アル中
バーボンの瓶を手に取ると、確かな重量を感じて心が弾む。褐色の硝子の中にはたっぷりとアルコールが入っていた。
薄暗いシェルターの中、俺は素早く瓶の栓を抜きアルコール度数四十パーセント以上ある液体を、ラッパ飲みで呷った。舌が痺れ、喉、食道、胃の順に燃料が侵蝕してくるのがたまらない。かっと内臓が熱を帯び、躍動しだした血液が肝臓を刺激するのだ。
ごきゅごきゅとバーボンを飲む。肴も煙草も女もいらない。俺には酒だけあればいい。いい感じに頭がトロけてきたぞ。
「おいアル中。こんなときに酒なんか飲んでんじゃねーよ」
いきなり背中をど突かれ、俺は口に含んでいた貴重な燃料を零してしまった。瞬間湯沸し器の如く頭にきた俺は、振り向き怒声を吐いた。
背後にはセーラー服を着た女が、ミニスカートのまま胡座をかき、敵意と不安の混ざった眼で睨んでいた。
薄暗い中でも女の瞳が揺れているのが分かる。いや俺自身が揺れているのかもしれない。どっちでもいいけど、こいつはいい女だなあ。
「うるさいわねー、この中は響くんだから静かにしてよ。はー、酒クサ」
俺に肘鉄を食らわした女は露骨に顔を歪め鼻をつまむ。その子供染みた仕草からでも滲出る早熟な色香に、俺は気分を高揚させた。これはいい肴になりそうだ。女も肴も無くて良いが、あるのに越したことはないしな。
俺がバーボンをごきゅりと飲み込むと、辺りに酒の匂いが広がる。周りから、身を震わせて小さくなっている人々の視線を感じたが、気にならない。そんな事よりも、瓶の中身が半分になってしまった事の方が重大だ。俺の命も、あと400mlか。
「おっさん、今の状況分かってんの?」
先程の女学生がひそひそ話のように声を潜めてきた。俺も小声で応える。
「分かってますよ。俺はあんたの倍は生きているからな。なーに、このシェルターに入ってれば安全だ」
そう日本政府が言っていた、はずだ。二日酔いをする暇もないほど日常的に酔払っている俺でも、それぐらいの情報は知っている。今俺たちが入っているシェルターは、千人は収容出来る馬鹿でかい直方体の箱でダイヤモンドより硬く、核ミサイルが直撃しても壊れない、らしい。
ごきゅり、と燃料を補給する。だいぶ体が冴えてきた。
「酒臭い息で言われても説得力ないし。おっさんさっきのアナウンス聞いた? アメリカが核を使用するって発表したのよ。外では核以外のミサイルも飛び交ってるの」
「ちゃんと聞いたっつーの。まだホリョはゼロなんだから、大丈夫だろ」
ごきゅり。
「捕虜はいなくても、死者は十万人を超えたって言ってたじゃない」
女学生は瞳を潤ませているのか、中指で目頭を軽く押えた。
「おいおい、湿っぽいのは御免だぜ。湿った肴は食えねーよ。戦争なんて酒飲んでれば終わるって」
ごきゅり。
「なによ。アル中に何が分るの。戦争に勝ったって、核が使われたら、もう、地球は終わりよ。さっきから地響きがするもの。わたし達、もうこの薄暗い箱の中からは出られないのよ」
取り乱した肴では気分が悪くなるだけだ。ここは成人男性の俺が一肌脱ぐとするか。ごきゅり。
「お嬢さん、いい事を教えてあげよう。いいかい」
自分でも歯が浮くような甘ったるい口調で、俺は彼女の肩に手を置いた。
「俺はただのアル中じゃないんだ。世界を救うアル中なんだよ。俺がいれば安心だ」
ごきゅり。
彼女は肩に置かれた俺の手を払うと、みぞおちに右ストレートを打ち込んできた。肺が圧迫されて息が止まる。
「ふざけんな。アル中の戯言なんか聞きたくないんだよ」
「ごほっ。暴力はいけないよ、お嬢さん。アルコールは人類を救うんだ。だから、俺は酒を飲む」
ごきゅり。……あれ、あと一口分しか残ってねーや。命の水が。
「じゃあ、おじさんが地球を救ってくれるっていうの?」
「ああ、お安いご用さ」
俺は他の酒を探しに行く為に立ち上がった。ちょっと足元が怪しいが、彼女は涙を流しながら俺の顔を凝視してくる。気付かれてはいない。
「おじさん、本当に行くの? 世界を救えるの?」
俺は、まかせろ、と胸を叩いた。バーボンが瓶の中でぽちゃりと跳ねる。
そのとき、俺の背後から強い光が差し込んだ。緊張が走る。その場にいる全ての人が、光を求める虫のように、光源に釘付けになっている。俺も例外ではない。なんてったって、シェルターの出入口が開いているのだから。
終戦した――最初にその言葉が脳裏をかすめたが、事態はそんなに甘くはないようだ。
「コンナトコロニイタノカ」
光から二本の影が伸びている。逆光でシルエットしか分からないが、細身で大きな頭の禿びが二人立っていた。
俺はアルコール漬けの脳味噌で、終焉を悟った。
「オイ、ソコデ、ツッタッテイルヤツ。オマエガ、イケドリ、ダイイチゴウダ」
耳鳴りのようなキンキンする声で、俺は御指名を受けた。広いシェルター内で立ち上がっているのは俺だけである。宇宙人からの指名なんて、どのホストだって経験がないだろう。
「がんばって」
俺のズボンを掴みながら、女学生が親指を立ててくる。泣き笑いの顔が俺にも移りそうだ。
ごきゅり。最後のバーボンを味わうと、酔払った比喩ではなく実際に、俺の身体が浮遊した。怯える群衆の頭上を飛んでいると、溶けるように意識を失った。
――――。
「コレハ、ヒドイ」
靄がかかる頭に金属音が響き、俺は二日酔いの朝のような覚醒をした。全身がだるくて、頭が割れそうだ。二日酔いなんて何年ぶりだ、と懐かしくも呆れながら起き上がろうとした。が、自分の身体はぴくりとも動かなかった。
「コンナモノ、ミタコトガナイ」
瞼も動かせず、宇宙人の声だけが聞こえてくる。アメリカの衛星を破壊し「地球はワレワレの食糧庫になってもらう」と要求をし、怒り狂ったアメリカやロシア、中国などの集中砲火をあっさりと防ぎ、瞬く間に人間を灰にしていった宇宙人が、俺の身体をいじくっているのだろう。なんせ、俺は捕虜第一号なんだからな。
「チキュウジンハ、アルコールノフロ二、ハイッテイルノカ」
全身をくまなく解析したあとは、宇宙人のエサになるのか。俺だったら奈良漬けにはイケるかもしれないな。
「コンナ二、ヤクブツマミレノセイブツハ、ミタコトガナイ」
こいつらは人間の塩焼きとか一夜干しを肴に晩酌するのかな。気持ち悪い奴等だ。
「ダメダ。コレハ、クエナイ」
俺も人間は食えないな。――んん?
「ムダアシ、ダッタ。コノホシハ、ツカエナイ。テッシュウダ」
おいおい、だから言っただろ、お嬢さん。アルコールは人類を救うんだよ。ってな。
【完】
この小説は二日酔いの朝に思い付いて書いた物です。読後に「にやり」として頂けたら本望です。感想など受け付けています。一読ありがとうございました。