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悪役令嬢、森で拾った狼が満月の夜にイケメンになる  作者: 夜凪 蒼


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第26話「クローゼットに服がある」

朝、クローゼットを開けて固まった。


 知らない服がある。


 私の服は左側にまとめてかけている。辺境暮らしに相応しい実用的なワンピースと、エプロンと、予備のシャツ。それだけのはずだった。


 右側に、男物のシャツが三枚かかっている。ズボンが二本。ベストが一枚。どれも見覚えがない。


 ——いつの間に。


 ルークは暖炉の前で寝ている。銀色の狼が丸くなって、尻尾で鼻先を覆っている。起こすべきか迷ったけれど、起こした。


「ルーク」


 片目が開く。


「クローゼットに服が増えてるんだけど」


 ルークの尻尾がぴくりと動いた。両目が開いて、私の顔をじっと見つめる。


「あれ、あなたの?」


 一度だけ尻尾を振った。肯定。


「いつ入れたの」


 ルークが目を逸らした。尻尾が床をすすすと掃くように動いている。気まずいときの仕草だ。


「——満月の夜に入れたでしょ」


 尻尾が止まった。図星。


 人間形態になれる限られた時間を使って、クローゼットに自分の服を忍ばせていた。いつからだろう。一ヶ月前? もっと前? 満月のたびに、私が寝ている間にこっそり。


 胸がどくんと鳴った。


 服がある、ということは。ここに自分の場所がある、ということだ。


 最初の頃、ルークは人間に戻るたびに私の服を借りていた。サイズが合わない私のブラウスに腕を通して、裾が短すぎるスカートの代わりにシーツを巻いて。あの頃は「借りている」だった。間に合わせの、一時的な。


 でも今、クローゼットの右側に並んでいるのは、「借り物」じゃない。


 ルークの服だ。ルークが自分のために用意した、この小屋に置くための服。


「ルーク」


 狼が私を見上げる。琥珀の目が揺れている。怒られると思っているのかもしれない。勝手に入れたから。


「いいわよ。そこ、使って」


 尻尾が勢いよく振れた。


「でも次からは一言言いなさいよ。びっくりしたんだから」


 鼻先を私の手に押しつけてきた。冷たくて湿った感触。「ごめん」のつもりなのか「ありがとう」のつもりなのか分からないけれど、とにかく甘えている。


 改めてクローゼットの中を見る。


 左側に私の服。右側にルークの服。並んでいる。


 ——同棲みたいじゃない。


 頬が熱くなった。違う。同棲じゃない。人間と狼だ。種族が違う。満月の夜しか人間にならないし、しかも裸で現れるし、ボタンの留め方もまだ怪しいし。


 でも。


 服が並んでいる光景が、妙にしっくりきてしまう自分がいる。


 ミーナが午前中にやってきて、薬草の在庫確認をした。クローゼットをちらりと見て、にやりと笑った。


「増えたわね」


「……何が」


「服よ。男物が」


「ルークのだけど」


「知ってるわよ。で、どう?」


「どうって」


「嬉しいんでしょ」


 返事の代わりに、棚の薬草を整理するふりをした。ミーナの笑い声が背中に刺さる。


「分かりやすいわね、あなた」


「ミーナ、薬の話しよう。薬の話」


「はいはい」


 午後。ルークと森を歩いた。群れに届ける薬を包んだ布袋を、ルークが咥えて運ぶ。私はその横を歩く。


 ふと思い立って、聞いてみた。


「ルーク、あの服、どこで手に入れたの?」


 ルークが立ち止まった。振り返る。


「満月の夜にしか人になれないのに、いつ買いに行ったの」


 ルークの耳がぺたんと伏せた。


「……まさか、ミーナに頼んだ?」


 尻尾が一度だけ揺れた。肯定。


「ミーナ! 知ってて黙ってたのね!」


 森に向かって叫んだけれど、ミーナは小屋にいるので届くわけがない。ルークがびくっと耳を跳ね上げた。


「ごめん、驚かせた」


 頭を撫でると、おずおずと尻尾が揺れ始めた。


「ミーナに頼んで、町で買ってもらったんだ」


 一振り。


「いつから?」


 ルークが前脚で地面を掻いた。考えている——のではなく、「言いたくない」の仕草だ。前世で見た犬も、気まずいとき同じことをしていた。


「教えてくれないの?」


 ルークが歩き出した。背中で語るタイプの狼だ。


 仕方ない。ミーナに聞けばいい。


 群れの縄張りの境界で薬を置き、戻る途中。西の空が赤く染まっていた。


 ルークが急に立ち止まって、私のスカートの裾を軽く引っ張った。


「何?」


 ルークが空を見上げている。私も倣って見上げた。


 夕焼けの中を、鳥の群れが渡っていく。V字の編隊。翼の先が橙色に光っている。


「きれい」


 ルークの尻尾がゆっくり揺れている。


 この狼は、こういうことをする。ふとした瞬間に、美しいものを教えてくれる。空の色。風に揺れる花。朝露に光る蜘蛛の巣。人間のときは無口なくせに、狼のときはこうやって鼻先や前脚で「見て」と伝えてくる。


「ありがとう」


 頭を撫でた。銀色の毛並みが夕日を吸い込んで、赤みを帯びた金色に変わっている。


 帰り道、小屋が見えてきたとき、またクローゼットのことを考えた。


 右側に並ぶルークの服。あれは、「ここにいる」の物証だ。言葉より確かな、形のある宣言。


 前世で、動物病院に長期入院していた犬には専用の毛布とおもちゃがあった。「この子のもの」として棚にしまわれていた。あれと同じだと思えばいいのに、なぜかそう思えない。


 もっと、特別なもののような気がする。


 小屋の扉を開けた。ルークが先に入って、暖炉の前に伏せる。いつもの場所。


 クローゼットが目に入った。閉じている。


 でも、あの中に、二人分の服が並んでいることを——私はもう知っている。

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