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京忍び六人衆  作者: カキヒト・シラズ


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一人目 物部宿祢

 最初にご紹介いたします京忍びは、物部宿祢(もののべすくね)でございます。


 これは私が生まれる前の時代、正親町天皇の御世のお話しでございます。

 したがいまして物部宿祢にまつわる以下の物語の多くは、私が若い時分、宮中古参の女官たちから伝え聞いた話をまとめたものでございます。


 さて、元亀元年(1570年)、正親町天皇が全国から剣豪を集い、兵法天下一を決める御前試合を開催なさいましたことは、みなさまの中にもご存じの方が多いのではないでしょうか。

 このとき、すでに室町幕府主催の御前試合でも優勝した上泉信綱(かみいずみのぶつな)公がこちらの大会でも天下一の称号を獲得いたしました。

 上泉信綱公が剣聖と称される所以です。


 ところで正親町天皇がこのとき、忍術・幻術の天下一を決める御前試合を同時開催なさっていたことは、あまり世に知られていません。

 試合と申しましても互いに戦うのでなく、陛下が応募者の忍術や幻術をご覧になり、優劣を決めるという趣向でございます。

 この天覧試合で優勝したのが物部宿祢なる人物でした。


 物部宿祢は山伏の恰好で御所の御庭に現れました。

 自分は鞍馬山の修験道の道場で、忍術や幻術の修行をしてきたと宿祢は語りました。

 伊賀や甲賀も忍術も源流は鞍馬山の忍術から来ているとのこと。

 道場は親族が営んでおり、自分は師範をしているとのこと。

 鞍馬山と言えば、その昔、かの源義経(みなもとのよしつね)公が、少年時代、天狗に剣術を教わったという伝説が残っています。


 物部宿祢は御所の御庭で忍術を一つ一つ披露しました。

 清涼殿の縁側から陛下や殿下をはじめ、大勢の廷臣や女房が見守る中、宿祢は懐から取り出した火薬玉を地面に投げつけます。

 白煙が上がり、煙が消えると宿祢の姿はなく、地面にガマガエルがいます。

 驚きの声が上がります。

 これが御所忍術『御変身の術』。

 煙が消える前に素早く宿祢は周辺の木や石に身を隠し、元いた場所にかわりにガマガエルを置いていきます。

 人間の目の錯覚で忍者がガマガエルに変身したのではないかと思わせます。


 再び姿を現した宿祢は今度は清涼殿の壁を一気に駆け上がり、天井に上ります。

 これが御所忍術『御壁上りの術』。

 天井から降りてくると、今度は宿祢は御池庭に向かいます。


 懐からなにやら蹴鞠の鞠靴のようなものを取り出して履き、宿祢は池に飛び込みます。

 すると摩訶不思議。水中に沈んで全身びしょ濡れになることなく、宿祢は池の水面上を優雅に歩いているのです。

 これが御所忍術『御水渡りの術』。

 宿祢は縁側から歓声を浴びます。


「宿祢よ」

 正親町天皇がのたまいます。

「近うよれ」

 実はあらかじめ御庭には仕掛けがしてありました。

 落し穴が掘ってあり、その下の地面に数本の槍が刃を上に埋めてあります。

 落ちると命を落とす仕掛けになっていました。

 宿祢は落し穴のそばまで来ると、ふと立ち止まり、屈んで地面を叩き、落し穴の落し蓋を落とします。

「ご冗談を」

 宿祢が陛下に微笑みながら申し上げます。

「よろしい」

 陛下は膝を叩きます。

 実は落し穴に落ちなかったのは宿祢がはじめてでした。

 すぐれた忍術や幻術を披露する者は他にもいましたが、彼らはみな落し穴で命を落としました。

 敵の罠にかからない知力こそが忍者に最も必要な適性だというのが陛下のかねてからのお考えでした。

 翌日、正親町天皇は物部宿祢を御所忍者頭に正式に任命しました。爾来、宿祢は鞍馬山の道場で見どころのある弟子たちを御所忍者に登用し、二十人程度の精鋭集団に育てました。

 これが京忍びの始まりです。


 **************


 さて、私、清子がはじめて宮廷に奉公に上がったのが、慶長十九年(1614年)、数えで十四歳だったと記憶しております。

 親元を離れ、宮中に住込みました。不慣れなことばかりで最初は戸惑いました。

 ある日のこと、反物を清涼殿から離れの建物に運ぶ途中、衣冠束帯姿の初老の男が御池庭の水面を舞うように優雅に歩行しているのを見かけました。

 あまりに幻想的な光景に私はつい見とれていました。

「清子、よそ見しないで早く運びなさい」

 古参女官からたしなめられると私はわれに返り、御池庭を後にしました。


 それから数日後、私は不注意から皇后陛下の大事な着物の反物を床に落とし、汚してしまいました。

 そのことで上司の廷臣から、長い時間、厳重注意を受けました。

 私はその日の昼下がり、御池庭の湖畔で一人、泣いておりました。

「おねえさん、どうされたかな?」

 気がつくと、いつかの衣冠束帯の初老の男が立っていました。

 私はわけを話しました。

 男は懐から蹴鞠の鞠靴のような靴を取り出し、私に差し出すと、

「これを履きなさい」

 私は言われるまま鞠靴を履きます。

 男は私の手を引いて、片足を池の水面に載せます。

「じゃあ行くよ」

 男は水面の上を歩き出します。

 男に手を引かれていた私はたちまち池に落ちてしまいます。

「そうじゃない。水に逆らわず、自分が水と一体になるんだ。そう思いながら進んでごらん」

 男に手を引かれ、片足を水面に乗せると、あらあら不思議。今度は足が水面に浮いています。

「慣れたら簡単だよ」

 男はやさしく私の手を引きます。

 私はもう片方の足も水面に載せ、男に導かれるまま水面を歩行して行きます。

 ときどき池に落ちたりしますが、次第にやり方を覚えていきます。

「これが御所忍術『御水渡りの術』だよ。

 宮勤めはつらいことも多いだろうが、ときどきここへ来て、池の上を歩き回ったらいい。

 きっと気が晴れるよ」

 しばらく遊んだ後、私は詰所に戻ることにしました。

 男は鞠靴を私にあげると申し出ました。私は最初断りましたが、男から何度も執拗に言われたので靴をもらいました。


 後から知ったことでございますが、この衣冠束帯姿の初老の男こそ、御所忍術の開祖にして御所忍者頭の物部宿祢公、その人だったのでございます。

 しかもこれも後から知ったことでございますが、宿祢公はそのとき齢百歳を超える高齢だったとのこと。とても初老ではありません。


 御所忍者、または京忍びと申しますと、多くの方々は強くてこわい忍者だと答えます。

「伊賀も甲賀も京忍びの強さには足元にもおよばない」

 最近、知人の侍がこんなことを口にしました。

 しかしながら私にとり、京忍びは他の忍者よりやさしく、典雅にして上品という印象がありますが、それと申しますのも、あのとき宿祢公と御池庭で水上歩行をたしなんだ思い出から来ているのかもしれません。

 今でもときどき、鞠靴を履いて御池庭を水上歩行しますが、これが私の一番の楽しみでございます。



(つづく)



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