表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢、森で拾った狼が満月の夜にイケメンになる  作者: 夜凪 蒼


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

14/31

第13話「人のときの距離感」

満月が来た。


 夕方から空が晴れ渡って、月の輪郭が東の空にくっきりと浮かんでいる。ルークは窓辺に座って、じっと月を見つめていた。ピートはルークの隣で丸くなって寝ている。この子には関係ないのだ、まだ。


 日が沈む。月が昇る。


 ルークの体が光を帯びた。銀色の毛並みが溶けるように変わっていく。何度見ても慣れない。四本の脚が二本になり、背が伸び、耳が丸くなる。


 そこに、銀髪の青年が立っていた。


「——ローゼマリー」


 低い声。狼のときは聞けない声。人間の言葉で名前を呼ばれると、胸の奥がざわつく。


「はい、服。前に洗っておいたやつ」


 目を逸らしながら渡す。人化直後は裸だ。三回目なのにまだ慣れない。慣れてたまるか。


「……ありがとう」


 衣擦れの音がして、振り向いていいかどうか迷っていると、ルークのほうから「もういい」と声がかかる。


 振り向くと、白いシャツに茶色のズボンという姿のルークがいた。人間の服を着ると、本当にただのイケメンに見える。銀髪だけが人間離れしていて、月明かりの中でやけに目を引く。


 ピートが目を覚ました。人間の姿のルークを見上げて、首を傾げている。それから匂いを嗅いで、尻尾を振った。姿が変わっても匂いでわかるらしい。


「ピートが来てたんだな」


「五日前から。どうして来たのか、ルークはわかる?」


 ルークは少し黙って、窓の外を見た。


「群れで揉め事があった。大したことじゃない。ピートが怖がって逃げてきただけだ」


 大したことじゃない、と言うわりに目が笑っていない。聞いていいのかどうか判断がつかなくて、私は話題を変えた。


「お腹空いてない? シチュー作ったんだけど」


「……食べる」


 テーブルに向かい合って座る。狼のときは床で食べているルークが、椅子に座ってスプーンを持っている。その光景がどうにもおかしい。


 ルークがシチューを口に運んだ。一口、二口。


「……うまい」


「本当?」


「ああ」


 狼のときは丸呑みにするくせに、人間のときはちゃんと味がわかるらしい。ミーナが言っていた通りだ。


 スプーンを置いたルークが、テーブルの上に手を伸ばしかけて——止めた。何かを取ろうとしたわけではない。私の手がそこにあって、無意識に伸ばしかけて、途中でやめる。そんな動き。


 狼のときなら、鼻先を押しつけてくる。膝に頭を乗せてくる。お腹を見せる。触れることにためらいがない。


 でも人間のルークは違う。


 触れない。近づかない。目が合うと逸らす。声も小さくなる。一メートル以内に入ろうとしない。


 距離がある。明確に。


「ルーク」


「何だ」


「狼のときと人のときで、そんなに違うものなの」


 聞いてしまってから、失敗したと思った。答えにくいことを聞いた。


 ルークは長い間黙っていた。スプーンでシチューの表面をなぞるような仕草をして、ようやく口を開く。


「——狼のときは、考えなくていい」


「考えなくていい?」


「触りたければ触る。眠ければ眠る。それだけだ。でも人の形になると、いろいろなことが——頭に浮かぶ」


 ルークの銀色の目が、一瞬だけ私を捉えて、また逸れた。


「近づきすぎたら迷惑じゃないかとか。触れたら嫌がられないかとか。人間の距離感が、よくわからない」


 正直で、不器用な言葉。


 前世で動物の行動学を少しだけかじった。犬や狼は感情に素直で、好きなら近づくし嫌なら離れる。迷わない。でも人間は違う。好きでも離れるし、嫌でも笑う。感情と行動の間にワンクッションが入る。


 ルークは今、そのワンクッションに戸惑っている。


「迷惑じゃないよ」


 言葉が勝手に出ていた。


「狼のときに膝に頭乗せてくるの、私は好きだし。人のときだって、別に——」


 途中で自分が何を言おうとしているか気づいて、口を閉じた。


 沈黙。


 ピートが足元でくうくう寝息を立てている。暖炉の薪が小さく爆ぜた。


「……別に?」


 ルークが聞き返す。ずるい。そこを拾うな。


「なんでもない」


「なんでもなくないだろう」


「なんでもないの」


 ルークが——笑った。人間の顔で笑うのを見たのは初めてかもしれない。口角がわずかに上がっただけの、控えめすぎる笑み。


「わかった。なんでもないなら、いい」


 でもその声は、少しだけ柔らかくなっていた。


 食事の後、ルークは窓辺に座って月を見ていた。私はテーブルで薬草の仕分けをしている。ピートは相変わらず寝ている。


 同じ部屋にいるのに、一メートルの距離は縮まらない。


 ——でも、さっきよりは少しだけ近く感じる。


 声のトーンが変わっただけで、空気が変わる。人間って面倒くさい生き物だなと、前世の記憶が苦笑している。


 月が傾き始めた頃、ルークが静かに言った。


「明日の朝には戻る。狼に」


「うん、知ってる」


「戻ったら、たぶん——膝に頭を乗せる」


「……どうぞ」


「迷惑じゃないんだろう」


「——うん」


 月明かりの中で、ルークの横顔がやけに綺麗に見えた。銀色の睫毛が光を受けて、瞬きのたびに影が揺れる。


 明日になれば、この人はまたもふもふの狼に戻る。膝に頭を乗せてきて、お腹を見せて、尻尾を振る。距離感なんて考えずに。


 どっちがいいんだろう、と思った。


 答えは出ない。出さなくていい、今は。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ