第一章 『安酒は高貴な香りに咽びいて』04
朝のギルド受付デスク。
プリムローズは、隣に座るミラの様子に言いようのない不安を覚えていた。いつもなら二日酔いの唸り声を上げているはずの「狂犬」が、今日は妙に明るい。背筋を伸ばし、入り口をじっと見つめては、ペンを回しながらそわそわと落ち着きなく動いている。
「……ミラさん、なにか良い事ありました?」
プリムが問いかけると、ミラは「ふふん」とほくそ笑んだ。
「いや、別に。オレは今、最高に『おもてなし』の気分なんだよ」
プリムは頭をひねったが、ミラがやる事なので深く追及する事はやめておいた。それに、こんなに機嫌のよい彼女を見るのも初めてかもしれないと、変に水を差すのも憚られた。
だがそれも最初のうち――プリムの気遣いを他所に、ミラの眉間には徐々に深いしわが刻まれていった。
(・・・クソ。誰も来ねぇじゃねぇか。)
昨日までのミラの暴挙を知るハンターたちは、ミラどころかプリムの窓口にさえ近寄ろうとせず、まっすぐに別の受付嬢たちの元へ流れていく。
「……チッ」
しびれを切らしたミラが立ち上がった。彼女は掲示板の前にたむろするハンターたちの元へずかずかと歩み寄ると、数人の首根っこを掴んで耳打ちした。
「依頼を発注するならオレの所へ来い。……でなきゃぶっ殺すぞ」
ハンターたちは困り顔で顔を見合わせ、深いため息をつく。目をつけられた以上、逆らわぬほうが身のためだ。声をかけられた数人が殉教者のようにミラの前に列を作った。
「よぉし。よく来たよく来た! ほら、さっさと依頼書を出しな」
受け取ると同時にミラが木製ファイルを差し出すと、ハンターは慣れた手つきで自身のライセンスを台座にはめ込み、開示の呪文を唱えた。ミラは開示されたハンターの情報と、クエスト依頼書の受注条件に不備がない事を認めると、力強く受理印を振り下ろした
「…不備はねぇな。おし! 景気良く稼いで来いよ!」
ガシャン! と小気味よい音を立てて印を押したミラを、ハンターは不審に思いながらやれやれと言った風に出ていった。それを見た他のハンターたちも胸をなでおろし、ミラの前には徐々に人の列が生まれつつあった。
淡々とハンターを送り出しながら、ミラは胸の中で首をひねっていた。
(おかしい。いつもなら、オレをイラつかせる馬鹿が現れるはずなんだが……)
自分が悪いとは微塵も考えない。
このままでは作戦が台無しになると思い、ミラはさらに一計を案じる事にした。
「おう、お前ら。ちょっと席を外すから、残りはこの嬢ちゃんにやってもらえ」
呆れるプリムたちを置き去りにしミラは再び掲示板へ戻ると、よく知るハンターの肩を掴んだ。
「よう、景気はどうだい?」
肩を掴まれた男はあからさまに嫌な顔をした。
「なんだよ、ミラ。俺はいま忙しいんだ」
「まあ、そう言うなって。お前を見込んで良い話を持ってきたんだ」
訝しむハンターの目を深くのぞき込み、唇が耳にふれそうなほど近づけて囁いた。
「オレの隣の嬢ちゃんはな、最高に下品な話が好きなんだお前、そういうの得意だろ?」
男は目を見開いた。
若い受付嬢相手に卑猥な事を言い、彼女たちが苦虫を噛み潰したような表情をするのを楽しみはすれど、まさかそれを待ちわびる者がいるとは思っていなかったからだ。
「…マジか?」
ミラは男の目をまっすぐに見つめ、静かにゆっくりと何度もうなずいた。そして首で自身の受付デスクを指した。
デスクに戻ってきたミラは、さっそくハンターから依頼書を受け取った。
「ほら、よこしな。ったく、相変わらずしけた依頼ばっか受けてんな。とっくに萎びちまったのか?」
ミラが敢えて振ると、男は待ってましたと言わんばかりにデスクへ身を乗り出した。
「萎びたかどうか確かめてみるか? なあ、嬢ちゃんよ」
プリムが自身の下ネタに顔を赤らめ、クスクスと笑う姿をハンターは想像する。
プリムは笑うには笑った。
だがそれはいつも通り他の受付嬢が彼に見せるのと同じ、精一杯の作り笑いだった。その瞬間、ミラが吼えた。
「テメェ、くだらねぇ下ネタこいてんじゃねぇぞ、コラァ!」
「ミラさん、やめてください! 落ち着いて!」
ハンターに掴みかかるミラ。驚くハンター。プリムは慌てて制止に入った。
完璧な舞台装置。あとはあのカイルが飛び出してくるだけだと、ミラはほくそ笑んだ。男に掴みかかりながらチラリとカイルが隠れているであろう方向を見る。
しかし、カイルが現れる気配は一向になかった。
「ミラ、話が違うじゃねえか!」
「馬鹿野郎!誰がテメェみたいなブ男に惚れるかよ!」
収拾がつかなくなり、本物の喧嘩が始まりかけたその時——
「何ごとですか、騒々しい!」
ギルドの奥から、青筋を立てた冷笑を浮かべるネリーネが歩み寄ってきた。プリムはミラが来てから、何度目になるかわからない頭痛に頭を抱えた。
「ミラさん……また貴女ですか。今すぐギルド長へ報告して、追放処分にすべきかしら」
「馬鹿野郎! 今はテメェの出る幕じゃねぇんだよ! ……カイル! カイル、さっさと出てこい!」
名前を呼ばれ、カイルはシャツの胸ポケットをまさぐった。そこから小さな瓶を取り出すと、中身を全身へまわしかけた。安物の香水のむせ返るような不自然な芳香が、カイルに決意と覚悟を固めさせる。
全員の視線が、その異様な香りと共に現れたカイルに集まった。
「……ミ、ミラさん……あなたの態度は、目に余る……ぞ!」
新品のシャツの襟を不自然に立てて、カイルはミラたちの前に現れた。その匂いに全員が眉間にしわを寄せる。
「見なさい、隣に座るプリムローズさんを。彼女こそが、我々ハンターの……その、あれだ。希望、なん……です……」
「「…………はぁ?」」
ギルドを包む、絶望的な静寂。ミラはカイルの頭をパカンとはたいた。
「おせぇよ、馬鹿」
ミラはプリムに向き直り、自信満々に言った。
「どうだった?」
「…はい?」
プリムは目を瞬かせた。
「こいつ、お前のこと滅茶苦茶褒めただろ?」
褒められた感覚など微塵もないプリムは、両手で顔を挟み込むとそのまま唸ってしまった。
ネリーネは静かに首を振ると、そのまま踵を返した。
「……頭が痛くなってきました。プリムローズ、後は頼みましたよ」
ネリーネが、これ以上ないほど軽蔑に満ちた溜息をついて去っていく。憧れの上司にまで見捨てられ、プリムは絶望に打ちひしがれた。
とりあえず事態を整理しようと、プリムは目の前の「不審な匂いのする男」に声をかける。
「えーっと……カイルさん……で、よろしいでしょうか?」
「はい!」
プリムに名前を呼ばれただけで、カイルの顔にパッと灯りがともる。その表情がさらにプリムを不快にさせた。
「ミラさんと一緒に、何を企んでいるのか分かりかねますが……」
プリムはそこまで言い終えると深く、大きなため息をついた。
「——どうか、私を巻き込まないでもらえますか?」
これ以上ないほど冷ややかな拒絶。カイルは目に見えて肩を落とし、ミラは「え、嘘だろ?」と本気で驚いた。
遠巻きに事態を見ていたハンターたちはすでにそれぞれの目的に動いていた。ミラが受付嬢になってこの方、すでに日常になりつつある一幕だった。
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セントラル駅の近くにある酒場は、『鉄の胃袋亭』ほどの活気はないが、洗練された料理と雰囲気をもって客を楽しませていた。
カイルはジョッキを前に、魂が抜けたような顔で項垂れていた。全身から漂う安物の香水もすっかり薄まり、喧騒にまぎれてしまっていた。
「……ミラさん。僕、死にたいです」
「死んだら、香水代が無駄になるだろ」
ミラは豪快にエールを煽り、空になったジョッキをテーブルに叩きつけた。彼女もまた、自分の「完璧な作戦」がなぜ失敗したのか、いまだに腑に落ちていない顔をしている。
「なぁ、カイル。お前、あんなにハッキリ『巻き込むな』って言われて、まだあの子のことが好きなのか?」
「……はい」
カイルは顔を上げ、潤んだ瞳で夕焼けを見つめた。
「あんなに冷たくされたのは初めてでした。でも、怒っている時のプリムローズさんも、凛としていて……なんて言うか、その、神々しかったです」
「…………」
ミラは絶句した。が、次の瞬間、カイルの肩を骨が鳴るほど強く叩いた。
「テメェのその『根性』、嫌いじゃないぜ」
ミラに褒められ、カイルは頭をかいた。
「……いいか、カイル。あのお嬢様に振り向いてほしいなら、香水じゃなくて『実績』を叩きつけるしかねぇんだよ。明日から気合入れていけ」
「はい!」
ミラの目をまっすぐに見ながら、カイルははっきり頷いた。
「よっしゃ!そうと決まればオレも気合入れるとするか。二人で嬢ちゃんの鼻を明かしてやろうぜ!」
エールのジョッキをぶつける音が響く。
安物の香水の匂いと、少しのやる気。二人の奇妙な友情が、静かに、しかし熱く芽生えた瞬間だった。




