第71話:Sleeping Memory
「そっか、今日は翔ちゃんと優ちゃんも休んだんだ。」
「うん………優ちゃんが駄目って言って………。」
「澄さんが来るかも知れないから、と言う話でしたが本当にどうしてなんでしょうか……? 結局澄さんも学園に来ませんでしたけど。」
学園での授業が終わり放課後になると、翔と恋人関係にある全員は那奈の喫茶店に来ていた。琴が、皆で落ち着ける場所という事で選んだ場所だ。目的は翔と澄、及び優が関わっている、現状の問題を検討する為である。そして、美里の発言に対して琴が唸る様に言った。
「うーん、ある程度の事はまゆまゆから聞いてるんだけど………優ちゃんが意地悪でそんな事する様には思えないのよねー。澄もふさぎ込んじゃってるから話なんて聞けそうにないし………正直困ったわ。」
「今日は澄ちゃんも学園には来なかったですからね。本当に何があったのやら………。」
魔夜がそう言ったのを皮切りに、長い沈黙が訪れた。今ははっきり言って情報が殆どないのだ、いきなり結論まで飛ぶことは出来ないだろう。そして、これはその為の集まりだ。
「そう言えば、翔殿は何処か変な空間に飛ばされたと言っていたが、二人は何故そんな場所に飛ばされたのだろうか? 私の道場にいきなり現れたのも気になるし。」
「うん……それと、澄ちゃんの態度も……。」
「命ちゃんの疑問は尤もですけれど、渚先輩の言う態度って言うのはどういう事ですか? そういえば先輩は優さんと一緒に翔さんを迎えに行ったんですよね。昨日は何も言ってませんでしたが、何かあったのですか?」
「うん………あの時は、翔君も居たから言えなかったけど………澄ちゃん、明らかに様子が変だった……。」
真夕がそう言って表情を歪めると、命は意味が理解出来ないとばかりに首を傾げた。
「確かに澄殿は怯えている様子ではあったが、その何処ぞの空間で怖い目にあったのだろうから当然の反応だろう?」
「そうねー、まぁどんな場所だったのかは知らないけど、確かに澄は震えてたわね。それが何か引っ掛かるの?」
琴がそう言って真夕に促すと、真夕は肯定する様に首を縦に振った。そして真夕は、相変わらず悲し気な表情で続けた。
「違う……澄ちゃんが怯えてたのは………翔君に対して………間違いない。」
真夕がそう言って琴の言葉を否定すると、美里は訝し気な視線を真夕に向けた。
「翔さんにって………確かに、渚先輩が言うなら信憑性の高い情報だと思いますが……それこそ一体どういう事ですか?」
「……私にも分からない……でも、そう感じたの………。」
真夕の発言を最後に、また長い沈黙が訪れる。真夕の言っていた事が本当ならば、その理由は何か? 向こうで何かあったのだろうか? それとも別の何かが原因なのだろうか? 考えても証拠がない以上確認を取る事は出来ないが。そんな中、琴が憂鬱そうに口を開いた。
「はぁっ……、澄が今何も喋りたがらない以上、澄が落ち着いてから事情を聞きたい処だけど、どうもその時間はなさそうなのよね………。」
「……どういう事ですか? 時間がないって言うのは。」
「えっ、もしかして聞いてない? 何でも優ちゃんが退学する手続きをしに理事長に掛け合いに来たらしいんだけど。」
「な、なんですかそれっ!?」
「………琴、それ私も初耳。」
琴の爆弾発言に、全員の視線が琴へと集まる。琴は周りから一斉に強い視線を集中され、はは……、と渇いた笑いを漏らしつつ事情の説明をし始めた。
「澄は生徒会役員だし、さっき復帰が遅れる事を奏ちゃん先生に言いに行ったのよ。そうしたら、今日のお昼頃に理事長と優ちゃんが理事長室で話してたのを盗み聞きしたってのを聞いて、その内容って言うのが………。」
「成る程、翔殿と優殿の退学の話だったと。」
「まぁ、そゆこと。奏ちゃんならまず間違いなく言い触らすと思ったんだけど………。」
「………先生も流石に私達には気を遣ったって事かしら。私達が翔君の事好きなのはもう知れてるだろうし。美里達はあからさまだしね。」
そういえば確かに帰りのHRでの先生はおかしかったと魔夜は思い起こした。いや、確かにおかしい発言をするのはいつもの事なのだが、何故かいつもより割り増しで行動と発言が変だったのだ。とはいえ、そういう理由があるなら納得がいく。魔夜がそう考えていると、美里が焦った様に立ち上がって言った。
「でも退学なんて……優さんにそこまでの権限はないはずでしょう? 保護者ですらありませんし、翔さんも納得していないはずです。そんな自分勝手は通りません!!」
「うん………私も、翔君からそんな話は聞いてない………多分……優ちゃんの独断………。」
美里の発言に対して、真夕が呼応する様にそういった。その表情には魔夜達からでも明らかに分かる、怒りと不安が読み取れる。そしてそれを見た命は励ます様に切り出した。
「だ、だが恐らく大丈夫じゃないか? 優殿にその権限がない以上、理事長殿も簡単に受け入れたりしないだろう。少なくとも保護者の承認が必要だ。」
「そ、そうですよね。そんなの森羅さんや進お爺さんが許すわけないですし………。」
命の言葉に、魔夜が付け加える様にそう言う隣で、琴は脱力気味に溜息をついた。
「そりゃあ私だってそう思ったけど……奏ちゃんに寄れば、なんか理事長が退学を承諾しちゃったみたいでさ……。あくまで奏ちゃん情報だから百パーセント信頼出来る訳じゃないけど………奏ちゃんは人を傷付けるガセネタは流さないし………。」
「そんなっ、そんな馬鹿げた意見が通るなんて意味が分かりません!! 昨日から思っていましたが、皆さん絶対何かが変です!! 進御祖父様も森羅さんも、優さんの横暴染みた翔さんへの圧力を止めようともしませんでしたし、今度は理事長まで言いなりになって………優さんに何があるって言うんですか!? 優さんの言う通りになって………おかしいです、常識では考えられません。」
「確かにそうかも知れないわね。………とはいえ、他人に言わせてみれば、翔ちゃん一人に対しての私達の関係自体が常識外れと思われてるんでしょうけどね? 美里ちゃん達みたいな家の人から見れば、そんなに気になる事でもないのかも知れないけど。私もそんなに詳しい訳じゃないんだけど。」
「………それは少し偏見だな。私達の様な、家を重視する家庭では確かにそういった家もあるが、見合い等で大体が事足りる。余程切迫した家でもない限りは…………ん、美里? どうしたんだ?」
琴の発言に苦笑混じりに答えた命だったが、途中で美里の雰囲気の変化に気が付いて視線を動かした。その視線の先には何かに気が付いた様な、疲れた笑みをした美里がいた。
「………私達自体が常識外れですか………ふふっ、確かにそうですね、その通りです………。やっと昨日から感じてた違和感が理解出来ました。」
「………美里、それはどういう?」
少しヒステリック気味な口調になった美里は、疲れた様に一言呟いて………その後、何かに気付いた様に苦笑した。命は訝し気な表情になって続きを促す。
「忘れていました。私達は最初から不思議な関係だったんですよね。いつの間にか、その感覚が抜け落ちてしまっていました。」
「美里ちゃん、それは………。」
「勘違いしないで下さい、先輩。別に今更この関係が気になるって言ってる訳ではないんです。私が気になる事は一つだけ………翔さんの事。」
「翔君の………事………?」
真剣な表情になって考え込んだ美里に、真夕は疑問を投げかける様に視線を送った。他メンバーも同様の視線を美里へと送る。
「この事が今回の件に関与しているかは分かりません。ですが、私達には前々から分かっていた事がいくつかあります。もしかしたら幾つかは今回の件に………優さんが知っている翔さんの秘密に関係があるかも知れません。だから、全部纏めて考え直して見ましょう。」
「分かってた事か………まずは、翔君が私達に取って………正確には私と渚先輩とみっちゃんにだけど、凄く都合の良い体質を持ってるって事とか?」
「ああ、それもまゆまゆから聞いたわ。俄に信じ難い事だけど、まゆまゆの今までを知ってると………納得しちゃうかも。」
「琴………ごめんね………今まで黙ってて………。」
「私は気にしてないわよ? 寧ろそんな力があるのに、私の親友やってくれてたんだから、私にとっては今更な話よ♪」
真夕の済まなそうな表情を見て、琴は優しく笑いかけながらそう言った。しかし、直ぐに真面目な顔に戻ると自分が思い当たる事を整理し始めた。
「確かにそういう体質って言うのが何か関係してる可能性はゼロじゃないわね、凄く珍しいみたいだし。」
「正確には翔さんを含むあの家族と優さんが全員その体質なのですが……何だか翔さんは違う気がするんです。優さんや御祖父様、森羅さんとは違う、そんな気がして……。」
「……心が見えない以外は、私には普通に思えるけど……お爺さん達と同じじゃないの?」
「………私も……翔君は違うと思う………違和感みたいな……翔君が居なくなっちゃう様に感じた事があるの………。」
「うーん………何の力もない私には良く分からないわ。」
「同感だ。」
三者三様の反応を見せた美里達に、命と琴は苦笑にも取れる笑みを零した。
「取り敢えずそれは置いておくとして、あの不思議な事件の事もそうね。実は、前に澄ちゃんの心を読んだ時にちょっとだけ聞いたんだけど、澄ちゃんと翔君以外には何も起きていない見たいなんですよね。まるで二人を狙っている見たいです。」
「………事件については、優ちゃんも何か知ってる感じだった………今回の件に関係あるのは間違いない……。それに、澄ちゃんの怯え方も気になる……。」
「……昨日の態度から考えて、優殿は恐らく何も話してはくれないと思うがな。」
真夕の発言に対して、命は嘆息混じりにそう言った。確かに昨日の様子からすると、優に聞くと言う選択肢は恐らく無駄だろう。教えてくれたとしてもその情報の真偽はかなり不安なものがある。そこまで意見が出ると、一旦話が終わり、全員が美里の方を向いた。それに気付いた美里は、自分の気付いた事を話し出した。
「取り敢えずその二つの事に関しては私も同意見です。ですが、私が気になった事はもう一つあるんです。もしかしたら今回の事には関係ないかも知れませんが……。」
「んー、気になるわね。美里ちゃん、話して貰える? 貴方の感じた事なら信用出来るし。さっき言ってた事に関係してるのよね?」
「………はい。正直あまり言いたくはないのですが………簡単に言えば翔さん自身のおかしさについてです。翔さんに力が効かないと言う事についてではなく、もっと根本的な所で。」
「……そう言えば、さっきもそんな事言ってたよね? どういう事?」
美里の発言を聞いて、先程よりも真剣な表情になった魔夜はそう尋ねた。美里はまだ自分の考えを案じるような表情で少し間を置いた後、再び口を開いた。
「例を挙げて言ってしまえばこう言う事です。『何故、翔さんは私達を全員受け入れる様な事をしたのでしょうか?』と。」
「………えっと………私達皆を………愛してたから?」
「まゆまゆ、良くそんな恥ずかしい事を堂々と言えるわね。」
「…………? だって……私達……愛し合ってるから………普通。」
「わ、私だって翔さんと愛し合っています………。ああ、えっと………私が言いたいのはそう言う事でなく……。」
美里が言葉に詰まってしまうと、隣で聞いていた命が、美里の意図に気付いたように呟いた。
「………成る程、美里の言いたいのはそう言う事か。まぁ、本当に感覚的な意見だし、自信がないのも分かるな。」
「……えっと、私にも分かるように説明して欲しいなー、なんて。」
「つまり美里は、翔殿が私達全員を受け入れた時点からおかしかったと言いたいんだろう?」
「だから、それの何がおかしいの? 元々それを言いだしたのは私達側な訳だし、実際にやるかは別としても独占欲の強い男の子なら考えちゃう事なんじゃないの? 特に翔君に関しては、私達の誰かを優先させるのを良しとしてなかったんだから。」
「確かに男の方ならそう言う方も居るかも知れません。………ですが、翔さんの場合は違和感があるんです。確かに翔さんは誰かに決める事は出来ない人だと思いますし、同時に私達全員を幸せにしたいと考えてくれている人だと思います。ですがそれ以上に、とても強い倫理感と正義をお持ちの方だと思うんです。実際に翔さんは、私に後悔しないかと確かめた上で愛して下さいましたし……。本来翔さんの様な方でしたら、最初はこの案に乗ったとしても、直ぐに考え直して誰か一人に絞るのではないかと思います。………本来ならば渚先輩を愛された時に、渚先輩ただ一人を愛する事を決めたかと。もしそれで私達が泣いても、やはりそれは仕方がない事だと、そう考えると思うんです。」
「………美里ちゃんの言いたい事………分かるかも知れない………。」
美里の話を聞いて真夕はぽつりとそう呟いた。実際にその考えは、真夕が翔にこの話を切り出す時に考えていた事と同じだったのだ。翔の様な性格なら、いくら甘言を受けようと、一番最初に受け入れ、愛した人だけを最終的には選んでくれる筈だと。美里や命ならまだしも、翔は普通の一般人なのだから。そう考えるに足る文化の中生きてきたのだ。
「倫理感………か。確かにそう考えて見れば、そうなるのかも知れないわね。でも、実際に翔ちゃんが何を考えて私達の案に同意したのかは分からない訳だし、それが今回の事に関係してるかも分からないわね。」
「はい、ですから今言った事はあくまでも可能性の話になってしまいます。………ですが、何か予感めいた物があるんです、この事は決して軽視してはならないと。何か凄く深い部分で、翔さん自身に関係しているのだと。」
「みっちゃんの予感かぁ………それはちょっと無視出来ないね。」
美里が琴に答えるようにそう言うと、魔夜はそれに呼応する様に呟くと思考を巡らせた。そして何か思い付いた様に口を開いた。
「んー、そういえばさ? 優が昨日、翔君には私達と自分がいれば充分だって言ってたわよね。あれもそう考えて見ると、私達が揃って翔君の側に居る事の意味を言ってるんじゃないかしら。そもそも翔君の周りから女性を排除する様な事してたって聞いた事あるのに、私達には普通に接してくれてたし、それにも何か意味があったのかも。」
魔夜がそう言って沈黙すると、残りの皆も自分なりに考えを巡らした。確証はないが、美里の感と魔夜の考えを信用するならば翔の行動と優の行動には理由がある事になる。だが何か理由があったとして、それが何か、どう関係してくるかも分からない。窓から空を見れば、日は暮れ始めており、そろそろ夕方になろうと言う時間だったが、最初に挙げた二つの件も合わせて、結局は何も情報に進展がなかった。
「……やっぱり………聞き出すしかない………。」
「聞き出すって……お爺さんとかに?」
「うん……今夜……御祖母様達に聞いてみる………これ以上………翔君が悲しむのは………嫌だから。」
「まゆまゆ………そうだよね。うん、私だって、大事な妹と翔ちゃんが苦しんでるのにじっとしてるなんて無理よ。まゆまゆ一人で行かせやしないわ、私も今から翔ちゃんの家に行く。」
俯いていた真夕が顔を上げてそう言うと、琴もそれに同意して微笑んだ。そして、それを見た他のメンバーも同意する様に頷いた。
「私も行くわ。大人数で詰め寄れば、隠し切れずに吐くかも知れないし。」
「そうですね。命ちゃん、取り敢えず家に遅くなると連絡して置きましょうか。婿様の家に言っていると言えば、簡単に許可くらい取れますし。」
「ああ、分かった。………しかし、絶対に誤解されるな、これは。寧ろ今日は帰りたくなくなって来た。」
そう言った命の苦笑と共に、全員揃って席を立つと那奈が微笑みながらレジの前に立つ。5人は会計を済ませると、店を出て、夕闇の中を翔の家まで向うのだった。
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「あの公園。あそこが何処か、俺にはもう分かってるのか………?」
朝起きてから、今日一日何もしないで安静にしていろと優にベッドに寝かしつけられ、いつの間にか本当に眠ってしまったらしい。
「……それにしても変な夢を見たな………何故か良く覚えてるし。明晰夢って奴かな。」
あの少女は言っていた。自分はあの場所へ何時でも行けるのだと。あれはどういう意味だろう。そこまで考えて、翔は今見た夢の事を思い出していた。
「あの女の子……俺は知ってるのかな? いや、そんな筈はないだろう………会った事もないんだし………でもなぁ……。」
あの子を夢で見た。あそこは何処か懐かしい気がする家だった。自分はまだずっと小さくて、あの白い少女と、森羅と、進がふざけあっていて。進は信じられないくらい若かったけれど、何故かそれが進だと直ぐに分かった。その仲の良い三人を見ていて、少し羨ましかったけれど、そこには入ってはいけない気がして、離れて見ていた。でも全然寂しくはなくて、本ばかりを読んでいた無愛想な少女の隣で、難しい本を一緒に読んで、それが、堪らなく幸せだった。
「………小学校に入る前に……女の子の友達なんて居たかな? んー……。」
小学校以前の記憶は正直はっきりしないので、もしかしたら何処かでその白い少女とも会っていたのかも知れない。森羅の知り合いだとすれば、何となく、外見が若いのも納得してしまう気がする。とはいえ、進も信じられないくらい若かったし、自分の隣で本を読んでいた少女の顔はボンヤリとしか思い出せない。
「………まぁ、所詮夢だからな。………なんか、頭が痛くなって来た。」
もう一眠りするとしよう。優の言う通り、まだ病み上がりだし、もし寝て覚めたら、あの言葉の意味も分かるかも知れない。翔は一つ小さく溜息をつくと、ベッドの中で眼を閉じた。