第55話:大切な人と大切な物
「此所が美里の家か……。予想はしてたけど、流石にデカいな。」
「送ってもらってすいません。今日は門限があって……。あ、次はちゃんと外泊の許可を貰って来ますからっ!!」
「いや、その許可は多分貰えないと思うぞ? 俺の方も多分貰えないし。」
あの後随分と外も暗くなったので、翔は美里を家まで送る事になった。美里への心配も大きいが、正直九条の跡取り娘に手を出したらナンパ師の方が確実に危険だ。
実際に翔が美里から離れている時に近寄って来た男は全て、一メートル以内に入る事無く気を失うという怪現象が起きた。戻って来た後美里が、『私の後ろに立つからです♪』とか言っていたが、翔は聞かなかった事にした。家の目の前まで美里を送って来ているのには、それとは別に同じ位に重要な理由がある。
「むぅ……でもぉ……。」
「ほらほら、その内な、その内。……その内ってのもかなり危ない発言だけど。」
諦め切れないように縋りついてくる美里に、苦笑しながら翔は宥めた。先程の事があってから、美里が一気に甘えに入ってしまい、ずっとこの調子だ。美里曰く、
『今日は、今迄ずっと待ちの態勢でしたので、今からは沢山甘えても良いですよね?』
という事らしいので、翔としても、家に着くまではしっかり甘やかして帰ろうと思っていた。とはいえ、美里との事情を知っている真夕や琴や魔夜にも、絶対に見られたくない状況だ。琴に見られたら確実にからかってくるだろう。嫌ではないが気恥ずかしい。
「ほら、また今度、な?」
「……う〜……分かりました、今日は我慢します。……でも、我慢しますから、最後に。」
「ああ。」
美里が翔に向かって眼を閉じると、翔は周りを見回し、誰もいないのを確かめてから、美里に軽くキスをした。定番過ぎてかなり恥ずかしかったが、なかなかこういうのも悪くない。そう思えた事に、翔は自分の中の何かが変化しているのだという事を感じた。
「……ふふっ、本当に不思議ですね。一か月と少しで、こんなにも日常が変わるなんて。」
「ああ、ちょうど俺もそう考えてた所だ……。なんだか今迄ずっと、夢を見ているみたいだなって……。」
「夢……ですか。」
美里がその言葉を聞いて、俯きかげんに眼を細めた。
「……夢なんかではありませんよ……。それに、夢だとしても、私は絶対に目覚めてやりません。貴方と過ごす安らぎは、他の何かに変える事は出来ませんから。……それが現実という物だとしても。」
「……大袈裟だな、美里は。」
「……そうですか? でも、決して一時の勢いで言っているわけではありませんよ?」
「……分かってる、ありがとな。」
美里が念を押すと、翔は柔らかく笑って美里の頭を撫でる。その様子に安心したのか、それとも手の感触が心地よかったのか、美里も同じ様に微笑んだ。
「それじゃあ俺は行くぞ、このままだと本気で美里を帰したくなくなるからな。」
「私としては、帰して欲しくはないのですけれど……仕方ありませんね。御休みなさい、翔さん。」
「ああ、御休み。」
美里が微笑みながらそう言うと、翔は苦笑をして挨拶を返した。その後、暫く離れてからふと振り替えってみると、美里がまだ門の前でこちらを見送っているのが分かり、翔はそれを見て何故か安心してしまった。その時感じた異常な程の安心感は、独占欲から生み出された物だったのだろうか。翔はそんな事を考えながら帰路についた。
「あ、翔殿。」
「あれ、命。もしかして、家がこの近くなのか?」
もう日も大分落ちていたが、なんとなく飛んで帰る気にもならず、ゆっくりと歩いていると、道角で命にばったりと出会った。
「私の家は美里の家から近い場所にあるからな。翔殿がここにいるという事は、美里を送った帰りと言う訳か。」
「ああ、でもそれだけで良く分かったな?」
翔が命の推理に苦笑をすると、命は大した事はないという様に笑った。
「今日、美里に戦闘術の練習に付き合って貰おうと連絡したら断られてな。美里が凄く嬉しそうに予定があると言ったから、これは翔殿絡みだろうと予想したんだ。」
「そうだったのか、それは悪い事をしちゃったな……。」
「そんなっ!! 別にそれ程重要な事ではないし、ただの自主練習だから気にしないで良い。それより、美里と上手くいく方が大事なんだからな。」
翔が自分との予定を優先させてしまった事に謝罪すると、命は焦ったように否定した。
「……そういえば、今はその自主練習の帰りなのか?」
「いや、練習には今から行くんだ。本当ならもっと早くに行くんだが、他にも習い事があってな。」
習い事が他にあっても自習は怠らないらしい。翔はそれを聞くと、暫く考えてから提案をした。
「……命、その自主練習に付き合っても良いか? 俺はあんまり高度な魔法は使えないし、役に立たないかも知れないけどな。」
「そ、それは私も嬉しいが……。疲れているんじゃないか? 今まで美里とデートしていたんじゃ……。」
「そうでもないぞ。誰かと遊びに行く時の疲れは気疲れが大きいらしいけど、美里と居ても気疲れしないからな。」
「……そうか、それでは御言葉に甘えて付き合って貰うとしよう。正直一人でやっても成果は上がらないし、ありがたい。」
命も、翔の提案に最初は遠慮をしたが、翔が笑いながら疲れていないと言うと、命は表情を綻ばせて首を縦に振った。
「それでは付いて来てくれ、武闘場は少し離れた場所にあるからな。」
「へぇ、武闘場が別にあるのか。てっきり今から家に帰ってやるのかと思ったよ。」
美里とも旧知の仲という事は、九条院とも仲が良いのかも知れない。それならば武闘場の一つや二つはあってもおかしくない。
「でも、どうせなら家の近くに建てれば良かったんじゃないか?」
「……それもそうなのだが、どうせなら魔力と相性の良い場所が良いと言う事になったらしくてな。今から九年前にこの周辺の公園を買い取って造ったと聞いた。やけに魔力を受け付けやすい場所だからな、これを利用しない手はない。……私は公園を買い取ってしまう様な事は反対だが、幼い時の事だからな。」
「なるほど、確かに魔力に慣れてる場所の方がいいだろうな。命の気持ちも分かるけど。」
命が不満そうに腕を組むと、翔はそれを見て、少し笑みをこぼしながら同意した。命はそんな翔の笑みを不思議そうに見つめていたが、武道場に着くと、そちらに視線を送った。
「ここがその武道場か。」
「うむ、今の時間帯なら誰もいないだろう。昼間は私の祖父の門下生が多いからな。」
命はそう言うと鍵がかかっているのを確認して、入口の鍵を開けた。
「門下生って事は、命の家は武芸を教えてるのか。」
「私の家は九条院と代々共同関係にある武術の家系だ。魔法学と武術を共に分担して発展させて行こうと言う事でな。翔殿も知っていると思うが、九条院の跡取りが美里だ。そして小波の跡取りは私と言う事になる。」
「へぇ……凄いんだな、二人とも。」
「ふふっ、そんな事はない、それをこの前思い知ったからな。」
翔が感嘆して称賛したのに対して、命はそう言って笑い、そのまま翔を中へと招き入れた。中も流石に広く、設備も調っているようで、創造空間発生装置までが完備されている。
「あの生徒会員決定戦の優殿の試合を見てな。理論上でしか存在しないと思っていた空間操作系の魔法を同級生が使うとは思っていなかった、美里も面を食らっていたしな。」
「天才の中の天才だからな、優は。優の本気ってのを俺も見た事がないし。」
翔がそういうと、命は驚いたように眼を見開いた。
「あれで本気ではないのか? 結構昔からの仲のようだから、お互いの事なら良く知っていると思ったんだがな。」
「そうだな……。そう言えば、あんまり優の事を詳しくは知らないな。最近は俺の家に住んでるけど、優の家って行った事がないし。家族についても何も知らない。」
翔の言葉に命は指を顎に当てて、考える様な、納得いかない様な、それでいて不満な様な、そんな表情を作った。
「優殿の事、気にならないのか?」
「不思議と、今迄ずっと気にならなかったんだよな。なんでだろ?」
「わ、私に聞かれても……。私だったら有り得ないからな、美里は私の大事な親友だ。昔からお互いに隠し事はあまりしなかったし、隠されると、こう……不安になるというか……。」
翔に尋ねられて美里は困ったような顔をしたが、自分と美里を引き合いに出してそう言った。
「でも良かった、美里の両親がおかしな事を言い出した時は流石に困ったからな。実を言うと、最初に翔殿に合うまでは美里が騙されているんじゃないかと思っていたくらいだ。」
「……無理ないと思うぞ? 美里はあの性格だし、オマケに美里の母親からのアドバイスは狂言としか思えない。危なっかしくて一人に出来ないよ……色々な意味で。」
先程の美里の潔癖さを思い出した翔の溜め息混じりの発言に、命は優しげに微笑んで返した。
「さて、そろそろ始めよう。創造空間発生装置を使っての戦闘でいいな。これはこの地形に合わせて作られているから、ちゃんと此所の恩恵が得られる。」
「構わないぞ。……それじゃ、久し振りに行かせてもらうか。」
「ふふっ、優殿が称賛する程の実力、楽しみだ。」
そういうと、命は翔とは体面の入口へと入った。翔はそれを見て、自分も中に入る。……しかし、いつまで経っても翔の方の装置が起動する事はなかった。
「……人の気配が消えた……?」
翔が起動しない装置から出ると、辺りはシンと静まり返っていた。勿論命の気配も無く、確認して見ても誰もいなかった。……そして極め付けに、いつものパターン。
「おーい、さっきまでこんなの無かったぞー……。」
翔の目の前には地下へと続く階段、となれば他の人間はいないだろう。
「入るか、それ以外の選択肢はないだろうしな。」
翔は溜め息をついて階段を降りる。……だが、いつもとは違うアクシデントが起こった。
ガラッ……
「なっ!?」
少し降りた所で、階段がいきなり崩れた。翔は暫く落ちてから、自分が落ちているのだと言う事に気付き、体を宙に浮かせる。
「……くそっ、真っ暗だな。落ちて来た所も見えない。」
「それじゃあ明かりをつけましょうか。」
「え……?」
瞬間、パァッと光が差し込んでくる。だが、翔はそれよりも自分に声をかけて来た人物に気を引かれた。
「誰……ですか?」
「…………いや、その反応は分かるんだけどね? 森羅ちゃん凄いなぁ……良く泣かなかったよね、あの子も。」
「森羅さんを知ってる……?」
翔は知っている人間の名前を出されて反応した。声をかけてきた少女、そう、少女だ。銀色に輝く肩にかかる程度の髪、色は同じだが深みのある瞳、体型は幼い感じだが、間違なく美少女と形容出来る容姿だ。先程森羅の名前を出していたが、大人しめな雰囲気の森羅とは違って少し活発な雰囲気が感じられる、今は少し眼が潤んでいるが。
「貴方は、ここで何をしてるんですか?」
「んー、守ってる。」
「……何を?」
翔の質問に端的に答えた少女は、翔の方を見て微笑んだ。こんな地下で、誰も寄付かないだろう所で、何を守っているのだろう。
「私が守ってるのは、私にとっても凄く大切で、私の一番に愛してる人が凄く大切にしていて、私の一番の親友が、無くなって欲しくないって泣いちゃうような、とってもとっても大切な物。」
少女はそういうと、ブランコに座った。いつの間にか空間は公園になっている。
「……そんな凄い物が此所にあるんですか?」
「そんなの私には分からないわ。ただ、守れて良かったって思えてる。事後処理はそう簡単じゃないだろうけど、それをしてでも守りたい物があった。そして今は取り戻したい物が出来た。」
「取り戻すって事は、なくしたんですね。多分、凄く大事な物。」
翔がそう言うと、少女はそれ以上何も言わなかった。そして、翔の後ろ側にいつの間にか現れたワープポイントを指差した。
「私もあんまり此所に居ちゃいけないんだけど、翔坊ちゃんもそろそろ帰りなさい。あの子も心配してるから。」
「え……っ?」
「あははっ、それじゃあまた♪」
少女がそういうと、翔の意識は唐突に途切れた。