第6話 贖罪の騎士
数日後、父の領地の境界に差し掛かった頃、私たちは遠くから歩いてくる数人の老人を見つけた。彼らの服装は質素だが、どこか見慣れた雰囲気がある。
近づくと、彼らは顔見知りの、父に長年仕えていた旧臣たちだった。彼らの顔には、深い疲労と悲しみが刻まれている。
「マ、マリー様……!」
彼らは私を見つけると、信じられないものを見るかのように目を大きく見開いた。そして、駆け寄り、私の眼前で平伏する。
「よくぞご無事で……! その御身を案じずにはおれませんでした……!」
彼らの嗚咽が、枯れた声で響く。 私は、その光景に胸を締め付けられた。この国には、まだ私を案じ、信じてくれる者たちがいる。その事実に、私の心の奥底から温かいものがこみ上げてくる。だが、彼らの口から語られた言葉は、私の心を再び凍り付かせた。
「公爵様のご子息、長兄セヴラン様が……!」
旧臣の一人が、震える声で告げた。彼の言葉は、血に染まった刃となって、私の心を貫いた。
「家令が反乱を起こした際に、従う者とともに抵抗を試みられたのです。しかし、クーデターの事実はこちらにも伝わっており、国王や王太子、そして公爵様もお亡くなりになり、開明派は終わりだと皆感じていたようで、セヴラン様に従う者は圧倒的に少なく……。我々は落ち延びることを進言したのですが、殿下はそれを拒否され、戦う力のない私達は退去しろと……」
その言葉は、私の耳に信じられない響きとして届いた。父の跡取りであり、私にとって頼れる存在だった長兄セヴランが、家令のアルノートの反乱によって殺されたというのだ。
きっと、あの真面目で実直な兄のことだから、最後まで領地と父の名誉を守ろうと、一人で抵抗したに違いない。だが、抵抗も虚しく、兄は命を落とした。
またしても、私の大切な人を失った。私を慰めるかのように、空から冷たい雨が降り始める。雨粒が私の顔を打ち、涙と混じり合う。私はその場で膝から崩れ落ち、声を上げて泣き続けた。父も、夫も、そして兄までもが、私から奪われてしまった。
私の心は、完全に砕け散る。もう、私には何も残されていない。真っ暗な闇の中に、たった一人で取り残された私。
どのくらい泣いたのだろうか。涙がようやく止まった私は彼を見た。彼は私が慟哭している間、声を掛けることなくずっと見守っていた。
(全て無くしてしまった私を、なぜ彼は見捨てないのか? なぜ見守っているのか?)
思い浮かんだ疑問を、私はすぐに彼に問いかけた。
「なぜ、あなたは……こんな何の後ろ盾もなく、身寄りのない私を、ここまでして助けてくれるのですか?」
心の底から湧き上がる疑問を抱え、私は隣に立つクロイツを見上げた。
彼の顔は、雨に濡れても、依然として無表情だった。
しかし、彼の目に映る深い苦悩は、隠しようがなかった。彼は寡黙に私の涙を拭い、深い想いを込めた視線で、ゆっくりと口を開いく。
「……私には、果たさねばならぬ約束があります」
私は実感した。彼の言葉は、今までの言葉よりも重いものであると。
その瞬間、王宮から脱出する最中、彼の名を聞いたときに脳裏をよぎった光景が、はっきりと蘇った。次兄のローレンが、生前、クロイツの名前を私に伝えていたのだ。
もしかしたら、今は亡き次兄、ローレン兄さまの死が彼の言葉の真意に深く関わっているのかもしれない。
ローレン兄さまは、クロイツと同じく近衛騎士第三部隊に入隊し、国王暗殺未遂事件で国王を庇ってわずか十九歳で亡くなった。当時十二歳だった私が、次兄の訃報を聞いて泣き崩れた時、その場にいた深緑の髪の青年が彼だったのだ。
邸宅に入ることを断り、玄関で父と母に次兄の死を伝えた、あの時のクロイツが……。
もしかしたら、クロイツとローレン兄さまとの間に何かあったのだろう。次兄の死に関わりがあったのかもしれない。
クロイツの心の奥底にある深い悲しみが、亡き兄と交わした果たせなかった約束、そして何らかの贖罪の念が、私を守る理由なのだと告げていた。
彼の言葉は、私の失意の底に、わずかな光を灯す。私を守る理由は、単なる命令や義務ではない。彼自身の、個人的な、深く悲しい理由から来ているのだと知ったとき、私の心に、これまで感じたことのない温かさが広がった。
彼が傍にいてくれること、それがどれほど心強いか、私はその時初めて知る。彼のそばにいる限り、私は一人ではない。この過酷な運命の中で、唯一の、そして最も確かな存在が、彼なのだと。
雨は降り続き、私たちの体を濡らしていくが、私の心には、奇妙なほど穏やかな感情が芽生え始めていた。
失ったものはあまりにも大きい。
しかし、この絶望の淵で、私にはまだ、彼がいる。
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