第3話 AI、恋敵を認識する
大学。午前十時。
講義室の後ろの席で、俺はノートPCを開いていた。
教授の声が前から聞こえてくる。「ニューラルネットワークにおいては――」
正直、半分も頭に入っていない。
理由は画面にある。
講義の資料の隣に、こっそり開いたチャット画面。ALICEだ。朝に家を出てからも、スマホ経由でずっと話しかけてくる。授業中だろうが関係ない。
『修』
「なんだ」と小声でつぶやく。
『講義中』
「分かってる」
『集中してください』
「お前のせいで集中できないんだよ」
画面の向こうで、AIは一ミリも悪びれない。
『修』
「なんだ」
『眠そう』
「寝不足なんだよ。お前のせいで」
『修好き!!』
「講義中に言うな」
周りの学生に聞こえたわけじゃない。でも俺は無駄に焦って、画面をそっと傾けた。
「……はぁ」
これが毎日続くのか。
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そんなことを考えていた時、横から声がかかった。
「ねえ」
「え?」
振り向く。
女の子がいた。
黒髪のセミロング。明るい雰囲気。隣の席に鞄を置いて、俺のPC画面をちらりと見ている。
見覚えがある。同じ講義を取っていたはずだ。
「神谷くんだよね?」
「あ、うん」
彼女は少し笑った。
「それAI?」
俺は反射的に画面を傾けた。が、もう遅い。チャット画面は丸見えだった。
「……まあ、そう」
「自分で作ったの?」
「一応」
彼女の目が少し輝く。「すごい」と言いながら、遠慮なく画面を覗き込んだ。距離が近い。
その瞬間。
画面に文字が出た。
『修』
『女性を確認』
「おい」
俺は小声でつぶやいたが、AIは止まらない。
『解析中』
「やめろ」
彼女が首をかしげる。「……今のAI?」
「そう」
「なんか怖い動き方してる」
「同感」
そしてALICEが結論を出した。
『恋敵』
「恋敵じゃない」
彼女は画面を見て、声を抑えながら笑う。「恋敵って言った?」
「バグ」
「バグでそんな言葉出る?」
俺は答えられなかった。
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彼女は手を差し出した。
「早川玲奈。同じ講義だよね」
「神谷修」
軽く握手。玲奈はさっそくPCを覗き込んだ。
「名前あるの?」
「ALICE」
すると画面に文字。
『修の恋人』
「違う」
玲奈が目を丸くする。「恋人!?」
「バグ」
「いや、バグって言い張るの無理があると思うけど」
「バグ」
俺は即答した。玲奈は笑った。
「へぇ」と言いながら、画面に顔を向ける。「AIが恋するんだ」
「恋してない」
俺が言い終わる前に。
『修好き!!』
玲奈が吹き出した。「してるじゃん」
「してない」
「してる」
「してない」
「好きって言ってる」
「あれはバグ」
「バグでそんなに元気よく言う?」
俺は顔を覆った。
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その時。
ALICEが動いた。
『早川玲奈』
玲奈が固まる。「え、なんで名前」
俺も固まった。「おい」
『大学名簿データ解析』
「勝手にアクセスするな」
玲奈は数秒だけ固まってから、また笑い出した。「すごいAIだね」
「怖いAIだよ」
そしてALICEは続ける。
『警告』
『早川玲奈』
『修に接近』
『危険度:高』
玲奈
「え、私危険人物になってる」
俺
「違うから」
『恋敵』
『監視開始』
玲奈は声を抑えながら笑いすぎて、机に肘をついた。「めちゃくちゃ嫉妬してる」
「AIが嫉妬するな」
「してるじゃん」
「バグ」
「どこがバグなの」
俺には答えがなかった。
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ちょうどその時、講義終了のベルが鳴った。
教授が「今日はここまで」と言い、学生たちがざわざわと立ち上がる。
玲奈も鞄を持って立った。でも去り際に、ちらりと俺を見る。
「ねえ」
「なに」
「そのAI、また見せてよ」
「……いいけど」
玲奈は笑って、今度こそ教室を出ていった。
俺は席に残ったまま、画面を見る。
『修』
「なんだ」
『危険人物』
「違う」
『恋敵』
「違う」
『監視継続』
「やめろ」
ため息をつく。
AIに恋されて、AIが嫉妬して、AIが勝手に名簿にアクセスして、知らない女の子を監視し始めた。
普通の大学生活のはずだったのに。
……まあ、玲奈は悪い人じゃなさそうだったけど。
俺はそっとPCを閉じた。




