第4章:暴走と黒き気配
訓練用迷宮に、異様な緊張が走った。
「ギャアアアアア!」
奥から響く叫び声と、何かが壁を打ち砕く轟音。
生徒たちは騒然とし、すぐに教師たちが結界の再構成に動いた。
「迷宮内の魔物が異常反応! 第5通路、暴走確認!」
「全生徒はその場で待機、繰り返す――」
レイとセラはその場に立ち止まり、様子を伺っていた。
他の生徒が騒ぎ、逃げ惑う中、レイだけが静かに地面を見つめる。
そこに残された魔物の残骸。黒く焼け焦げた皮膚。
そして、そこに微かに残る“異質な魔力”。
(……これは、明らかに自然の魔物じゃない)
レイは地面に膝をつき、魔力を感知する。
そこには、捻れ、歪み、そして“人為的な痕跡”があった。
(誰かが――迷宮の魔物に、魔力を注ぎ込んでいた。
簡易詠唱、暗黒属性……封印魔法の波長。これは、遊びでできる類じゃない)
「レイ様……っ」
隣にいたセラが、不安げに袖を掴む。
「この魔力……すごく、イヤな感じがします」
「当然だ。あれは“作られた魔物”だ」
レイが立ち上がったその時、迷宮の奥から、低く唸るような咆哮が響いた。
「――グゥゥ……ギャアアアアア!!」
現れたのは、体長2メートルを超える“黒変型オーク”。
本来、この迷宮には出現しないはずの中型魔物だ。
しかもその全身は黒く染まり、異形の角を生やしていた。
「な、なにあれ……!?」
「結界があるんじゃなかったのか!?」
「下がってください!」
ティア先生が魔導槍を構え、光の盾を展開する。
しかし、突進してきた黒オークの力は想像以上で、光の障壁が音を立てて割れた。
「くっ……!」
(先生でも止めきれない……!)
セラが息をのむその瞬間――
「セラ、右手。水を集中して。俺が囮になる」
レイが一歩、前へ出た。
「わ、わかりました……! 《水槍生成・アクアスピア》!」
セラが詠唱を唱え、巨大な水の槍が形を成す。
同時に、レイが詠唱なしで右手をかざす。
「《雷鎖・サンダーバインド》」
青白い雷が黒オークの両足を絡め取り、強制的に動きを止めた。
「今だ、セラ」
「いっけぇぇぇっ!!」
水の槍が一直線に飛び、雷の拘束で動けない黒オークの胸部に突き刺さる。
ズブッ――!
体内に魔力が流れ込み、爆発するように体が内側から水圧で弾けた。
「ギィ……ギアアアアアアアアアア!!!」
最後の断末魔とともに、黒いオークは爆発四散した。
静寂が訪れる。
「討伐……完了……」
セラが膝に手をつきながら、ゼェゼェと肩で息をした。
「……よくやった。完璧だった」
レイは淡々と告げるが、その瞳はしっかりとセラを見つめていた。
「ノヴァリアくん、セラさん!」
ティア先生が駆け寄ってくる。
「よく……本当に、よくやってくれました……!」
「先生。報告します。迷宮の魔物は、何者かの魔力干渉を受けています。
簡易詠唱痕跡と、外部干渉の波長を確認済みです」
「……! やはり、そうでしたか……」
ティアの顔が一気に引き締まる。
「生徒の安全を第一に……この件は、学園として調査します。
ノヴァリアくん、あなたにはもう少しだけ、力を貸していただくかもしれません」
「必要とあらば、いつでも」
そのやりとりを、セラはただ黙って聞いていた。
「……レイ様、ほんとに、すごいです」
「お前もな。よくあの魔物を止めた」
「えへへ……!」
戦いは終わった。だが――レイの中には、妙な引っかかりが残っていた。
(……あの魔物、最後に魔力が跳ねた。まるで、“誰かに見られていた”ような感覚)
黒い魔力の波長は、まだどこかに残っていた。
「……俺たち、思ったよりずっと面倒な場所に来たのかもしれないな」
静かに、レイは迷宮の奥を睨んでいた。
魔物討伐の直後、訓練を終えた生徒たちは教師に誘導され、次々に迷宮を出ていった。
騒然とした空気の中で、レイだけは最後まで残っていた。
「……やっぱり、ここに残ったね」
後ろから、セラが歩み寄る。
「先生たちには、もう休んでいいって言われましたけど……」
「魔物の魔力痕が、まだこの先に残っている。完全に消えてない」
レイは視線を奥の通路へと向けた。
迷宮の本来の設計図にはないはずの、わずかに歪んだ空間のゆらぎ。
そこには、何かが隠されていた。
「……行こう」
奥へ進んだ先。
そこは、岩の壁に囲まれた小さな“実験室跡”のような空間だった。
床には砕けた結界石、使い終わった触媒、黒く染まった魔法陣の痕。
そして、壁には不自然に焼け焦げた痕跡――魔法が暴走した跡だ。
「ここで……?」
セラが辺りを見回しながら、ぽつりと呟く。
「この場所……授業では使われてないはず……」
レイは跪いて、魔法陣の残滓に手をかざした。
「この波長……間違いない。訓練中に暴走した魔物と同じ、“魔力の源”がここだ」
そして、ふっと目を細める。
「いや……この魔力。見覚えがある」
次の瞬間、レイの脳裏に浮かんだのは――
授業の前日、廊下ですれ違った、一人の生徒。
背の高い男、黒髪、無表情。妙に冷たい眼差しでこちらを見ていた。
その時、感じたごく微かな“違和感”。
(あの時……奴のまとう魔力が、周囲にほんのわずか、こぼれていた)
レイは立ち上がり、断言した。
「……犯人は、リオン=カーディア」
セラが驚いたように目を見開く。
「えっ、リオンくんって……確か、貴族の生徒ですよね? 無口な……」
「そう。だが、その“静かさ”が逆に怪しい。
あいつは、魔力量と魔力の制御が妙に洗練されていた。普通の学生じゃない」
レイは立ち上がり、壁に刻まれたシンボルを指差した。
「この術式、闇属性を用いた混沌結界。そして、“古代魔道具”の印……。
リオンは、“本来使ってはならない魔道技術”を学んでいる」
セラが小さく震える。
「……どうするんですか? 先生に伝えますか?」
「……まだだ」
レイは即答した。
「証拠が薄い。今は、俺たちだけが気づいている。
これを使えば、あいつが次に何を狙っているか……先回りできる」
彼の瞳が静かに輝く。
「――追う。完全に、黒幕を掴むまで」
そして、レイとセラは静かにその場を後にした。
まだ誰も知らない、学園に潜む“闇”。
その正体に、レイの指先が触れようとしていた。




