第66話:真夕
「………で、どうして真夕先輩の荷物が俺の部屋に?」
「真夕。」
「いや、真夕先輩取り敢えず説明を………。」
「まーゆ。」
「………真夕、どうしてここに荷物があるんだ?」
「……お爺さん達が………置いて良いって……。」
翔が真夕を呼び捨てにすると、真夕は幸せそうに微笑んだ。今は取り敢えず荷物を置きに翔の部屋まできたのだが………何故か、翔の物でもなければ優の物でもない荷物が多数置いてあったのだ。というより明らかに真夕の私物である。以前真夕の部屋に入った時にあった物がそのまま翔の部屋においてあるのだ。まぁ、それがいけないと言うわけではないから進達を責めるのは後にする。………だがもう一つ、今まであった物が別の物になっているのはツッコミを入れておきたい。
「それに、何で俺のベッドがこんなにデカくなってるんだ。」
「………お母さんから……プレゼント……私の事………お願いしますって……翔君に。」
「…………。」
「………私……翔君……優ちゃん……三人でも平気だよ……?」
翔は、真夕を大きくして様な体と、正反対の性格を持つ真夕の母親を思い浮かべた。……成る程、やはりそういう事らしい。あの小悪魔め……話は何となく読めた、恐らく今回の仕掛人はあの人だろう。
「真夕、流さんはなんて言ってた?」
「翔君を悪く言ったから………お父さんは関係ない………嫌いって言ったら……泣きながら部屋に篭った………。」
「可哀相に………。」
今度は真夕に全く似ていない日本刀を持った真夕の父親が自分の部屋で泣いているのを想像した。………うん、本当にすいません流さん。
「つまり真夕は……。」
「………んっ、お泊り……翔君と一緒………。」
真夕はそういうと翔にギュッと抱き着いて、キスを請う様に眼を閉じた。……相変わらず甘え上手な先輩である。翔からは何も言う気が失せてしまった。
「……んっ……翔君………大好き………。」
「ああ、俺もだよ。……突然来たのには驚いたけど。」
「………ごめんなさい……やっぱり……迷惑………?」
「………いや、爺ちゃん達も喜んでるみたいだし。一番の不安の優が何だか知らないけど承認ムードだし。………俺としても、真夕と一緒に居られるのは嬉しいよ。」
「翔君………♪」
不安そうにしていた真夕の表情は、翔が嬉しいと言った瞬間、ぱあっと華やいだ。翔にしても何とも嬉しい反応である。真夕はここまで自分を好いていてくれているのだ。そして真夕が滅多に見せない幸せな笑顔を、翔の前でしか見せないと分かっているからなおの事嬉しくなってしまう。
「……翔君……もっと………。」
「甘えん坊だな、真夕は………って、うわぁっ!!」
もっともっと、とおねだりを始めた真夕の髪を梳きながらそれに答えようとした瞬間、殺気混じりの視線を感じて翔は部屋の入口の方へと視線を向けた。
「そろそろ降りてきてくれないかしら? ………全く。」
「ゆ、優!? びっくりした………気配がしなかったぞ。」
「だって邪魔しない様に気配を消して入ったんだもの………我慢出来なかったけど。まぁ、真夕先輩は私が居る事に気付いてたみたいだけど? 良い性格してるわね。」
「………気付いてなかった………。」
「ふぅん、そう? 取り敢えず、下に来てちょうだい。お爺さんと森羅さんがホクホク顔で待ってるから。」
「…………了解。」
優はそれだけ言うと、何事も無かったかの様に部屋から出て行った。………しかし、進達の笑顔が容易に想像出来てしまって、正直今話しをしたくない。まぁ、そういうわけにも行かないだろうが。
「行こう、真夕。」
「………ん。」
真夕は翔の言葉に頷いて、ちょっと名残惜し気に翔から離れた。………取り敢えず、新羅さん辺りも今回の件に関与してそうだし問いただしてみた方が良さそうだ。
「そうだよ。うん、私が呼んだの。」
「新羅さん………思いっきり主犯でしたね。」
「えー良いじゃない。真夕ちゃんは翔坊君がいないと寂し過ぎて、翔坊君の写真を抱いてないと寝むれないって聞いたわよ? 可哀相じゃないの。」
「………そうだったのか?」
コクッ
真夕は聞かれると、赤くなりながら俯いて、頷いた。俺の写真がないと眠れないって………何だろうかこの可愛い生物は、保護するのは彼氏の義務だ。新羅さんの判断は正しかった。余りにいきなり過ぎて驚いたけど。
「まぁ出来れば先に伝えておいて欲しかったですけど、真夕が泊まるくらいなら別に………。」
「え? 泊まるんじゃなくて住むのよ?」
「ああ、そうなんですか。住むくらいで別に………は?」
「何じゃ、翔坊勘違いしておったのか。」
「………翔が悪いんじゃないと思うけど?」
新羅の切り替えしに言葉を無くした翔に、進がお茶を啜りながら呆れた様に言い、優も何となく疲れた様に呟いた。
「え……住むって。」
「ほら、さっき家の前で真夕ちゃん言ってたじゃない。『これからはずっと一緒』って。」
「………そういえば、そうでしたっけ。」
「…………翔君、嫌……?」
ニコニコ顔の新羅と進を見て、確信犯だと翔は気付いたが直ぐには言葉が出なかった。………別に翔自身嫌だと言う訳ではないのだが………。
「ほらほら、真夕はそんな顔しないでくれ。嫌な訳はないよ。真夕と一緒なのは嬉しい。………ただ、今回のはあまりにも唐突過ぎて驚いてるだけだよ。」
「なんじゃ、新羅と優ちゃんが住むようになっても特に何も言わなかったのに今更。」
「そーそー、家計の事も心配要らないわよ? 今更一人増えるくらい良いじゃない。私の時なんて翔坊君に何も言わなかったし。」
翔が溜息をつくと、進が苦笑しながらそういって答えるように新羅が相槌をうった。………何も言わなかったって胸をはられても困るんですが……。まぁ、二人の言う事はもっともだ。
「そういえばそうだな、二人の時は目茶苦茶自然に受け入れちゃった気がするけど………。」
「翔は優しいから、無意識の内に私が一人暮らししてたのを気にしてくれてたのよね? ………もし、翔が迷惑なら出ていくけど。」
「………おいおい、出て行くとかそういう話は無しにしようぜ? 俺は優も真夕先輩も迷惑なんて思ってないよ。新羅さんも爺ちゃんが二人になった程度にしか思ってないしな。」
「………それはそれで酷いと思うんだけど……私と進君の扱いが同じって……。不服な訳じゃないけど、私だって見目麗しい女の子何ですからね。」
翔が優が同居し始めた頃の事を思い出していると、優がちょっと不機嫌そうな表情で言った。翔が苦笑しつつ優を宥めるように言うと、新羅がちょっと複雑そうな顔をしたが、優も真夕も安心した様な表情で笑った。それを見た進は心底面白そうに微笑み何度も頷いた。
「流石、わしの孫だけあるの。」
「そういう評価は止めてくれないか………?」
………とは言っても、もう進の事は何も言えないかも知れない。今日の朝、優が翔を受け入れてくれて六人。………何だか今まで進に抱いていた『仕方がない人』と言う感情をそのまま自分に抱いてしまいそうになる。
「………えっと、何の話をしてたんだっけ?」
「真夕ちゃんがこっちに住むって話じゃない? 部屋はないから優ちゃんみたいに翔坊君の部屋で良いわよね。まぁ、魔法で空間に空間を織り込めば直ぐに部屋は用意出来るんだけど………。」
「………翔君と……一緒が良い………。」
「ふふっ、そうよねー真夕ちゃんは片時も翔君と離れたくないわよねー♪」
「………優、痛い。」
「我慢して、翔。翔の好意が他に向いてると思うとやっぱりちょっとムカつくのよ。」
優の指が思いっきり翔の二の腕を抓る。かなり痛い。………理不尽………いやまぁ自業自得なのだが、やっぱり優は優だ。だからこそ優が真夕や他の皆の事を認めたのが信じられないくらいなのだが。
「真夕先輩の事もあるのは分かるけど、私の事も蔑ろにしないように。」
「ああ、言われなくともそのつもりだ。優の事だって………真夕と同じくらいに、俺は大切に思ってる。」
不機嫌モードの優に真面目にそう答えると、直ぐに二の腕の痛みが無くなった。翔は優の表情が気になって優を見たが、翔の視線に気付いた優は直ぐに顔を背けてしまったので表情は見えなかった。仕方がないので、翔も騒がしい真夕達の方へと視線を移した。だからその瞬間、優の方を見ていた者は誰も居なかった。
「真夕先輩はテーブルの片付けをお願いします。こっちは私がやりますから。」
「うん………分かった……。」
「やっぱり幸せ者ね、翔坊君は。こういうのを見てるとしみじみと思うわ。」
「俺が幸せ者なのは否定出来ませんが………って何してるんですか?」
「翔坊君の子供の名前をお母さんになる子ごとに分けてるの。ほら、明確な相手が出来た御蔭で候補を挙げやすくなったし。」
「新羅、この夕月っていうのは優月に変えて優ちゃんの子供(女の子バージョン)にした方がいいんじゃないかの?」
「………またあんた達は勝手に……。」
真剣な顔でリストに候補を書き出している馬鹿ップル(そのままの意味で馬鹿なカップル)にウンザリしつつ、翔はテーブルに突っ伏した。いい加減注意するのも疲れてきたし放って置こうと思っていたのだが、こうも隣で騒がれたのでは気になってしょうがない。
真夕は元々新羅と暮らしていただけあって、あの後皆で雑談をしたりのんびりと休日を過している内に直ぐにこの家の雰囲気に打ち解けた。人付き合いが苦手な真夕なので以前家に来た時に会っていた進はともかく、認めてくれたとはいえ元々翔独占主義の優との事を心配したりしたのだが、優は普通に協力的だった。実際今作ってくれた少し早めの夕食は二人の合作(いつもなら手伝っている新羅はリスト作りに夢中だった)でとても美味しかったし、食事中の会話を聞いても、昼間よりずっと打ち解けている様に感じた。今も二人で仲良く後片付けをしている。翔としても一番心配していた事があっさり解決したので喜ばしい限りだ。優が朝にしてくれた翔の周りの環境への了承があったからそこまで酷くなることはないと思ってはいたが………真夕が翔に、あーんをしたりとか膝の上でキスのおねだりをしたりとかすると強い殺気を感じるのは翔の気のせいではないだろう。
「そうだ翔坊君、私達忙しいから先にお風呂入っちゃってくれる? 一人増えたんだし、効率よく入らないといけないしね。」
「まぁ構いませんが………忙しいってそんな気の早すぎる事今やらなくてもいいんじゃ……。」
「あら、そんな事ないと思うけど? ねぇ、進君?」
「そうじゃぞ翔坊、備えあれば嬉しいのじゃ。」
「………はぁ、もういいです。じゃあ先貰いますよ。」
真面目な顔をして新羅の言葉に頷いた進に、もう何を言っても無駄だと翔は悟った。そもそも進と新羅は別に翔の事をからかっているわけではないのだ。………真面目にやっていればいいのかと言われれば疑問だが、特に実害があるわけではない。と、そんな事を考えて自分に言い訳をしながらリビングを出て脱衣所に向かった。素早く脱衣を終えると、洗濯籠に纏めて放りこみ風呂場に入る。そのままシャワーを浴びていると、ふと真夕が優の手伝いをしていた光景を思い出した。
優が来るまでは家事は翔と進が共同でやっていたのだが、最近は優と新羅が家事を全て請け負ってくれている。………無論、最初は翔も手伝おうとしていたのだが………洗濯物を取り込んでいた時に優が自分の下着をその中に発見し、『えっち。』と一言だけ言ってそのまま手伝ってくれたことがあり、とてつもなく恥ずかしい思いをした。しかも微妙に優の下着を翔に回してくる率が高くて拷問に近い心境を体内時間で一時間くらい味わった。他にもデリカシーに気をつけながら手伝える事はあるのだが、それ以来、女に家事の全てを任せるのがこの家の掟の様になっていた。当人もやってて楽しいと言っているので問題ない。そう、決して優と一緒に家事をするのが気まずくなったからではないのだ。………まぁ、問題の出来事の後に温かい笑みの新羅と進が肩に手を置いて何度も頷いて来たのは少し心の傷になったが………。
「これからは真夕も住むんだし、そういう所も気をつけなくちゃいけないよな………。爺ちゃんはそういう所に気を使うの上手いからなぁ………はぁ、なんでそういう所が似てくれなかったんだろ。……まぁ、真夕の御蔭で優と新羅さんの負担が減るのは嬉しいけど。」
「………ん、翔君の……お世話は任せて………。」
「ああ、俺のお世話を宜しく……………え?」
「………じゃあ、お背中をお流しする………。」
その場所に不似合いな、いや、ある意味では合っている声に振り向いて、翔は絶句した。………いや、正直この展開は考えなかったわけじゃない。いままで優がやらなかったのが不思議なくらいだし、真夕は俺とベタベタとしたスキンシップをするのが好きみたいだからその内やるだろうなーとは思っていた。だが、今回はちょうど不意をつかれた。
「ま、真夕………さっきまで優の手伝いをしてたんじゃ………。」
「………優ちゃんがもういいって………だから私は翔君とお風呂………。」
真夕はそう言って翔の前で膝立ちになった。真夕の手にはタオルが握られていて洗う気満々と言った風だ。………いや、もうこの際細かい事はいいんじゃないだろうか? 自分も真夕の彼氏なんだし、真夕の気持ちを考えればここでうろたえるのは可哀想だ。それに真夕が尽くしてくれる事は嬉しいのだし………正直この展開を予想していたのだって、自分自身期待していたからという部分もあるのだ。うん、細かい事を気にするのは止めよう。真夕が全裸なのに猫耳は付けたままなのも些細な事だ、些細な事些細な事些細な事些細な事些細な事ササイナコトササイナコト………。
「………あんまり見つめられると……恥ずかしい………。」
「うっ……、ご、ごめん。」
「…………ううん……そのつもりでタオル付けなかった………こんな事するの………翔君だけ…………恥ずかしいけど………翔君なら………見られてもいい……。」
真夕は顔を真っ赤にして俯いてしまったが、恥ずかしそうに少し身を捩っただけだった。真夕の言葉に暫く呆然としてしまった翔だったが意味を理解すると急に顔が熱くなってきた。
「………それじゃあ…………。」
「あ、ああ………お願いします。」
真夕がタオルにボディソープを付けてくしゃくしゃと泡立て始めたので翔は真夕に背中を向けてそう言った。くしゃくしゃという音が後ろから聞こえなくなると、翔の背中にタオルが当たった。
「んっ……しょっ……よいっ……しょっ…………どう……?」
「うん、いい感じ。」
「……よかった…………んっ……。」
翔が照れながらそういうと、真夕は嬉しそうな声色でそういった後、一生懸命に背中を洗い始めた。しかしこれは………なんだか凄く気持ちが良い。真夕が一生懸命なのが凄く伝わってきて頬が自然に緩んでしまう。とても幸せな気持ちだ。……そういえば、背中を流してもらっていて眠ってしまったという話をどこかで聞いたけど………うん、これなら納得してしまうかもしれない。
「………翔君の背中……おっきいね………。」
「……そ、そうか………疲れないか?」
「………大丈夫………なんだか……安心する………。」
真夕はそういってタオル越しでなく、じかに背中を優しく撫でた。突然の柔らかい感覚に翔は一瞬に体を浮き上がらせてしまった。
「………翔君………くすぐったかった……?」
「いや、ちょっと驚いただけ……。」
「…………翔君………。」
「えっ?」
真夕の呼びかけに翔が答えるより先に、今度は背中全体に柔らかい感触が広がる。翔はそれが何かを確かめる必要はなかった。そして、真夕の腕が翔に回される。翔は驚いたが、真夕の雰囲気がふざけた物ではない事を感じて真剣な顔になった。
「真夕、どうしたんだ?」
「………翔君……あったかい…………今は……私の………私だけの翔君………。」
「……………。」
翔を抱きしめる腕に力を込めた真夕を振り返ると、眼を閉じて、背中越しに翔の心臓の音を聞いているかの様だった。翔は、真夕の行動の理由を直ぐに察した。
「そうか………ごめんな………寂しい思いさせちゃったな。」
「………うん…………ぎゅっって………して。」
真夕が力を少し緩めたのを見て振り返り、真夕の体をぎゅっっと抱きしめた。真夕はされるがまま抱きしめられ、翔の胸に頬ずりをした。
真夕を受け入れてから一週間になる。それから自分は何もしてあげられていない事を今更になって思い出すなんて……最低だ。自分が一人を選ばない事を考えたのは琴だと言っていたが、真夕は一番最初に自分の事を思い、伝えてくれて、一番最初に自分を受け入れてくれたのは真夕だ。いままで真夕に甘えすぎていたのかもしれない。きっと自分が真夕を大切に思っている以上に、真夕も自分の事を愛してくれている。だから琴のあんな提案を呑んだのだ。………それは何よりも俺の幸せのために。………真夕や琴、それに他の皆の事ももっと考えてあげなくてはならない。それが自分の責任なのだから。
「ありがとうな、真夕。真夕がいてくれたから俺は前に進めたんだ。真夕がいなかったら、きっと誰も選べずに、ずっとそのままでいたと思う。」
「………翔君…………壊れるくらい……沢山……愛して……甘やかしてほしい…………一緒の時は………ずっと………翔君に溺れたい………翔君でいっぱいに………なりたい……。」
「……ああ、わかった。真夕……愛してるよ。」
「うん………私も……大好き………翔君……。」
真夕はそういうとキスを強請るように眼を閉じる。翔は真夕を抱きしめる腕を強くして真夕にキスをした。そして、今度は体を擦りつけておねだりを始めた。
「……翔君に……抱っこされたい………。」
「……いいよ、おいで。」
「……うん………。」
翔の返答に真夕が微笑むと、翔はしなだれかかる真夕をお姫様抱っこの容量で抱えあげ、自分の組んだ足の上に座らせた。優しくキスをすると、真夕は体からだんだんと力を抜いていき、完全に翔にもたれかかるようになった。何度もキスを繰り返し、真夕の瞳は完全に蕩けたようになっていく。そして唇が一度離れると真夕は翔にもたれかかったまま唐突に翔の体を何度も舌で舐めた。翔はそんな真夕の行動に驚いたが、直ぐに甘えているのだと理解し、代わりに頭を撫でてやる。
「そういえば……真夕は風呂でも猫耳を外さないんだな……?」
「………うん……外れない………琴に魔法で………。」
「ああ………そういえばそんなこと言ってたな……。」
真夕は頭を撫でられると気持ちよさそうに眼を細めた。……なんだか本当に猫のようだ、琴の見る目(?)は正しかった。今までは真夕を撫でる際にはあまり猫耳を意識していなかったのだが………なんとなく興味が沸いてきた。
「触ってもいいかな?」
「……うん………翔君の好きにして……。」
なんだか艶が出てきた真夕の声に心臓の鼓動が速くなった様に感じる。……無論、真夕がここに入ってきた時からなのだが……いや、気にするのは止めよう、なんだか顔が熱くなってくる。
「それじゃあ………………あれ?」
「………あ。」
………取れた。一つ取れると同時に取れる仕組みになっていたらしく、翔の手の中にないもう片方は真夕の眼の前に落ちた。うーん、こんな簡単に取れちゃうなんて………。
「………魔力切れか?」
「……………。」
「……真夕、どうしたんだ?」
真夕はじっと落ちた猫耳を見つめ………翔の方に視線を戻した。
「……………………どっちがいい……?」
「……はい?」
「……あった方がいい………?」
「…………………えっと………。」
これはつまりあれだろうか、いや、どう考えてもそうなのだろうが………猫耳が着いていた方がいいかどうかという事だろうか? ………………どう答えればいいんだろうか?
「………やっぱり、今まであった物が急になくなると………でも、今まで付けてたしたまには外しておくのもいいかな………うーん……。」
「………そんなに迷わなくても………。」
いや、これは悩む。確かに猫耳がなくても真夕は可愛い。滅茶苦茶可愛いと思う。でも真夕の猫っぽい動作に猫耳が加わるとなんとも言えない物があるのだ。……やっぱり、変わらないのも大事だと思うんだ、うん。
「寝る時とかお風呂の時以外は付けてていいんじゃないかな?」
「………わかった……そうする…………でも……。」
「……でも?」
猫耳を拾い上げてまた少し見つめると、真夕は小首をかしげながら言った。
「………お風呂………えっちの時……付ける………?」
「…………………………。」
「………翔君……あたってる…………。」
「……我慢してたんだよ。」
「………んっ………翔く……ちゅっ……むっ……あっ、んっ……。」
翔が照れ隠しに真夕をぎゅっと抱きしめると、真夕はほんのりと顔を赤らめて体から力を抜いた。そのまま赤くなっている真夕にキスをして、されるがままの真夕の口の中に舌を入れた。真夕もそれに応じるように翔の舌を吸って……一度、唇を離した。
「……駄目だな、今日は真夕を甘やかそうと思ってたのに……。」
「んっ……いっぱい……甘やかして………滅茶苦茶に………して……? ……翔君のって………沢山印………付けてほしいの…………。」
真夕のとろとろの笑顔で言った言葉に、翔は心の中で溜息をついた。真夕がここで暮らす事になって、恐らく一番嬉しいと思っているのは自分だろう、と。
−−−−−−−−−−−
「………翔君………寝ちゃった………みたい。」
「ええ、翔は寝付きがいいですからね。女の子二人が添い寝してるのに何もしないのは失礼だと思いますけど。」
「…………疲れてたのかも………。」
「翔はいつもこの時間に寝ちゃいますよ。真夕先輩が来たせいじゃないです。まぁ、お風呂を二時間近く占拠するのは止めた方が良いと思いますけど。何をしてるか丸分かりですから。………翔から求めたのなら何も言わないけれど。」
優は翔を挟んで真夕と向かい合いながらそういって、真夕の顔を真っ赤にさせた。進と新羅も二人を待っている間にボードゲームをやりつつ『『仲が良いなぁ♪』』なんてニヤニヤしながら言っていた。あれは完全にバレているだろう。
「………あれは………ごめんなさい………。」
「謝る事なんてないですよ。モヤモヤしたのは確かだけど、翔に甘えちゃう先輩の気持ちも分からなくはないし。私も、初めての時は翔から求めて欲しいと思ってるから誘わないだけですから。先輩がいて誘い難くて迷惑なんて事はないですし、翔は愛されたがり屋だから、先輩みたいに甘える子は翔にとっては苦じゃないはずですし。」
「………翔君の事………いっぱい知ってるんだ………。」
「あら、当たり前じゃないですか。私の眼は、昔からずっと翔だけに向けられてるんですから。」
翔の腕を抱きながら視線を送ってくる真夕の無表情な中に、少しの嫉妬が混じったのを、優は直ぐに感じ取った。
「………翔君とは………いつ会ったの……?」
「小学校に上がる頃ですよ、それからはずっと一緒でした。」
「……そうなんだ………。」
真夕は視線の色を変えずにそう答えた。優はそれを受け止めながら仄かに笑みを浮かべ、その表情を眺めていた。そして次の瞬間、優の雰囲気が変わったのを真夕は敏感に感じ取った。
「……優ちゃん………?」
「……私や美里達に嫉妬するのは構いませんが………皆一緒にっていうのは貴方が最初に言い出したんですから、きっちり守ってもらわないといけません。独占したい気持ちは抑え込んでもらわないと。」
「………独占する気はない…………。」
「ふふふっ、嘘ばっかり。」
「………私は、翔君が望まない事をする気はない………。」
「………随分舐めたこと言うじゃない? 本当は思った通りに独占できなくて内心焦ってるのに。それに貴方は、好きでもない癖に自分の安心出来る居場所が欲しくて翔を求めてるだけでしょう? 私知ってるのよ? 迷惑なのよね、そういうの。」
優の発言に真夕はほんの少しむっとした表情になった。優はそれをまるで蔑む様な視線で返し、小さく鼻で笑った。それを聞いた真夕の視線は仇を見るような棘のある物となる。そして次の瞬間、優の姿が翔を挟んだ向かい側から消えた。
「えっ………!?」
「そんな眼をするのね? 私は何も間違ったことは言ってないはずよ? それとも、図星をつきすぎてたかしら。」
真夕は眼の前から消えた気配が自分の真上にある事に気付き、絶句した。優は真夕の顔の横に手をつき四つん這いになって真夕を追い詰める様に微笑んでいた。とはいえ、眼はまったく笑ってなどいなかったが。
「ど、どうやって………さっきまであそこに寝てて………。」
「あははっ、貴方の本気で驚いた顔初めて見たわ。いつもいつも表情隠してるし、余計な力を持ってるせいで人に慎重になってるものね? 臆病な所、話し方からも簡単に読み取れるわ。貴方は魔夜みたいに明確なテレパシーが来る訳でも、美里みたいにただ悪意や気配に敏感な訳でもない。二人の中間みたいな感じらしいわね? 人の深層にある悪意まで汲み取っちゃうなんて、どんな気持ちなのかしらね。美里は悪意だけでなく良心にも敏感だし、そもそも意識した悪意しか汲み取れないみたいだけど、貴方のはまるで、人を信用出来ない様に無理矢理調整されたみたいな力ね。」
「………それ、なんで………知って………。」
「そんなに驚くことでもないでしょう。昔、新羅さんから聞いたのよ。表界の別荘に久しぶりに戻ったら面白い家族が住みついてて、そこの娘が珍しい体質を持ってるって。私とあの人は古い知り合いなのよ。」
「………お婆様が………ぐっ………!?」
驚きで一瞬怒りの感情が隠れた真夕に、優はいつもと変わらない表情でそういうと、翔が寝ている方とは逆の腕を真夕の首に当てて力を込めた。接近からそこまでの動作に、真夕は全く反応出来なかった。翔の隣で寝ていたのに一瞬でこんな体制になるのだから恐らく魔法であろうと予測は出来たが、魔力の残滓も感知出来ず、どんな種類の魔法であるのかも分からなかった。今の首を絞める行動も、まるで始めからそうしていた様な違和感を感じた。それはつまり、何も反応出来なかったという事なのだが。
「貴方の体質には同情しないでもないわ。でも、私貴方の事は大嫌いなの。素直な翔の心につけこんで騙そうとしたんだもの。私は全部分かってるのよ? 貴方がどういうつもりで翔に選ばなくても良いっていったのか。………選ばない事を選ばせたのか。」
「………なっ………にをっ………!?」
「琴先輩が話を持ち掛けたのなんて、本当は切っ掛けに過ぎないんでしょう? ………翔は誠実でちゃんと道徳的な思考が出来るな子だもの。翔も一度は貴方の言葉に従っても、後でちゃんと考え直して恋人を複数人持つなんて倫理的に問題がある行動は否定する。貴方はそう考えたんでしょ? だから一番最初に告白して、翔に処女をあげた。そうすれば翔が考えを改めた時、貴方を選び易くなる。そうなれば結果的には翔を独占出来るものね。」
「………それはっ………そんなこと………っ!!」
優が冷ややかな視線で真夕を見つめながら淡々と話す下で、真夕は足に魔力を溜め、優の腹部目掛けて蹴り上げた。優は避けるそぶりも見せず、真夕の蹴りを食らった。だが………。
「………えっ………!?」
「ねぇ、私今凄く大事な話をしてるのよね………真面目に聞いて欲しいんだけど?」
「………そんな………なんでっ………。」
真夕も決して手加減をした訳ではなかった。先程の魔法らしき行動で力の差がある事は分かっていた為、全力に近い魔力で攻撃したはずだった。優の態度に身の危険を感じての行動だったが、一瞬躊躇してしまうくらいの力を込めた。そしてその一撃は確かに当たったはずなのだ。………だが、何故か優に当たった手応えは全くなかった。防がれた形跡はなく、体術で上手く受け流した様子もない。足に溜めていた魔力だけが霧散していた。
真夕が呆然としていると、優の首を絞める力が急に強くなった。
「……かっ……あっ………。」
「本気で何かされると思ったみたいね。安心して、貴方に大人しくなって欲しいだけ、翔の物を壊すつもりはないわ。………ああ、でも、少しくらいは良いかも知れない………。
「………い、いやっ………離し……てっ………。」
「なら、私に嘘はついちゃ駄目よ? ごまかすのも駄目。」
優の腕を掴んでもがき始めた真夕にそういうと、優は力を弱めた。
「けほっげほっ、けほっ。」
「ねぇ、翔の傍にいると楽でしょう? 貴方みたいな人にとって翔の傍は世界で一番安心出来る場所ですものね? 翔からは悪意を感じないでしょうから。」
「けほっ………それは………。」
「隠さなくても良いのよ? 美里だって翔の傍に居たいと思った理由は貴方と大差ないもの。とはいえ今は、翔自身に魅力を感じて本気で好きになってるみたいだし、あの子については何も言うつもりはないけどね。貴方と同じで翔に依存癖があるみたいだから、翔を裏切る事もないでしょうし。命との事もあって翔が複数人と関係を持つことにも賛成みたいだし。本当、都合のいい女。」
「……………。」
「私には許せないものがあるの。翔を害する奴、翔を道具みたいにする奴、翔の気持ちを利用しようとする奴。そんな奴らには翔に近付いて欲しくないのよ。………ねぇ、渚真夕さん。さっき私が言った事、ハズレてるかしら?」
「…………………。」
「………答えなさい? それともさっき私が言ったこと、冗談じゃないってまだ分からない? 折角後が残らないやり方で教えてあげたのに。」
真夕の沈黙を優は許さなかった。真夕は優から眼を逸らし、唇を噛んだ。
「…………優ちゃんの言った事は………間違いじゃない………翔君の傍は………凄く安心する………翔君に近付いたのも………元々……澄ちゃんの事だけじゃない………私の居場所を作りたかったから…………それは、間違ってない。」
「………そう。」
優は真剣に真夕に向き合ってそれだけいった。真夕は観念した様に眼を伏せて優の質問に答えた。うっすらと涙を浮かべながら、嫌な事を思い出すように。
「………私だけ………見てて欲しかった………私から離れない様に………でも………それだと翔君………受け入れてくれないって思って………だから………。」
「…………なるほどね。」
泣きそうな声で話し続ける真夕に、優は眼を細めた。真夕はそこから明確な何かを感じ取る事が出来なかったが、複雑ではない、きっと一直線な感情が込められていたのだろう事だけが分かって、少し困惑した。何故そんな眼で見るのかと。
「貴方は、安心出来る場所が欲しいのね。その力に振り回されないように。」
「………うん………。」
「………今貴方の望む人は世界に翔しかいない。でも、貴方が望む独占出来る、安全な居場所を用意出来る力が私にはあるわ。」
「…………え………?」
優が言った言葉を真夕は理解出来なかった。真夕には優の言っている事が矛盾している様に聞こえたからだ。優は続ける。
「言葉の通りよ。貴方の望む物を私は与えてあげる。簡単に言えば、貴方のその体質を消すのよ。そうすれば貴方が言う居場所はいくらでも手に入る。ただ、翔からは離れて貰うけど。」
「………た、体質を………消す………そんな事出来るの……? ……それになんで翔君から………。」
「だって、そうなれば翔でなくても良いでしょ? その体質がなくなれば翔にこだわらなくても不快な気分にならないわよ? 翔から悪意が感じられない理由は言えないけれど、そうなれば条件は同じでしょう。まぁ、完全に離れなくてもいいけど、翔に今までの事を話して、別れて貰うわ。別に良いでしょう、翔自身に興味があるわけでもないみたいだし。」
「………それは…………。」
優の言葉を受けて沈黙してしまった真夕に、優は優しく微笑みかけた。
「翔の事好きでもない人に、そこにいてほしくないの。もし貴方が翔の傍にいる必要がなくなったら、そんな事になったら、翔は後で凄く傷付くわ。取り返しのつかない事になるかも知れない。でも今ならまだ大丈夫。まだ………大丈夫だから。」
「………翔君が………取り返しが………つかない………?」
優がそういってチラッと翔の方を見たのに真夕も気が付いたが、何の事だか想像も付かなかった。ただ、優の翔へ向ける憂いと好意の視線の純粋さに、何かぞっとする物すら感じた。
「渚真夕さん、翔から離れてくれますね?」
「…………………。」
「………黙っていては分からないですよ? ああ、なんなら翔から離れた後の事も任せて貰って良いですよ。」
「…………や………だ………なんで………。」
「……何が嫌なんです? 貴方は翔自身に何を求めてるわけでもないでしょう? はっきり言いますが、翔より性格も格好もいい人間なんて沢山いますよ? 他の皆の様に翔でなければならない理由なんて何もないはずです。………貴方が後で心変わりする可能性が一番高いんですよ。」
目の前にいる優は微笑んではいるが、真夕には今まで見た事のない表情だった。だが、悪意は感じられない。でも、それ以上に狂気に近い物を感じる。頷くのを促す様に、優は動いていないのに、何かが迫って来ている様な…………。だが、そのプレッシャーは次の一瞬で弛緩した。
「…………えっ………?」
ぎゅっ
「……あっ………翔……君………。」
「…………。」
いつの間にか真夕が掴んでいた翔の手が、真夕の手を握り返した。真夕の視線が移動し、優もそれに気付いたようで、その後暫く沈黙が続いた。真夕は翔に握り返された手に応える様に何度も握り返す。………なんだか、さっきから苦しかった理由が唐突に分かってしまった気がする。
「………嫌………翔君と離れるのは嫌………離れるくらいなら………このままでいい………このままがいい。」
「………答えを出すのに迷うようでは不安です。翔の何が良いんです? 翔は貴方だけを見てくれるわけじゃない。もっと幸せになれますよ?」
「………翔君は優しいの、私が本当にお願いした事は全部叶えようとしてくれて………でも、私の事構ってくれなくて………寂しいと、気付いてくれて………ぎゅって………今も………好き、大好きなの……ごめんね………翔君………好きなのに………好きって沢山言ったのに…………自分で気付いてなくて………ごめんね………今日も……来てくれて嬉しいって……言ってくれて………嬉しかったのに………好きだから……なのに………迷って………他の人なんて………気持ち悪いの………嫌なの………自分ばっかり………好きって………言って欲しくて………自分だけ………ごめんね………翔君………私は翔君も信じられなかったのに…………優しくしてくれて………大好き………。」
真夕は翔と繋いだ手を顔まで持ってきて、泣きながら頬擦りした。真夕は優の存在すら意識の外に追いやってしまったように、優には理解出来ない言葉の羅列をひたすら翔へと送っていた。そして、何故か優の表情は苦々しく歪んだ。それは何となく、自分へ向けられた物の様な感じがする表情だった。
「…………最悪…………。」
「………優……ちゃん………?」
優の呟きに気付いた真夕が優の方を見ると、表情は既に元に戻っていた。
「翔への気持ちを信じる変わりに、貴方の体質はもう治さないからそのつもりで。それとその内タイミングを見て、貴方の体質と一緒に貴方がどういうつもりだったか翔に全部話すこと。後々体質だけバレた時に遺恨が残る可能性があるから。………それと、翔に嘘は付かないでね、お願いだから。」
「……分かった………ありがとう………。」
「別に感謝される様な事してないわ。私は貴方に無理矢理取引を持ち掛けたんだから。」
「………でも……私が翔君を裏切ってたのは………事実だから………気持ちにも………整理がついた………。」
「そう。なら、よかったわ。私は貴方が翔を独占しようとすると色々と拗れるから止めて欲しかった。そうなるくらいなら貴方を翔から遠ざけたかっただけだしね。」
優が真夕の謝罪と感謝に素っ気なく返した次の瞬間、優は元居た翔の隣へと戻っていた。暫くすると、その部屋に静かな寝息が二つ増えたのだった。