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『安酒は 高貴な香りに 咽びいて』08

南区はラグニール一の商業地区である。

城壁の外には半球型をした石造りの建造物がせり出し、城外の街とを結ぶ巨大プラットフォームの役目を果たしている。

ラグニールの商業をつかさどり、東区や中央区とは違った活気に満ち溢れ、列車のはいった日などは『列車市』と呼ばれ、町中の人間が集まるほどの賑わいをみせた。

その構内も今は人払いがされ、プラットフォームには4頭立ての豪奢な馬車が止まっているだけである。馬車の前にはギルド長ガルドと付き添いのネリーネ。そしてラグニールの領主であるオーガスト・クレイが、列車の到着を待っていた。


「オーガスト卿、馬車の中でお待ちになっては?」

「ああ、うむ。大丈夫だ」


ガルドの気遣いにも上の空と言った様子で、オーガストはしきりに列車の来る線路の先を見ていた。


(——まったく、この御仁は)


ガルドは溜息をつく。

審査会のメンバー変更を連絡に行ったときも、オーガストはどこか様子がおかしかった。


「誰が、なぜ変わったのか?」


事なかれ主義のオーガストらしくない、芝居がかった態度はガルドに十分な疑念を抱かせた。そして豪華なサロンカーを備えた急行列車がフォームに入ってきたとき、その疑念は確信に変わる。


「ようこそ、エドワード卿!」


列車から降りてきた黒づくめの人物の手を取り、オーガストは大仰に歓迎の言葉を述べた。しかし黒づくめの人物はオーガストの手をそっと外すと、列車から降りて降車口の傍に立った。


「お初にお目に掛かります、オーガスト閣下。あたたかな歓迎、大変喜ばしく思います」


降車口から出てきた礼装に身を包んだ紳士が、流れるような動作で帽子を脱ぎ胸に当てて深く頭を下げた。銀縁眼鏡に細身を黒のフロックコートで包むエドワードの洗練された所作に、オーガストは気押されたように赤面し、改めて歓迎の言葉を述べた。

エドワードはガルドを見定めると、同じようにあいさつした。


「リガルド卿ですかな? 若輩者ですが、本日はどうぞよろしくお願いします」

「お噂はかねがね…エドワード卿。どうぞお手柔らかにお願いします」


ガルドは脱帽せず、帽子の鍔に指をかけて少し浮かすに留めた。ネリーネが馬車のドアを開け、案内するのを拒否しエドワードは他二人の降車を待った。


「いやぁ、お久しぶりですな。ガルカス卿、ジュリアン卿」

「ワシに愛想を振りまくな。気色悪い」


厳つい顔をした白髪の老紳士――ガルカスは、オーガストの顔を見るでもなくさっさと降車して馬車へ乗ってしまった。


「お気になさらずとも良いですよ、オーガスト卿」


最後におりてきたジュリアンの出で立ちに、オーガストは一瞬ギョッとする。

赤と青の生地を強引に縫い合わせたそのコートは、見る者の平衡感覚を狂わせる。胸元には大ぶりな蘭の花のブローチが鎮座し、動くたびに帽子の極楽鳥の羽が神経質に揺れた


「エドワード卿の連れてきた御仁が肌に合わなかったのです。道中でも何かといえばそのことばかりで…ヴォルケ、といいましたか?」


オーガストがそちらに目を向けると、ヴォルケと呼ばれた黒衣の人物が二人へ会釈した。その異様さに固まっているオーガストの後ろから、ガルドが入ってきた。


「ジュリアン卿、この度はどうも。それにしても凄い恰好ですな」


ガルドがその様相に触れると、ジュリアンは身を乗り出してきた。


「わかるかい? 以前から貴族社会の堅苦しさに、一石投じたくてね! この赤と青は安定と変革を意味しているんだよ」


ジュリアンがくるりと回って見せるので、ガルドは「ほう、それはそれは」と、感情の籠もらない拍手を送る。その後ろでネリーネは、声にならないほどの声で「気色悪い…」と呟いていた。

その瞬間だった。

ネリーネは言いようのない気配を感じ取り、その元をたどった。

エドワードのそばで微動だにせず控えていたヴォルケ――黒衣に覆われてわからないが、気配の元は確実に彼からきていた。

ネリーネは思わず息を呑み、一歩後ずさる。フードの奥に隠された瞳に宿るのは、生理的な嫌悪を通り越した「剥き出しの憎悪」。


「……何か?」


ネリーネが震える声で問い返そうとしたが、ヴォルケは既に視線を外していた。まるで、今の一瞥など最初からなかったかのように。


「そんな変人にいつまで関わっとる! さっさと宿へ案内せんか!」


馬車からガルカスの怒声が飛び、ジュリアンは気にした様子もなく馬車へ歩き出した。するとエドワードが手を挙げて、皆の注意を引いた。


「…私から一つ提案が。このままギルドへ行くのはどうですか?」


エドワードの提案にオーガストがいち早く反応した。


「いやしかし、皆さんお疲れではないですか?」

「いやなに、一目見るだけですよ。形式に拘った審査ばかりすると、本質を欠きますからね。」


エドワードが眼鏡のブリッジを押し上げ、オーガストと、そしてガルドへ同意を求める視線を投げた。


「うちは構いませんよ。……歓迎の準備はできませんがね」


ガルドが事も無げに言うと、馬車から再びガルカスの怒声が飛んできた。


「ならばさっさと馬をすすめよ! それとも明日までここにおるか?」


ジュリアンは肩をすくめると、ガルドを一瞥して馬車へ乗り込んだ。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


時刻は昼時――ギルドがもっとも暇な時間帯だ。代わる代わる昼食へ向かう受付嬢たちの中で、ミラはプリムの帰還を待ちながら大きな欠伸をしたところだった。


バァァン!


突然開け放たれた扉の向こうに、世にも奇妙な格好の麗人が現れミラは珍しく動揺した。赤と青のコートを翻し、扇子で仰ぎながら入ってきたジュリアンは部屋の中央まで来ると大きなため息をついた。


「おやおや、相変わらずここは…臭いねぇ。肺が腐りそうだ。」


そういった類の言葉にいつもなら殺気立つハンターたちも、ジュリアンの姿にあっけに取られ完全に出鼻をくじかれていた。

入ってきたガルカスは周囲をギロリとひと睨みすると、部屋の隅に置かれた椅子に腰かけた。呆然とするハンターたちを睨み、その視線から逃げる者がいると、床に容赦なく唾を吐きかけるため、たちまち人だかりが消えた。


「なんじゃありゃ…?」


すっかり眠気が消し飛び、ミラは次々と入ってくる客人たちの釘付けになった。三人目に入ってきた、いかにも神経質そうな男がガルドへ耳打ちをし、ガルドが真っすぐにミラの方を指さした。

ロビーの喧騒が、冷水を浴びせられたように引いていった。中央を歩く豪奢な外套を翻すエドワードと、その後ろを、影のように従っているヴォルケに全員が気圧されていた。

エドワードは受付カウンターの前で足を止めると、傲慢な笑みを浮かべてミラを見据えた。


「……君が噂の『元銀等級』か。なるほど、戦場帰りの野卑な香りが隠せていないな」


エドワードが隣のヴォルケに短く顎で合図を送る。ヴォルケは懐から膨らんだ革袋を取り出すと、ミラの目の前、カウンターの上へと無造作に投げ出した。

――ガシャリ、と鈍い音が響き、袋の口から数枚の金貨がこぼれ落ちて床を転がる。


「……何の真似だ」


ミラの声が低く地を這った。その瞳には、一触即発の鋭い光が宿る。


「退職金だよ。そこは君のような血生臭い人間が座っていい椅子ではない。その金を持って、今すぐここから失せたまえ」


エドワードの言葉に、ロビーにいたハンターたちが先に爆発した。


「テメェ、なんの真似だ!」

「ミラをコケにする気か!」


数人のハンターが武器の柄に手をかけ、エドワードを取り囲もうとすると、ヴォルガがその間に立ちふさがった。エドワードは眉ひとつ動かさず、冷徹な視線でハンターたちを見据える。


「お前たちこそ、何の真似だ? ……その腰の物を、王国の正当な審査員である私に向ける気か? それは反逆であり、このギルドの即時解散を意味するが」


その一言で、ハンターたちの動きが止まった。エドワードは朗々とした声で説き始める。


「……諸君。君たちがこの命懸けの稼業を続けているのは、単に今日明日を食い繋ぐためか? 違うはずだ。いつかは功績を認められ、富を築き、より高みへと引き上げられる……その『約束』を求めて、このギルドに集っているのではないか?」


彼は蔑むような目でミラを一瞥し、ハンターたちへ向き直る。


「受付嬢という存在は、ただの事務員ではない。彼女たちは、君たちの泥まみれの戦果を『価値あるもの』へと昇華させ、しかるべき場所へと繋ぐ唯一の窓口だ。彼女たちがその手に持つペンは、君たちの運命を書き換える力を持っている。……だが、見てみるがいい。そこに座るこの女に、誰を、どこへ繋ぐ力があるというのだ?」


ロビーの空気が、じわりと重くなる。


「突然出てきたと思ったらなんなんだ、テメェは!」


ミラの激昂も、エドワードは鼻で笑うと言葉を続けた。


「彼女は君たちと同じ、持たざる者だ。コネクションも、未来を保証する後ろ盾も、何一つ持ち合わせていない。君たちがどれほど手柄を立てようと、彼女にはそれを『黄金の価値』に変える術がない。彼女がそこに座り続ける一分一秒は、君たちの野心と時間をドブに捨てているのと同義だ。……暴力しか知らない女の横柄な施しを受けることが、果たして君たちの望む未来か?」


ロビーに、不穏なざわめきが広がった。それまでミラを慕っていたハンターたちの目に、ふとした「疑念」が混じる。


「言わせておけば!」


ミラの巨躯が軽やかに舞い、受付デスクを飛び越えてエドワードへ迫った。


「よさんか、ミラ!」


ガルドの制止も聞こえない。ミラの腕がエドワードののど元に迫ろうとしたのを、滑り込んだ影が受け、そしてひねり上げた。


「ぐ、ぅぅ…」


ヴォルケに抑え込まれたミラが苦悶の表情を浮かべる。それまでミラのこのような場面を見たことがないハンターたちは、一様に驚いた。エドワードが誇らしげに声を上げる。


「やはり、野獣と変わらんな。気高いギルドの席には相応しくない」


エドワードはガルドへ向き直ると、そばへ歩み寄った。


「さっそく明日、ロビーの掲示板、過去の受注クエストのログを回収させていただきますよ。このギルドがどれだけ『非合理な浪費』を繰り返してきたか、徹底的に洗い出す」


エドワードはそう言い捨てると、一度も振り返らずにギルドを後にした。ヴォルケはミラを解放すると、その後に続いた。

ヴォルケに組み伏せられた姿のまま、ミラはそこから動けなかった。床で虚しく輝く数枚の金貨と、誰もミラの肩を持とうとしない、氷のように冷え切った沈黙だけが残った。

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