まえがき
さようでございます。
本編の正式名称は『勅撰物語 戦国京忍六人衆奇譚』でございますが、わかりやすく『京忍び六人衆』なる副題をつけさせていただきました。
不肖、私は宮仕えの女官、清子と申します。
後水尾天皇、明正天皇、後光明天皇の三代に渡り、朝廷にお仕えいたしました。
若い時分より、私は日記や書簡など文をしたためることをことのほか好む性分の女でございますが、このことが幸いしたのでございましょう。
この度、京忍びの活躍を記録せよとの陛下からの勅命を受け、采女の身分の私めではございますが、本編を執筆するという大役に任じられたのでございます。
ところでみなさまは京忍びなるものをご存じでしょうか。
京忍びとは御所忍者の別称でございます。
えっ? 御所忍者もご存じない?
御所忍者とは天皇家に仕える忍者のことでございます。
戦国時代、名のある武将はだれしも忍者を従えておりました。
徳川家康は伊賀忍者。
豊臣秀吉は甲賀忍者。
そして北条早雲は風魔忍者を抱えておりました。
これはみなさまもご存じかと思います。
この他、上杉謙信は軒猿、武田信玄は透波・乱波といった忍者集団を抱えておりました。
そしてあまり世に知られてないことですが、実は天皇家も専属の忍者を雇っておりました。
これが御所忍者、別名、京忍びでございます。
一説によりますと、八瀬童子と呼ばれる陛下の駕籠を担ぐ役を代々担っていた部落衆が京忍びになったとのことでございます。
別の説では、八咫烏と呼ばれる神社の神官たちの秘密結社が京忍びになったとのことでございます。
いずれにいたしましても、京忍びは他の忍者とは違います。
都育ちだからでございましょうか。手裏剣を投げる所作一つとりましても、京忍びには風流かつ典雅な趣がございます。
これからお話しいたします六人の京忍びの物語について、みなさまには最後までおつき合いいただき、そのたぐいまれなる冒険譚を存分にご堪能いただきましたならば、執筆役の私にとり、これに勝る喜びはございません。
かしこ




