第57話:小波家
「翔殿、部屋に入る前に言って置くべき事があるんだが……。」
「もしかして、いきなり日本刀で斬り付けられたりするのか? それなら2度目だし多分なんとかなるぞ。」
「いや、そういう危険な類ではなく父親の事でな……。と言うよりなんでそんな経験があるんだ。」
翔の予想を否定して、命はなんだか疲れたような顔をして溜め息をついた。
二人は今、廊下と部屋を隔てている襖の前に居る。実際は中から影が見えないように少し離れた場所であり、そこで話込む翔と命を見て、女中さんが何やら話にピンク色の花を咲かせているが、それは大して重要ではない………わけではないが、今は放って置く。
問題なのは、その襖が仕切っている奥の部屋だ。誰がいるのかと言えば、勿論、命の両親だ。
「その、えっと、つまりだな……頭が少し、いやかなりおかしいと言うか。ネジが全部抜け落ちてると言うか……。取り敢えずは父の言葉をまともに受け取らないで欲しい。」
「……酷い言われようだな………。まぁ分かった、そうするよ。」
翔が苦笑しながら頷くと、命は満足したように頷き、翔に眼で合図してから声をかけた。
「お父様、翔殿を連れて参りました、入ります。」
「初めま『よく来てくれたあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!!』……して……。」
ガバッ!!
中に入ると、いきなり赤い髪の男が抱き付いて来た。見た目の年齢は三十前程度に見える程に若々しく、恐らくはこの人が命の父親なのだろうと翔は推測出来たが、ハッキリ言って男に抱き付かれても全く嬉しくない。翔はそう思いながら抱き付いて来た本人に顔を向けた。
「………あの、苦しいんですが……?」
「え? なんだい? パパと呼んでくれていいんだよ?」
「いや、あの……。」
命が翔の隣りで溜め息をつく。なるほど、ネジが抜けていると言うのは的を射ている表現だ。しかしこの世界には、美少女の父親は頭がおかしくなくてはいけないと言うルールでもあるのだろうか? 一番まともな澄と琴の父親でも男を娘と同衾させたがるような人だ。
「お父様っ、あまりはしゃがないで下さいっ!! 翔殿が迷惑しているじゃありませんか……。お願いですから恥を晒すのは御止めください……。」
「えー……。だってさ、ママ。命ちゃん冷たいよね?」
「ふふふ、照れているんですよ。篠原君、ごめんなさいね? この子今迄浮いた噂もなくて、美里ちゃんと婚約するんじゃないかって言われてたくらいなのよ。だからこの人も舞い上がっちゃってね?」
恐らく命に美貌を与えたのであろう妙齢の夫人はそう言って笑った。黒髪長髪な所を見ると、命の髪の色は父親譲りらしいが、雰囲気や顔立ちは母親の方から受け継いだのだろう、翔はふとそんな事を思った。
「とにかく、これでやっと私達も安心出来るわね。ふふふっ、命ちゃんの事宜しく頼むわね♪」
「お、お母様っ!! 先程から何度も言っていますが、わっ、私と翔殿はそんな関係ではっ……!!」
「そういえば九条院の方も、美里ちゃんの婚約者が決まったとか騒いでたなぁ、合同結婚式とか企画してみようか。」
「あううっ……。」
まるで話を聞かない両親に命は半分諦めたようにうなだれている。父親もそうだが、翔から見れば母親の方もそうとうアレな人だ。しかしまぁ、命が美里とと言うのは納得。
「はぁっ、お父様。」
「なんだい? そんな溜め息なんかついて。寛大な親としては夜に部屋から大きな声が聞こえたとしても聞かぬフリを決め込むのもやぶさかではないから安心してイチャつきなさい。」
「い、いちゃっ!? ……い、いや、そうではなくてですね……。」
命は、ニコニコと言う擬音がピッタリな笑みを浮かべる父親に多少諦めを覚えながら表情を暗くした。
「今お父様がおっしゃった九条院で騒がれてる婚約者と言うのは翔殿なのです。」
「…………なんだって?」
命がそういうと空気が一瞬固まった。父方だけでなく、母親の方も驚いたように翔を見ている。
「本当なのかい?」
「えっと、まぁ、確かに恋人関係にありますね。婚約者云々は初めて聞きましたけど。」
固まった父親を見て、翔も苦笑した。
しかし、九条院の家の者に伝わったのがついこの前、と言うか昨日の筈なのだがもうここまで噂が尾ひれが付いて広まっているのは、なんというか、言葉が出ない。よっぽど美里に相手が出来たのが意外だったのだろうか。いや、美里をストーキングしていた事を考慮すればやはりこの夫婦のようなノリなのだろうか。
「そういう事なのでお父様お母様、翔殿は私とはそう言った関係ではありません!! 分かったのなら今すぐ結婚式場と披露宴の会場の予約をキャンセルして下さいっ!!!」
「もうそこまで話が進んでたのか!?」
「やはり善は急げと言いますからね♪」
驚愕する翔と詰め寄る命に、美貌の母親は優雅に微笑みを送る。命はそのなんの問題も無さそうな笑顔が少し、いやかなり怖かった。
「でも確かに少し困りますね。パパ、どうしましょうか?」
「法律的にって事かい? それこそ今更だろう。重婚なんて血だけじゃなく魔力って言う実利的な物まであるんだし何処でもやってるよ。多いところじゃ子供に恵まれなくて4人も妻がいるところもなかったかい? 今まで九条院も小波もやってなかったのが不思議なくらいだろう。」
「ふふふっ、相性ピッタリでしたからね♪」
「お母様、そう言う事は人前で言わないで下さい……下品です。」
「……今更なんだが、どうして俺の近くには倫理道徳を些細な事と感じる人が多いんだろう……。って全く人の事を言えないのが痛い所だよなぁ。」
翔はそう呟くと、何やら命に耳打ちしている母親と、みるみる顔が赤くなっていく命を見て嘆息した。何を言われているのかはある程度予想出来るからこっちまで恥ずかしくなってくる。
「もう真っ赤になっちゃって、命ちゃんったら可愛い♪」
「お、お母様いい加減にして下さい……。翔殿の前なのですよ!?」
「取り敢えず、ベットはダブルベットにしておかないといけないな。」
「しなくていいです!! 別の部屋があるでしょう、別の部屋が!!」
「「えぇっ〜……。」」
「えぇっ〜って……子供みたいな真似は止めて下さい……。」
肩を落す命に、二人は不満そうに唇を尖らせた。しかしすぐにニコっと笑うと命を弄りにかかる。翔は確実に楽しんでいるのであろう二人と、遊ばれている命を見て渇いた笑みを漏らした。翔は取り敢えず悪い人達ではないらしいと安心半分、気が休まりそうもないと不安半分と思いつつ、暫くして命が翔の安全の為に部屋から追い出すと、どうしようもなく苦笑が零れてしまった。