第2話 鮮血の祝宴
その幸福な時間は、あまりにも唐突に終わりを告げた。突如、広間に響き渡ったのは、音楽を切り裂く悲鳴だった。
「何事だ!?」
国王陛下の声が広間に響く。しかし、それに続くのは、祝宴のざわめきではない。
キンッ、カキンッ!
金属がぶつかり合う、耳障りな音が響き渡る。それは、剣と剣が激しく打ち合う音だ。
広間の扉が激しく打ち破られ、鎧に身を包んだ兵士たちがなだれ込んできた。
彼らの甲冑には、保守派の首魁である大公家の紋章が刻まれている。そして、王宮を警備するはずの近衛騎士までが彼らに加わり、私たちに向け、剣を構え凶悪な眼差しを向けていた。
「国王陛下や王太子を拘束しろ!開明派の連中もだ。抵抗する者は切り捨てても構わん!」
怒号が広間を支配する。その言葉を聞いた瞬間、私は全てを理解した。
これは、クーデターだ。
一瞬にして、祝宴の雰囲気は血と混乱に塗り替えられた。人々はパニックに陥り、阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられる。
「マリー、逃げるんだ!」
アルバート様が私を突き飛ばし、前に飛び出した。彼の手に握られたのは、広間の飾りだった細身の剣。彼は私を守ろうと、たった一人で押し寄せる兵士たちに立ち向かった。
その剣さばきは、決して熟練したものではなかった。それでも、彼は必死に私を守ろうと、敵兵と渡り合う。
「アルバート様! ダメ!」
私の悲鳴が、広い広間に虚しく響く。しかし、彼の勇敢な抵抗も虚しく、多勢に無勢。彼はすぐに兵士たちに取り囲まれてしまった。私の目の前で、アルバート様の体に凶刃が突き刺さる。
その瞬間、彼の目から輝きが消え、その体がゆっくりと床に崩れ落ちる。
「アルバート様あぁぁ!」
私の世界は、音を立てて崩れ去った。
その声は、私の喉から絞り出されたものなのか、それとも誰かの悲鳴だったのか、もう判別できない。ただ、目の前で愛する夫が、血に染まっていく光景が、私の網膜に焼き付いていた。
広間の隅では、国王陛下が兵士に取り囲まれ、怒号を上げていた。父の叫び声も聞こえたが、それはすぐに悲鳴へと変わる。血の匂いが広間を満たし、開明派の要人たちが次々と倒れていった。私の知っていた、優しく、希望に満ちた世界は、一瞬にして血と絶望に染め上げられた。
その時、広間の奥から、新たな兵士の集団がなだれ込んでくる。彼らは近衛騎士団の甲冑を纏っている。私は、新たな敵が来たのかと悲観した。
しかし、彼らは既に広間を蹂躙していたクーデター派の兵士たちとは、明らかに違う動きを見せていた。新たな部隊の先頭に立つ指揮官と思しき男が、張り裂けんばかりの声で叫ぶ。
「我々近衛騎士団第三部隊は国王陛下をお守りする! 総員、逆賊を討ち果たせ!」
味方が現れたのだ。
その瞬間、広間の混乱は、新たな次元の激しさへと変わった。近衛騎士団同士が剣を交えるという、壮絶な戦いが始まったのだ。王に忠誠を誓う者と、王を裏切った者。かつての仲間が、血を流し合い、命を削り合う。金属のぶつかる音は、これまで以上に激しく、鋭くなった。
私のすぐ近くで、一人の兵士が私を目掛けて剣を振り下ろそうとする。その男の目は血走り、私を獲物と定めているのが分かった。死を覚悟し、私はぎゅっと目を閉じる。
しかし、その凶刃は私に届かなかった。キンッ、という乾いた音と共に、男の剣は弾かれ、彼は呻き声を上げて後ずさった。
目を開けると、私の目の前に立つ、見慣れない騎士がいる。彼の髪は深緑で、深い湖のような青緑の瞳は、この修羅場にあっても、どこか静けさを湛えているように見えた。
彼は寸秒の躊躇もなく、襲い掛かろうとする別の敵兵を切り捨てる。その剣さばきは、流れるように滑らかで、一切の無駄がない。それは息をのむ舞踏そのものだ。
「王太子妃殿下、ご無事で何よりです」
近くにいた、第三部隊の指揮官と思しき男が、血の匂いが充満する中で私に声をかけた。彼の甲冑も血に塗れているが、その表情には強い意志が表れている。指揮官は私に声をかけると、すぐにその深緑の髪の騎士に目を向けた。
「クロイツ、数名連れて王太子妃殿下をお護りし、この場から脱出せよ」
深緑の髪の騎士は一瞬、指揮官の身を案じるように躊躇した。彼の視線は、この広間のあちこちで奮戦している部隊員たちへと向けられる。彼らを置いていくことに、抵抗があるようだった。
しかし、指揮官の言葉は、彼の躊躇を打ち砕いた。
「流るる刻は世界の血潮という。その刻を無駄にするな! 急げ!」
指揮官の言葉は、血に染まった広間を清めるように響き渡った。深緑の髪の騎士は、短い逡巡の後、静かに頷く。
「ネディム、コルネイユ。私についてこい」
彼は、近くにいた二人の近衛兵に声をかける。二人は返事をする間もなく、無言で深緑の髪の騎士の背後に続いた。そして、彼は、再び私に目を向け、力強い声で言った。
「王太子妃殿下、こちらです」
彼が瞬時を惜しむかのように強引に私の手を引いた。私のドレスの袖は、彼の甲冑の端に擦れて血が滲む。それでも、彼の指が私の手を包むその力強さだけが、私がまだ生きていることを教えてくれた。
私の頭の中は、真っ白だ。
思考は、目の前のこの狂気の光景から逃れることだけを求めている。
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