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奴隷ヨアキム

 狐に摘まれたような顔をしながらも、「お嬢様のご命令なら」と納得してくれたマリアンに身支度をしてもらい、マミ、もといディアナは地下牢に向かうべく回廊を歩いていた。地下牢はカビ臭く、掃除もあまり行き届いてはいない。ディアナは汚れてもいいように、裾が短めでスカートの膨らみがないタイプの濃紺のドレスを選んだ。


「おはよう。あ、素敵な花ね。百合かしら?」


「おっ、おはようございます! お嬢様。お褒めいただき光栄にございます」


 花をいけていたメイドは顔面から色を消し、慌てて頭を下げる。そんなに怯えた顔をしなくても、と思いつつ、ディアナは苦笑いをする。


 夢で見る限り、自分が転生する前のディアナはものすごく性格が悪かった。弱いものをイビリ倒すのが趣味で、少しでも粗相をすれば容赦のない処罰や折檻を行う。自分よりも目下のものが気軽に話かけてくるのは気に食わないし、マナー違反を嗜められるのも大嫌い。その割にかまってちゃんで、髪型を変えたり新しいドレスを身につけたときに気づいてくれなければ不機嫌になったりする。


 ヨアキムがディアナを殺そうとしたとき、使用人も騎士も誰も助けてはくれなかった。それだけ彼女は嫌われていたのかもしれない。それほどに使用人に対する彼女の態度は酷かった。


 万が一ヨアキムと関係修復できなくても、何かあったときに助けてもらえるくらいの信頼関係は作っておかなきゃなぁ。


 行き交う使用人たちに、にこやかな笑顔を向けてみれば、誰もが顔を凍らせる。初めは気味悪がるがられても仕方がない。万里の道も一歩から。ディアナは力強く地面を踏みしめながら、地下牢の入り口の前に仁王立ちをした。


「ここが、地下牢……」


「足元にお気をつけください。薄暗いですから」


 古株のマリアンは唯一ディアナと気安く話せる間柄の使用人だ。しかしマリアンも、ディアナが殺された日には駆けつけてはくれなかった。一番近くで世話をしているということは、それだけディアナの癇癪の被害も受けていること。相当恨みは深いのかもしれない。


 薄暗い地下牢を奥へ奥へと進んでいくと、突き当たりに一際大きな牢屋があった。


 ここだ……! ヨアキムの部屋で、ディアナが最終的になぶり殺された場所。


 ディアナはごくりと唾を飲み込む。恐ろしい。まるで現実で体験したことかのように、あの悪夢が蘇ってくる。震える手に気づかれないよう、両手を握り合わせ、牢屋の前へと進んでいく。


「きたか、お嬢さん。飽きねえな、あんたも。また弱いものいじめか」


 耳慣れたしわがれ声に足を止める。覚悟を決めて彼の姿を見て——全身から血の気が引いた。


「げ……!」


 長く伸びた朽葉色の髪に、あちこちに茶色いシミを作った白い綿のシャツ。薄汚れたグレーのパンツに、ボロボロの黒い革靴。顔を覆う前髪の隙間から赫い瞳がギョロリとのぞく。


 茶色いシミは、よくよく見れば血が渇いて変色したものだった。昨日鞭で打ったのはディアナ。つまりこれは、彼女がつけた傷から出た血ということだ。


 ヤバヤバのやばじゃない! 買ったばかりだったら、すぐに売っ払えば帳消しになると思ってたのに!


 ディアナは気が遠くなり、その場に崩れ落ちた。想像していたより傷の程度がひどい。化膿していてもおかしくないだろう。シミの濃淡から見ても、一度や二度の折檻ではない。おまけに彼の体からは、かなりの悪臭が漂ってくる。闘技場で購入したあとしばらくは、風呂には入れていたはずだが。反抗的な態度を改めないことに癇癪を起こし、ある時から風呂に入れるのをやめていた気がする。


 つまり状況から見て、すでに数ヶ月単位でヨアキムはこの状態にあるということ。きっとディアナに対する恨みも深いだろう。このままどこかに売りでもしたら、復讐されるかもしれない。


 ディアナの野郎、なんてやつだ。こんなことをできる女がいるなんて信じられない。しかも今や、彼女の悪行全て、私がやったことになってるなんて。真面目に生きてきた私に、どうして神様はこんな仕打ちを。


 ショックのあまり床に這いつくばるような格好になっていたディアナの頭に、馬鹿にしたような笑いが降ってくる。


「今更自分のやったことに怖気付いたっていうのか? 謝って許しを乞おうとでも?」


 ジャラリ、ジャラリと、床を引き摺る鎖の音が近づいてくる。ディアナの目の前でその音は止まり、すぐ近くにヨアキムの気配を感じた。

 恐る恐る顔を上げれば、昏く、底の見えない空洞のような瞳が二つ、鉄格子ごしにこちらを見ていた。


「都合のいいこと考えてんじゃねえよ、このアバずれが」


「お嬢様になんて侮辱を! 奴隷の分際で!」


 近くにかけてあった鞭を手に取ったマリアンに気がつき、ディアナは咄嗟に彼女の腕を掴んだ。


「ダメよ、マリアン」


「お嬢様、しかし!」


「あなたは上に上がって、廊下で待っていて」


「何をおっしゃっているのですか。こんな場所でこの男と二人きりにさせるわけにはまいりません!」


「何かあったら必ず呼ぶから。これは命令よ」


 すぐには納得してくれなかったマリアンも、命令と言われれば断れない。何度も振り返りながらも、彼女は階上に戻っていく。


「いつも大勢騎士やら衛兵やらを連れてくるってのに。あのババアと二人きりってのは、どういう風の吹き回しだ」


 ディアナはじっとヨアキムを観察する。まだ右目は潰れていない。体の傷はひどいが、ディアナを殺した時に比べれば、まだ軽症に思えた。


「ヨアキム」


「……俺を名前で呼ぶとは珍しい」


「私、中身が生まれ変わったの。まったく違う人間に」


「とうとう頭がおかしくなったか、お嬢さん?」


 トントン、と人差し指で自分の指をつつき、邪悪に微笑む彼の口元に八重歯が除く。


「今日からここで寝起きするわ、私」


「……は?」


 決意を込めてヨアキムを見つめる。

 せっかく生まれ変わった命だもの。そう易々と殺されてなるもんですか。


「私、あなたと仲直りがしたいの。まずは一緒に朝食でもいかが?」


 ヨアキムの顔から笑みが消える。初めは驚愕、そして次に感情の消えた虚な顔で、こちらを見ていた。


 絶対に関係修復して、ヨアキムを手放して。そのあとは悠々自適な令嬢生活を送ってやるんだから!

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