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おそらく全年齢対象のはずですが、若干気になったのでRいれてみましたが、本当に全然全年齢な気がします。

それでは、どうぞ。


※◇が少女の独白、◆が少年の独白、となっております。


   ◇◇◇


 母上と父上が一緒にいるところを見た事がなかった。

 兄弟は多くいるが、同じ男の子かわからないと侍女たちが言っていた。

 同じ女の子かすらも。

 私も誰の子かわかったものじゃない、と侍女たちは十四歳の子どもに向ける目じゃないそれをくれた。

 屋敷を包むのは欺瞞。あるのは空虚。残るものは何もなかった。

 広い屋敷で豪華な調度品に囲まれながらも、この家にはなにもなかった。

 誰もその事に気づけず、一人気づいてしまった私は…

 見なければいいのだと思った。

 世間でそれが当然だとされていても。それがおかしいと思う自分を、封じてしまえばいいのだと思った。

 この屋敷に家庭などなく、この世に私はさして必要のない事に、気づいてしまったなんて。

 知らなくていい。

 わからなくていい。

 気づかなかった事にしたって、いい。



「気持ち悪い笑顔」

 自己紹介以外で“彼”が私にくれた言葉はそれがはじめてだった。

 表情を崩さずにいられた自信はそこそこ、ある。



 貴族のたしなみとして、社交界に加わる前の若い者同士の集まりが王宮であった。

 お互いに社交界デビュー前のメンバーで、コネクション作りを目的にすると同時に本番前の練習を兼ねていた。

 お茶会と称したそれは、プレ社交界そのものだった。

 十五歳にもなると社交界デビューは当たり前で、来年にそれをひかえた私は模擬社交パーティーのために王宮に向かった。

 本当は、そんなものに出席したくはなかったけれど、親の望む子どものあるべき姿に従った。そもそも、反感を持つ方がおかしいのだ。

 両親の言う事には唯々諾々と。それが全て。

 私が見ないふりをはじめてから、笑顔を作るのが上手くなったと思う。

 誰もがかわいらしいと思う表情の最たるもの、笑った顔を貼りつけておけば、何も見なくてすむのだ。

 醜いものも、きれいなものも。正しくないものも、正しいものも。見たいものも、見たくないものも。

 笑顔はきっと人の心を包み隠す仮面なのだろう。

 不思議なものでこうして私が笑っていれば、誰もが私が“見えないふり”をしているのに気がつけなかった。

 だから、まさか今回の集いに第八王子がいらっしゃるなんて予想外の出来事に驚いていたのにも、誰も気づかなかっただろう。

 微笑んで、柔和に。そうしていれば何事もやりすごせる。上手くやっていける。だから大丈夫。

 何も、心配する事はない。

―――気持ち悪い 笑顔

 思いもかけず、投げられた言葉も、ちゃんと受け流したはずでしょう?

 それでも、あの黒い瞳、あの人が――嫌いだわ。

 あんなに真っ直ぐに人を見る。見る力がある。あの瞳は力を持つ。

 真っ直ぐに。

 怖いくらい、こちらを、見る。

 私は、見なかったのに。

 あなたの事も見ていなかったのに。

 あなたは、恐ろしい。

 自分を見ないものを見ようとしているのだから。全てを見透かす力ある瞳で。

 何も見ようとしない、私を責めるようにすら思えた。

 お前は、何故何も見ようとしない。何故耳をふさぐ。

 そう、責められているようで。

 こわかった。

 恐ろしかった。

 逃げ出したかった。

 臭いものには蓋、見えないふり。そんな自分をつきつけられたようで、叫び出したいほど全身が粟立った。

 気持ち悪い笑顔。

 知ってる。

 あの人は知っている。私の笑顔が仮面だという事を。その下にはまるで違うものが存在している事を。

 その中には脆弱な自分しかいない――それを知られたと思うほど力強く。

 こわかった。

 心臓を手で握られたかのように感じた。

 黒い瞳、見破られた笑顔。

 私が弱い人間だと、仮面をつけていないとロクに人と接する事も出来ない人間だと、思い知らされた。

 初めて会ったのに、私の弱さを明るみに出す、あの方が大嫌いになった。







   ◆◆◆


 一目見ただけで悟った。

 “彼女”には、世界が見えている。

 おれはそういう空気は見慣れているからわかる。

 それなのに、彼女は微笑んで、目を閉じた。

「気持ち悪い」

 そう感じた。



 おれは一国の王子だというのに、幼い頃には王宮では育たなかった。

 表面では一夫一妻をうたっているが、事実上一夫多妻が王族では踏襲されてきた。血筋が途絶えるのを防ぐ役割がある。

 それはそうだ。赤子は弱く、すぐに死ぬ。おれの前にも後ろにも、生まれる前や生まれてまもなく死んだ兄弟たちがいる。

 もっとも生まれ育ってからは意図的に人の手により死んだ兄弟もいる。我が子を王位につけさせたい未来の王の母が、邪魔者――他の次期国王候補を排除するからだ。

 だからそんな王宮では、精神がマトモな者は少ない。むしろマトモな者は異常者扱いされる。王宮では人間らしさは要らない。

 そんなおれを王宮から連れ出したのは一人の家庭教師。彼は友人に幼子のおれをあずけた。剣術の使える男だったから護衛も兼ねての事だろう。

 男に剣術も習うようになり、彼はおれの剣の師匠にもなった。しかし、彼にはそれよりももっと多くの、それこそいろいろな事を教わった。

 王宮では必要のないもの、人間性とでも呼べるものを。

 母親が死んでいたので、特におれを必要とする者はいなかった。だから突然第八王子のおれがいなくなっても困る人間はいなかったようだ、しばらくは。

 師匠はおれをありとあらゆるところへ連れて行った。もしかしたら世界の果てまで遠く。

 彼は言った。

 見ろ、世界はこんなにも広い。

 お前の両の目はなんのためにある? 見るためだ。

 真実を、そんなものがなくとも、現実を。裏も表も、何も見えなくても。

 お前には世界を見通す瞳がある。

 真っ直ぐ前を見るんだ。

―――見る

 おれは、馬鹿正直にそれを受け取った。

 土も樹も山も空も雲も。石畳も屋根も白壁も家具も家主も。海も船も港も積み荷も。畑も小麦も民も積み藁も。酒場も飲んだくれも暴力も破壊も死も。

 だがおれは何もわかってはいなかった。

 見えるものばかりを見て、自分の事ばかりを気にかけて。

 王宮からの追っ手がかかっている事を知らずに。

 五年。

 今思えば、よくこんなにも長い間行方をくらませていられたと思う。

 師匠は、王宮から逃げていたのだ。彼にそのつもりはなくとも王子を誘拐した逆賊になりはてた。

 あの家庭教師がなんと言っておれを師匠に託したのかは知らないが、そうなる事はわかっていただろうに。

 おれは師匠がどんなつもりで旅を続けてきたのかわからない。心根の優しい人だから、きっとおれをマトモに育てようとしただけだと思ってくれていたかもしれない。

 しかしどうだろうか。一人の子どものせいで自分の命が危うくなるというのは。師匠は決して自分を偽る事のない人間だった。だから嘘を嫌い常に本当の事だけを言った。それが辛い時もあった。

 おれに人間というものはどう生きるべきかを教えてくれた人だ。嘘をついていたとは考えたくない。だが。どうだろう。

 あのような豊かな心と優れた人間が、一人の人間のせいで死ぬ、ような結果になって。

―――責めるな

 師匠は言った。

 自分を、責めるな。お前のせいで俺が死んだなどと考えるな。

 そんな傲慢な考えは棄てろ。

 俺は自分の良心に従ったまでだ、後悔などしていない。俺はお前に会えてよかったと思っている。

 その気持ちをお前は踏みにじるのか?

 お前は、自分のせいで――と…

 お前は悪くない。上手く立ち回れなかった俺が悪い。

 だから、自分を責めるな。

―――お前は…自分の足で立て

 おれは、師匠の言葉に従えなかった。自分を責めた。おれさえ居なければこんな事には。師匠が死んだりする事はなかった。せめておれにもっと力があれば。

 だがおれはいつも師匠が言っていたあの言葉にだけは従った。

 見ろ。

 お前の目で。

 師匠を殺した城の遣いたちが、彼の肉体を埋めていく様を。瞬き一つしないように。瞬きしないものだから乾いた眼球を潤す水分にも構わず。

 師匠の身体を染める赤黒い色も、まだ生きていた頃と変わらぬ肌の色も、力なく垂れ下がる腕も、二度と開く事のない瞼も、呼吸をしない鼻と口も、戻らないいのちも。

 彼の死んだ事は当時のおれには記号にすらならず、全くもって信じられない事だった。彼が死という言葉と直結する事はなかった。少し前まで自律していたものがもうそれを行えない、などと。

 信じられなかった。信じなかった。

 ただ瞼を見開いて、現実とも思えぬ光景を見続けていた。

 師匠であったはずのものが土塊(つちくれ)をかけられ、茶色いそれが彼を覆って、息が出来なくなるのにと思って、暴れても城の者は離してくれず、どんなに自分の無力を責めたてても、彼が柔らかい土の下にきれいに隠されても、おれは見る事をやめなかった。

 やめられなかった。

 見ろ。ただそれだけが力を持って訴えた。

 これは、これだけはどんなに恐ろしい事実であっても目をそらしてはいけない。

 彼が死んでいようといまいと。信じられなかろうが受け止められなかろうが。

 あれは、見なくては、いけない。

 そうして、何もかも見終えると、おれは王宮へと連れ戻された。



 王宮へ戻ってからも師匠の死は信じられなかった。ある日突然、彼はひょっこり顔を出すのかと思うくらい。

 しかし時が彼を押し流していった。

 自分がそうしたのではない。時間と、王宮がそうさせた。

 歪んだ王宮は人の死を認識させる事くらいは出来るらしい。

 自分を責める事はあっても、おれは師匠の死を信じられるようになった。本当のところ何故だかはわからない。

 ただ彼はもう二度と自分の前に姿を現す事はなく、多分自分がもうそれを信じられなくなっただけだった。

 それでも彼の教えは忘れられず、忘れられるはずもなく、おれは見る事にこだわった。

 王宮ではなんのちからがなくとも、見えるものを見ないなどとしたくはない。

 そんな事に何も意味はない。

 師匠が生きた証をたてるのに、おれが生きて何もかもを見つめ続けるのは必要な事だと思ったからだ。

 だから、王宮での腐った生活は苦痛でもあった。何もかもが腐り歪み軋んでいる。それをまるで見ようともしない者ばかり。盲目のふりをしてみせる者で溢れかえる。

 余計なちからが横行する。誤りが是とされる。媚びへつらう事が美徳になる。素知らぬふりが正義に変わる。

 おれには生きづらい世界だった。見れば見るほど、そう思った。

 だから憎んだ。王宮を。師匠を殺した王宮を。

 そんなおれに気づかぬはずがなく、王宮に出入りする者や王族はおれを疎んだ。

 剣術の稽古ばかりするのも、たしなみ程度としか考えていない彼らには異様にうつったようだ。

 真実が、歪んでいても、おれは眼を閉じる事だけはしたくなかった。だから、ここで生きる時も見えないふりはしない。

 ものが見える両の目があるのだから。



 社交界デビューを前にしたお茶会の集いなどと、下らぬ催し物も出る気はなかった。しかし来るはめになったのは、取るに足らない理由だった。稽古の汗を流して用意された服を着ると、それはよそ行きの服で自分の剣を探していれば見つかった部屋に貴族たちが集まってきた。ただそれだけの事。

 おれの利用価値は、おれの母親の姉であり国王の側室でもある女が見出した。彼女の息子はおれが出奔してる間に死んだ。妹の息子だからとおれを駒に選んだらしい。追っ手を遣ったのも彼女だ。

 今回も伯母のお膳立てだろう。まさか社交界にも姿を見せず引きこもりの王子を王位に据えられないというところだ。

 いい迷惑だと思った。

 まさか、あのような人物に会うとは知らず。



 集められたのはほとんど自分と同じ年か少し前後する程度の六人。

 王族を前に緊張する者や野心もあらわにいきり立つ者。いつものわかりやすい行動を見た。

 その中に、一目見て異彩を放つ者がいた。

 たおやかに、微笑んで、穏やかにしゃべる。

 典型的な貴族令嬢の鑑。

 その下には、おれと同じ目を持っていた。

 歪んだ世界に疑問を抱く目だ。それがおれには見えた。

 それなのに。

 彼女は瞳をそらした。

 こちらを見ようともせず。ただ口角を上げる。

 おれは、いろいろな気持ちが混ざりあって気持ちが悪くなった。

 あんまりに失礼な言葉を、吐いた。

「気持ち悪い 笑顔」







   ◇◇◇


 その瞬間も、お茶会の後も、今日のレッスンの最中も、私は一度も笑顔をたやさなかった。

 私はもう自分があれくらいの事で動じる人間ではなかったと思いこんだ。

 それから寝る前に、寝間着になって寝台に身体を横たわせると、反芻してしまった。

―――気持ち悪い笑顔

 せり上がってきたのは、虚しさ。寂寥。恐怖。

 ひどく心臓が痛くなった。

 恐ろしくて恐ろしくて、息苦しくなった。

 鼻がつまる。目の下が何かを反射する。頭が痛い。

 こわい。こわいこわいこわい。

 どうして。

 どうしてあの人はあんなにも人を真っ直ぐ見る事が出来るの。

 私はあなたを見ていなかったのに。あの場の誰もがあなたを見つめていなかったのに。

 自分を顧みないものを、どうしてそんなに力強く眼差しを注げるの。

 どうしてそんなに勇気も気概も必要な事が、そんな簡単に出来るの。

 どうして私には出来なかった事をやってのけるの。

 どうしてそれを私の前でやってみせるの。

 どうして私に見せつけるの。

 どうしてそれを私に思い知らせるの。

 どうして私が弱い事を思い出させるの。

 どうして私の心をのぞくの。

 どうしてそんな瞳で私を見るの

 どうして……



 ただ一つ

 彼にはもう二度と会いたくなかった







   ◆◆◆


 自分を恥じた。

 いくらなんでも、婦女子に対してあのような失礼な事を。

 気持ちが悪くなったのは自分の頭の中にだ。

 おれは時折、この考える脳みそというものを捨てたくなる。

 師匠の事を疑い師匠を殺した自分を責め続ける、また、視界に入るものだけで世界を知った気になるこの脳みそを。

 だから彼女のような人物を見て、動じた自分は様々な事を考えた。考え過ぎた。必要以上の膨大な思考が気持ち悪い。それだけなのに、おれは彼女を傷つけた。

 全くそんな素振りも見せずに凍った場の空気を和ませてみたけれど。

 小さくふるえた睫毛。

 ほんの刹那、彼女の素顔が見えそうな気がした。

 すぐにそれはなくなったけれども、あれだけの事を言われて気に病まぬ人間はそうはいない。

 すぐに謝罪を述べたけど、彼女は受け取りまた別の話題にすり替えた。

 おれはそれすら複雑な気持ちになった。

 そもそも、彼女にはとても一言では言えないような感情を抱いている。

 自分に近い、同じとも言える目を持つ人間。それは喜ぶべき事なのかもしれない。しかし彼女はそれを封じ込めている。何も、見ないで。それで良しとしている。

 それが気に障る。

 まるで―――あの日、見ない事を選んだ自分のように見えた。

 師匠が死んで、弔うでもなく亡骸を地中に隠し埋められる様を。恐ろしいからと信じられないからと目を閉じて。なかった事にしようとして、真っ暗闇に世界を変えて。

 そうやって生きてきたかもしれない自分を押し付けられたようで、愕然とした。

 鏡のように。反転した自分がそこに居るように思えた。道を違えた自分。何も見ない自分。

 そう思ったら戦慄した。

 自分の顔をしたなにかがこちらに微笑んでいるように見えて、つい口からこぼれてしまった。

―――気持ち悪い

 彼女はおれなんかではないのに。

 自分と重ね、愚かな振る舞いをした。

 何故、あんな事を。何故、あんな酷い言葉を。

 それと同時に、思う。

 何故、彼女はこちらを見ない。

 何故、彼女は知っていながら見ようとしない。

 何故、瞳を閉じる。

 何故、微笑む。

 何故、何故、何故、なぜ……

 なぜ こんなにも彼女が気にかかるのだろう



 不思議と、彼女にはもう一度会いたかった。


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