないと思ってた場所にいきなり入り込んだだけの部外者だった。天使が誰と関係を持とうとそこまで気にしなかったけど、天使の大事な場所にだけは入れなくなかったのよ。」
「それは…………確かに、そうなのかも知れません。実際私達は何も知らないんですから、そう思われても仕方がありません……。」
シュリが真面目な顔でそう言ったのを聞いて、美里が悔しそうに胸で手を合わせた。そんな美里に、シュリは優しく微笑みかけ、その髪を梳くように撫でた。その人をキチンを認めたかの様な優しい笑みだった。
「でも、貴方達は凄いわ。こんな風に扱われても逃げ出したり愛想を尽かしたりせずに天使の事だけ考えてるんだもの、天使の為に貴方たちなりに最善を尽くしてる。一生懸命考えて、あの子の為に何かしようとしてる。その歳でこんな事が出来るなんて、誇るべきことなの、他の人には出来ないことよ。信じなさい、貴方達の愛はきっと天使を護るわ。」
「………………。」
先程とは一転して五人を励ます様にそう言ったシュリの言葉に、美里達は暫く呆然としてしまった。風に長い黒髪を靡かせ、慰める様な慈愛を五人に送ったシュリの表情は、言葉をなくして見惚れてしまう様な魅力があった。
「私から貴方達に言えるの事はただ一つ、貴方達のするべき事は考える事じゃないでしょうって事だけよ。貴方達は、貴方達にしか出来ない事があるの。凄く単純で、でも替えが効かない重要な役目よ。それが結果的に、天使を助ける事に繋がる。」
「………それって………。」
「今日はもう帰りなさい。……そう言えば真夕ちゃんは天使の家に同居してるんだっけ。天使も学校に行けずに寂しがってると思うから、一緒に居てあげてね。優ちゃんはそういうポジションに居たがらないし。」
「………うん……わかった……。」
シュリがそう言うと、真夕も素直に頷いた。そして五人は顔を見合わせてクスリを笑い合うと、その場から立ち去って行く。
………そして、夕日が地上にシュリともう一人の影を映し出した。
「流石は教育者って所か、やっぱり適材適所ね。私じゃ無理よ、翔以外に優しくするなんて。」
「………優ちゃん、まるで計算通りとでも言いたそうね。性格悪いわよ? と言うか居るなら居るって言いなさいよ、本当にもう……。」
「あら、最初から居たわよ? 正確にはシュリさんが家に来た時からずっと。」
「………なるほどね。あの子達が近づいて来るのに気付かなかったのはどっかの誰かさんのせいだったってわけだ。おかしいと思ったのよねー、いくらなんでも私達があの子達程度の接近に気付かない訳ないもの。」
突然その場に現れた優に対して、シュリは驚きもせずに淡々とそう返した。どうやら一連の事は優に見られていたらしい。まぁ優が住んでいる家であれだけ騒いで居た訳だし、家に居るのなら聞かれているかもとは思っていたが、どうやら美里達の事まで完全に把握していた様だ。
「私はまんまと利用されちゃった訳ね。」
「何言ってるのよ、シュリさんが言い出したんじゃない、翔の為に自分も何かしたいって。」
「………そう言えばそうだったわね。退学の話題で頭に血が上ってたわ、天使と離れるとかそれこそ天国から地獄よ。」
「天使ねぇ………。」
憂鬱そうにそう言いながら溜息を吐いたシュリに、優は呆れ混じりの視線を向けた。だがシュリはそんな優の冷たい視線など意にも介さない様にスルーし、若干陶酔しながら言った。
「もし、あの子が本当に天使に生まれていたら、きっと想像も絶するくらいに可愛らしくて綺麗なんでしょうね………今も十分天使以上に可愛らしいけど。」
「………そうね、きっと言葉も出ないと思うわよ。シュリさんの想像よりも遥かに凄いから。」
「………何よそれ、私の想像力が乏しいとでも言うの?」
「ふふふっ、翔を天使程度と同列に扱うんですもの、たかが知れてるわ。」
「……………言うと思った。」
今度はシュリが呆れの視線を優に送る番だったが、勿論優もそんなものを気にする質ではない為、その視線を交わす様に身を翻した。
「それじゃあね、シュノさんに連絡の方は頼んだわ。来月には転向したいから。」
「そうね、一応転向と転入の用意はしておくわ。必要になるかどうかは別としてね。」
「………ええ、宜しく頼むわ……。」
二人はそう言うと、その場から一瞬の内に姿を消した。数秒前まであった人影は何処にも見られず、ただ、風だけが吹いていた。