第11話「小さい狼が来た」
ミーナと知り合ってから三日後の朝、異変が起きた。
ルークが窓の外に向かって低く唸っている。耳は前に向き、尾は水平。警戒しているときの姿勢だ。前世の知識が役に立つ。犬も狼も、感情が体に出る。
「どうしたの、ルーク」
窓から外を覗く。
小屋の前に、狼がいた。
ルークよりずっと小さい。子犬ほどの体格で、毛色はくすんだ灰色。目だけが妙にきらきらしている。怯えているのか興奮しているのかわからない。尻尾を股の間に巻き込んだかと思うと、次の瞬間にはぶんぶん振っている。忙しい子だ。
ルークが扉の前に立った。私に「開けろ」と言いたいらしい。前脚で扉を一回叩く。
「お客さん?」
扉を開けると、ルークが先に外へ出た。小さな狼の前に立ち、鼻先を近づける。二匹が鼻をくっつけ合う。挨拶のようなものだろう。
小さい方がルークのお腹の下にもぐり込んだ。ルークは嫌がらない。むしろ、あの無愛想な狼が困ったように首を傾げていて——かわいい。
「その子、知り合い?」
ルークがこちらを見た。何かを伝えようとしている目。狼の表情を読むのは難しいけれど、「仕方ないだろう」と言っているように見えた。
小さな狼が、私の足元に駆け寄ってきた。
くんくんと靴の匂いを嗅ぎ、ズボンの裾を引っ張り、私の周りをぐるぐる回る。目が合うと尻尾が高速回転する。
「——かわいい」
声が漏れた。
前世で動物病院に来る子犬たちを思い出す。初めての場所で興奮して走り回って、そのうち疲れてぱたりと寝る。あの落ち着きのなさと、この子はそっくりだ。
しゃがんで手を差し出すと、ためらいもなく鼻先を押しつけてくる。警戒心がない。ルークは最初、三日くらい私に近寄らなかったのに。
「人懐っこいねえ」
頭を撫でると、ころんと仰向けになってお腹を見せた。無防備すぎる。野生の本能はどこに置いてきたのか。
ルークが横から来て、小さな狼の首根っこを咥えて引き起こす。「やめろ」とでも言うように鼻先で押した。小さい方はまったく気にしていない。すぐまたこちらに突進してくる。
面倒見のいい兄と、言うことを聞かない弟。そんな構図に見えた。
その日の午後、ミーナが様子を見に来てくれた。小さな狼を見て「ああ」と声を上げる。
「ピートね。ルークの弟分よ。群れのなかで一番やんちゃなの」
「弟分」
「血は繋がってないけど、ルークが小さい頃から面倒を見てた子。人化はまだできないわ、若すぎて」
ミーナはしゃがんで、ピートの耳の後ろを掻いた。ピートは尻尾を振りすぎて体ごと揺れている。
「この子がここに来たってことは、群れのほうで何かあったのかもしれないわね」
「何か?」
「さあ。ルークに聞いてみたら? 次の満月に」
次の満月はまだ十日ほど先。それまでは聞けない。
ミーナが帰った後、小屋の中が一気ににぎやかになった。
ピートはとにかく動き回る。テーブルの脚に体当たりし、椅子の下をくぐり抜け、棚の上の瓶を鼻で押して落としかける。慌てて受け止めるたびに、ピートは「何か楽しいことが起きた」という顔をする。楽しくない。瓶が割れたら薬草が台無しになる。
ルークはといえば、暖炉の前に寝そべって動かない。弟分の世話を放棄している。
「ルーク、ちょっと手伝ってよ」
片目を開けて、すぐ閉じた。完全に無視された。
ピートがまた棚に突進する。私は瓶を守るためにピートを抱え上げた。灰色の毛は思ったよりごわごわしている。ルークのしっとりした銀毛とは手触りが全然違う。
抱えられたピートは一瞬きょとんとして、それから私の顎をべろべろ舐め始めた。
「ちょっ——やめ——」
犬の舌は思い出せる。あの温かくてざらっとした感触。懐かしい。嫌じゃない。嫌じゃないけど、くすぐったい。
ルークが起き上がった。こちらを見ている。何かに怒っているわけではなさそうだけれど、耳がぴんと立っている。
「……やきもち?」
ルークはそっぽを向いた。
その夜、ピートはルークの横に丸くなって眠った。二匹が並んでいる姿は、毛色も体格も違うのに、兄弟のように見える。
私はベッドの中で、にぎやかだった一日を振り返る。
追放されたとき、森での暮らしは孤独なものになると覚悟していた。ところが、狼が一匹増え、人間の隣人もでき、今度は子狼まで来て。
——一人のつもりだったのに、全然一人じゃない。
暖炉の薪が爆ぜる音を聞きながら、なんだかおかしくて、小さく笑ってしまった。




