イレクシア公爵令嬢として、なすべきこと
ああ、どうすればいいの……!
ディアナは自分のベッドの上に突っ伏すと、枕を抱きしめ思い切りため息をつく。マミとして生きてきた時は、他人との衝突を極力拒んできた。喧嘩も、仲直りをしたことも数えるほどしかない。
そんな自分が、すでに改善の余地がないほど悪化した奴隷との関係など、改善できるのだろうか。
ディアナがヨアキムにしてきたことは、日本でやっていたとしたら確実に刑務所行きの所業。精神的苦痛を屈辱的な状況下で与えられ続けた人間が、どれほどに加害者を憎むのかということを甘く考えすぎていた。
どうしよう。そう呟いたのと、ドアが叩かれたのとはほぼ同時だった。
「お嬢様、旦那様がお呼びです」
「お父様……が」
あの厳格なディアナのお父様か。できればあんまり接触したくない人物の1人ね。
マリアンに呼ばれ、ディアナは公爵の執務室へと赴いた。イレクシア公爵は完璧主義で知られる人物である。ディアナに対してはカリスティア帝国の皇太子妃候補として期待をかけて育ててきた。
親の性格と教育方針だけで言えば、私とディアナって共通項が多いのよね。
マミとして生きてきた頃も、親に敷かれたレールをただ突き進むことを強要されていた。期待に添えなければ、厳しく叱咤され、両親の理想から外れるような進路はことごとく却下された。
私は抑圧されて、窮屈すぎるくらい内向的な性格に育っちゃったけど。ディアナみたいにぐれちゃう人の気持ちもわかる。お嬢様ってことで、気軽に愚痴をこぼせる友達だっていなかっただろうし。その点では私よりも辛かったのかも。……だからといって奴隷を買って好き勝手していいということにはならないけど。
そんなことを考えているうち、執務室の前に到着していた。
「お父様、ディアナです」
部屋に入れば、そこには母であるリーザロッテもいた。母親は口数が少なく、影の薄い人物だった。今日も俯きがちで、言葉を発しようとする気配はない。
「きたか。今月、皇太子殿下の誕生祭があるだろう。そこでの舞踏会で、必ず皇太子を射止めろ。機会は作ってやる」
「……わかりました。お父様」
「これまでの私の努力を無駄にするのではないぞ。わかったな」
「もちろんです」
「あともう一つ、こちらが本題なのだが。お前、相変わらずあの奴隷をいたぶって楽しんでいるようだな」
びくり、と肩が跳ねる。なんと応えたら良いか分からず、そのまま黙っていれば。公爵の口からため息が漏れた。
「自分が今やるべきことが何かは理解しているな? 奴隷の件も、ストレスの捌け口になるならばと目を瞑ってやって来たが」
この空気は知っている。親が子に与えてきたものを振り翳し、子どもに反省を促すときの、あの嫌な威圧の空気だ。
「間違っても情を通じ合わせるなよ。お前が処女でなくなれば、皇太子妃への道は絶たれる。私が積み上げてきたものも、何もかも海の藻屑と消えてしまう」
心がざわつき、不快感が胸を満たす。
ディアナの父は、愛情の薄い人だった。結婚も、子どもも、全ては自分の権力を強化するための道具にすぎない。
役目のみを求められ、屋敷に縛り付けられた母は、心を壊した人形となった。そして娘であるディアナは、道具として扱われるやるせなさを暴力で発散した。
この人は、「マミ」にとっては他人。お小言など、聞いていないふりでスルーして仕舞えばいい。
だがどうしても、そうは割り切れなかった。父の言葉が、態度が、どうしようもなくディアナとなった自分の心を冷えさせる。
ああ、どうして神様は、また同じような親の元に、私を転生させたのかしら。
重たい足音が目の前にやってくる。ディアナの心は、今すぐここから逃げ出したいと叫んでいた。これはマミとしての心ではなく、どこかに消えてしまったディアナ本来の反応であるように思った。
分厚い手のひらに、顎を乱暴に掴まれる。自分と同じ紺碧の瞳が、ディアナの顔を覗き込んでいた。
「皇太子妃が内定したら、あいつは始末する。それまでのお遊びと思え。絶対に一線は越えるなよ」
自分を愛して欲しい。
ヨアキムにディアナが放ったその言葉は、きっと、親に向けて跳ね除けられた言葉だったように思う。
本当の自分を見て、愛して欲しい。その気持ちは満たされぬまま、ゆがみ、人を傷つける方へと向かってしまったのだ。
「聞いているのか、ディアナ」
「はい、お父様。もちろんです」
「よろしい。お前は悪目立たせず、その美しい容姿を存分に社交界で生かせ。用件はそれだけだ。部屋に戻れ」
そこまで言えば気が済んだのか、父はディアナに背を向け机へと戻っていく。
すでにこちらを見ていない父に向かい、スカートの裾を両手で持ち上げ、膝をおって退出をする。廊下へ出て、ようやく息ができた。
ディアナ、あなた、寂しくて辛かったのね。
心の中で、そう呼びかけてみた。
お部屋へ戻りましょうというマリアンの声が遠く聞こえる。
なぜ、彼女が運命の日を迎える前に、体を自分に開け渡してしまったのか。その理由がわかる気がした。
彼女の気持ちを理解した今、わかったことがある。上から与え、許しをこうだけではダメなのだ。同じ目線に立って初めて会話は成り立つ。
ヨアキムのところへ行かなきゃ。