第15話「どっちが本当なの」
ミーナに聞いてみた。
「ねえミーナさん。狼族って、狼のときと人のときで性格が変わるものなんですか」
ミーナの小屋は薬草の匂いに満ちていた。乾燥したラベンダーの束が天井から何十本もぶら下がっていて、その隙間から煙のように甘い香りが降りてくる。窓際の棚には色とりどりの瓶が並んでいて、それぞれに手書きのラベルが貼ってある。
「変わるわよ。というより、出てくるものが違うの」
ミーナは薬を擂り潰しながら答える。石の乳鉢が規則正しく音を立てている。
「狼の姿では本能に近くなるわ。好き嫌い、快不快、安心か警戒か。シンプルなの。でも人の姿になると理性が表に出る。恥ずかしいとか、相手にどう思われるかとか」
「じゃあ、どっちが本当のルークなんですか」
ミーナの手が止まった。
「どっちも本当よ。どちらか片方だけが本物ってことはないの。——なんでそんなこと聞くの?」
「狼のときはすごく甘えてくるのに、人のときは距離を取るから」
「ふうん」
ミーナが意味深に笑う。この人はよく笑う。しかもだいたい何かを見透かしている顔。
「それはね、ローゼマリー。ルークが人の姿であなたに近づくのを我慢してるってことよ」
「我慢?」
「狼のときは我慢しなくていいの。本能のままだから。でも人の姿だと、自分が何をしたいのか自覚してしまうから、怖くなるのよ」
自覚。何を自覚するのか。聞きたいような、聞きたくないような。
ミーナが乳鉢を脇に置いて、私の顔をまっすぐ見た。
「あなたはどうなの」
「私?」
「狼のルークと人のルーク、どっちが好き?」
不意打ちだった。
もふもふの銀毛に顔をうずめる幸福。膝に頭を乗せてくる重みと温かさ。それは間違いなく好き。
でも——テーブル越しに「うまい」と言ったルークの声。伸ばしかけて止めた手。口角がほんの少し上がった、あの笑み。
どちらか選べと言われたら。
「……わかんない」
「わからない、ね」
ミーナが立ち上がって、棚から瓶を一つ取った。琥珀色の液体が入っている。
「はい、これ。筋肉痛の塗り薬。ルークの前脚に使ってあげて。傷は治っても、筋が固くなってることがあるから」
「ありがとうございます。——でも、今の質問の答えは」
「急がなくていいわよ。ルークだって答えを出してないんだから、あなたも急ぐことない」
ミーナの小屋を出て、森の道を歩く。ルークとピートが待っている小屋へ帰る途中、ずっと考えていた。
どちらも本当のルーク。ミーナはそう言った。
でも私のなかでは、二つのルークがうまく重ならない。片方は四本脚のもふもふで、もう片方は銀髪のイケメンで。同じ存在のはずなのに、胸の反応が違う。
もふもふルークには「かわいい」と思う。素直に。迷いなく。
人間ルークには——かわいいとは違う何かがある。名前をつけるのが怖い。
小屋に戻ると、ルークが扉の前で待っていた。尻尾が揺れている。
「ただいま」
鼻先が私の手に触れる。ミーナにもらった薬の瓶を嗅いでいるのか、私の手を嗅いでいるのか。
「ルーク、前脚見せて」
促すと、素直に前脚を差し出してくる。怪我をしていた右前脚。傷跡はもう見えないけれど、指で触ると確かに筋が硬い。
薬を塗り込む。ルークは大人しくされるがままだ。前世の動物病院で、犬の脚をマッサージしたときの手つきを思い出しながら、ゆっくり揉みほぐす。
ルークが目を閉じた。気持ちいいらしい。全身の力が抜けていくのが、触っている手のひらから伝わってくる。信頼されている。この脚を私に預けてくれている。
「ルーク」
目を閉じたまま、耳だけがこちらを向く。
「あのさ。どっちが本当とか、今はいいや」
ルークの耳が微かに動いた。
「狼のルークも好き。人のルークも——嫌いじゃない」
嫌いじゃない、という言い方が精一杯の防衛線だった。ルークは聞こえている。意味もわかっている。でも狼の姿では返事ができない。
だから、今は安全なのだ。
返事がないことに甘えている自分がいる。ずるいな、と思う。次の満月に人の姿で向き合ったとき、同じことが言えるかどうか。
ルークの前脚のマッサージを終えて、手を離す。
ルークが目を開けた。金色の瞳がまっすぐ私を見ている。狼の目なのに、そこに宿っている感情は——獣のものには見えなかった。
ピートが横から突進してきて、空気を壊した。私の膝に飛び乗り、手を甘噛みする。
「ピート! 今いいところだったのに——」
いいところ? 何がいいところだ。自分で自分にツッコむ。
ルークがふい、と顔を背けた。でも尻尾は揺れている。
大きく。ゆっくり。嬉しいときの揺れ方。
——どっちが本当のルークなのか。
答えはまだ出ない。でも、どちらのルークの隣にも、私はいたいと思っている。
その気持ちだけは、もう誤魔化せない。




