最悪な日
俺は今、地面に向かって落下中だ。
どうしようもない人生だった。何が原因でこうなった?もっと社交的になって友達や恋人を作ればよかったのか?一つの職場で高くもない給料をもらいながら死ぬまでの暇つぶしをしなければいけなかったのか?
そんなの真っ平御免だ!!
俺にだってプライドがある!自分の人生だ。生きたいように生きた結果だ。しょうがないと思わなければいけない。
だけどもし、もう一度だけチャンスがあるのなら───
***
「ありがとうございました!またのご来店、お待ちしております!!」
俺の背後に向かいスーツ姿の男が深々と頭を下げている。
俺は今、夜のお店で一線交えて来たばかりの絶賛"賢者タイム中"の42歳。
「はぁ・・・スッキリした」
この背徳感が堪らない。金さえ払えばその日に出会ったばかりの若い女が股を開き、見ず知らずの厳つめの男が頭を下げる。
帰り道、いつもは眩しくて鬱陶しく思っている街のネオンが俺だけを照らしているスポットライトのように感じられる。
7年前に買った安物の帽子もヨレヨレのジャージも、まるで王族が見に纏う王冠やマントのように輝いている気がする。
「さえちゃんかぁ・・・来月予約しようかな」
さっきまでの激しい戦いを思い出し、疼く股間と緩んでいる口元を戻そうと少し目を瞑り両手をポケットに入れる───が、財布が無い。
「ちっ、最悪だ。店に忘れちまったか」
財布自体は忘れても別に問題ない。しかし、この後飲もうと思っていた缶ビール代と免許証が入っている。
戦いの後はビールを飲みながらタバコを吸い、部屋のベランダから下地民を見下ろす。そこまでが月に一回の俺のルーティーンだ。
少し歩いて、店までやってきた。俺が最後の客だったのだろうか。神々しく光っていた店の看板の明かりは消え、さっきまでとは違う雰囲気を醸し出していた。
これって...勝手に開けても大丈夫か?
少し戸惑ったが、俺はただただ忘れ物を取りに来ただけ。何もやましいことは無い。すこしだけ扉を開き、中の様子を伺ってみる。
店内はBGMこそ消えてはいるものの、まだ明かりがついている。入ってすぐにカウンター型の受付があり、男の後ろ姿と女性の姿が見えた。
「あのぉ・・・」
「ちょっと店長!!あの客NGにしてください!!」
「やっぱ、さえちゃんもダメだったかぁ」
「あいつ、マジキモいんだけど!!デブで口臭くて、早漏のくせに何回もせがんで来てマジムリ!!!」
「まぁまぁ。あいつ他所の店で出禁食らってて、この辺じゃあウチくらいしか遊びに来れねーのよ。上手いことやったら太客になるかもよー。てか、ウチも最近入ったさえちゃん以外全員NG出しちゃってんのよ」
「だからかぁ。今日あいつの接客前、皆になんて言われたか知ってます?"修行頑張ってね"ですよ?皆面白がってるじゃないですか!!」
「ハハハッ・・・修行か!面白いこと言うね」
「もう、笑い事じゃないですよー!!」
盗み聞きするつもりなんてなかった。勝手に聞こえて来てしまったのだから仕方ない。
そんなことよりも、可哀想な客もいるもんだ。
汗水流して働いた金で遊びに来て裏ではボロクソに言われる・・・人生終わってんな、そいつ。
「てか、あいつ、財布忘れてたみたいで・・・これどうしたらいいですか?」
「あーー、いいよいいよ。無かったって言っとくから中身だけ抜いてゴミ箱入れときな」
「マジ?ラッキー♡・・・って全然金入ってないしぃ。てか店長!あいつの名前超ウケるんですけどw」
「ちょい免許証貸して・・・えっ、名前"田中翔之介"って名前だけバカかっこいいやんwww」
俺のことやったんかい!!!
と心の中で叫んだ。それと同時に怒りが沸々と湧き、あっという間に頂点に達した。
俺への接客は"修行"らしい。じゃあなんですか!?俺は仙人か何かですか!?
「何やってんだ!?」
その声は仙人に向けられた言葉だった。
この店の店員だろうか。黒いスーツに身を包んだ男が俺に対し、大声で叫んだ。
店の入り口を少しだけ開き、中をのぞいている男が居たら不審がって当然か──しかし、俺は何も悪いことをしていない。
俺はただただ忘れ物を取りに来ただけなのだから!!!
「おいお前!!ちょっと事務所来い!!!」
その言葉が発せられた瞬間、俺は全力走った。
後ろから怒号が聞こえてくるが完全にフル無視。途中、足がもつれて何度か転けた。履いていたサンダルも片方無くした。それでも俺は全力で走った。
これでも、小学生の頃はクラスで1番早かったんだぜ⭐︎
必死に逃げ・・・いや、走った俺は自宅である高級タワマンまでやって来ていた。
全身の毛穴から汗が吹き出し、息も上がっている。
エレベーターのボタンを押し、俺の部屋がある32階に向かっていく。
はぁ、はぁ。まだ息が上がる。そして、食べたはずなのにお腹も鳴る。
今日は疲れた。母に飯でも作らすか。
《ピンポーン、32階です》
「おい、ババア帰ったぞ!なんか飯作れ!!」
イライラしすぎていたのと息が整っていなかったのもあったと思う。普段なら絶対に見落とさないこの家の違和感を見落としてしまっていた。
その違和感は玄関に置いてある靴。
この家は俺と母の2人暮らし。その為、普段は2人分の靴しか置いていない。
あいつらが帰って来なければ───。
「翔之介。こっちに来て座れ」
それは俺がこの世で1番会いたくない2人。腕を組み、睨みつけながら言ったのは次男の達之介、その後ろでスマホを触っているのは三男の悠之介。この2人は俺の弟達だ。俺は、2人にババアが待つリビングへと招かれた。
「ち、なんだよ」
「お前、また母さんの年金から金をくすねただろ?」
「翔之介、ごめんなさい。もう私は精一杯なの。お願い、お金を返して。」
「ふざけんな!俺は何にもしてない!!」
「じゃあ今までどこほつき歩いていたんだ?」
「うるさい!!お前には関係ないだろ!!」
子供の頃から長男の俺よりもお兄ちゃんらしい振る舞いをして来た次男。
父親の居ないこの家では俺がルールだ。みたいに思っているところがあり、苦手だった。
「どうせ風俗行ってたんだろー?」
俯き、スマホを弄りながら言ったのは三男の悠之介。昔からスカした態度を取るところが気に入らない。1番年下のくせに。
「お前もう田中家から消えてくれよ。42にもなってみっともない。達兄が長男でこれからはやっていくからさ。母さんもこの家売ってウチで暮らすんだから」
「なっなんだよそれ!聞いてないぞ!!」
「あえて言ってないんだよ。今週末には出ていくからお前も早く出ていけよ」
「ふざけるな!この家は俺の家だ!!勝手に決めるな!!!」
力強く机を叩いた。俺の城、それがこの極悪兄弟によって今、崩壊させられそうになっている。
「42歳にもなってニートで親の年金から金を抜いて風俗三昧。お前、恥ずかしくないのか?」
一瞬時が止まった。
おい、達之助!親の前で風俗とか言って恥ずかしくないのか?
「ふっ......ふざけるな!追い出されるくらいならこっ.....ここから飛び降りてやる!!」
ドンッ。と悠之介がスマホを机に叩きつけた。
「お前良い加減にしろよ。どれだけ恥晒すんだよ。思い通りに行かなかったらメンヘラ発動して、キモいって」
「うっうるさい!!本気だからな、本気だぞ。」
3人とも俺の迫力にビビって何も言えなくなっている。それもそうだろう。結局は長男が1番強いんだから。
しかし大きなため息の音が部屋中に響き渡った。
「じゃあ死ねよ。」
「......え?」
***
俺は今、地面に向かって落下中だ。
どうしようもない人生だった。何が原因でこうなった?もっと社交的になって友達や恋人を作ればよかったのか?一つの職場で高くもない給料をもらいながら死ぬまでの暇つぶしをしなければいけなかったのか?
そんなの真っ平御免だ!!
俺にだってプライドがある!自分の人生だ。生きたいように生きた結果だ。しょうがないと思わなければいけない。
だけどもし、もう一度だけチャンスがあるのなら───
グチャ
赤黒いシミがアスファルトに広がっていった。
こうして田中翔之介、42歳の人生に幕を閉じた。