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悪役令嬢、森で拾った狼が満月の夜にイケメンになる  作者: 夜凪 蒼


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第6話「狼族という存在」

翌朝、ルークがいなかった。


目が覚めて暖炉の前を見たら、毛布だけが丸まっていた。戸口が薄く開いている。風が入り込んで、松の樹脂に似た匂いが鼻をかすめた。


「——群れに顔を出すって言ってたもんね」


昨夜の遠吠えを思い出す。ルークの兄。群れの長。弟が人間と暮らしていることを知ったら——。


落ち着かない。でも追いかけるわけにもいかない。狼族の領域は人間が踏み入る場所じゃないとルークが言った。


薬草を摘みに行こう。手を動かしていれば気が紛れる。


北の薬草地帯——ルークが教えてくれた場所——で籠いっぱいに薬草を摘み、小屋に戻った。


戸口の前に、鹿の脚が置いてあった。


「……ルーク」


帰ってきたのだ。姿は見えないが、狩りをしてからまた出かけたのだろう。この脚は「行ってくる、飯は置いていく」という意味だと解釈する。犬が飼い主に獲物を持ってくるのと同じだ——いや、犬と一緒にするなとルークに怒られる。


鹿肉を捌いて干し肉を作りながら、昨夜聞いた話を整理した。


狼族。この森に住む一族。満月の夜に人化できる。二十頭ほどの群れ。人間とは関わらないのが掟。


前世のゲームにこんな設定はなかっただろうか。一度しかプレイしていないから記憶が曖昧だ。悪役令嬢ローゼマリーは脇役で、攻略対象は王太子と騎士団長と——。


ルークは攻略対象にいなかった。狼族の設定もなかった気がする。


つまりこの世界は、ゲームの外側にも広がっている。ゲームで語られなかった存在が、ゲームの舞台の外で普通に生きている。


「当たり前か」


ゲームはヒロインの物語だった。ヒロインから見えない場所に何があるかなんて、描かれるはずがない。


昼過ぎ。ルークが帰ってきた。


小屋の戸を鼻先で押し開けて入ってくる。いつもの銀色の狼。でも今日は少し毛並みが乱れている。誰かとぶつかったのか、走り回ったのか。


「おかえり。鹿、ありがとう」


尻尾が一回。でも元気がない。ゆっくりした一振り。


「何かあった?」


ルークが暖炉の前に座って、前脚の間に顎を乗せた。ため息みたいな息を吐く。犬がストレスを感じたときにやるカーミングシグナル——あくび、口を舐める、ため息——と似ている。


「お兄さんに何か言われた?」


尻尾一回。はい。


「怒られた?」


一回。


「帰ってこいって?」


一回。


「でも帰ってきた。ここに」


ルークが顔を上げた。金色の瞳が私を見る。尻尾が揺れない。はいでもいいえでもない。


「——帰ってきたかったから帰ってきたの? それとも、まだ決めてないの?」


長い沈黙。ルークが立ち上がって、私の膝に頭を乗せてきた。重い。温かい。銀色の毛が膝を覆う。


これは尻尾の「はい」「いいえ」では表せない答えだ。言葉が欲しいのだと思う。でも今は狼だから言葉がない。


「わかった。次の満月に聞くよ。今はゆっくり休んで」


頭を撫でる。耳の後ろを掻く。ルークの目がゆっくり閉じていく。


「——ねえ、ルーク。一つだけ聞いていい?」


片目が開く。


「狼族って、この森にしかいないの?」


尻尾二回。いいえ。他にもいるのか。


「でもこの群れがあなたの群れ?」


一回。


「群れを離れるのは——辛いこと?」


長い間があった。ルークが目を閉じたまま、ゆっくりと尻尾を一回振った。


はい。辛いことだ。


「……そっか」


それ以上は聞けなかった。


夕方、スープを作った。鹿肉と、今日摘んだ薬草を入れて。ルークにはいつもより多めに盛った。


食べ終わったルークが暖炉の前で伸びている。腹を見せている。


「……今日は撫でてほしいの?」


尻尾一回。大きく。


昨夜、この腹を見せる行為の意味を知った。「信頼した相手に見せる」と。人の姿で、照れながら言っていた。


知ってしまうと、手を伸ばすときに少しだけ緊張する。


でも伸ばした。指を銀色の腹に沈める。密度の高い毛並みが指を包む。温かい。


「もふ……」


この感触は何度触っても飽きない。前世で動物に触れていた何千時間の蓄積が「これは良い毛並みだ」と太鼓判を押している。


ルークの後ろ脚がわしわし動いている。耳の後ろを掻いたときと同じ反射。気持ちいいのだろう。


「ルーク」


目が開く。


「あなたがどっちの姿でも、私はここにいるから。群れのことは、あなたが決めて」


尻尾がゆっくり揺れた。はいでもいいえでもない、あの揺れ方。


「動物病院でね——前世の話なんだけど」


ルークの耳がこちらを向く。


「飼い主に捨てられた犬がいたの。新しい里親が見つかっても、最初の数日はずっとドアの前で待ってるの。前の飼い主が迎えに来るかもしれないから」


ルークが動かなくなった。呼吸だけが聞こえる。


「でも一週間くらいすると、ドアの前じゃなくて里親の足元にいるようになるの。新しい場所を選ぶのに時間がかかるんだよね」


暖炉の火がゆらりと揺れて、二つの影を壁に映す。


「私は急がないよ。あなたが決めるまで待つ」


ルークが鼻先を私の手首に押し付けた。湿った感触。少しだけ震えている気がした。


夜が更けて、ルークが眠りについた。月は半月。満月にはまだ遠い。


窓から見える森の奥——あの暗がりの向こうに、ルークの群れがいる。兄がいる。掟がある。


私は追放された悪役令嬢だ。帰る場所はない。


ルークには帰る場所がある。でも帰りたくない理由もある。


その理由が私のスープなのか、もふもふを撫でてもらえるからなのか、それとも——。


「……次の満月に聞くか」


ひとりごとが、暗い小屋に溶けた。


翌朝。目覚めたら、枕元に白い花が一輪置いてあった。茎が噛み跡で千切れている。ルークが咥えてきたのだ。


花弁に朝露が残っている。冷たくて、甘い匂いがした。


ルークは暖炉の前で寝たふりをしていた。尻尾の先だけが、ぱたぱたと揺れている。

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