第48話:激震のトラウマメイカー
「おはよう、優、爺ちゃん」
「あら、私が起こしに行く前に起きるなんて。朝御飯、すぐ出来るから待っててね」
「珍しい事もあるもんじゃのぅ」
欠伸をしながら階段を降りると手慣れた様子で卵焼きを焼いている優と、テーブルでそれを見ながら眼をキラキラさせている進に挨拶をする。
「なんと言うか、この光景にも慣れちまったな……」
「ふふっ、そうね。はい、どーぞ」
邪魔にならない様に髪を後ろで纏めた優が嬉しそうにそう言いながら料理を並べる。並べ終わると席につき、しっかりと翔の隣りをキープした
「取り敢えず。翔、あーん♪」
「ふ、普通に食えるって……」
優が喜々として先程焼いた卵を翔の口に運ぶ。進も楽しそうに見ている事もあり、翔は顔を少し顔を赤くして断った。だが、優は諦める様子が全くない
「そう言えば、昨日と一昨日は楽しかったかしら?」
「あ、あーん」
「あーん♪ どう? 美味しい?」
「け、結構な御手前で……」
先程とは打って変わり青くなる翔を見て、優はクスクスッと笑った。翔は優の表情に逆に背筋が寒くなる。いつもなら即攻撃してくる筈なのだが……
「ゆ、優さん……?」
「何? どうかしたの?」
「お、怒ってないのか?」
「……そんなわけ、ないでしょ?」
優の相変わらずの笑顔のまま、空気が固まった。心なしか進と進の朝食が後ろに下がっている
「実は昨夜琴先輩から電話があって、翔のメイド服が完成したんだって報告を聞いたわ♪ スカート丈は翔の膝上2センチだそうよ?」
「…に、2センチ……!?」
翔は流石にそんな物を着せられるわけにはいかないと思ったが、優の笑顔の奥に垣間見える黒い物に押されて何も言えなかった
「うふふ、当日が楽しみねぇ?」
「…………」
そう言いながら笑い続ける優を見て、翔は優が女になってからやり方がえげつなくなってきたなぁ、と口端を引きつらせ、薄く笑いながら思った
「2センチってなんだよ2センチって…鬱だ……もう死にたい……」
「諦めろ、大人しく着るのが利口だ」
「篠君、今日は3人からもの凄い攻勢浴びてるもんね」
3人はカーテンを白いレース物に変えながら各々にそう言った。現在学園は光明祭の準備期間である。全ての授業はなくなり作業時間に当てられるのだ。
「優は朝から黒いオーラ出して来るし、澄は俺が持ってる荷物の重さ二倍にしたりするし、美里は命から貸して貰った焔を研いでるし……」
「それはそれは羨ましいなぁ、翔」
「なぁ辰、お前俺の話聞いてたか……?」
「ああ、しっかり聞いてたぞ」
翔が辰を恨めしそうに見ると、辰は楽しそうに翔の表情を観察しながらそう返した
「カズ、こいつが不幸に見えるか?」
「見えないね。嫉妬の視線の三倍くらいは幸せなんじゃないかなぁ?」
カズはそう言って、いつも何やら書き込んでいるメモ帳を開いた
「篠君が三人に拗ねられてる理由って、休日に副会長の家に行ったり、会長とデートしたりしたからなんでしょ? 拗ねられる理由まで幸せだね。というより、そんな男子学生なら誰もが羨む状況で不幸だなんて言ったら呪われるよ?」
「…………」
カズがノートを閉じてそう言うと、翔は何も言えずに沈黙した。
何故カズ達に休日の事が伝わっているかと言うのにも理由がある。
学園に来た時は澄や美里も休日の事は何も知らなかったのだが、優のあからさまに不機嫌な様子に気付いた魔夜が優に聞いた所、皆の前で休日の事を話してしまい、その場にいた澄達にも伝わってしまったのだ。もっとも、優が何故翔の行動を知っていたかは疑問だが、優なら魔法を使って翔の位置を調べるくらいは簡単にやってのけるだろう。今までもそうだが、妨害されないのが不思議なくらい優は翔の行動を気にかけるのだ
「でもこの事が上級生に知れたら、確実に篠君は上級生の男子にも恨まれるね。まぁ今でもかなり恨まれてるけど、会長と副会長って言ったら二学年のアイドル的な存在だし。上級生には葉山さん達の時以上の効果だろうなぁ」
「上級生か、そうだよなぁ……噂って広まるの早いよなぁ……広めてる人が絶対いるもんなぁ……特に上級生に……」
翔は現在かなりの高確率で休日の曝露大会をしているであろう琴を思い浮かべて鬱になった。真夕は色々と黙秘を通すだろうが琴に関しては考えるだけ無駄である。時既に遅し
「まぁ先輩達に絡まれない様にね。翔君なら返り討ちだろうけど」
「と、言うより翔に絡んだ瞬間、優にオーバーキルされるだろうな。先輩の中には優の恐ろしさを知らない人もいるんだから、ちゃんと制御しろよ。死人を出さない為にも」
「ああ、努力するよ……」
止められた試しがあまりにも少ないのだが、翔は暗くなりながら頷く。辰がそれを見て苦笑していると、突然教室がざわめいた。翔がそれに気付いて教室の入口の方を見ると、翔は頭を抱えた
「やっほー♪ あれ、翔ちゃん、なんだか暗いよ? どうかしたの?」
「……多分…琴のせい……」
楽しそうに笑う琴とそれを何かを諦めた様に見る真夕が教室の中に入って来ると、何やら嫉妬の視線と好奇心の視線の他に殺気染みた物が三方向から翔に刺さった。そして、視線の元の内の一人が琴へと詰め寄った
「お姉ちゃん!? 昨日は友達と買い物に行くんだって言ってたじゃない!!」
「あら、そうだったけ? まぁ友達と買い物でも翔ちゃんとデートでもどっちでも良いじゃない♪」
「良くない!! このお姉ちゃんが男の人と出掛けるなんておかしいと思ったけど……」
澄はじっと翔を睨み付けた、さらに翔に自分が怒っていると見せ付ける様に眼を細める
「このフラグ大量生産男……」
「ふ、フラグって、ただ買い物に行っただけだろ……」
翔がそう言うと澄は不機嫌そうに琴を見た。琴は、機嫌が良さそうに笑いながら、それを受け止める
「……まぁいいわ、それより何でここまで来たの? 私達に用事?」
「うん、用事よ。正確には翔ちゃんにね♪」
澄が溜息をついてからそう言うと、琴は眼を光らせて、手を打った
「実は、翔ちゃんのメイド服が完成したから試着して貰おうと思ってね?」
「なっ……!!」
琴の台詞に翔は一歩引いて固まった。それと同時に真夕が後ろに回り込む。優、澄、美里もスッと逃げ場を塞ぐ様に立ちはだかった
「お、お前らに慈愛の心はないのか……!!」
「翔、私は朝に言ったわよ? 心の準備をするには十分な時間があったはずよね」
「ごめんなさい翔さん。正直翔さんの女装を早く見たいです。命ちゃん、翔さんが逃げたら進路を燃やして下さい」
「ああ、翔殿すまないな。私も見たい」
美里が言うと命は神妙な顔つきで焔を構えた。退路は完全に絶たれた
「琴先輩、第2化粧室が空いてるみたいです」
「ありがとう魔夜ちゃん。それじゃあ、行きましょうか……翔ちゃん」
「嫌だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
笑顔で包囲の円を狭められながら、翔の拒絶の悲鳴が教室に悲しく響いた
「……自分で着替えられるって言ったのに……裸に剥かれた……裸に……」
「……ごめんね翔君……大丈夫……?」
黒ロングのウィッグを付けられ、パットを入れられ、フリルのついたメイド服を着せられて、現在の翔は世間一般では美少女と形容するのが正しい容姿となっている。先程のショックにより暗い表情で化粧を受ける翔に、それを担当する事になった真夕が申し訳なさそうに謝った
「いいんですよ、真夕先輩は止めてくれたじゃないですか……」
「……でも、琴が止まらなくて……」
「琴先輩はしょうがないですよ。暴走させたらもう遅いですからね」
翔は何度も謝る真夕に、そう言って苦笑した。今この場に真夕しかいないのは、翔に無理矢理メイド服を着せた時に翔がとんでもなく落ち込み、何というか、かなりいたたまれない状況になったので、琴達は真夕に化粧を任せて部屋を出た、つまり逃げたというわけだ
「……お化粧……終わった……」
「ありがとうございます、と言って良いんでしょうか……」
薄く化粧をしてもらった翔は、真夕の終了の言葉を聞いて苦笑しながらそう言った
「それで琴先輩なんですが、もう昨日と一昨日の事とか言い触らしましたよね?」
「……うん……クラスの皆はもう知ってる……私の家に来た事も……」
「はぁ、あの人は全く。予想を裏切らないと言うか何と言うか」
翔は溜息をついて、上級生のクラスに優を連れて行かないようにしようと心に決めた
「……やっぱり……知られると……嫌……?」
「……嫌じゃないですよ、恥ずかしいし、恨まれるので困りますけど、嫌ではないです。嘘を言われてるわけじゃないですし、真夕先輩の事はちゃんと好きですから」
「……翔君……ずるい……」
翔が自分でもかなりキザだなぁ、と思う台詞を口にすると、真夕は顔を真っ赤にして俯く。翔は別に本当の事だったので抵抗無く言ったが、やはり自分は進の孫である事を否定出来ないかもしれないと思った。
「……翔君……」
真夕が翔の腕を取り、潤んだ瞳で翔の顔を覗くようにした。翔がその意味を察して真夕の髪を梳く様にしつつ顔を引き寄せて……
バンッ!!
「我が友、篠原翔よ!! 渚嬢との噂を聞いたがあれ……は……」
「白夜!? いきなり入って来るな、ノックくらいしやがれ!!」
バンッ、と扉を開けて侵入してきた白夜に翔は怒鳴りかける。真夕は白夜の方を親の敵を見る様な眼で睨んでいる。そして、当の侵入者白夜は、何故か固まっている
「き、君は、篠原翔か……?」
「は? 何言ってるんだ?」
翔は白夜の言っている事の意味が分からずに首を傾げた。しかし白夜は何かに陶酔する様に壁に手をついた
「う、美しい、これぞ美の結晶だ、世界の神秘だ……」
「「…………」」
そこで翔はやっと自分の状況に気がついた。女装をして、かなりアレな服を着ていると言う事を
「お、おい白夜、正気に戻れ」
「ふ、ふふふ、男同士も悪くないな、むしろ良い、とても良い」
「良いわけあるか!!」
翔が立ち上がって一歩引くと白夜もまた一歩進む。翔は自分でも表情が引きつっているのが分かった
「逃げなくても良いではないか我が伴侶よ」
「誰が伴侶だ、誰が!! って距離を詰めようとするな」
なんだか少し、ではなくかなり、でもなく完璧に、何かに目覚めてしまった白夜に突っ込みつつも、また一歩下がる。しかし、白夜との距離は開かない
「篠原翔よ、僕の家に来ないか?」
「断固拒否する」
「何を怖がる事がある?」
「お前の存在だ」
「フッ……」
「フッ、じゃねぇ!!」
駄目だ、こいつには何を言っても無駄だ。翔はそう思って戦闘体制に入る。
「フフフ、なるほど、篠原翔は自分より強い男が好みか。良かろう」
「強かろうが弱かろうが男は好みじゃない」
翔が身構えたのを見て、また白夜も身構えた。そして胸に指した白薔薇を手に取った。恐らくあれが杖なのだろう、とんでもなく趣味が悪いが
「それでは、参……ぐふっ……」
ドサッ
突然白夜がその場に崩れ落ちた、そして普段は慈愛に満ちた笑顔を見せる同級生が顔を出す。手にはバチバチッと音がするスタンガン。
「白夜君が御迷惑をおかけしました……はぁ……」
スタンガンをしまうと、暁は疲れた顔で白夜を見て、その視線を翔にスライドさせた
「いや、暁が謝る事はないんだが……」
「……え……」
「ん、どうした?」
「……はっ。な、なんでもありません!! あの、失礼しました!!」
暁は翔の姿を見た瞬間、白夜を引きづりながら化粧室を出て行った。なんだか顔が赤かった気がする
「先輩、今のはなんだと思います?」
「……多分……当然の反応……」
「……は?」
真夕が何を言っているのか分からずに翔は首を傾げた
「……向こうは……翔君って……気付いてない……」
「まぁ、今は女装してますし。人によっては気付かないかも知れませんね」
「……そういうこと……」
「…………」
真夕の言葉になんとなく言わんとする事が理解出来た。翔の表情が段々固くなっていく
「いや、だって、暁ですよ?」
「…………」
何も言わず、極少数の前でのみ作る笑顔を若干固くしながら同情の視線だけを送ってくる真夕に、翔は何も言えずに絶句した。まさかないとは思うが、白夜の件もあって否定しきれない
「……その……翔君の趣味がどんなのでも……私は大丈夫だから……」
「慰め方が間違ってる気がするんですが……」
その後、優達が帰って来るまで真夕が翔を励まし続けても翔の心の傷は癒えなかった