第一章 『安酒は高貴な香りに咽びいて』01
前回までのあらすじ
ミラがオナラをしたせいで大変な事になりました。
ギルド長室に、事務局長ネリーネ・フォン・ベルシュタインの無機質な声が冷たく響く。一筋の乱れもなく結い上げられた深いアッシュブラウンの髪。彼女が縁なし眼鏡を指先で押し上げるその静かな所作は、貴族出身らしい洗練された威厳を湛え、室内に鋭い緊張を走らせた。
「……先日、更衣室にて確認された損害リストです。
一、窓の錠の損壊。
二、魔法銀製の姿見、表面の亀裂。
三、消臭魔導具、計六点。処理能力を超えた過負荷により、魔石が無力化。
四、そして、プリムローズを含む、受付嬢たちの心神衰弱」
読み上げられた惨状に、ギルド長リガルド・ディミトリ・フォン・ゼーレヴェルト子爵は、噛みしめていたパイプを揺らした。ギルド最高の権力を持つ人物とは思えない。そもそも貴族にすら見えない、深い隈の刻まれた顔。着こなせていない制服のボタンは、その突き出た腹部で今にも弾け飛ばんばかりだ。
「やれやれ。屁の一発でここまでとは。とんだ喜劇だな」
立ち上る紫煙とともにガルドが力なく笑うのを、ネリーネの鋭い視線が射貫く。対面する二人、プリムは恥辱に頬を染めながら、その佇まいを崩すまいとしている。対照的にミラはどうだと言わんばかりに腕組みしていた。
「笑い事ではありません、ギルド長」
ネリーネの冷徹な一言が、ガルドの笑いを断ち切る。
「貴族院による、我がギルドの定期査定まで時間がありません。この時期に、このような“野蛮な不祥事”が表沙汰になれば、ギルドの評価は間違いなく降格……ギルド長の進退にも影響が出ると予想されます」
ネリーネは手元の書類を固く握りしめた。ガルドは無精ひげをさすりながら、ソファに深く背を預ける。
「……そうだなぁ。面倒な事になったもんだ。」
「『王の盾』の管理能力、そして『稀血の洗礼』の成果。貴族院はその二点を冷酷に判断します。彼女を迎え入れた事で、その基準がさらに引き上げられたと考えても、おかしくはありません」
ネリーネの鋭い指先を、ミラは堂々とした佇まいで受け止めた。
ギルドには二つの顔がある。表向きの顔である『王の盾』、そしてもう一つの顔、『稀血の洗礼』である。
そもそもハンターとは、ギルドという国家運営組織に属する兵士にあたる。平時に常備軍を養うのは国の財政を著しく圧迫し、かといって有事の際に動員できる兵力が少ないのは国家の危機につながる。そこで王国は、ハンターというならず者集団に最低限の定住権と武器の携帯を認め、その管理をギルドへ委託し、いつでも兵士として駆り出せるようにした。これが『王の盾』である。
そしてもう一つが『稀血の洗礼』である。
貴族社会はその性質上、どうしても『血』というものに重きを置く。しかし繰り返された近親婚は肉体と精神を蝕み、多くの家名を絶滅へ追い込んだ。
そこで自らの支配権を永続させるために、優秀なハンターという『血』に目を付けた。彼ら『稀血』を自らの血統へ取り込むため、自らの娘をギルドへ派遣させる。それが彼女たち、受付嬢の正体ともいえる。
これらはギルド中枢の人間のみが知る、国家の最深部に触れる極秘事項である。
「前例のない『元ハンターの受付嬢』。それだけで査定官の眉をひそめさせる材料になり得るというのに、この有様なのですから」
ネリーネが苦悩は、もはや事務的なものを超えていた。ミラという異物の混入は、ギルド長ガルドが独断で決めた采配であり、今回の貴族院の視察もそのために予定されたといっても過言ではなかった。
「まあ、落ち着きなさい。まずは彼女たちの話も聞かないと。」
冷たい表情の中にも、徐々に怒気を含ませつつあったネリーネを、ガルドは静かに制した。
「まずはミラ。お前さんがこんな騒ぎを起こした理由を、聞かせてもらおうか。」
「別に。この嬢ちゃん達が、ハンターを茶菓子にして盛り上がってんのが、気に食わなかっただけさ。」
ミラはプリムを顎で指し、憮然と答えた。
「もっと具体的に言ってくれよ。お前の借金、うちが立て替えてんだからさぁ。」
「――ぐっ」
痛いところをつかれたと、ミラの佇まいが崩れる。
「今回の損害も、給料から引かせていただきます。」
「――だってさ。」
さらに詰められて、ミラはしぶしぶと答えるしかなかった。
「…ハンターが臭いだの、顔だけで実力がないだの言うから、我慢できなかったのさ。」
ガルドは視線を動かし、端に控えていたプリムを捉えた。
「ふむ。……プリムローズくん。そうなの?」
「……左様でございます。弁明の余地もございません」
プリムは深く頭を下げた。
「ギルドの規範たるべき私たちが、職務中にあのような軽率な言辞を弄したこと、深く反省しております」
凛とした声で粛々と謝罪の言葉を述べるプリムを見て、ガルドは小さくうなずいた。
「なるほどねぇ。……どうかな、ネリーネくん?」
ガルドに聞かれ、ネリーネの視線がプリムへ注がれる。その静かな圧力に、プリムは視線を上げることが出来なかった。
「――。貴族として、品格に欠けていると言わざるを得ません、とても――。」
ネリーネの声は低く、鋭いものだった。眼鏡の奥の瞳には、感情の代わりに絶対的な規律の色が宿っている。
「王国の一員としての矜持を忘れ、神聖なる『選別』の職務を、俗悪な醜聞の種へと貶める。……恥を知りなさい」
「も、申し訳ありません……っ!」
プリムの頭が、これ以上ないほど下げられる。
「まあ、彼女たちはまだ若い。泥まみれのハンターに鼻をつまみたくなるのも……まあ、理解できるさ。」
「ふんっ!」とミラが鼻を鳴らした。
「しかしネリーネくんの言った通り、君たちは王国を担う存在だ。今度の審査ではミラだけじゃない。自分たちも、より厳しく見られると肝に銘じておいてくれ。」
ガルドが視線を走らせる。プリムは下を向いたまま。ミラも不満気ではあるが、ガルドの視線を真正面から受け止めた。
「……とりあえず今回の件に関わった全員、明日までに反省文を書いてもらう。そしてミラ。お前は毎朝、私が許可だすまで休憩室の掃除係だ。」
プリムが「わかりました」と頷き、ミラは頭を抱えた。
「これでどうかな?」
ガルドは傍に控えるネリーネへ目線を送った。
「……。……わかりました。他の者へは、私から厳重に言い含めておきます」
「うむ、助かるよ」
それを合図にガルドは深い息を吐き、椅子に埋もれた。部屋の中の空気が平穏に戻りはじめ、プリムの心も少しずつほぐれてきた。
「それではプリムローズ。引き続き、貴方にはこの方の教育指導を続けてもらいます。私もサポートしますが、これも貴族の務めと精進なさい。」
ネリーネの言葉が、ほぐれつつあったプリムの心にさらなる氷塊を落し、つかの間の平穏だったと思い知らされる。
「……はい。謹んでお受けいたします。」
正面を見据え、一言ずつ噛み締めるように応える。内心ではミラという「猛獣」を御する困難さに眩暈を感じていたが、それを表に出すまい必死であった。そんな彼女の心情を知ってか知らずか、ミラはガハハと笑ってプリムの肩を叩いた。
「そうビビりなさんな。嬢ちゃんの顔を潰すような真似はしないからさ。」
ミラの楽観ぶりにも微動だにすることなく、プリムは一点を見つめ続ける。すでにプリムに精神的余裕はなく、気丈に立ち続けるので精いっぱいだった。。
「そういうところです、ミラさん。貴方のその『甘え』が、ギルドが積み上げてきた信用を汚していることに気付きなさい。私たちがどのような覚悟でこの審査を迎えているか……。貴方の足りない頭で、一度でも想像したことがあって?」
問題の中心にいながらまるで意に介さないミラの態度に、ネリーネの語気も強くならざるを得ない。
しかしその物言いに、黙っているばかりのミラではなかった。
「そんなにヒステリックに騒ぐことかねぇ。……あぁ、そうか。テメェもまだ独身なんだもんなぁ。そりゃ余裕がなくなるわけだ」
「ミラさん…!?」
ミラの物言いに、プリムの顔から血の気が引いた。ミラの発言は、受付嬢の間でも禁忌とされているネリーネの逆鱗だからだ。
「おい、その辺にしとけ。」
ガルドの制止もきかず、ミラは獰猛な笑みを浮かべて一歩踏み出した。
「御大層な取り決めの割には、あんまり身が入ってないようだねぇ。オレよりも、自分の心配でもした方がいいんじゃないかい?」
「ミラさん、失礼です! 事務局長、どうかお心を鎮めて……!」
しかし、二人の発するプレッシャーの激流は、うら若きプリムが割って入れるものではなかった。
ネリーネの額に青筋が浮かび上がっている。普段の冷徹な仮面がわずかに歪み、手に持っていた報告書がミシミシと音を立てる。
ネリーネは一呼吸おいて、優しく微笑んだ。
「……滑稽ですね。いつまで『ハンター』の幻影に縋るつもりかしら、元・銀等級さん?」
ミラの頬がピクリと引き攣る。ネリーネは眼鏡のブリッジを指先で弾くと、氷のような冷笑がさらに迫力を増した。
「ギルドの温情に泣きついて、スカートまでお召しになって……。まだ気高い狼のつもりだなんて、失笑を禁じえませんわ。 ……まあ、無駄な指摘でしたわね。貴方は狼などではなく、喉を鳴らして餌を待つ野良犬なのですから。」
一瞬ひるみかけた体を、ミラはぐっと抑えた。目にメラメラと怒りの火がともる。肩が震え、今にもネリーネへとびかかりそうな野生を、ハンターとして、何より女としてのプライドが必死に押しとどめた。
「上等だッ!テメェの目が節穴だってこと、今度の審査でたっぷり思い知らせてやらぁ!」
「よろしいでしょう。もし貴方が審査員の目を欺き、最低限の淑女を演じきれたなら……その時は、わたくしの私財で貴方の負債を全額清算して差し上げます」
「なにぃ?」
「勘違いなさらないで。それは『排除』のための必要経費です。……金で自由を買い、二度とわたくしの視界から消え失せなさい、野良犬さん」
猛る炎と凍てつく氷がお互いを激しく削り合い、その摩擦熱によって発生した水蒸気が、部屋の視界を歪ませていくようだった。
「おいおい、やめないか。 身内同士で争ってどうする。」
「「身内じゃねえ・ですわ!」」
二人の剣幕に押されまいと、ガルドも必死で制した。
「……ともかく。大事な時期なんだ。ネリーネくん、プリムローズくんは、引き続きミラの指導教育を頼む。ミラ、査定が終わるまでは、せめて人間らしい振る舞いを心がけろ。いいな? 借金が残ってるうちは、私の言うとおりにしてもらうぞ。」
肩で息をしながら睨みあう二人を、どうすることもできないプリムは、ただ狼狽えるしかできなかった。
「………せいぜい覚悟するんだな。借金がなくなった暁には、その上等な面、跡形もなくぶちのめしてやる」
「……そう願いたいものですね。そうでなくては、貴方があまりに不憫ですわ」
審査の日まで残り僅か。
プリムは、なおも睨み合う二人を前に、ただ自身の未熟さを嘆いていた。ネリーネに言われただけではない、貴族としてどう正しくあるべきか――その重圧に、静かに瞳を閉じるしかなかった。
『ハンターズギルドについて』
彼らの町『ラグニール』は四方を壁に囲まれた城塞都市になります。
北区『貴族街』南区『住人街』東区『遺跡の門』西区『職人街』で構成され、ギルドはその中心に位置します。
各区域は軽便鉄道で行き来ができますが、北区のみは特別な許可証を持った人間しか入ることができません。
東区には『遺跡の門』があり、ハンターたちからは『黄泉の口』と呼ばれます。そこから出た先にある『ダンジョン』の管理、魔物の討伐がギルドの主な仕事です。
ちなみにギルドの受付嬢たちは貴族街の出身ではなく、様々なところから派遣されてきてます。たまの休日に帰るくらいで、彼女たちはその役目を終えるまで、ギルドで寝食を共にします。




