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『安酒は 高貴な香りに 咽びいて』 09

ギルドの更衣室。

すっかり身支度を終えたプリムは、鏡の前に座りじっとミラが訪れるのを待っていた。

昨日、昼休憩を終えたプリムは、ギルドの異様な空気に戸惑っていた。ミラに交代を告げても、彼女は放心したように生返事をするだけ。そのまま、ふらふらとした足取りで食堂へ消えていってしまったのだ。


(——一体何が?)


プリムは、今まさに食堂へ向かおうとする受付嬢を捕まえて尋ねた。少女は声を潜め、まるで極上の演劇でも語るように、プリムに自分が見たことを話した。


「まったく見苦しいったらなかったわ」


少女が話し終えるのを待たず、プリムは食堂へ走り出していた。しかしそこにミラの姿は見えず、結局その日、ミラが姿を見せる事はなかった。

ミラに来てほしい、無事でいてほしいと思いつつ、もし来たとして、ミラになんと声をかければいいのかわからない。そんな焦燥感にさいなまれながら、ただミラの無事だけをプリムは祈った。


「それにしても、昨日は胸がすっとしたわね!」


更衣室に、少女たちが昨日の感想を語る声が響く。


「あんなに勢いよく飛び出しておいて、無様に這いつくばらされるなんて!恥ずかしいったらないわね」

「普段、偉そうにしていたって、本当に強い人には勝てないってことよね」


少女たちは、まるで自分の手柄のように話を咲かせていた。普段であればプリムもその輪に加わるはずだが、今はまるでそんな気持ちにならない。むしろ胸のざわつきを抑えるのに、精一杯だった。

そんな笑い声の中、ベアトリスが勝ち誇ったように声を張り上げた。


「……実を言うと私、お父様に手紙を送ったのよ。あの女に閉じ込められたあの日にね」


ベアトリスの告白を聞き、プリムの中にかつて感じたことのない、ぐつぐつと煮えたぎる何かが全身を瞬く間に駆け巡った。

少女たちはベアトリスへ惜しみない称賛を送った。


「そうだったの!では、今回の審査会は貴方のおかげということ?」

「このまま一生、あの女と働くのかと絶望していたけど、これで一安心ね」


自分でもどう動いたのかわからない。

気づけばプリムは立ち上がり、耳障りな笑い声の輪へ歩き出していた。


「穢れたハンターのくせに、私たちと肩を並べること自体おこがましいのよ」


ベアトリスのその言葉で、プリムの中で何かが弾けた。

こちらに気づいたベアトリスの顔がはっきりと見える。その白磁のような顔の正中線ど真ん中に、プリムの握りこんだ拳が叩きつけられた。

一瞬の静寂。

ベアトリスは自分の鼻から流れ出した鮮血を見て、ようやく甲高い悲鳴を上げた。それを合図に、周囲の少女たちもパニックを起こし、血に濡れたベアトリスと、拳を固く握りしめたプリムを交互に見た。

プリムは自分の行動に驚きつつ、必死にミラを思い浮かべていた。そうすることで、自然と言葉があふれてきた。


「恥を知りなさい! たかがハンター一人に怯え、家名に泣きつくなんて…それで勝ったつもりですか?」


全員が驚きの表情でプリムを見ている。


「ミラさんは確かに無茶苦茶です。 でも、人を蔑みながら、結局は他人の力に頼る貴方たちより…彼女の方が、よほど誇り高いですわ!」


呼吸することも忘れ、腹に溜め込んだすべてを出し切ったプリムは、激しく肩を上下させていた。

ベアトリスをはじめ、少女たちの鼻息も荒くなるのがわかる。真正面から見下された屈辱に、ベアトリスは獣のような声を上げプリムに掴みかかった。


「——こ、この野蛮人!!」


プリムの髪を掴み、力任せに引っ張り上げる。だがプリムも負けてはいない。右手でベアトリスの腕を掴みながら、握った左拳を、今度は彼女の右頬に叩き込む。


「プリムローズ、なにをしてるの!」


ようやく我に返った少女たちが、プリムを抑え込もうと殺到する。だが、必死の抵抗に遭い、なかなか捕まえられない。

プリムにしたたか殴られたベアトリスも黙っていなかった。今まで自分に都合の良い相槌を送っていただけの少女が、狂暴な牙をむいてくる。その不敬が彼女のプライドという火に油を注いでいた。

二人を止めようとする受付嬢たちも散々な有様だった。腕を掴もうとすれば引っかかれ、足を掴もうとすれば蹴飛ばされ、抑えようとすれば嚙みつかれ・・・。

そこへ、ようやく訪れたミラは、扉の向こうから微かに漏れる異常な喧騒に胸騒ぎを覚え、一気に開け放した。

悲鳴と怒声が響き渡る更衣室。彼女の目の前で、ギルドの聖域が、凄惨な地獄絵図と化していた。


「——な、なにやってんだ、お前ら!」


その中心にプリムの姿を見つけ、ミラは驚愕しながらも人垣を割り、背後からプリムを抑えつけた。数人がかりで止められないプリムを、ミラはあっさりと羽交い絞めにしてしまい、尚も掴みかかろうとするベアトリスを他の少女たちが必死に引きはがす。


「何ごとですか、いったい!」


ネリーネの悲鳴に近い鋭い声が更衣室にこだまし、事態はようやく収拾された。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


審査に来たはずのエドワードをはじめとした三人は、目の前の異常な光景にそれぞれの反応を示していた。

朝礼の時間をとうに過ぎても、なかなか現れない受付嬢たち。不審に思っていた矢先、響き渡る悲鳴、そして様子を見に走ったネリーネの怒声。

一人、階段を降りてきたガルドに問いただしても、彼は「いやあ、元気があっていい」と、目尻に小じわを浮かべて笑うだけだった。階上でいったい何が行われているのか、不思議に思いながら、審査員たちは待った。


「お待たせしてしまい、大変申し訳ございません」


この短い間に何があったのかと思うほどやつれて戻ったネリーネを筆頭に、受付嬢たちが一斉に頭を下げる。ただその迫力に、エドワードは一瞬たじろいだ。

全員の制服はシワだらけで、数人のストッキングは伝線し、なによりその顔面が凄まじい。傷と痣に彩られ、無事な人間の方が少ない。

とくに最前列のプリムとベアトリスは、どちらが勝ったのか判別もつかないほど酷かった。プリムは右目を紫に腫らし、ベアトリスは鼻に真っ赤に染まった脱脂綿を詰め込んだまま、一分の隙もない完璧な角度で会釈をしている。

その様相に最初は驚いていたガルカスとジュリアンは、気丈に頭を下げる受付嬢たちの様子に、むしろ好感を覚えていた。


「かっかっかっ! 朝から勇ましい事だな!」

「ああ……。破壊された美、剥き出しの闘争心。これこそが辺境の真髄……なんと素晴らしい……」


ただ一人、エドワードは青ざめた顔で肩を震わせ、ひきつった指先で受付嬢たちを指差した。


「い、い、いったい、何ごとだね!この惨状は」


泡を飛ばして狼狽えるエドワードに対し、ガルドは頭をかきながら、どこか誇らしげに言い放った。


「まあ、ハンターズギルドの職員ですからな。たまにはこんなこともありますわ」


ネリーネは咳ばらいをしつつ、短い朝礼に取り掛かった。



ギルドの一風変わった一日は、ようやく終わりを迎えようとしていた。

ミラは終始、プリムの動向を気にかけていたが、当のプリムの方はどこか晴れやかな顔で業務をこなしていた。


「堂々としたもんだな。すっかりギルドの受付嬢って感じだぜ」

「あのー、私一応、ミラさんより先輩なんですけど」

「おっと、こりゃ失礼」


このような軽口を言い合えている事に、プリム自身も驚いている。笑うたびに頬が引き攣る感覚も、今はどこか心地よい。


「——きっと、ミラさんのおかげですね」

「オレ? なんでさ?」


ミラは首をひねる。自分のせいでプリムが小言を言われることはあっても、感謝されるような心当たりはない。プリムはくすくすと笑った。顔がはれている事を差し引いても、今の彼女には十分な気品を感じるとミラは思った。


「あの子達と、その…喧嘩している時、ずっと思ってました。ミラさんならどうするかな、ミラさんならなんて仰るかなって」


ミラは唖然とした。プリムが自分をどう思っているのか、その一端を垣間見た気がして、大きなため息が出た。


「——絶対、他の奴に言うんじゃねぇぞ。とくにネリーネにはな」

「言いませんよ」


そういってプリムは声を上げて笑った。ミラも照れくさそうに口角を上げ、心に暖かなものを感じた。

そんな二人の窓口に、近づく影があった。


「——うわっ! どうしたんですか、プリムさん!」


クエストから帰ってきたカイルは、プリムの腫れあがった顔に驚愕し、直後に、ミラの方を鋭く一瞥した。


「おい、なんでオレを見るんだよ」

「そ、そりゃ…またミラさんの無茶に巻き込まれたんだろうと…」

「——カイルよぉ、随分言うようになったじゃねぇか」


ミラは腕を組んでカイルを見下ろした。制服の肩部分が、今にもはち切れそうな悲鳴を上げる。


「違うんですよ、カイルさん。ミラさんは関係ないんです。あれ? 関係ないのかしら…」


アハハと笑うプリムに、カイルはだらしなく口を開けて見惚れていた。怪我をしていても、今の彼女は以前よりずっと眩しく見えたのだ。

ミラに突っつかれ、我に返ったカイルはクエスト完了の報告を済ませると、しばらく黙った後、意を決したようにプリムを見つめた。


「——あ、あの! お仕事が終わった後、ちょっとだけお時間もらえないでしょうか!」


プリムは2度ほど、目を瞬かせると、優しく微笑んだ。


「構いませんよ」


カイルは大げさにガッツポーズした。


「そんな悠長なこと言ってないで、今すぐ行ってこいよ。ここはオレが見とくからさ」


ミラからの思わぬ提案にカイルは慌てふためき、反対にプリムは少し思案してか「……では、お言葉に甘えますね」と了承したため、カイルはさらに慌てた。

ギルドの門を出る際、プリムがミラへ小さく手を振る。カイルはぎこちなく何度も頭を下げて彼女の後を追っていった。

「——あーあ、いいねぇ。若いってのは」

ミラは誰に言うでもなくつぶやき、椅子の背もたれに身をゆだねた。

ふと、気配を感じて視線を上げる。

陽が傾き、茜色に染まりつつあるロビーの二階。その陰の部分にさらに漆黒の闇が揺らめくようにして、ヴォルケが立っていた。

その仮面の下で、ヴォルケがどこを見ているかはわからない。しかしミラには、プリム達二人の背を死神が射すくめているような、薄ら寒い錯覚を感じた。


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