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まじかるタイム  作者: 匿名
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最終話:少女の綴った物語

「……風が、気持ちいいわね。」


「……そうだな。」


「いらっしゃい。歓迎は出来ないけど、いいかしら。」


「いつもの事だろう。」


 いつもの場所に、いつもの景色。あれから長い時間が経っても、此処は変わっていなかった。星明かりに、大樹が一本、坂道の頂上にはそれだけだ。あの頃は随分長く感じた道のりも、大人になれば大した距離でもない。その感覚と、木の根元に座った成長した少女だけが、『今』である事を教えてくれていた。その少女の隣に、翔は許可もなく座り込んだ。


「私、一人になりたいの。」


「……星が綺麗だな。此処から見ると、いつも綺麗なんだ。」


「……はぁっ。」


 翔は彼女の言葉など意に介さないと言うように聞き流し、少女、優は面倒臭いと言う態度を隠しもせずに溜息をついた。優の視線は空に固定されたまま、翔の方を見向きもしない。そんな彼女の態度も、何もかもが懐かしいと翔は彼女に合わせてじっと星空を眺めた。


「何百年見ていても、きっと飽きないだろうな。」


「……ええ、そうね。そのつもりよ。」


 ロマンチックな台詞も、冗談のような返しも、本当にそのままの意味で通用してしまう二人の世界には、二人以外の何も居なかった。全ては背景になって、登場人物は二人だけの物語は、きっと二人以外には何の価値もない話なのだろう。


「…………。」


「…………。」


 何も会話のない時間。ここ十年近く、優とこんな時間を過ごした事は殆んどなかった筈なのに、どうしてかこの時間が一番落ち着く。夜はただ星を見上げ、昼は本を読む。会話も気遣いも、それどころか認識すらろくになくて、でも二人はお互いに背景になる事はなかった。たった一人、他人としてそこに居た。

 そんな二人は空を見上げて、ただただずーっと、風に吹かれて……どれだけかの時間が経った気がした。


「……何をしに来たの?」


 優が口を開いた。それだけの言葉を交わすのにどれだけの時間を使ったのか。いや、その表現は間違いだ。遠慮や緊張などは優にはない。今までは単に聞こうと思わなかっただけだ。そんな彼女の問いに、翔は夜空から視線を外して優を見た。彼女もまた、翔を見ていた。


「話に来たか……会いに来たか……そんなとこだったんだろうな。」


「何よ、それ。」


「優に会って、話そうと思ってたことがなんかどうでも良くなった。ありがとうって言えれば、それでいいかな。……ありがとう、俺は、目が覚めたら全部幸せになってた。」


「……そう、良かったわね。」


 そしてまた会話が途切れた。優は何処か憂鬱そうな瞳のまま、傍らに咲いていたクローバーを一本引き抜くと、それを片手で弄んでいる。


「でも、私はただ貴方に返しただけよ。貴方から奪っていった沢山の物を、返せる分だけね。」


「奪ってないよ。俺が勝手にあげただけだ。」


「……そうね、そう言えばそうだった……何もかも私の望まない、要らないものばかりだったわ。」


 優はまた溜息をついて、クローバーの葉っぱをぷちぷちと風に載せていく。四つに別れた葉がなくなり、最後に残った茎を無造作に地面に捨てた。


「でも、全部は返せなかったと思ってるわ。今更返しても仕方のないもの、私では返せないものがあったから……だから、少しおまけを付けただけ。」


「皆の事か?」


「そうよ。貴方を愛する誰か。一途で、清廉で、貴方にとって理想の誰か。」


「……それにしては、数が多いな。」


「良いじゃない。私も最初は絞ろうとしたんだけど、沢山いたから皆付けたわ。元々世界の方で、『三人』用意してくれてたし。スペアも含めて沢山……一部、予想外だったけど。」


 一部とは、恐らく澄の事だろう。澄に関しては優もずっと警戒していた様だ。今ならその理由も分かる、翔の記憶が戻るということのリスクは自分自身で客観的に見れている。澄に対して、どうしようもなく加害者意識を持ってしまう可能性は大きかった。今の様な関係に落ち着いたのは、タイミングや環境の影響が大きい。


「……お礼を言うなら彼女達にしなさい。私はただ、場を揃えただけ。結局貴方は彼女達と一緒に、全てを解決したわ。私の描いた構図より、貴方は幸せになった。それは私の力ではないわ。」


「だから、優は俺の前から居なくなったのか?」


「……………。」


 翔の言葉は、優を閉口させてその返事を有耶無耶にした。翔の言っている事は当たっているのだろう。しかしこれだけ長い間、様々な感情の中で二人は生きてきた。そんな簡単に、自分の気持ちを言葉として表現する事は出来ない。優は言葉を告げるより先に、恨めしげな表情で翔を睨みつけた。


「………貴方はいつもそうね……。」


「いつも?」


「いつも、私の後を付いてくるのに。気がついたら先回りして、お節介を焼いて、分かったような口を利く。何も見てない様なボンヤリした顔をして、人の心の中を覗き込もうとする。最悪なのは、勝手に人の心を判断して、自分の良いと思った事を躊躇いなくやってしまう。エゴ塗れなのよ。私は振り回されているの、いつもいつも……。」


 優はそう言って、翔から視線を逸らした。恨めしげな表情、こんな優の表情は久しぶりに見る。記憶が封印されてから優の攻撃的な顔は見たことがなかった。……何処か懐かしくて、でも嬉しい。優の本音を聞く事が出来ていると思うと、自然と……。


「……その顔よ。私が不機嫌でも、翔はいっつもニコニコ笑ってる。あんたの事を理解したと思っても、その顔を見る度に分からなくなるのよ。自分がどんなに辛くても、どんな目にあっても、あんたはずっと笑ってるの。私の前で……あの時もっ……!!」


「……あの時……。」


「……別に、思い出さなくてもいいわ。結局私は、翔を本気で怒らせることも泣かせることも出来なかった。翔に何か生きがいや執着出来るものもあげられなかった。貴方の欠けた部分を、貰った分すら返せなかったのよ。……だから、だから私は、貴方が一番に望むものを作り上げるつもりだったのに……。」


 優は力なく項垂れて、拳を握り締めた。10年の計画、いや、必要とあればどれだけでも時間を費やす覚悟だった。翔は不死で、優もまた死の自由を捨て翔と共に永遠に生きると決めていた。どれだけの手間や時間がかかっても関係ない。優自身の手で、成し遂げなくてはならなかった。


「俺の、一番に望むもの?」


「そうよ。翔を貰ってからずっと考えたわ。私が翔にあげられるもの、翔が一番に欲しいもの。そして貴方に最も必要なもの。それは私にとっても貴方と向き合う為に必要なものだったの。このままじゃ、対等で居られないから。」


「俺に必要なもの……それは。」


「……私が貴方にあげようと思っていたのは……作ろうと思っていたのは……。」


 優は一度言葉を区切って、自分の中で気持ちを整理した。重くて、大きくて、言葉にした自分が潰されそうだから。優にとって、最も最悪な言葉だったから。





「私が奪った……翔の血の繋がった家族よ……。」





――――

―――――

――――――











「……………。」


「……俺の、血の繋がった家族……。」


 優の言葉を飲み込むのには時間が必要だった。あげるもの、必要なものと言われて、まさか血の繋がった家族と言われるとは翔も思っていなかった。……しかし、どうしてだろうか。その優の言葉を簡単に理解出来てしまうのは。自分に足りないものと言われて、頷いてしまいたくなるのは。……それはきっと、ずっと、羨ましかったからかも知れない。記憶のないの人生を歩んでいても、やっぱりそこには誰も居なかったから。ふとした時に、寂しかったから。


「……あの子達の誰かが産む筈だった。真夕、魔夜、美里の三人だけでも誰かが産む。そこに琴と命が入れば五人よ。一人、二人産んだだけでは可能性は低いけれど、あの子達が皆で産めば、翔と永遠を共にする真魔も生まれるかも知れないわ。桜さんや新羅さん、進さんでは駄目よ。あの人達は、貴方の母親の両親なんだもの。本当に翔が心を許せる。無条件で愛し合える家族を……永遠の家族を……私があげる筈だった。何年掛かっても、何人使っても……。」


「……優……そんな事を考えてたのか……。」


「ええ、そしてそうなれば、翔は記憶を取り戻しても死ねなくなる。真魔と言う孤独の中で、両親を失う気持ちは翔が一番良く知ってるはずだから……。翔もその子が一緒なら、安心して幸せになれる筈だから……。」


 優の言っている事は的を射ていた。どんなに自分に罪があっても、この世界に悲観していても、自分と同じ境遇の存在を放っておける訳が無い。まして、自分の子供を自分の手で不幸にする様な選択は取れない。少なくとも翔はそう考える。優は深く溜息をついて、疲れた様に木に寄りかかり、何もない虚空を見つめていた。


「……でも、そんな必要はなかった。翔は自分の力で、あの子達と一緒に立ち上がった。私のあげたいものは、翔には必要なくなって、その大切な枠に彼女達が入っていた。真夕や美里はきっと、進さんの様に翔と永遠に生きる事を望むでしょう。血の繋がった家族もずっと出来て、翔は幸せになれる。……私のやった事は結局、翔と澄を引き裂こうとしただけなのよ。」


「それだけなんかじゃない。優が居なかったら今はなかった。皆とだってきっと出会えてなかった。今を作り出してくれたのは優だろう?」


「……そんなの買い被りすぎよ。あの子達だって、この世界が用意した様なものよ。私はちゃんと返したかった。貴方の幸せは私が作りたかったのよっ!! 本当は……本当は私がっ……じゃないと、私ずっと翔から奪ったままになっちゃうじゃないっ!!」


「……っ……。」


 優が声を荒げて叫ぶ。その時そこに居たのはいつもの優ではなかった。いつだって優は堂々としていて、自信に満ち溢れていた筈だ。その存在に絶大な自意識を持っていた筈だ。でも今ここにいる彼女は、翔が見たこともない程に疲れ、諦観している様に見えた。がっくりと項垂れたまま、顔を上げることも出来ない彼女は……とても弱い、一人の少女にしか見えなかった。


「……俺は、優に何かを奪われた事はない。」


「やめてよ!! ……翔だって、気付いてるんでしょう? 貴方が何故、そんな状態で生まれてきたのか……何故こんな目に遭っているのか!!」


 悲痛な声で絞り出された優のその言葉は、翔と優にとってはタブーだった。翔にとって、バグと言う事実が辛い過去であるからではない。新羅達ですら理解していない、当人同士だからこそ分かる最後の秘密を、二人だけが理解していた。


 それは……。


「貴方は、私のバグに対する……ただの特効薬なのよっ……!?」


「……分かってる、そんな事は。」


 優の悲鳴のような声を、翔は動ずることなく受け入れた。……そうだ、全ては分かっていた事だ。昨日今日の話ではない。言ってしまえば、翔には優と出会って間もない頃から分かっていた。自分の境遇と彼女の存在が、いかなる関係に当たるのかを。


「私は……世界の防衛本能にも、真魔の寿命や制限にも束縛されない存在よ。片方だけじゃない、私はどちらからも異端なの。気分で世界を壊せるし、真魔の制限に妨害されることなく、好きに生きて死ぬことが出来る超危険なバグ。」


「……だから俺が生まれた、正確には生まれる前に変化したのかも知れないけどな。」


「……私のバグによって真魔と世界双方が私に対する処方を必要とされた。そのままでは、私はいつでも世界を滅ぼせて、真魔も間接的な方法で殺す可能性がある危険な存在だもの。」


「俺の本来の役目は、優と同じ年の真魔のバグって事で近付いて、他の真魔との架け橋になるって所か。そして、優の中で他の真魔との連帯感が出てきて不必要になったから、澄の一件が誘発された。バグである俺をこれ以上世界に置いておく必要もない。優への薬としての役目は、あの時もう終わっていた。」


「……ほら、分かってるじゃない。そうよ、全部私の存在が引き起こした事なの……。貴方は本当は真魔として生まれる人じゃなかった。母親も父親も失わず、初めて出来た友人を傷付ける事もなかった筈だった。私が……私さえ居なければ翔は幸せになってた筈だった……。」


血反吐を吐く様な思いだった。胸を抑えて、込み上げる怖気を堪えても堪えきれない。自分の存在が、目の前の少年の全てを破滅させたと言う事実がどうしても許容出来ない。誰がそれを赦しても、誰もがそれを責めなくても、自分自身には本質が理解出来てしまっているのだ。結局、全ては自分が原因であるのだと。


「優……俺は、そんな風に思ったことはない。」


「っ……ええ、そうでしょうね、翔は私を憎んだりしてない。貴方が最初から分かって居たんだって私だってもう理解してる。翔の言いたい事、考えてる事、私はちゃんと分かってる。」


「だったら、そんなに自分を責めないでくれ。俺はそんな事望んでない。」


 翔は素直に自分の気持ちを言葉にする事しか出来ない。優が翔の事をどれだけ理解しているのか、翔にはちゃんと分かっている。生まれてから今まで、翔以上に翔の事を考えてくれた優だから。


「ごめんなさい。そんなのは駄目よ。翔は人を憎まない、心を傷つけない、自分の事なんていつだって考えてない。……だから決めたのよ、貴方の事は私が守るわ。翔の代わりに、私が憎む。不要なものは私が排除する。翔の幸せは、翔の代わりに私が作る。だから……、私は私を一生赦さない。翔を一番に不幸にした、一番赦してはいけない害悪だもの。」


「……余計なお世話だって、本当なら言うべきなんだろうけどな。俺も人の事は言えないか。」


「そうよ、お節介焼きは貴方から始めたことだもの。誰にも……翔にも文句なんて言わせないわ。私はずっと、翔の為に生きる。翔が幸せになる為に、私は永遠に生きる。別に罪滅ぼしのつもりなんかないわ。私がそうしたいからそうするの。今までと同じよ、これが私の性分なのよ。翔が嫌でもお節介でも私には関係ないわ。」


「……頑固だな。本当に変わってない。」


 優の目は真っ直ぐに翔を見つめていた。威圧するような力強い視線、あれから十年近い時が流れた筈なのに、優のこの眼はあの頃のままだ。正直で、真っ直ぐな眼。やりたいからやる、自分のしたいように生きる。おそらく、優のその言葉に嘘はないだろう。


「なら、俺の……。」


「俺の為に自分を赦せって? ごめんなさい、嫌よ。」


「……まだ、言ってないのに。」


「言ったでしょ、翔の考えてることなんて分かるわよ。」


「だったら、俺が本気でそれを望んでることも分かるだろ。」


「分かるから言ったんじゃない。い・や・よって。なんでそんな望みを聞く必要があるのよ。翔の幸せを奪って、挙句に翔の恋路を邪魔した大戦犯よ? 自分自身じゃなかったらとっくに殺してるわよ。」


「……面倒くさいな。」


「そうね、私も面倒くさいわ。こんな問答は無駄なの、いくらお願いされてもそんなの聞くつもりないから諦めなさい。はっきり言ってね、私自身も赦されたくないのよ。結局なんにも出来なかったのに赦されたら、こんなに頑張ってきた今までが馬鹿みたいじゃない。納得出来ないわ。」


 優はそう言うと、本当に面倒くさそうに溜息をついて夜空を見上げた。どうやら、翔が幸せになるのに翔の望みは関係ないらしい。ここまで来るとお節介でも何でもないただの我儘だ。……いや、それも結局のところ優に言わせれば翔も同じなのだろうが。


「……そっか、なんか昔の優の気持ちが分かった気がする。相手の為にって思って我儘言うの、実は本当にありがた迷惑だったんだな……ごめん。」


「やっと分かったみたいね。ちょっと癇に障る言い方だけど、まあいいわ、翔だから特別よ。」


「ああ、ありがとう。」


 今の優は昔の自分と同じだと、翔は思った。どうやら優もそう思っていたらしい。昔、翔がしていたお節介の様な我儘は、優の為のようで、優は特に必要とはしていないものだった。そしてそれは今回も一緒だ、優の翔の幸せの為の行動は、翔の為のようで優自身の為のもの。きっとそれは、優が自分で自分を最低限赦せる許容ラインでもあったのだろう。翔にはその気持ちが手に取るように分かる。……だって、それは自分と本当に同じだったから。


「さてと……優、もう遅いから帰ろう。星は綺麗だけど、今日はもういいよ。また見に来よう。明日でも明後日でもいい。」


「……………。」


「ねっ?」


「……あんた、話聞いてなかったの? 私は赦されるつもりはないわ。翔が私を赦しても、私は私を赦せない。」


「分かってるよ、ちゃんと聞いてた。」


「………はぁっ…。」


 深い深い優の溜息が、夜の風に流されていく。なんだかちょっとだけ懐かしい感覚、此処でこんな風に溜息をつきながら隣を睨むのは、あの時振りだろう。


「だったら分かるでしょ。私はもう翔と一緒に過ごすつもりはないわ。私が自分で許容出来るのは、ここで貴方を見守る事までよ。私は……一人でいい。」


「……俺は、嫌だなあ。優が居ないの。」


「それこそ私の知ったことじゃないわ。それに貴方にはもう、沢山の恋人が居るじゃない。……もう私に固執する必要なんて何一つないのよ? あの時とは違うの、貴方はもう自由で、独りじゃない。面倒な役割も、しがらみもない。貴方の敵は……存在を許さない。私が全部排除するわ。」


「そうだな、そうかも知れない。でもやっぱり俺は、優が居てくれないと嫌だな。」


「……だから、なんで私が翔の我儘を聴いてやらなきゃいけないのよ。私だって、自由に生きる権利があるのよ。」


 呆れた様な口調で、優は視線を逸らしながらそういった。なんだか懐かしいなと優は感じた。記憶をなくしてから10年近く、翔は我儘なんて言わなかった。記憶が戻ったからなのだろうか、昔のように自分勝手な我儘の様な事を言う。それが懐かしくもあり、なんだか胸の奥が痛む。


「……昔からさ、優って素直で正直で、誰に対しても結構キツいよな。昔は気にならなかったけど、今から思うと随分酷いことも言われてた気がするよ。」


「また話を逸らす……で? 今度は何よ、私の悪口?」


「悪口になるのかは分からないけどな。でも、やっぱりそういうとこ変わってないんだなーって思って。」


「……だったら何よ。」


「俺が本当に願った事だったら、優はちゃんと叶えてくれる。きっとそういうとこも、変わってないんだろうなって。」


「……何よ……それ。嫌味なの?」


 翔のその言葉に、優は一瞬言葉に詰まった。そんなの、自分は叶えた覚えはない。何かをしてあげられた記憶なんてない。実際、私は今回『失敗』してしまった。


「……意味不明ね。私は翔の我儘や、お願いなんて聞いた覚えはないわよ。今回の事だって、私は結局場を引っ掻き回しただけ、全部あの子達と翔が自分で解決したんだもの。少なくとも私は、何も叶えてあげられてないわ。」


「そんな事ないよ。此処に初めて来た時からずっと、優は俺と一緒に居てくれた。煩わしくても、文句を言っても、どれだけ迷惑を掛けても、俺と一緒に過ごしてくれた……俺の願いは、最初からそれだけだったんだよ。」


「……それだけ……? そんなのが願いだって言うの? 馬鹿言わないでよ。そもそも、あれは翔が勝手に付き纏ってきただけでしょ? 私が何かした覚えはないわ。」


 あれを優が叶えたなんて言われても、正直困る。寧ろ優は全力で拒絶していた。翔のしつこさに結果的にまいってしまっただけだ。


「……でも、俺が優から離れようとした時も……ちゃんと迎えに来てくれたよね?」


「っ……あ、あれは違うわ!! 新羅さんに言われて仕方なく迎えに行っただけよ。その後も同じ、どうせ言われるだろうから先に動いていただけ!!」


「ははっ、やっぱり俺が優から離れようとしてたって分かってたんだ。」


「当然でしょ。私が他の真魔と話をする様になってから、どんどん距離を置くようになってたし。その意味に気付いたのは、翔が私の特効薬だって気付いてからだけどね。……もう、翔が私に果たす役割はあの時点で終わっていた。翔もそれが分かっていたから私から離れようと思ったんでしょ?」


「……それも、確かにあったかもな。」


「……何よそれ、役目が終わったから離れたんでしょ? それ以上一緒に居ても意味がないもの。私じゃあ、翔が本当に欲しがっていた存在にはなれなかった訳だしね。」


 あの時は、翔が何故いきなりあんな風に離れていったのか理解出来なかった。いつもいつも一緒に付き纏ってきた翔が、ある一時を境に突然として隣から居なくなったのだから。あの時の自分は、その理由を考えることすらしなかったが、今なら分かる。役割を終えて自由になった翔が、自分の本当に望む存在を求めていったのだと。……つまり、『友達』を。


「優は……本当に、今でもそう思ってる?」


「だから……何が言いたいのよ。」


「役目が終わったから、俺が……僕が、優から離れなくちゃって思ったんだと思ってる?」


「………。」


 その問いは……『俺』ではなく、『僕』の口から放たれた。簡単な事だ、迷う必要などない。一度既に優の口から答えた問いだった。同じ言葉を返せばいいだけの、優が思っていることをただ口に出すだけの簡単な問い。


 なのに、優は直ぐに答えることが出来なかった。空を見上げていた顔は俯いて、拳を固く握り締めた。


「それを聞いて、どうするつもり?」


「どうもしないよ。ただ、伝えておきたかったんだ。……迎えに来てくれて、凄く嬉しかった。」


「……………。」


「優にとって、凄く良い事だったんだと思う。沢山の人と関わりを持って、新しい世界へ踏み出していって。きっと、もっともっと広い世界を見ていくんだって思ってた。でも……でも本当は、ちょっと嫌だったんだ。」


 それは翔の10年越しの告白だった。優に取っても、ずっとずっと確かめたかった笑顔の裏側。笑顔の形をした仮面の裏側で、一体どれほどの傷を負っていたのか。あのおぞましい程に綺麗な赤い翼は、どれほどの痛みから生まれたものだったのか。最後の瞬間まで受け入れることが出来なかったあの光景の真実を、優もずっと確かめたかった。


「僕はきっと、ついて行けない。足で纏いで邪魔になって、今まで以上に優から嫌われてしまう。『役割』すらなくなったら、もうどうしていいのか分からない。考えても、僕が邪魔になる、必要なくなる未来しか想像出来なかった。だから……。」


 翔の言葉は、まるで過去に遡ったかの様に幼い頃の翔を思わせた。翔も優も、お互いに視線を合わせないまま、声だけを感じていた。幼い頃に戻ったかのように、あの時の記憶と想いが胸の奥から溢れてくるようだった。


「僕は……迎えに来て欲しかった。今だけでも、その時だけでも必要とされてるって思いたかった。いつか、優に取っても世界に取っても不要になる時が来るって分かっていたけど。でも今だけは、一緒に帰ろうって、言って欲しかった……。」


「……そんなの……言われなきゃ分からないわよ。」


「……でも、優はちゃんと迎えに来てくれた。帰ろうって言ってくれて、勝手に居なくなるなって言ってくれた。それだけで……本当に、本当に幸せだった。」


 優はあの時の翔の笑顔を思い出していた。初めて迎えに行った時の、少し大人びた様な、優の初めて見る笑顔。勝手に居なくなった事を怒って、帰ろうと連れ戻して、その時に見せた、最初で最後のあの笑顔。いつものあどけなさも、無邪気さもない表情だったけれど、今なら分かる。それが翔の本当の表情だったのだと。


「それにね、優はもう一つ僕の願いを叶えてくれたんだよ。」


「……もう一つ?」


「僕は、ずっと優に嫌われてると思ってたんだ。いつもいつも怒らせてばっかりで、優の望んだように出来なくて、結局何一つ優が望んだものを上げられなかったから。でも、最後に誤解だったんだって分かった。」


「っ………。」


 優が息を呑む。それは優に取って最も思い出したくない記憶。いや、忘れることは許されない永遠の罪だ。初めて優が望んだもの、感情が昂ぶり過ぎて自分が制御出来なくなった果てで望んだもの。


「……ずっと怖かった。いつか優が居なくなる、ついて行こうと思っても邪魔になる。だから頑張って、優について行けるようにって友達を作ろうとしたけど……やっぱり駄目で。でも、そんな駄目な僕でも……返せって、言ってくれた。」


「……でも、それはっ!!」


「……本当に嬉しかった。もうこれで終わりでいいやって思ったんだ。優が望んでくれたもの、初めてあげられるんだって。まだ、もう少しでも、傍に居られるんだって。もう駄目だって思ってたのに、優が最後に、一番欲しかった言葉をくれたんだ。」


「何よっ……何よそれっ……!!」


「優はどう思ってたか分からないけど……僕は、本当に幸せだった。『もう少しだけ優と一緒が良い』って願いを、神様は叶えてくれなかったけど、優が叶えてくれたから……嬉しかった。」


「もう止めてっ!! それ以上言わないでっ!!」


 翔の言葉から逃げるように、優は首を振って頭を抱えた。そんな現実は知りたくなかった。翔の事ならなんでも知っていると思っていたのに、本当に一番大切な部分で、最初の最初から間違えてしまっていたなんて。考えたくもなかった。


「……私は、そんな風にお礼を言われるような事はしてないわ。翔の寂しさも、苦しみも、何も知らずにただ甘えていただけじゃない。翔の本当の気持ちを偽物呼ばわりして、自分の都合の良いように思い込んでいただけ……私と一緒に居たいなんて……なんでそんな馬鹿な事を願うのよ……なんで私なのよ……そんな資格ないわよ……。」


「……何が偽物で、何が本物なのか……僕も分からなかったから。優が偽物だって言うならそれで良かった。嫌われてないって分かっただけで、充分過ぎたよ。」


「充分じゃ、ない……そんなの駄目よ。翔の本当の気持ちを偽物呼ばわりした私の罪は……私が絶対に償うって決めたのよ……。翔の本当に望んだものは……私なんかじゃ駄目なの……血の繋がった家族でも、一生愛し合える恋人でも良いじゃない!! 私なんかを望まれたら……償えないじゃない、翔に返して上げられないじゃないっ……!!」


「……返さなくてもいいよ。優が望むなら、望んでくれるなら、ずっと返さなくてもいい。要らなくなったら、捨ててくれてもいい。そう思って、僕はあげたんだから。……優が、僕にくれた幸せの分くらいは、僕だって何か返してあげたかったんだよ。」


「駄目よ、それじゃあ駄目なの!! お願いだから何か望んで……、なんでもいいの、翔が望むなら真魔全部敵にしたっていい……どんな無茶苦茶な願いだって構わない!! 私にあの日の償いをさせてよ……もう一度、ちゃんと翔の隣で生きられる資格が欲しいの!! 償いなんかを、翔の隣にいる理由にしたくないのよおっ!!!」


「……あっ……。」


 優のその叫びは、翔の中の疑問を氷解させた。優が、今回の件を自分の力だけで解決しようとした理由。自分ではなく、他人を翔の恋人の役に指定した理由、全てが終わり、直ぐに姿を消してしまった理由。


「どうすればいいのっ……どうすれば翔の隣に居られるのっ……お情けで傍にいるのなんて嫌っ!! 償いでなんてもっと嫌っ!! なんなのよっ、どいつもこいつも!! 私が翔を救って、全員死んだら私が翔の隣に居るはずだったのにっ!! 私が一番翔を愛しているのにっ!! 私はっ……どうしたらっ……何も関係なく、翔に愛してるって言ってあげられるのよぉっ……。」


「……………。」


「ごめんね……ごめんねっ……翔……。」


 それは彼女が、10年前から背負い続けた葛藤だった。この偽りの物語の引き金を引いた彼女自身が、自ら幕を下ろさねばならないと自分に言い聞かせ続けた理由が、その言葉には込められていた。


「ずっと愛してるって……言ってあげられなくて、ごめんねっ……。」


「謝らなくていいよ。僕もずっと、気付いてあげられなかった。護られるばかりで、何も知らなかったんだから。」


「違うっ、私が……もっと早く自分の気持ちに気付いていれば……傍に居てって、言ってあげていればっ……。何よりも、翔が苦しんでいたことに気付いていれば……。」


 優自身分かっている。過去の事をどれだけ悔やんでも前には進めないのだと。優はきっと、この10年間誰よりも過去を悔やんで生きてきた筈だから。翔を目の前にする度に、何度も思い出していたはずだから。


「……優、お願いがあるんだ。聞いてくれるか?」


「っ……何? 簡単なお願いじゃ……駄目よ。翔が心から望むものじゃないと駄目。私が納得出来るものじゃないと駄目。私が翔から貰ったものと同じくらい大きいものじゃないと駄目!!」


「……注文が多いな……。」


「……当然よ。私がどれだけの想いで、翔と他人をくっつけようとしたか分かる? 渚真夕なんか、何回殺そうと思ったか知れないわ……。嫌で嫌で仕方なかったわよ!! 翔は、私のなのにっ……ずっと前から、私のなのにっ!!」


 自分に課する罰として、きっと優は最大限のものを選んだ筈だ。本来ならば自分が居たはずの『居場所』、優が最も望む場所を他の誰かに手放すと言う、優にとって一番絶望的な選択。でも優は、それくらいで無ければ自分の罪が精算出来なかった。過去の全てをなかった事にして翔の隣に居ることは、自分と翔が紡いできた思い出の全てを消し去ってしまうことに他ならないから。


「……そっか。それならきっと、納得してくれるはずだ。きっと、優の理想を完全に消し去ってしまうことになるから。」


「……何よ、それ。」


「簡単な話だ。……もし皆が、俺と一緒に永遠を望んでくれたら、その時は……。」


「……っ……。」


「優の手で、皆を爺ちゃんの様に……真魔の様に永遠にして欲しい。」


 優は先程自分で言ったはずだ。真夕や美里なんかは、進の様に永遠に生きることを望むだろうと。ハッキリ言って、望んだところでそう簡単にいくものではない。進も桜と新羅の為に、色々な条件を経て世界と真魔に認められたのだから。そうでなければ、真魔が際限なく不老不死を生み出すことになり、世界のバランスは崩壊する。だから真魔自身も、滅多なことではそんなことを言い出さない。


「本来なら……一人くらいならともかく複数人なんて出来る訳がない。一人だって、皆が認めてくれるかは怪しいところだ。……でも、優だったらそんなことは関係ないだろう? 世界も、他の真魔も関係ない。全部無視できる。何もできない僕とは違って、優はなんだって出来るんだから。」


「それが……それが罰なの……?」


「優にとっては、罰かも知れない。……だって、絶対にやりたくないだろう?」


「……当たり前でしょ。何のために、翔の子供を産ませようとしたと思ってるのよ……何のために……。」


 それは優が最後の一人になる為の条件だった。一時的に誰かのものになっても、最後に二人だけで生きる為の条件。子供であれば、いつか親の元を離れていってしまうから。空いた穴を埋めるように、自分がそこで翔を支えるはずだった。……全てを精算し終えた、その後で。


「……最悪よ……そんなの……何のためにこんなに頑張ってきたのよ……。」


「でも、僕は幸せだから。きっと優は、僕を幸せにする為に頑張ってきてくれたんだよ。」


「……翔を幸せに……そうね、それなら……仕方ないわね。」


 優は諦めたような、何処か納得したような、そんな表情だった。翔を幸せに出来たのなら、それでいい。自分の為にはならなかった10年だけど、それで少しでも翔の為になったなら、もうそれだけでいい。そう思える気がした。


「本当に、なんでこんな事になっちゃったのよ……私の翔なのに……あいつらのじゃないのに……。」


「ありがとう、優。」


「……もう、御終いだからね。勝手にフラフラ居なくなったら……そんなの許さないから。私の目の届く所から居なくなったら、私怒るからね……。」


「分かってる。」


「他の女に勝手な真似もさせないわ、翔が飽きたら直ぐに始末する。翔を裏切っても始末する。これ以上増やしたりもさせない。本当なら、私一人いれば充分なんだから……翔の隣には私だけでいいんだから……翔を不幸にするやつは、私絶対に許さないから……。」


「………ごめんね。」


「翔は謝らなくていいの……どうせあいつらじゃ、絶対無理よ。一生翔の隣に居る事なんて出来ないわ、絶対にいつか翔を裏切る。だから、だからその時は私だけが翔の隣に居るの、永遠の生命なんて関係ない、絶対にいつかそうなるから、本当に一番翔を愛しているのが私だって、いつか絶対に分かるから……だから、今はもう、いいの。」


 何かを押さえ込むように、呪詛のような言葉を吐きながら、優は自分に言い聞かせていく。翔の願いを聞くために、自分の罪を償うために、これから翔に愛していると言うために、今だけは、押さえ込まないといけない気持ちだから。痛む胸を抑えて、今だけは、耐える。


「……もう、大丈夫よ。そろそろ帰りましょうか、真っ暗だもの。」


「そうだね、一緒に帰ろう。僕は優が一緒に帰るまで、ずっと待つから。」


「………本当に? 待っててくれる?」


「うん……何時間でも、何日でも、優が手を引いてくれるまで、ずっと。」


「……そう、じゃあ、もう少しだけ待っていなさい……。」


 その言葉と同時に優が翔の前に回り、ぎゅっと翔の背中に手が回される。肩越しに優の表情が隠れ、代わりに、なんだか懐かしい暖かさを感じた。


「……………。」


「翔……私の……私だけの……。」


 言葉が震え、抱きしめる力が強くなる。それに応えるように翔もまた抱きしめ返すと、優の力もまた強くなって、お互いに離れられなくなる。触れ合う場所が多くなって、温もりが広がっていくように感じた。


「……あっ……。」


 ポタリ、と。翔の腕に雫が落ちた。雨の雫かと錯覚したその暖かい水滴は、いつの間にか、翔自身の瞳からこぼれたものだと気付く。


「……涙って、嬉しくても出るんだ。」


「………ええ、そうね……私も、初めて知ったわ。」


 そういった優の震える言葉も、慰めるような温もりの中に溶けていく。何処か懐かしくて、あの日に描いた理想の夢をもう一度見ているようで、二人の時間は止まったように動かない。





「……ずっと言いたかった筈なのに。愛してるって……不便な言葉ね。」





 星だけが照らす二人の世界。此処で始まりを告げた物語の最後のページ。その時の想いも言葉もまとめられないまま、ただ温もりだけ残して、少女は幕を下ろした。





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