第一章 『安酒は 高貴な香りに 咽びいて』05
ギルド二階、受付嬢専用の更衣室。
プリムローズにとって、それは気の重い一日の始まりだった。鏡に映る自分の顔は、連日の心労のせいか心なしか色が悪い。
「……おはよう、プリムローズ。今日も大変ね」
「同情するわ。あの『野良犬』の隣だなんて、私なら一日で辞めてるわよ」
同僚たちがかける言葉は、励ましというよりは弔辞に近い。プリムは力なく微笑み、制服の襟を整えた。
そこへ乱暴に扉が開き、少女たちがすっと自身の準備に戻った。
ミラはてきぱきと私服を脱ぎ捨てて制服に着替えていく。その淀みのない動きは、まるで戦場に赴く戦士のようだ。
着替えを終えたミラが、ふとプリムを呼び止めた。
「あのさぁ、プリム。」
名前を呼ばれ、プリムは心臓が跳ね上がるのを感じた。
「は、はい……!」
プリムはゴクリと喉を鳴らし、覚悟を決めて身構える。ミラは少しだけ視線を逸らし、ぶっきらぼうに告げた。
「……頼みがあるんだ。」
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階段を上がるガルドとネリーネは、突き当りから騒がしい足音が近づいてくるのを耳にした。
「ミラさん!待ってください、早いですよ!」
「お前が人の顔、いつまでもいじくりまわすからだろ!」
ミラの名前を聞き、二人は顔を見合わせて大きなため息をついた。ミラが来てからこの方、自分たちの注意を聞かれた試しがない。この不毛なやり取りがいつまでも続くのかと気が重くなった。
「…おっと」
出会い頭にガルドたちの姿を認め、ミラたちは足を止めた。ネリーネは眼鏡のふちを上げながら、すでに完成されつつある定型句を口にする。
「ミラさん、たとえ遅刻といえども、廊下を走るなんて淑女としての品格に欠けると何度申し上げれば・・・」
ネリーネがしゃべり終わる前に、彼女の言葉は打ち切られた。
「大変申し訳ありませんでした、ネリーネ事務局長。」
ミラが居住まいを正し、深々と、そして流麗な所作で頭を下げたのだ。そしてガルドへ向き直ると、完璧な角度で恭しく会釈する。
「おはようございます、ギルド長。本日もよろしくお願いいたします」
「お、おう…。」
ミラが頭を上げると、甘やかな香水の香りが廊下に舞い上がる。低く響くハスキーな声と、その一挙手一投足に宿る優雅な空気。ガルドは唖然として、パイプを床に落としかけた。
「……ミラさん。その……ずいぶんと、垢抜けましたね」
ネリーネはようやく言葉を絞り出した。
ミラの雰囲気がいつもより、明らかに和らいでいる。それはミラらしからぬ所作のせいだけでなく、彼女の姿がそう感じさせた。
鮮やかな赤いショートボブが耳にかけられて、精悍な首筋と鍛え上げられた肩のラインを強調している。なにより目を引くのは、巧みに施された化粧だ。ブリックレッドの口紅が引き締める唇、切れ長の目は以前の刺すような鋭さを残しつつも、凛とした気品を湛えている。
180センチを超える長身は隠しようもないとしても、その佇まいは規律を重んじるギルドの一員として十分に『受付嬢然』としていた。
「ありがとうございます。プリムさんのおかげです」
ミラの後ろで、プリムが誇らしげに顔を上気させて頭を下げる。自身の渾身の出来栄えを見てもらえた喜びと興奮が、その横顔から隠しきれていない。
「それでは失礼します」
ミラとプリムは深く会釈し、優雅な足取りで階下へと降りて行った。
「…いつのまにか、異世界にでも紛れ込んじまったのか?」
二人の背中が見えなくなったあと、ガルドはそう呟いた。
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ミラの変貌に、ギルド内には静かなざわめきに包まれていた。
デスクに座り淑やかに書類を整える姿は、その背筋の伸び方、ペンの置き方一つをとっても教えられた以上の「品」が滲み出している。
ハンターも、受付嬢も。あれこれと妄想を膨らませ、その真意を探ろうとしていた。
「どうしちまったんだ、アイツ」
「すっかりお嬢様じゃねぇか…」
男たちは掲示板に体を向けながら、意識はミラに釘付けだった。
「やれやれ、『陽炎のミラ』もやっぱり女だったってわけだ」
「だな。なんだか裏切られて気分だぜ」
そう毒づきつつも、彼らはその場を動こうとしない。依頼書を握りしめたまま、どこか落ち着きのなく身なりを気にしたり、髪に触れたりしている。
「——さてと、さっさと仕事にいきますかねー」
輪の中から抜け出した男の肩を、他の面々がガシリと掴んだ。
「——どこ行くつもりだよ」
「な、なんだよ!?」
「まさかお前、ミラんところに行くつもりじゃねぇよな?」
「もしそうなら、立派な裏切り行為だぜ?」
「ど、どういうことだよ! 俺はただ受付しに…」
「「やっぱり裏切りじゃねぇか!」」
男に掴みかかると、再び輪の中へ引きずり込む。嫉妬に狂う彼らには、女たちの冷ややかな目線も届かない。ミラとプリムの前に相変わらず閑古鳥が鳴いている原因がここにあった。
その鉄の包囲網を運よく抜け、一人の若いハンターがミラの窓口へ依頼書を差し出した。どこかおずおずとした、緊張の面持ちである。
「あの……お願いします……」
「……地下墓地の清掃依頼ですね」
ミラはファイルに開示された男の情報と依頼書の内容を確認し、受理印へ手を伸ばしたが、その手がぴたりと止まる。
「——解毒薬は、いくつお持ちですか?」
丁寧な口調を意識しながらも、男を見つめる目は一切揺るがない。男たちは互いに顔を見合わせて確認した。
「えっ? あ、二つですけど……」
印鑑へ伸ばされた手が引き戻される。ミラは依頼書を男が見えるようにデスクへ置くと、すっと息を吸った。
「——いまから皆さまが向かう場所はご存じですか?」
「に、西の町との間にある古城、ですけど…」
「行ったことは?」
「…何度か」
「もっと具体的に」
「4,5回くらい…」
「あの古城に『毒苔』が自生している事は?」
「知ってます。だから、その除去に…」
男の仲間たちの中から、待たされる状況に苛立ちを覚える態度も見られるが、ミラは動じない。
「西の空に雨雲が見えましたね。おそらく今日、明日辺りに雨が降るでしょう」
言われた男は「あ」と仲間たちと顔を見合わせた。ミラは頷くと言葉をつづけた。
「もし本日行かれるのでしたら、防毒マスクを準備するか大量に解毒剤をお買い求めになる事をお勧めします」
全員がミラの言葉に聞き入っていた。中にはメモを取り出すものさえいる。
「……まあ、火炎瓶で消毒するのが一番手っ取り早いけどな」
依頼書に受理印を押しながら、ぽつりと付け加えるミラに、男たちは何度も頭を下げて出ていった。
様子を伺っていたハンターたちも堰を切ったように集まり始める。他の受付嬢を差し置いて、ミラとプリムの前にはかつてない人の列ができていた。
(——すごい。まるで同じ人とは思えない)
最初は自身の『作品』を誇らしげに眺めていたプリムだったが、ミラの洗練された動きに圧倒されっぱなしだった。問題行動ばかりのミラだが、実は陰で努力をしていたのだろうとさえ思ったが、その所作はあまりにも出来すぎており、不安さえ覚える程だった。
ふと、ミラの列にいるハンターと目が合ったが、相手はすっと目線を外した。
(——昨日のおかしな男だわ。たしか…カイル、さん?)
カイルはかなり身軽な装備をして列に並んでいた。大きめのリュックを背負い、腰や胸にあるポケットには薬品やら小道具があちこちに詰め込まれている、完全に『支援職』の出で立ちだ。
逆に、彼に話しかけるパーティメンバーは余分な道具など持たず、重厚な装備に身を固めている。熟練したパーティ特有の、徹底した役割分担が見て取れた。
「ミラさん。……準備、整いました」
カイルは依頼書を提出すると、プリムに聞こえないほどの小声でミラと話を交わす。思わず意識をそちらへ向けていると、パーティのメンバーらしき女と目が合った。
女はしばらくプリムを見つめてたかと思うと、自身の豊満な胸元を見せつけるようにポーズを取り、プリムへウィンクして見せた。
(な、な、なんて破廉恥な!!)
プリムは思わず目線をそらす。
ミラから受理印を押されると、カイル達は足早に門を出て行ってしまった。プリムは頬を赤らめながら、先ほどの動作にいったい何の意味があるのか考えていた。
(カイルさんの、恋人・・・?)
昨日のカイルとのやり取りが思い出される。自分に向けるあの嬉しそうな顔は、好意の表れだと思っていたけれど勘違いだったのだろうか。
胸の奥に靄のようなものがかかり、不快な気持ちになる自分をプリムは見た。
「あのー…」
声をかけられて、プリムはハッと顔を上げる。不安げな男の顔が目に入り、彼の依頼書を思いっきり握りしめている事に驚いて、プリムは慌てて謝罪した。
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窓口業務を終えたプリムは、弾むような足取りで事務局長室を訪れた。
今日の成果はあまりにも劇的だった。プリムは、ミラがいかに完璧な淑女を演じきったか、そして彼女の的確な助言がどれほどギルドの利益に貢献したかを熱弁した。
問題児だった彼女が、自分の教育によって「高潔な受付嬢」へと脱皮しつつある――その達成感は、プリムの心労を吹き飛ばすに十分なものだった。
「——私も驚いています。ギルドにとっても大変喜ばしいことです」
ネリーネは、彼女にしては珍しく高揚した声で告げた。その変化に気づいたプリムがさらに言葉を続けようとしたのを、ネリーネの一言が断ち切った。
「——ですが、プリムローズ。勘違いしてはいけません。」
氷の楔のような声が、プリムの熱狂を断ち切った。ネリーネは哀れみすら含んだ瞳でプリムを射抜く。
「私たちは『選ぶ側の人間』です。**『稀血の洗礼』**を忘れたわけではないでしょう?」
プリムの体が、内側から凍りついた。
ギルドに務める貴族出身の女性が背負う、美しくも残酷な宿命。衰退しゆく貴族の血を繋ぎ止めるため、強靭な生命力を持つ一流のハンターを婿として迎え入れ、その『稀なる血』を血族に取り込むための――婚姻という名の品種改良。
「あの女の変貌は大変喜ばしい事。その点において、貴方と私の気持ちは同じです。ですが、所詮『金』のため。私たちとは、背負っているものが違うのです」
金のため——その一言が、プリムに今までネリーネに対して一度も抱いたことのない感情を湧き上がらせた。ミラのあの気迫、あの佇まいが、そんな一言で片付けられることに、言いようのない矛盾と憤りを感じていた。
「ですが、ネリーネ様——その言いようは、あまりにミラさんに対して…」
「いい加減、目を覚ましなさい」
ネリーネの言葉は反論を決して許さない気迫に満ちていた。
「プリムローズ——貴方が『この男であれば』と見初めた相手がいたとして、それがあの女の想い人であったとき、貴方はその男を奪えますか?」
プリムは答えられない。いままで考えたことさえなかったのだ。ネリーネの言葉は、逃げ道を塞ぐように無慈悲に続く。
「——選ぶ余地などありません。例えどんな手を使ってでも手に入れなければならない。それが貴方の負うべき責任です――『プリムローズ=ランカスター』」
久々に呼ばれた自身の名前——その重さに膝から崩れ落ちそうになるのを、プリムはなんとかこらえた。呼吸するのも忘れ、ネリーネの底冷えする視線を見つめ続ける。
「それが出来ぬのであれば、家名を捨て恋物語など眺めていなさい」
ネリーネの最後の言葉が、やけに耳に残ったままプリムは事務局長室を出た。
だが、どうやって退室したのかも覚えていない。呆然自失のなか、気づけば自室へと戻っていた。
ミラの変化を「自分の作品」のように誇らしく思っていた傲慢さが、一気に恥じ入りへと変わる。自分が育てたはずのミラの「美しさ」や「強さ」は、将来、自分が欲しいものを手に入れる際に立ち塞がる、最大の障害になるかもしれないのだ。
「……私が、奪う……?」
震える指先を隠すように、プリムは制服のスカートを強く握りしめた。
窓の外、ラグニールの街に夜の帳が降り始める。それは、プリムが信じていた「優しい世界」が、静かに形を変えていく合図のようだった。




