六人目 白狐女仮面
京忍び六人衆、最後を飾るのは白狐女仮面でございます。
執筆当初は秦鼎を六人目にするつもりでございましたが、急遽、予定を変更いたしました。
みなさまは江戸城大奥の”裸踊り”をご存じでございましょうか。
新しく大奥に来た新参の大奥女中が、古参女中たちの前で裸になって踊りを披露しなくてはならないという通過儀礼でございます。
新参女中は裸踊りで恥をかくかわりに以降は仲間に入れてもらえます。
京忍びのクノイチたちの間にもいつのころよりか似たような通過儀礼がございまして、これが白虎女仮面でございます。
京の都は検非違使が巡回するおかげで治安はいいとされていますが、ときおり七福神盗賊が出没します。
これは七福神の恰好に仮装した窃盗集団のことで、京の町人たちから金品を強奪していました。
七福神盗賊は一つの盗賊集団を指す言葉ではありません。検非違使に七福神盗賊が逮捕されますと、別の盗賊集団が真似して七福神の仮装をします。それが逮捕されますと、またさらに別の盗賊集団が七福神の仮装をするといった具合に、模倣犯の連鎖が絶え間なく続きました。
おかげで室町時代から江戸時代まで七福神盗賊は京の名物になっておりました。もちろん京には七福神盗賊ではない盗賊もいます。
こうした京で乱暴狼藉を働く輩を退治すべく、新参の京忍びのクノイチは白狐の面をかぶり、刀や槍など武器を持ち、一人から数人で応戦するのが白虎女仮面と呼ばれる通過儀礼でございました。
ときおり賊に返り討ちでやられてしまうクノイチもあったようですが、それはそれで京忍びの資格なしと見なされていたようでございます。
ところが長い間、京に事件が起きない日が続くこともあります。
このため新参のクノイチが白狐の面をかぶり、白い足袋を履く以外は一糸まとわぬ裸になって、京の町を走るか馬に乗るかで一周しても、白虎女仮面に代わる通過儀礼とみなされるようになりました。
さらにはこの二つを組み合わせ、白虎女仮面は白狐の面をかぶったクノイチが裸で賊を退治しなくてはならないというふうに、最近では変わっていったようでございます。
それと言いますのも桜小路幸子がクノイチ頭になってから、幸子は白虎女仮面の条件を厳しくしました。おかげで京忍びのクノイチの戦闘能力は上がったとも言われますが、そのかわり新参のクノイチの泣き言も宮中でよく聞かれるようになりました。
京の都ではいつしか七福神盗賊よりも白虎女仮面が有名になっていたようでございます。
とりわけ京の殿方の町人たちにとり、若い娘の裸を拝めるとあって、白虎女仮面は大人気だったようです。
さて、あるとき御常御殿の縁側の部屋に一羽のスズメが飛んで来ました。
部屋では私たち数人の女官とともに明正天皇が連歌をお詠みになられておいででした。
このころ明正天皇は数えで十八歳におなりになり、宮中でもそのお美しさは評判でございました。
スズメの全身を包むように白煙が上がり、煙が消えると裸の桜小路黒兵衛が現れました。
このころ黒兵衛はもう以前のような小さな子供ではなく、十七歳か十八歳ぐらいの青年でした。
女官たちが裸の男を見て「きゃっ」と悲鳴を上げます。
「大変だ」
黒兵衛が言います。
「白虎女仮面のトキねえさんが京都所司代に捕まっちまった。
早く助けに行かないと、面倒なことになりそうなんで」
トキは新参の京忍びのクノイチです。
スズメになった黒兵衛はこれまで京都所司代を偵察していました。
京都所司代と言えば徳川幕府が朝廷を監視する機関と言えるでしょう。
白虎女仮面は裸なので公序良俗に反するから逮捕されたのか。それとも検非違使を差し置いて暴漢や盗賊を退治したから逮捕されたのか。くわしいことは黒兵衛も語りません。
すると明正天皇がふとお立ちになり、隣の部屋にお籠りになられます。
しばらくすると隣の部屋から裸の女が出てきました。
顔を白狐の面で隠し、白足袋を履いている他、一糸まとわぬ全裸ですが、ただ背中に紐で縛って刀を帯刀しています。
「黒兵衛、行くよ」
裸の女が言います。
どこかで聞いたことのある声です。
黒兵衛は御庭に飛び降りると御所忍術『御変身の術』でたちまち巨大な虎に変身します。
裸の女が虎にまたがると、虎はその場を駆け去り、建礼門の塀を飛び越えます。
虎が戻って来たのはその日の夕方でしょうか。
虎の背中には二人の白虎女仮面が乗っていました。
白狐女仮面と虎は京都所司代の役人どもを蹴散らし、捕まっていたもう一人の白狐女仮面を救出したとのこと。
虎は白煙に包まれ、裸の黒兵衛に戻ります。御常御殿の女官たちは浴衣を三人の裸の若者に着せます。
一人の白虎女仮面が白虎の面を取り去ります。彼女はトキでした。
ほどなくしてもう一人の白虎女仮面が白虎の面を取ると、あろうことか興子、いや明正天皇ではございませぬか。
「興子っ」
私は思わず叫びます。
「なんてことをするんですか。裸で外に出るなんて、恥を知りなさい」
私が明正天皇に詰め寄ろうとすると、女官たちが私を制します。
「上皇陛下に言いつけますよ」
さてその日から数日後、私はお暇をいただき、京都仙洞御所に一晩泊りました。
京都仙洞御所は譲位後の後水尾上皇のお住まいですが、私との男女の関係はこのころもまだ続いておりました。
一つ布団の中で男女の営みを終えた後、布団の中で私は後水尾上皇に数日前、御常御殿で起きた白虎女仮面にまつわる事件と顛末をお話し申し上げました。
「興子ったらひどいんですよ」
私が言います。
「あの子、裸で外へ飛び出したんです。
自分では貞淑なつもりでしょうが、本当は殿方より好色で淫乱なのかもしれませんわ」
「血は争えぬとはこのことか」
上皇がおっしゃいます。
「興子も母親そっくりになってきたのう」
「そんな……」
「清子も好色ではないか」
上皇は哄笑なさいます。
返す言葉もなく、私が大いに赤面したことは言うまでもございますまい。
それから数年後、明正天皇は譲位され、後光明天皇が即位なさいました。
またほぼ同じころ、物部宿祢が老衰で亡くなりました。
享年百五十歳とも百六十歳とも言われておりますが正確にはわかりません。
ただ百歳はゆうに超えていることだけは確かなようです。
御所忍者頭の後任には秦鼎が就任しましたが、秦鼎は直ちに改名し、二代目物部宿祢を名乗りました。
伊賀忍者は服部半蔵、風魔忍者は風魔小五郎というふうに、忍者の頭領は襲名することが多いですが、京忍びの場合、頭領になる者は物部宿祢を襲名することが慣習になるのでございましょうか。
(つづく)




