第七話 春の光の中で
冬が終わり、京都の空に春の光が戻ってきた。
鴨川沿いの桜はまだつぼみを閉じていたが、
風の匂いは確かに“春”だった。
紗季は、ゆっくりと歩いていた。
もう、スマホの着信履歴に“桐原悠真”の名はない。
けれど、胸の奥の痛みは完全には消えていなかった。
川の向こうに見覚えのある背中があった。
黒いコート、柔らかい立ち姿。
——神谷蓮。
「……やっぱり、来てくれたんですね。」
「約束しましたから。」
蓮の声は、春の風よりも穏やかだった。
二人は並んで歩き、しばらく黙ったままだった。
鳥の声と水の音が混じり、世界がやさしくゆれている。
やがて紗季が口を開いた。
「わたし、彼と別れました。」
蓮は立ち止まり、ゆっくりと頷いた。
「怖かったです。
誰かの庇護も、肩書きもなくなるのが。」
「でも、それが“生きる”ってことなんじゃないですか。」
紗季はその言葉に、少し笑った。
「あなたは強いですね。」
「違います。弱いから、誰かを信じようとするんです。」
蓮の横顔が光を受けて、少し眩しかった。
「ねえ、紗季さん。」
「はい?」
「今度こそ、あなた自身の時間を生きてください。
そしてその時間に、僕がいられたら嬉しい。」
心臓が、やわらかく震えた。
桜の枝が、ほんの少しだけ開き始めていた。
風が二人の間を通り抜け、光の粒が舞った。
「……嘘のない時間、また始めてもいいですか?」
「もちろん。」
蓮が笑った瞬間、
雪の日に感じたあの温もりが、胸いっぱいに広がった。
—嘘のない人生は、痛みとともに始まる。
けれど、そこには確かに“光”があった。




