三人目 天海権中納言次郎
次にご紹介しますのは天海権中納言次郎です。
私が朝廷にご奉公に上がりましたときは後水尾天皇の御世でございましたが、これは先代の後陽成天皇の御世のお話しです。
さて、正親町天皇が譲位なされると、ご令孫の後陽成天皇が即位なさいました。
正親町天皇の嫡男、誠仁親王がご早世なさったので、お代を一つ飛び越えてのご即位でございます。
ところで後陽成天皇が即位されてまもなく、宮中の座敷牢に謎の囚人が住まうようになりました。
囚人は黒い忍び頭巾をかぶせられ、顔を見ることができません。
若い男らしいことは推測できましたが、彼が何者なのかを知る者は宮中でも陛下以外に数人しかいなかったとのお話でございます。
ところが半年経つと御所忍者頭の物部宿祢が彼に鞍馬山の道場で忍術修行をさせるよう陛下に進言いたしました。
囚人は座敷牢を出て、鞍馬山の道場で過ごすことになりました。
そしてその数年後、黒い頭巾をかぶった男が再び御所にやって来ました。
今度は座敷牢で寝泊りせず、正式な京忍びの一員として宿祢に鞍馬山から連れて来られたのです。
男は宮中でも頭巾をかぶっていましたが、ときおり汗をかいたときなど頭巾を脱ぐことがありました。
彼の顔をはじめて見た者は例外なく仰天したとのことでございます。
実は後陽成天皇そっくりの顔をしていたのでございます。
実は頭巾をかぶって顔を隠していた男は天海次郎でした。
次郎は天海万作の息子で、平安京のはずれの農家に母親と住んでおりました。
後陽成天皇は万作に誘拐された晴子妃殿下が無事戻って来た直後にお生まれになられましたが、実は万作のお胤ではないかとのうわさもありました。
もしうわさ通りだとすると天海次郎と異母兄弟になります。
長じて顔がそっくりなのも納得がいきます。
しかしながらこれは朝廷内の最高機密です。もし二人が異母兄弟なら、今上天皇は先代の血筋を受け継いでないことになるからです。
天海次郎はこの事実を理解しており、地元の農村で「自分は天皇の異父兄弟だ」と吹聴していたところ、検非違使に不敬罪で逮捕されました。
そして座敷牢に入れられたのでございますが、陛下と顔がそっくりなのでこの男は影武者として起用できると物部宿祢が考えました。
しかも影武者に忍術の修行をさせれば、陛下の警護はさらに盤石なものになるはずです。
天海次郎は鞍馬山で忍術修行をはじめると万作の血を受け継いでいるせいか筋がよく、たちまち京忍びの中でも指折りの忍術使いに成長しました。
さて、天正十六年(1588年)、後陽成天皇は豊臣秀吉公の聚楽第に行幸なさいましたが、このとき千本通の帰り道で賊に襲撃されました。
賊は鈍色の忍者装束を来た数十数人の男たちで、後から知ったことでございますが、彼らは風魔忍者だったようでございます。
また彼らの頭領は身の丈、七尺(2.1メートル)を越える巨人、五代目風魔小太郎です。
関東の覇者、小田原城の北条氏率いる風魔忍者が、なぜわれら行幸の一行を襲撃したのか、理由は定かではありません。
当時、豊臣家と北条氏は犬猿の仲でございました。どちらが信長公の後の天下人になるか争っているところでございました。
そうだとしたら風魔忍者は朝廷でなく、秀吉公を襲うはずでございます。
秀吉公に関白太政大臣の官位を授けるなど、朝廷が秀吉公ひいきにしていることに嫉妬したのでございましょうか。
あるいは風魔忍者は秀吉公も朝廷もともに攻撃し、秀吉公の方は甲賀忍者の警護で命を取り留めたのかもしれませんが。
いずれにしましても、このような事態に後陽成天皇は心底驚かれたことでございましょう。
警護に当たっていた京忍びたちは抜刀し、風魔忍者に応戦します。
実ははこのとき、天海次郎は京忍びとして行幸の一行に参加していました。ただし今日は頭巾はかぶっていません。
次郎は見事な剣さばきで一人で何人もの風魔忍者を斬り捨てます。
「陛下、こちらへ」
次郎は輿の御簾を上げ、後陽成天皇の手を引きます。
陛下は素早く輿から外へお出になられましたが、次の瞬間、槍が輿の御簾を突き刺します。
わずかでも陛下のご脱出が遅れれば、お命も危ないとことでございました。
陛下は次郎とお揃いの衣冠束帯をお召しになられており、お顔も似てらっしゃるので、陛下が次郎と手をつないでお逃げになると、どちらが陛下でどちらが次郎がわかりません。
風魔小太郎は槍を構え、二人を見くべます。小太郎のねらいはもちろん陛下のお命です。
小太郎が陛下に槍を突き刺そうとします。
すると次郎が陛下の前に立ちはだかり、両手両足を広げて大の字になります。
次郎の胸に槍が刺さり、体を貫通します。
しかし次郎は倒れません。
渾身の力を振り絞り、次郎は槍を体から抜くと、今度は小太郎に向けて槍を投げつけます。
槍は小太郎の首を貫通し、小太郎は血を吹き出しながら仰向けに倒れ、絶命します。
他の風魔忍者たちは頭領がやられたので退散していきます。
賊が一人もいなくなると、次郎は地面に倒れます。
「次郎っ」
陛下はお屈みになり、次郎の肩をお揺すりなさいます。
「次郎、死んではならぬ。死んではならぬ」
「まだ死んでおりませぬ」
次郎は最後の力で口を動かします。
「こたびの働き、見事であった。そちに権中納言の官位を与える」
「身に余る光栄に存じまする」
そう言うと次郎は動かなくなりました。
「次郎っ」
後陽成天皇は号泣され、いつまでも涙を流しておいでになられました。
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それから数日後、大徳寺で天海権中納言次郎の葬儀が営まれました。
主君を命がけで守った忠臣の京忍び――天海中納言次郎の悲劇の武勇伝は、これからも末永く語り継がれていくことでございましょう。
(つづく)




