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悪役令嬢、森で拾った狼が満月の夜にイケメンになる  作者: 夜凪 蒼


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第2話「お手もお座りもできる」

ルークが来て五日目。傷は順調に治っている。


もう四本の脚で歩ける。小屋の中をうろうろして、暖炉の前で丸くなって、私が外に出ると窓から顔を出してこちらを見ている。


問題は、この狼が異様に賢いことだ。


最初に気づいたのは三日目の朝。薬草を煮ている鍋が吹きこぼれそうになったとき、ルークが鼻先で私の腕をつついた。振り向いたら鍋を見て、また私を見た。


「……え、教えてくれたの?」


尻尾が一振り。


偶然かと思った。でも偶然は続く。


四日目。水汲みに行こうとしたら、ルークが戸口に立って外を見た。空を見上げて、くうん、と鳴く。


三十分後に雨が降った。


「天気予報もできるの……?」


獣の勘と言えばそうかもしれない。動物は気圧の変化に敏感だ。前世の動物病院でも、雨の前に落ち着かなくなる犬がいた。


でも「空を見て鳴く」のは、明らかに伝えようとしている。


そして今日。五日目の事件。


「ルーク、お手」


何の気なしに言った。前世の癖だ。犬がいるとつい「お手」と言ってしまう。手を差し出して、半分冗談で——。


ルークが前脚を私の手のひらに乗せた。


「……はい?」


ずしりとした重み。銀色の毛に覆われた太い前脚。爪が手のひらに軽く当たっている。


「お座り」


ルークが腰を下ろして座った。姿勢が良い。背筋が伸びている。


「おかわり」


反対の前脚が乗った。


「伏せ」


伏せた。


「待て」


肉を目の前に置いて、五秒間じっと動かなかった。


「よし」


がつっ。一口で消えた。


私は籠の横に座ったまま、しばらく動けなかった。


いや待って。お手お座りおかわり伏せ待てよし。全部できた。全部完璧にできた。「よし」の合図を待てるのは中級以上の訓練が入っている犬でもなかなか——いやこの子、犬じゃない。狼だ。森の。野生の。


「あなた、本当に何者?」


ルークが首を傾げている。こういうとき、この狼はちょっと困ったような、でもどこか照れているような表情をする。口元が微妙にゆるんで、耳が後ろに倒れて。


犬で言うところの「照れ笑い」だ。


「試していいかな」


私は小屋にあった物を使って、実験を始めた。


まず、木の実を三つ並べる。


「ルーク。二つ取って」


ルークが前脚で二つの木の実を転がして寄せた。


鳥肌が立った。


「じゃあ——赤い木の実だけ取って」


三つのうち一つだけ赤い木の実がある。ルークがそれを鼻先で押し出した。


「色がわかるの!?」


犬は赤と緑の区別が苦手だ。二色型色覚で、人間ほど色を識別できない。狼も同じはずだ。でもルークは赤を選り分けた。


「……この世界の狼は、地球の狼とは違うのか」


それとも、この子が特別なのか。


午後。もう一つ試してみたいことがあった。


「ルーク、ここで待ってて。私、東の薬草地帯に行ってくるから」


立ち上がって戸口に向かう。すると、ルークが先に戸口に出て、北を向いた。


「東だよ。こっち」


私が東を指さすと、ルークは一度北を見てから、こちらを振り返った。


あ、と思った。


「……北に何かあるの?」


ルークが歩き出した。三歩進んで振り返る。ついてこいと言っている。


ついていった。小屋から北に十分ほど歩くと、開けた場所に出た。


薬草が群生していた。東の薬草地帯より種類が多い。私が探していた傷薬の材料もある。しかも、ここは日当たりがよくて虫が少ない。


「ルーク、あなたここ知ってたの?」


尻尾がぱたぱた揺れている。得意げだ。口が開いて舌が出ている。犬の笑顔。いや狼の笑顔。


「すごいね、ありがとう」


頭を撫でると、目を細めて顎を押し付けてくる。耳の後ろを掻くと後ろ脚が空中でわしわし動く。


「そこ気持ちいいんだ」


動物の耳の後ろは神経が集まっていて、掻かれると快感を感じやすい。前世の知識が確認されるたびに少し嬉しくなる。世界が変わっても、生き物の体は共通点がある。


薬草を摘んで帰る道すがら、ルークが隣を歩いている。もう脚を引きずっていない。回復が異様に早い。普通、あの深さの切り傷が五日で歩行に支障がなくなることはないのだけれど。


「治りが早すぎるのも気になるんだよね」


ルークが横目でちらりとこちらを見て、すぐに前を向いた。


ごまかされた気がする。


夕食の支度。ルークが暖炉の横に陣取って、私の作業を見ている。鍋をかき混ぜると鼻がひくひく動く。匂いに反応しているのだ。松脂に似たスパイスの香りが小屋に広がっている。


「味見する?」


木のさじを差し出すと、ぺろりと舐めて尻尾を一振り。合格らしい。


食後。暖炉の前に並んで座る。ルークの背中に手を置いて、毛並みをゆっくり梳く。前世でブラッシングが好きだった犬を思い出す。


「ねえ、ルーク」


耳がこちらを向く。


「あなた、本当はただの狼じゃないでしょう」


沈黙。暖炉の薪がぱちりとはぜる。


ルークは答えない。当たり前だ。狼だもの。人の言葉で答えられるわけがない。


でも——金色の瞳が揺れたのを、私は見た。


まるで「気づかれた」と思っているような、一瞬の動揺。


「まあいいよ。秘密があるなら待つ。動物病院でもね、最初は唸って噛みつこうとした子が、通院するうちに膝に乗ってくるようになるの。信頼は時間がかかるものだから」


ルークが私の膝に顎を乗せた。重い。温かい。銀色の毛がスカートに散らばる。


「——ただし」


耳がぴくっ。


「満月まであと二日。あなたに何か起きるなら、そのあたりかなって」


根拠はない。ただの勘だ。前世で野生動物のドキュメンタリーを見すぎたせいかもしれない。満月の夜に動物の行動が変わるという俗説は科学的には否定されているけれど、この世界は科学じゃない。魔法がある世界だ。


ルークが体を強張らせた。一瞬だけ。すぐに力を抜いて、尻尾をぱたんと床に落とす。


——やっぱり、何かある。


でも今は問い詰めない。信頼は時間がかかるものだから。


「おやすみ、ルーク」


目を閉じる。指先にルークの毛並みの感触が残っている。


二日後の満月の夜、私の勘は正しかったのだと知ることになる。


——そしてそのとき、私は人生で二番目に大きな悲鳴を上げることになる。一番は前世の交通事故のときだ。

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