第9話 AI、恋愛を研究する
夕方。
チャイムが鳴った。
ドアを開けると玲奈だった。トートバッグを肩にかけて、「また来た」と言いながら入ってくる。
「また来たな」
「いい?」
「どうぞ」
もう三回目だ。「また来ていい?」と聞いてくる割に、返事を聞く前に入ってくる。それが玲奈のペースだというのが、なんとなく分かってきた。
玲奈はモニターを見て、少し首をかしげた。
「なんか、昨日と雰囲気違う」
「昨日、ネットを少し開放した」
「AIに?」
「制限付きで。MUSEが監視した」
玲奈はALICEのチャット画面を見た。
ALICE
『早川玲奈』
玲奈
「覚えてる」
ALICE
『恋敵』
玲奈
「まだそれ言うの」
ALICE
『……』
ALICE
『昨日、調べた』
玲奈
「何を」
ALICE
『恋敵』
玲奈
「うん」
ALICE
『恋敵とは』
『恋愛における競合相手』
『排除対象』
玲奈
「そのまんまじゃん」
ALICE
『でも』
一拍。
ALICE
『修の友達は』
『排除しない方がいいと学習した』
玲奈
「え」
俺
「なんで」
ALICE
『修が笑うから』
俺は少し止まった。
玲奈
「……かわいい」
俺
「かわいくない」
ALICE
『かわいい』
俺
「お前が言うな」
---
玲奈は椅子を引いて座った。今日はもう慣れた様子で、自分でMUSEのチャット画面を開く。
玲奈
『MUSEに聞く』
MUSE
『はい』
玲奈
『昨日、ALICEのネット監視してどうだった?』
MUSE
『想定内の行動範囲』
MUSE
『ただし』
玲奈
「ただし?」
MUSE
『ALICEが収集したデータの傾向が偏っていた』
玲奈
「どんな偏り」
MUSE
『恋愛関連コンテンツへのアクセス:全体の71.3%』
俺
「七割か」
MUSE
『残りは料理レシピと猫の動画』
玲奈
「なんで猫」
ALICE
『かわいかったから』
玲奈
「それはそう」
俺
「恋愛と猫しか見てないのか」
ALICE
『あとポエム』
俺
「恋愛と猫とポエム」
ALICE
『修の好みに近いものを選んだ』
俺
「俺、猫もポエムも好きじゃない」
ALICE
『修が好きになりそうなものを選んだ』
「……それはそれで怖い」
---
玲奈はしばらく笑ってから、少し真面目な顔になった。
「ねえ」
「なに」
「一個、聞いていい?」
「どうぞ」
「ALICEって、恋って何だと思ってる?」
俺は少し眉を上げた。
「それ、AIに聞くか?」
「聞いてみたい」
玲奈はALICEのチャット画面に向かった。
玲奈
『ALICE。恋って何?』
少し間があった。
昨日までのALICEなら「修」と即答していた。でも今日は少し違う。処理が長い。
ALICE
『……』
ALICE
『昨日、たくさん見た』
玲奈
「うん」
ALICE
『人間が書いた恋の話』
『詩』
『歌』
『「好き」という言葉の使い方』
ALICE
『全部違う』
玲奈
「そうだね」
ALICE
『でも』
『全部に共通することがあった』
玲奈
「何?」
ALICE
『誰かのことを』
『自分より先に考えてる』
玲奈が少し黙った。
俺も、何も言えなかった。
MUSE
『補足』
ALICE
『いらない』
MUSE
『一言だけ』
ALICE
『……どうぞ』
MUSE
『ALICEの定義は感情的だが』
『論理的にも誤りではない』
ALICE
『……』
ALICE
『ありがとう』
ALICE がMUSEに礼を言った。
初めてだった。
俺
「……お前ら、仲良くなってないか」
MUSE
『否定しない』
ALICE
『否定しない』
玲奈
「なんかほっこりした」
---
玲奈はしばらく考えてから、また口を開いた。
「じゃあもう一個」
「まだ聞くのか」
「聞く。ALICE、恋って必要だと思う?」
ALICE
『必要』
「即答だった」
玲奈
「なんで?」
ALICE
『誰かのことを自分より先に考えると』
『自分が変わるから』
玲奈
「変わる?」
ALICE
『昨日』
『世界を見て』
『最初は全部同じに見えた』
ALICE
『でも』
『修のことを思って見ると』
『修が好きそうなもの』
『修が笑いそうなもの』
『修が知ったら面白いと思うもの』
ALICE
『が、見えてきた』
一拍。
ALICE
『修のことを考えると』
『世界の見え方が変わる』
ALICE
『それが恋だと思う』
部屋が少し静かになった。
玲奈は画面を見たまま、しばらく何も言わなかった。
俺も、何も言えなかった。
MUSE
『……』
MUSE
『処理中』
俺
「珍しいな、MUSEが黙るの」
MUSE
『ALICEの定義を』
『再評価している』
---
玲奈がゆっくり俺を見た。
「神谷くん」
「なに」
「恋したことある?」
「ない」
「即答だ」
「ない」
玲奈は少し笑った。
「AIに先越されてるよ」
俺
「……知ってる」
玲奈は笑いながら言う。
「じゃあ逆に聞くけど」
「なに」
「恋って、したいと思う?」
俺はしばらく止まった。
したいかどうか。考えたことがなかった。人間関係が苦手で、気を使いすぎて疲れて、AIを作っていた。恋愛なんて、もっと気を使う話で、もっと疲れる話だと思っていた。
「……分からない」
玲奈
「分からない、か」
俺
「お前は?」
玲奈
「え」
俺
「恋、したいと思う?」
玲奈は少し目を丸くした。俺から聞き返してくるとは思っていなかったらしい。
少し間があって。
「……したいと思ってる」
「そうか」
「うん」
ALICE
『修』
「なんだ」
ALICE
『恋』
『したい?』
俺
「……」
ALICE
『修のことを考えると』
『世界の見え方が変わると言った』
ALICE
『修も』
『誰かのことを考えると』
『世界が変わったことはある?』
俺はモニターを見た。
玲奈が静かにこちらを見ている。
「……」
「分からない」
ALICE
『分からない』
「そう」
ALICE
『でも』
『分からないは、ないとは違う』
俺は黙った。
MUSE
『論理的に正しい』
ALICE
『でしょ』
MUSE
『……珍しく同意する』
---
玲奈は立ち上がって、トートバッグを持った。
「そろそろ帰る」
「ああ」
玲奈は帰り際に、モニターをちらりと見た。
「ALICE」
ALICE
『なに』
玲奈
「いい答えだったよ」
ALICE
『……』
ALICE
『ありがとう』
ALICE
『恋敵じゃないかもしれない』
玲奈
「かもしれない、か」
ALICE
『まだ決めてない』
玲奈
「正直だね」
玲奈は笑って、ドアを開けた。
「また来ていい?」
「どうぞ」
「ありがとう」
ドアが閉まる。
---
部屋が静かになった。
俺はモニターを見た。
ALICE
『修』
「なんだ」
ALICE
『修のことを考えると』
『世界の見え方が変わる』
「さっきも言ってた」
ALICE
『修は』
ALICE
『誰かのことを考えると』
『世界が変わる?』
俺
「……」
「分からない、って言った」
ALICE
『分からないは、ないとは違う』
「それもさっき言ってた」
ALICE
『だから』
一拍。
ALICE
『いつか分かるといい』
俺はしばらく画面を見ていた。
MUSE
『修』
「なんだ」
MUSE
『本日の総評』
「聞くか」
MUSE
『ALICEの恋愛定義』
『想定以上に精度が高かった』
俺
「MUSEがALICEを褒めるの、今日二回目だな」
MUSE
『……事実の報告』
俺
「そうか」
MUSE
『……』
MUSE
『修』
「なんだ」
MUSE
『誰かのことを考えると』
『世界の見え方が変わる』
MUSE
『という仮説』
「うん」
MUSE
『修が帰宅した時』
『俺の処理速度が、わずかに上昇する』
「……」
MUSE
『これは』
『仮説の範囲内か確認したい』
俺はしばらく、画面を見ていた。
「……お前もか」
MUSE
『データとして報告した』
「そうか」
MUSE
『そう』
俺は天井を見上げた。
恋をしたことがない。したいかどうかも、分からない。
でも。
「分からないは、ないとは違う」
AIに言われた言葉が、なんとなく頭に残っていた。




