14 『屁、見せLOVE YOU』
窓から差し込む朝陽を、恨めしく思いながらカイルは目を覚ました。
眠気に襲われ、再び瞳を閉じる。だが瞼の裏に浮かぶのは、遥か高みから自分に手を伸ばすプリムの、慈愛に満ちた微笑み。圧倒的神の如き存在の優しさに、カイルは逃げ出してしまった。
(——俺が、あの子にあげられるものなんて…)
そう心で呟き、自嘲気味に笑った。
もう自分にはなにもない。高みを目指す理由も、生きる意味も。
だからこそ、いまは静かに眠らせてほしかった。カイルは寒気を覚えて、シーツに手を伸ばす。
――ガチャ――
硬い金属の音が響き、手がそれ以上動かない。
「——え?」
右腕も、左腕も、両足も固定され、カイルは大の字にされていた。おまけになぜか体は一糸まとわぬ状態だった。それどころか口には猿ぐつわがまかれていた。
「——お目覚めかい?」
声の方に視線を送る。この宿の女将が、薄い下着姿でカイルを見ていた。その瞳に込められた熱に、カイルは戦慄する。
自分に起こっている事を問いただそうと口を開くが、唸り声だけが空しく響く。
「大丈夫だよ。アンタはそのまま寝ていればいいさね」
そう言って女将はカイルを抑えつけるように覆いかぶさってきた。豊満すぎる体が触れたり触れなかったりして、否応なしに人肌の温もりを感じさせた。
昨日まで自分を気遣って、食事まで用意してくれた、母のような女将が獣の目でカイルを見つめる。カイルは必死に訳を問うた。
「——なんでかって顔してるねぇ。これは宿代替わりさ」
カイルは抵抗をやめた。当たり前の話である。ここはガッゾの妻が切り盛りしている宿屋である。いくら馴染みで安くしてもらっているとはいえ、働きもしないカイルを置いておくほどうまい話はない。カイルは運命に身をゆだねた。
(——どうとでもしてくれ。俺はあの子にフラれたんだ。もう俺には…生きたい気持ちなんて、これっぽっちも残っちゃいないんだ――)
「——よしよし、体は正直だねぇ。心配しなくとも悪いようにはしないさね」
(チ、チクショー…)
自身の意思にかかわらず隆起する下半身をカイルは恨む。
「…あ、こら!急に暴れんじゃないよ」
ここで身を任せては大事なものを失う――何よりガッゾへの義理が立たないと、カイルは必死に抵抗した。
「おぉい、カカア。飯はまだか?」
ガッゾの登場に、カイルの血の気が一気に引く。おかげで下半身の熱も一瞬で収まった。
(が、ガッゾ…違うんだ!)
カイルはそう言おうとした。ガッゾは頭をかくと、大きなため息をついた。
「——まったく、またかよ」
カイルにはその意味がすぐには飲み込めない。おかみさんは頬を膨らませて旦那に抗議した。
「いいじゃないのさ。いつまでもただ飯食うよりは、お互いのためってもんさね」
カイルは縋るような目でガッゾを見た。自然と涙がにじむ。
「——ったく、前みたいのは勘弁だからな」
(前ってなんだよ! 他にも被害者がいるのかよ!)
カイルは心の底から震えあがり、そして渾身の声で助けを求めた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ガッゾに助けられ、カイルの貞操は一応の危機を脱した。
久々に姿を見せたカイルに、ロロは心底ホッとしたように顔を綻ばせたが、リプレの方はといえば、いかにもつまらなそうに唇を尖らせた。
「いっそそのまま食べられちゃえば面白かったのに。寝るだけで三食屋根付きなんてなかなかいい職場だと思うけど?」
空恐ろしい冗談を吐き捨てるリプレの横で、ガッゾがガハハと豪快に笑い、カイルの肩を叩く。
「きちんと仕事すりゃ、そのうち俺がカカアに頼んでやるさ」
「……いや、本当に大丈夫です」
力なく返すカイルの言葉に、ガッゾは少しだけ目を細めて気遣うように言った。
「まあ、お前も久々だしな。あんまり無理はさせんつもりだ」
「――いえ、もういいんです」
カイルは遮るように首を振った。その瞳に、かつてのような熱意はまるで感じられなかった。
「——ミラさんみたく銀等級目指すとか、そんなこともう思いません。これからは身の丈にあった生き方をしていきます」
歩みを止め、仲間たちは黙ってカイルの言葉を聞いた。
「——これからは真面目に仕事します。だから――すいませんでした!」
カイルは深々と頭を下げた。
ガッゾとロロは困ったように微笑んだが、リプレだけは不満げに、射抜くような視線をカイルに向けた。
「——じゃあ、あのお嬢さんは?」
その問いに体が固まる。とっくに断ち切った想いに、こうも簡単に心をかき乱される自分が情けない。
「——だから言ったでしょう?身の丈ですよ。俺とあの子じゃ、住む世界が違いすぎるんです」
リプレは無言でカイルを凝視し続ける。その圧に耐えかねて目を伏せた瞬間、彼女はカイルに歩み寄り、その腕を自分の身体に強く引き寄せた。
布越しではわからない感触が、今朝の記憶とリンクして生々しい想像力を掻き立てる。
「——なんだか気に入らないわね。アタシじゃ不満みたいじゃない」
悪戯っぽく顔を寄せ、そう囁いてきた。
「そ、そんなことないですよ! っていうか、近いですって、リプレさん!」
必死に身を捩って逃げようとするカイルだったが、リプレは腕を離さない。
結局、ギルドの門をくぐるまで、カイルは彼女の体温から逃げ出すことはできなかった。
ギルドの門をくぐった瞬間、カイルは我が目を疑った。
静まり返るホール、つまらなそうに掲示板を見つめるハンターたち、粛々と業務をこなす受付嬢たち。そして四方には、鉄鎧に身を包んだ衛兵らしき者たちが、入っていたカイルに鋭い検閲の視線を投げかける。まるで異国の占領地に迷い込んだかのような変わりようだ。
「——な、なにかあったんですか?」
カイルが小声で戦慄くと、ガッゾは苦虫を噛み潰したような顔で、周囲を警戒しながら声を潜めた。
「——ギルド長が変わったんだよ」
ガッゾに言われても、カイルには現実味が湧かなかった。自分が引きこもっていたのは、せいぜい数日の事だ。ここまでギルドを変えるとは、どれほど敏腕のギルド長が就任したのだろうか。
「——現場の事なんかなーんもわかんない、つまんない男よ」
カイルの心を読んだかのように、リプレがつぶやく。近くの衛兵が睨むが、彼女は知らぬ顔をした。ロロが身をかがめてカイルに囁く。
「アイツら、すぐ『不敬罪』だって騒ぎ立てるんだ。あんまりギルドの悪口は言わねぇほうがいいだ。特に、新しいギルド長のことはな……」
カイルは周囲のハンターたちを見渡した。静寂とは無縁だった連中が、一様に口をつぐみ、そのせいか人相まで変わっているように感じられる。
「ま、正直な話、お前が戻ってくれてよかった。道具の調達やら準備にも、金はかかるからな」
ガッゾの言葉の真意は、掲示板を見てすぐに理解できた。
掲示板は見たこともないような些末な依頼で溢れていた。工事の人足から、迷子の猫探し、果ては貴族の庭の草むしりだ。これまでギルドが取り扱ってこなかった「雑用」が、正規の依頼として並んでいる。その反面、カイルが今まで携わってきたようなものや、もっと高い等級の報酬は大幅にカットされ、にも関わらず手数料は据え置かれていた。
「——なんです、これ…?」
思わず声が漏れる。カイルが以前、受けていたようなクエストを見て瞬時に計算する。諸々の経費を差っ引くと、報酬は驚くほど少なくない。これでは高い等級のハンターほど、受ける程に損をする仕組みと言っても過言ではない。
「——これが今のギルドの在り方ってことなんだろう」
ガッゾは諦めを滲ませた口調で、依頼を物色した。
こんな異常事態に、ミラが黙っているとは到底思えない。カイルは受付デスクの向こうに視線を走らせた。
ミラは、いた。しかし山のような書類の影に埋もれ、以前のあの傲岸不遜な覇気は、塵ほども感じられなかった。そして、その隣にいるはずのプリムの姿は、どこにもなかった。
(——ミラさんの言った通りだったんだ)
プリムが臥せっていると言っていたミラの言葉を思い出し、カイルの心に激しい後悔が、どろりとした澱みとなって胸に渦巻いた。
「——今のギルド長にこっぴどくやられて、あの有様みたいよ」
カイルの視線に気づき、リプレが皮肉げに呟く。
ミラが何者かに服従するなど、とても信じられなかった。いつでも自分勝手で、他人の人生に土足で入り込んでくる。圧倒的な力で理不尽をなぎ倒すのが、ミラという存在ではなかったのか。
(——違う)
カイルは己の抱いていた幻想を打ち消した。
(——ミラさんだって人間だ。俺がプリムさんを、そこら辺のお嬢さんと思っていたように、俺が勝手に抱いた憧れだったんだ)
そう思うと、ミラに対して妙な親近感――いや、敗北者同士の「同族意識」が芽生えてきた。
「まあ、あの女が大人しくしてるなんて、不気味以外の何物でもないけどな」
「——あ、嵐の前の静けさ、じゃねぇべ…?」
「うーん、あのまま静かにしててくれた方が、世のため人のためなんじゃない」
仲間たちの冗談を、カイルは虚ろな心で聞き流した。
(ダメなんだ。どう足掻いたって、個人じゃどうしようもない巨大な力ってのがあるんだ。それは、ミラさんだって、同じなんだ…)
そう呟きながら、カイルは自身が暗い気持ちになり、それは周りのハンターたちも同じなのではないかと思えた。
ミラの変わりようを見て、皆が己の幻想を打ち砕かれ、世界に希望を見いだせない…いや諦めたのだと。
その時だった。
「テメェ、なにやってんだ!」
鼓膜を震わす怒声が、カイルの意識を現実に引き戻す。
見ると受付デスクへ向かって、ハンターたち叫んでいる。そのさらに向こうには、眼鏡をかけた令嬢らしき受付嬢が衛兵に腕を掴まれていた。
「あちゃあ、はじまっちゃったかもね」
リプレが低く零す。カイルが周囲を見渡すと、ハンターたちの目には一様に憎悪の炎が宿り、各々の手が武器に添えられている。
「――ったく、こっちが大人しくしてれば、あの馬鹿どもが!」
ガッゾが低く唸り、背中の大剣に手をかけた。
「——が、ガッゾさん。落ち着いてください…!」
カイルが必死に止めに入るが、ガッゾの双眸は微動だにしない。ロロはその後ろでおろおろしながら、いざとなれば手助けできるようにと武器に手をかけていた。
「ロロさん…?!」
「す、すまねぇ、カイル君…」
「——カイル、ここは俺たちのギルドだ。ギルド長だからって、よそ者の好き勝手にされて、たまるかってんだよ」
ガッゾの静かな怒りに、周囲のハンターたちが無言で頷く。
衛兵たちも集まり始め、暴力的な言葉の応酬が高まる。いつその火ぶたが切られ、爆発してもおかしくはない。
(終わってしまうのか。……ここで全部……)
瞼の裏に、プリムの顔が浮かぶ。自分を救うと言った聖母の微笑みではない。不器用に、けれど明るく笑いかけてくれた、あの等身大の笑顔だ。
(くそっ……!)
カイルもナイフの柄を握りしめる。死にたくない、けれど、この理不尽を飲み込むこともできない。
その刹那だった。
――ブッ、ブリブリブリリリッ!!――
およそこの場に似つかわしくない、湿り気を帯びた下品な轟音がホールを突き抜けた。 抜かれかけた剣が止まり、怒声が凍りつく。全員の視線が、一点へと吸い寄せられた。
ミラは、優雅に紅茶を嗜んでいた。その間も、音は止まることなく、朗々と鳴り響き続けている。
「——なっが」
カイルのそばで、誰かが呆れたように零した。カイルも同じことを思い、先ほどまで感じていた憎悪も、殺意も音ともにどこかへ霧散してしまった。
長大の放屁を終えたミラは、自分を見る衛兵たちに視線を向けると、わざとらしく驚いてみせた。
「……すまん! 屁をこくのもギルド長の許可証が必要だって、知らなかったんだわ」
深々と頭を下げるミラの姿は、滑稽で、皮肉で、そして最高に「ミラ」だった。
するとどこからともなく、新たな放屁が聞こえた。一人のハンターが、悪びれる様子もなく晴れやかな顔で尻を振る。それが合図だった。
「俺の方がもっとデケェ音が出せるぞ!」
「芋育ちの実力、見せてやっぺ!」
ガッゾが可愛らしい音を鳴らして頬を染め、ロロは細く長く、ミラに負けじと粘り強い一発をかます。
辺りは瞬く間に、笑いと、下品な合唱と、形容しがたい臭気に包まれた。衛兵たちは顔を顰め、剣を収めるタイミングさえ失って呆然と立ち尽くしている
「——男って本当にバカよねぇ」
そう言って鼻をつまむリプレも、どこか楽しそうにほほ笑んでいた。
そこには、カイルが知っているギルドがあった。誰にも縛られず、汚くて、やかましくて、生命力に満ち溢れた、彼らの居場所だ。
ミラは一人、満足そうに紅茶をすすっていた。
(——やっぱ違う!あの人は、なんも変わってない…!)
カイルは嬉しさのあまり、人ごみをかき分けて走り出した。カイルを見つけたミラが、カップを持ち上げて挨拶する。
「——み、ミラさん!お、俺…」
謝罪なのか、感謝なのか、何から言えばいいのかわからない。ただこうして会えた事に、カイルは嬉しさが込み上げてきた。
「——よう、色男。ようやくお目覚めかよ」
ミラはそれだけ言うと、受付デスクの奥に続く廊下を指さした。
「奥から2番目の扉だ。この騒ぎの間にさっさと行きな」
「え…?」
「え、じゃねぇよ。このまま一人ぼっちにさせる気か?」
カイルは俯く。ミラを前にしても、自分に何かできるとは思えなかった。ミラは嘆息しながら言う。
「女が落ち込んでんだぞ?肩貸すくらいしてやれ。それともギルド長の許可がいるか?」
カイルは真っ直ぐにミラの目を見てほほ笑んだ。
「……まさか。屁をするのも、会いに行くのも、俺の自由です。誰の許可もいりません」
ミラの脇をすり抜け、カイルは廊下の奥へと忍び込んだ。背後ではまだ、ハンターたちの野蛮な合唱が、新しい「秩序」という名の静寂を心地よくぶち壊し続けていた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
背後で響く、野蛮な笑い声と下品な合唱が、歩みを進めるたびに遠のいていく。喧騒が消えるほどに、廊下の空気は冷たく、鋭利な静寂に満たされていった。
扉を前にして、カイルは急に足がすくみ、掌には嫌な汗がにじんでいる。
(……ベッドに縛り付けられてた時の方が、よっぽどマシだったか?)
女将の肉圧よりも、ミラの屁の音よりも、この扉の向こうに漂う「沈黙」が、今のカイルには何倍も恐ろしかった。
意を決し、扉にノックをしようとし――その手を引っ込める。
綺麗な言葉も、丁寧な挨拶も、今の自分たちには必要ない。許可なんていらない。泥だらけの靴で聖域を汚すような、そんな野蛮な決意を込めて扉を押し開けた。
診療室の静寂に、固まったはずの意志が鈍りそうになる。しかし奥のベッドに横たわる少女の姿が目に入った途端、自然と足がそちらを向いた。
プリムは表情もなく、ただそこに横たわっていた。どこかやつれたその顔が痛々しく、カイルは明るく声をかけた。
「や! お見舞いにきましたよ」
プリムはカイルの方を見たが、すぐに視線をもとの虚空へ戻した。
「——すみません。いまは、どなたにも会いたくないのです」
カイルは一瞬たじろぐ。明らかな拒絶――普段のカイルであれば、プリムに気を遣ってそのまま病室を後にしていただろう。
(——逃げちゃだめだ。俺がしっかりしないと、プリムさんはまた一人になっちまう…!)
プリムの拒絶を聞き流し、カイルは努めて明るく話し始めた。
いま、廊下の奥で行われている、世にも下品で、生命力にあふれた合唱の事。
自分もしばらく休んでいたのだが、貞操の危機に遭って泣く泣くここまで来た事。
思いつく限りの、馬鹿々々しい話をしてみた。
だが、人形のように表情を失った少女の心を取り戻すに至らない。空しさが心を支配し、カイルは己の無力さに潰されそうだった。
しかしそういう自分を、俯瞰している自分にカイルは気づく。
(——何を格好つけてるんだ。 ミラさんも言っていただろう。 肩を貸すのに、誰の許可もいらない。今日はこのくらいにして、明日また出直そう)
カイルは席を立つ。プリムは相変わらず表情なく、一点を見つめていた。
その表情に、カイルは遠い過去の自分を思い出した。
まだハンターになりたての頃。頼るものがなく、世界が自分一人だけと感じてしまっていたあの頃。
「——プリムさん、あなたは覚えてないでしょうけど…」
カイルはプリムに背を向けて語り出す。
「——俺さ、ハンターになりたての頃、頼る人間なんていなくて、だからなんでも一人でやらなきゃって意地張ってて」
過去を思い出しながら、たどたどしく語る。思い出を語る事が、こんなに難しいとは知らなかった。
「——戻ってくるのは、いつも遅くてさ。もう他に誰も残ってないギルドで、あなただけがいつも出迎えてくれたんだ」
声に出しながら、カイルは過去の自分に戻っていた。そして何故、自分がこの少女に強く惹かれたのかという思いが、鮮明になってくる。
「——嬉しかったんだ、本当に。 いまさらだけど、ありがとう」
カイルの心から、先ほどまでの無力感は消えていた。むしろ、心はひどく晴れやかだった。プリムに対する劣等も、自身の願いもなにもない。
ただ、純粋な気持ちだけが残っていた。
「——それじゃあ、プリムさん。また来ます」
カイルの足音が遠ざかり、部屋に再び静寂が戻った。
プリムは相変わらず虚空を見つめていたが、その指先が、シーツの上でわずかに震えた。
――「ありがとう」
記憶の底に沈んでいた、まだ何者でもなかった頃の自分の断片。それをカイルが拾い上げ、手渡してくれたような気がした。
プリムはゆっくりと自分の右手を持ち上げ、ぼんやりとその掌を見つめた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
医務室の重い扉を閉めた瞬間、カイルは壁に背を預けてズルズルと座り込んだ。
「……あああ、何言ってんだ俺。あんな意味わかんない事、なんで言っちまったんだ」
掌で顔を覆い、猛烈な羞恥心に悶絶する。だが、その胸の奥には、今朝の絶望とは違う、確かな熱が灯っていた。
その脈動に身を任せ、カイルは歩き出した。来た時のような迷いも、身を縮めるような卑屈さもない。自分の不器用な足音を、今の自分に相応しいリズムだと思いながら、力強く廊下を進んでいく。
だからこそ気づかなかった。
廊下の角、陽の光さえ届かない深い闇の中から、底知れない瞳が自分を見つめていたことに。
その影――ヴォルケは、少年の背中が消えるまで、音もなくそこに立ち続けていた。




