第70話:愛と混沌の狭間で
「うっ……頭痛っ……。」
「しょ、翔君っ!? 良かった……良かったぁ………。」
「真夕? あ、えっと………あれ? ここは家か?」
「ええ、命の家の道場に翔が倒れていたのを見て、命が連絡をくれたの。だから取り敢えず家まで運んだのよ。」
「………道場……?」
翔が微かな頭痛と共に目覚めると、最初に優の心配そうな顔が見え、その直ぐ後に真夕が珍しく取り乱した様子で翔に抱きついた。それを受け止めてから周りを見渡すと、どうやら本当の翔の部屋の様だ。先程まで自分が居たのはあの不思議な公園だった筈だが、倒れていたのはいつもの事として、何故命の道場に倒れていたのだろうか? 翔は思いの他クリアな状態の頭でそこまで思考した後、ふと周りに澄の姿がないのに気付いた。
「それより澄は? 近くに倒れていなかったか?」
「…………ええ、居たわよ。翔よりも早く目が覚めてたわ。」
「そうか………じゃあ澄は自分の家に戻ってるんだな? 取り敢えず、電話を………。」
「駄目よ。」
翔がそう言って、枕元に置いてあった携帯電話を取ろうとしたその瞬間、優が携帯の上に手を置いてそれを阻んだ。優の声は真剣で、有無を言わせぬ迫力があった。そんな優のいきなりの行動に驚いて翔は一瞬固まったが、直ぐに疑問の表情へと変わった。
「え、なんでだ? 澄だって倒れてたんだろう? 澄だって俺の事を心配してるだろうし……。」
「………心配…………ね。」
「…………?」
優の言葉に疑問を感じてそれを聞こうとしたが、それよりも抱きつく力を強めてきた少女の悲しげな表情に視線が向いてしまった。
「ねぇ翔君、何があったの? どうしてあんな所に倒れてたの? 教えて、もう隠さないで、私………不安なの……。」
「真夕………そうだな。」
翔の発言に視線を逸らした優の事は気になったが、翔は必死に事情の説明を求める真夕の方に意識を向けざるをえなかった。真夕はいつものゆっくりした口調ではなく、表情にも切羽詰まった様な、悲壮さすら感じさせる物があった。最近翔と居る時に無表情になることは殆んどなくなって来ているのだが、ここまで感情を爆発させているのは見たことがない。今朝の翔への告白の影響もあるのだろうが、それ以上に真夕は不安なのだろう。そんな真夕も放っておいてまで隠しておく事じゃない。
「他の皆にも心配掛けただろうしな。命と琴先輩に伝わってる以上、他の皆にも当然伝わってるだろうし………。優、電話を貸してくれ。」
「澄への連絡は禁止よ。ここで見張ってるから。」
「…………何でかは知らないけど……分かったよ。」
正直に全てを話した方が良いだろうと決めて、優にそう言うと、条件付きながらも携帯電話を翔に渡した。真夕はそんな優に一瞬悲しげな瞳を向け、優と視線を合わせると、そのまま翔の胸に顔を埋めた。翔はそんな二人に疑問を感じながらも、電話帳を開くのだった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「つまり、翔さんを苦しめたあの学園を倒壊させてしまえば良いわけですね? ああ、それと裏界ですか。大丈夫ですよ、翔さんの身に危機が降りかかるともなれば超法規的措置でなんとでもなります。」
「………後、命ちゃんの武道場も………。」
「そうだな、私から父様にお願いしておこう。それに今日行ったというそのファンシーショップも解体せねばならないだろう。最悪武力行使も辞さない。」
「皆過激ね………調査は必要だとは思うけど、流石に学園とファンシーショップを破壊って……翔君、どうするの?」
「………いやぁ………どうだろう。全部普通に見て回るだけで良いんじゃないかな、なんて思うんですが……。」
この場には澄と、澄から直接事情を聞くと言う琴以外の全ての面子が揃っていた。進と森羅は先ほどから遠巻きにニヤニヤとこちらを見物している。あの二人は一体何の為に此処に居るのだろうか。
「ふふっ、翔坊君は幸せ者だねぇ。あ、学園の理事長は私のお友達だから許可は取れるよ? ね、進君?」
「ふむ、なんだかワクワクして来たのぉ。やはり天津も呼ぼうか、ほっほっほっ、一体どんな顔をする事やら。楽しみじゃのぉ。」
「…………いや、要らないから。そんな物騒なのは却下だ。後そこの二人、絶対楽しんでるだろ、やらないからな? そんな残念そうな顔をしてもやらないからな?」
「「はぁっ……残念。」」
「……………。」
明らかに悪乗りしている進と森羅に向かって翔が釘を打つと、二人はまるで打ち合わせたかの様に顔を見合わせて、大げさに肩を落とした。翔は二人のそんな姿を見て表情を引き攣らせたが、冷たい表情で二人を見ていた優に気付くと、視線をそちらに向けた。
「優、どうした?」
「………いいえ、別に。それよりこの件だけど、私が全部片づけておくわ。」
「…………………はい?」
優のその発言で、騒がしかったその場の空気が一瞬で固まった。魔夜達に加えて進や森羅も同時に優の方を見る。翔はそんな空気の中で呆然と眼を瞬かせていたが、優の言った言葉を理解すると、優に詰め寄った。
「優、これの原因が分かるのか!?」
「ええ、私なら危険もなく解決出来る程度の問題よ。だから翔は心配しないでいいわ。理事長にも私から言っておくから。今回の件はもう忘れなさい。分かったわね?」
「あ、ああ…………。」
有無を言わせぬ優からの圧力。問題が解決するならそれでいいかと、半ば優の雰囲気に圧されて翔が頷くと、優は翔へと薄らと微笑んで、席を立ち部屋から出て行こうとした。だがふと、何かを思いついた様に立ち止まると、翔へと振り返った。そして、次に発せられた言葉に翔は驚愕した。
「それと一つ言い忘れたけど、澄と今後会うのは一切禁止だから。さっきも言った通り電話も駄目。伝言を頼んだりも禁止。分かったわね?」
「なっ…………。」
「ちょっ、ちょっと優さん……それは一体どういう事なんですか!?」
「……………。」
唐突に優の口から発せられた言葉に翔は言葉を失い、他の皆も訳が分からず困惑した。翔に関しては全く状況が理解出来ない、先程から澄に電話する事を嫌がっている理由を考えていたが理解出来ず、その上、意味のわからない更なる要求をされたのだから当然だろう。そして美里がそんな翔の心理を代弁するかの様に立ち上がって優に詰め寄った。優はそんな美里に、先程進達に向けたのと同じ温度の視線を向けて言った。
「どういう事………ね。まぁ、貴方達は知らなくてもいい事よ。」
「知らなくてもいい事だなんて………。」
「だってそうでしょう? 貴方達は今回の件とは何も関係はないんだから。確かに翔の恋人っていう点では関係があったのかも知れないけど、この件は私が預かるんだもの。」
優は美里の表情を見ても眉一つ動かさずにそう切り捨てた。流石の美里もその態度に多少むっとしたのか諦めきれずにたたみかける。
「そ、そんなの納得出来る訳がありません!! 澄さんだって翔さんの事を心配しているでしょうし、翔さんだって…………それに今回の件が解決するまでというならまだしも、今後一切なんて………電話や伝言程度の事も駄目だなんて、翔さんだって納得できない筈です!! せめて理由だけでも………。」
「理由は翔の為よ、それ以上は言えないわ。」
「そんな………。」
必死の剣幕での美里の説得にもまるで応じようとしない優に、美里は愕然とし、今だに言葉が出ない翔へと視線を向けた。そして意を決した様に優へ向き直った。多分の疑念と、少量の怒りを湛えたまま。
「そんな、翔さんの為だなんて、都合のいい事を言えば私達が納得するとでも? ……分かりました、私は自由にさせて頂きますから。取り敢えず今から澄さんの家に行きます。翔さんも行きましょう。何があるのかなんて知りませんが、私は、翔さんの……味方………で………。」
美里は勢いに任せてそこまで言ってから優の表情に気付いた。先程の比では無いほどに冷え切った視線と、失望と怒りが混じって中和された様な無表情。その視線に美里は思わず硬直してしまった。人の感情ならばいくらでも知っている。だが、自分がそういう色々な感情が渦巻く世界で生きてきた事を自覚している美里ですら感じたことがない、純粋過ぎる感情がそこにはあった。そこで美里は初めて一つの事実に気が付いた。美里には人の感情を掬い取る力がある、それだと言うのに、思い返してみると、翔と同じ様に優からも感情が何も感じ取れていなかったのだ。今まで生活してきて、何故今まで気が付かなかったのかは美里にも分からなかったが、優が今見せている激しい感情は、その圧力は、力なんてなくても簡単に感じ取る事が出来た。そして自分自身の中に芽生えた感情も、美里は直ぐに理解が出来た。それは単純に、眼の前の少女が………怖かった。
「……………なんで?」
「………え………?」
「私、翔の為って言ったわよね? 言葉の意味が理解出来ない訳じゃないわよね?」
「あ、その、ですがそれではあまりにも………。」
「翔の為って言ってるのに、それを無視して翔を傷つけるのね……。」
一瞬で変化した優の異常な雰囲気に、翔を含む他の人間も全員が呑まれた。そして真夕達も、美里が感じている感情を体感した。美里は、無意識に自分が一歩下がっている事に気が付いた。こんな感情は初めてだった。
「………何が翔の為になるかなんて貴方に分かるの? たった数カ月一緒に過ごしただけの人間に一体何が出来るって言うの? 後からのこのこ出てきて翔に愛されただけの人間が、翔を傷つけるなんて絶対に許さない。あんたも、澄もっ、結局は翔の事を何にも知らないくせにっ!!!」
「っ………!!」
「優、いくらなんでも言い過ぎだ!!」
「………翔……。」
今にも美里に掴み掛りそうだった優を見て翔は我に返り、咄嗟に二人の間に割って入った。美里を見ると、優の言葉が堪えたのか、俯いてしまっている。そんな美里を見て、翔は、改めて澄と会ってはいけないと優が言った理由を聞こうとして、優の眼を見た。
「優、俺の為ってどういう事なんだ。なんで澄と会ったらいけないんだ。あいつに何かあったのか?」
「ねえ、翔………もう、十分でしょう?」
「え?」
美里に代わって問い詰める体制の翔の疑問を受け流す様にして、優は翔にそう言った。翔はその発言の意味が分からず咄嗟に聞き返してしまった。
「もう翔には真夕先輩や命、美里に魔夜も居るわ。私だってずっと翔の傍にいる。琴先輩はこの事を知ったら澄の傍に居るって言い出すかも知れないけど、その程度の人なら最初から翔には相応しくなかったってだけの事よ。だから澄の事は………諦めて。」
「これは十分とかそうじゃないとか言う問題じゃないんだよ、優だってそれは分かってるだろう? そう言った感情以前に俺と澄は友人なんだ。それにあいつの気持ちだって理解してるつもりだ、だから幻滅されようが何しようがこっちの気持ちを澄に伝えなくちゃいけないんだよ。それが、澄に期待させ続けた俺のケジメって奴だ。」
「翔君………。」
優に向かってそう言い切った翔を、何故か真夕は寂しそうな瞳で見つめた。背中を向けていた翔はそれに気付かなかったが、優からはその様子がはっきりと見えた。そして、優は両手で翔の顔を包むようにすると、愛おしむ様な口調で言った。
「翔、それでも駄目よ。あの子に関わって辛い思いをするのは貴方だけじゃないわ。貴方の事を大事に思っている人だって無関係じゃないの。」
「だから、今その理由を……。」
「それについては何も聞かないで。納得は出来ないかも知れないし、直ぐにあの子を忘れる事が無理な事だって私にも分かってる。でもお願いよ………私の言う事を聞いて、翔。あの子の分まで、ここに居る人全てが貴方を愛するわ。親として、親友として、恋人として、貴方が望む全てのやり方で。」
「……………。」
そう言った優の表情は先程美里へ向けた物とは全く違う物だった。そこにあるのは翔への慈愛だけ、他の人間等居ないかの様に翔の事だけを見つめ、不純物の一欠けらも無い様な純粋な懇願が翔に向けられる。最早その優の発言に口を挟もうとする人間はその場には居なかった。俯いてしまっている美里も、何故か悲しそうな真夕も、いままで納得がいかない様子だった命と魔夜も、そしていつも笑顔を浮かべている森羅と進さえも黙り込み、あるいは、翔へ向ける優の感情にただ圧倒されていた。
「私が翔の不幸になる事をした事があった?」
「いいや……。」
「私が翔に嘘をついた事があった?」
「……ない。」
優の問いかけに端的に応える事しか翔には出来なかった。何か漠然としたものが翔の中にあった。優の悲しそうな笑顔を見ていると何も言えなくなる。
「……それじゃあ、私のお願い、聞いてくれる? 私の勝手な我儘だと思ってくれていいの、傷ついた翔の心は私が全部癒すから。だから、お願い………。」
「………………。」
優の、演技などではない心からの懇願。その必死さが翔には理解出来た。そして長い沈黙の後、翔は一言だけ言葉を口にした。そしてそれを聞いた優は優しく微笑むと、沈黙の支配するリビングから出て行ったのだった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「私………何も………言い返せませんでした…………。」
「美里………。」
「なんだか今日の優、おかしかったわね。澄ちゃんの事に対する発言もそうだけど、なんとなく余裕がないって言うか………。」
「………優ちゃん、なんか焦ってるみたいだった………あんな事言うなんて………。」
「そうね。でも、優の言う通り、出会ったばかりの私達は翔君の事を何も知らないわ。そして私達は、翔君の事について何も知らない事をきっと誰よりも知ってる。命ちゃんを外す訳じゃないけど、みっちゃんと先輩なら分かるよね? 私と似た様な物だし。」
「………それって……。」
優が立ち去り、翔も体調が心配だと言う事で部屋で安静にしてもらっている。進と森羅も今はどこかに行ってしまっている様だった。この場に居るのは先程の場に居た残りの人間。つまりは翔の恋人である美里、命、魔夜、真夕である。美里は先程のショックが抜けきらない様子で座っていて、命はそんな美里を慰めるように隣に座っていた。そんな沈鬱とした雰囲気の中だったが、今の魔夜の発言は残りの三人を注目させるには十分な意味を秘めていた。
「私はずっと翔君から離れるつもりはないから、他の皆にも知ってて欲しいの。私の、特異体質の事をね。隠し続けるのもどうかと思うし。」
「………特異……体質……。」
「特異体質………? 美里の様にか? 今の発言はつまり、魔夜殿と先輩も美里の様な力があるという事でいいのか?」
驚いた様子の命に、魔夜は苦笑で返した。真夕と美里も魔夜の方に注目する。お互いに何か似た様な物がある様だとは感じていても、魔夜程明確に答えが出る物ではなかった為、先程の一言にはかなりの衝撃があった。
「少なくとも私はあるわ。だから皆の事は全部知ってる。先輩とみっちゃんが他人の感情に対して凄く強い感応能力のある事。先輩の場合は凄く悪意や下心に特化してるみたいだけど、きっと私達三人は凄く近い力を持ってるんだと思う。」
「………魔夜ちゃん………そんなに詳細に……分かるの………?」
「はい。私は感情を探ると言うよりも、直接的に相手の考えが分かるので………。」
「そうだったのですね………。魔夜さんはたまに人の心が読めるのではないかと言う発言をなさるのでおかしいとは思っていましたが……。」
美里はそれを聞くと、納得した様に頷いた。一方の魔夜はばつが悪そうに瞳を伏せた。自分の体質を自分からばらすのは翔を除けば初めての事だ。必要に追われてでないならば初めての事だった。不安がないと言えば嘘になる。だが今はそれを気にしている場合ではないのだ。それに、翔が愛している人にならば、いつか話す事になっていただろう。
「ごめんね。皆の事勝手に探っちゃって。でももう癖みたいになっててコントロールが上手く利かないの。」
「いいえ、良いんですよ。魔夜さんがどれだけその力で苦しんだのか、私にも少しは分かる気がしますから。」
「翔殿はもうこの事を知っているのだろう? なら私から言う事は何もない。」
「………私も……恥ずかしいけど………お互い様な所もあるから……。」
「………あ、ありがとう、皆…………。」
真夕と美里にも共感してもらえる所はあっても、寧ろこの力の強さが身に染みて実感出来てしまうがために余計に恐れられてしまうかも知れないと、魔夜は密かに気に病んでいた。翔以外では初めて受け入れて貰えたのだ。魔夜は目頭が自然に熱くなってしまったが、今はそれどころではないと思い返し、顔を上げた。
「なら分かると思う。翔君と………あるいは優にも言える異常性。異常である力を持っている私達だから分かる事。少なくとも翔君と優には私の力は効かなかった。もしかしたら皆もそうなんじゃない?」
「はい、私の力も効きません。優さんに関しては先程気付きましたが……、あまり私に感情を強く見せて下さりませんでしたからね、優さんは。」
「………それだけじゃない……力が効かないのは、森羅御婆様と、進御爺様も……。私のこの力に一番早く気が付いてくれたのも御婆様だった……。」
「………確かに、言われてみればそうですね。翔さんの御爺様と森羅様に会う時には他に誰かしら居ましたから気付かなくても無理はないですけれど。」
真夕に言われて魔夜と美里も初めてその事実に気付いた。他の人間が居る場合でも感情を読み取る事は容易いが、誰かから感情が読み取れないと察知する事は気にしていなければ難しい。単純に慣れの問題ではあるのだが、読み取れないケースが異常過ぎるのだ。
「なるほど、つまり先輩を除いたこの家の者全員が特異な状態だと言う訳か。確かにおかしいな。私も美里達の力については疑うつもりはない。やはり何かあるのか?」
「うん………実は入学当初に優からこの力について詰め寄られた事があってね。翔君に力を使うなって言われたわ。それと一緒に、なんで私が人の心が読めるのかも説明してもらった。なんで優がそんな事を知っているのか分からないけど、説得力は結構あったわ。なんでも心の周辺には高密度の魔力があって、私の力はそれを透かして見てるって事らしいんだけど、翔君と優は魔力の密度が高すぎて見えないみたいなの。多分みっちゃんと先輩のも同じ理屈だと思う。」
「………それ、御婆様にも聞いたことある……………御婆様も、何故か効かない理由は………教えてくれなかったけど……。」
「ですがそんな事どうして優さんや森羅さんが? 私も深層心理に関する魔法の論文などには逐一目を通していますがそんな事実は……。」
「それは翔君に聞いてみたけど、分からないって言ってた。……それでね、もう一つおかしな事があるんだけど……。」
森羅も真夕にその事を言っていたと言う事は、この説はかなり信憑性があるのだろう。それを確認すると、魔夜はもう一つの、翔との間に起きたおかしな出来事を思い起こした。
「実は私、翔君と恋人関係になる時にね、一度だけ心が読めたの。間違いなく翔君の声だった。」
「ほ、本当ですか!?」
魔夜の言葉に美里は目を開いて驚きを顕わにした。だが魔夜は何か引っかかる様子で頭を悩ませていた。
「うん、でもね、その声を聞く前に別の声が聞こえたのよ。幼い感じの、女の子の声。良くわからないけど、私の為なら仕方ないとか言ってたわ。それで、その直ぐ後に翔君の心の声が聞こえたの、一度だけだけどね。」
「女の子の声………? 私には心を読むと言うのが良く分からないが、その声は翔殿の声ではなかったのだろう? ならば他の誰かだったのではないか? その後に翔殿が無意識で自分の心周辺の魔力の密度を薄くして………。」
魔夜の発言に対しての命の意見はまさに的確な様だったが、魔夜はそれを首を横に振って否定した。
「あの時は周りにフィールドを張ってたの。だから周りに小さい女の子なんて居なかったわ。……それにあの時の私、かなり参ってて翔君の事しか見えてない状態だったから、万が一誰か居てもその人に力が発動しちゃったりしないわよ。だからあの声は、間違いなく翔君から聞こえてきた声よ。聞き間違いは絶対にないって断言できるわ。」
「………女の子の声、ですか………。」
「うん、それでね。私なんとなく、凄く漠然となんだけど、魔力の密度がどうとか、そういうのはもしかしたら全部嘘で、実はもっと別の秘密があるんじゃないかなって思ったのよ。確かに翔君とか優の魔力は凄いけど、今思うと進御爺さんとかってそんなに強い魔力を感じなかったし。」
魔夜は自分の考えを纏めて一通り話し終えると、他の三人を見まわした。自分の意見にそれ程自信があるわけではない。それに全体的にかなり直感染みていて、それが嘘であったとしても別の答えが出るわけではない。だが魔夜は何故かあの時の出来事が頭から離れなかった。魔夜がそう考えていると、続いて考え込んでいた真夕が口を開いた。
「………私も……魔力の強さ云々っていうのは当てはまらないと思う…………翔君や優ちゃん、森羅御婆様はともかく………進御爺様よりも私達の方が明らかに魔力は強い………。」
「なるほど。だがそうなると、その点が特に怪しく思えてくるな。優殿が嘘をついたと言うのなら、そこが恐らく私達に言えない秘密の一つである可能性は高い。今回の事に直接関わって来ることかは分からないが。」
命の一言の後、その場に沈黙が続いた。やはり別の案を出すにしても何かしらの情報が必要だ。それに澄の様態も気になる。翔が会わないと決めてしまったのだから無理矢理翔を連れていくわけにはいかないが、澄になんらかのヒントがあるのは間違いないのだ。会話が進まなくなった所で、美里が立ちあがった。
「ふうっ………。皆さん、今日はもう遅いですし、明日また集まりませんか? 勿論、御島先輩も誘ってです。なんといっても澄さんのお姉さんですから、何か知ってるかもしれませんし。それに私自身でも考えを纏めたい事があるんです。真夕さん達も何か思う所があるのでしょう?」
「美里がそういうなら私は構わない。武道場について、私も調べようと思っていた事だし。」
「うん、分かった。確かに一度時間を置いた方がいいかもね。それに、二階にいる翔君の事も心配だし………真夕先輩、翔君の事お願いしますね。」
「………分かってる、任せて。」
心配そうに言った魔夜に対する真夕のその一言を皮切りに、魔夜と命も席を立った。時刻はもう二十一時を回っている、自分達が夜道を歩いて危険だと言うことはないだろうが、随分長い時間考え込んで居たものだ。美里はリビングを出ようとしてノブに手を掛けて、先程の優の一言を思い出した。
「優さんから見れば、私達は確かに無知なのかも知れません………。」
あの言葉は美里の胸の奥に刺さり、未だにズキズキと痛む。優は言っていた自分は翔の事を何も知らないのだと、そんな自分が翔を傷つけると。でも、それでも。
「私は翔さんの隣に居ると決めたんです。翔さんに幸せにして貰う分、私も翔さんを全力で愛すると決めたんです。だから………。」
翔を今のままにはしておけない。出会いが遅かった分は努力をすればいい。知らない事は今から知って行けばいいのだ。
「よし……。」
「こらこら、みっちゃん、あんまり一人で気負ったら駄目だよ? 私達の好きな人は六人も恋人作っちゃってるんだから。六人で協力して幸せにならないと、そうでしょ?」
「……………え?」
「え? っじゃないでしょ。優だって翔君が倒れたから苛立ってるだけかもしれないんだし、私が言うのもおかしいかも知れないけど、美里まで倒れたら翔君悲しむよ? 優に言われた事がショックだったのは分かるけどね。」
「は、はい………そうですね。」
魔夜が美里を励ましてくれていたが、そうではないのだ。何かが今、頭の中で引っかかった様な感覚があった。なんだか凄く重要な事を見逃してしまっている様な、そんな感覚が。美里はそのまま妙な違和感を感じつつも、命、魔夜と共に翔の家を後にした。家に着くまで引っかかり続けた物の正体は、結局分からず仕舞いだった。