2 日記帳(3/5)
呪いの西洋人形とアンティークショップ。
これがもしも呪いの日本人形だったなら、それはやはり寺の領分だろう、と思ったかもしれない。しかし、西洋人形とアンティークショップだ。その取り合わせは、私に何となく、これはどうにかなるのではないか、という印象を抱かせた。
冷静に考えれば、そうでもない。しかし、寺に持ち込まれたらしい、いわくつきの品については、そこが解決したのだと住職も言っている。どういう状況を解決したのだと言っているのかは知らないが、困っている相手を前に、寺の住職がまさか嘘でごまかしたりはしないだろう。少なくとも私はそう考えた。
そのアンティークショップは、今いるところからはそれなりに距離がある。かといって、後日に出直すほどでもなかった。その場を辞して、私は早々に紹介された店へと向かう。
捕まえたタクシーの運転手にアンティークショップについて尋ねてみたのだが、心当たりはないとのこと。有名でもないだろうし、小さな店ならば仕方がないだろう。そのうえ、店の周辺は細い坂道の入り組んだ地区らしい。私は教えられた住所の近くでタクシーを降りて、そこからは自分の足で探すことにした。
そうして、ダンボール箱を抱えた私は、坂の下の大通りに降り立つ。そこから私が入り込んだのは――デタラメな迷路のような街だった。
店を目指して歩き始めた私をまず混乱させたのは、まるで惑わすかのような街の構造だ。坂道を上がったかと思えば、いつの間にか下っていたり、近道をしたつもりでいると、ぐるりと元の道へ戻っていたりする。
住職から受け取ったカードには簡単な地図が記載されていたので、これを頼りにすれば店に行くこと自体はそう難しくはないだろう、と思っていたのだが――地図にない細い路地が巡らされたその街は、まるで惑わすように、店へ辿り着くことを容易には許してくれなかった。
まだ夕刻には早いが、そうしているうちにも日は段々と落ちてくる。勢い込んで来たものの、本当にその店に辿り着けるのだろうか、と私は徐々に不安になっていった。
そうして見知らぬ土地をさ迷い続けて、自分がどこにいるのかも判然としなくなった頃――
入り組んだ路地の先にある行き止まり。私はようやく、その重厚な木製の扉の前へと辿り着いた。
「――それで? 買い取って欲しい物、とは?」
店主がそう尋ねるので、私は手にしていたダンボール箱を開けようとした――が、あいにく両手が塞がっている。それを察した店主が、カウンターの上に積み上がっていた洋書を移動し場所を空けてくれた。私はそこに、もはやくたびれてしまったダンボール箱を下ろす。
軽く閉じていた上部を開けて、真っ先に視界に飛び込んできたのは例の西洋人形だ。店主もそれを目にしたのだろう。納得したようにこう言った。
「ああ。住職からの電話は、君のことか」
店主は箱の中身をざっと見ただけで、手に取ることはしなかった。そうしてひと通り見終えると、彼女は探るような視線を私に向ける。
私はそれに対抗するように、強気にこう申し出た。
「これを全部、買い取って欲しいの。金額はそちらの言い値でかまわない。処分できるなら何でもいい」
店主の目は冷ややかだ。私はほんの少し声の調子を落としてから、こう続けた。
「全部は無理でも、その――西洋人形だけでもいいけど」
「西洋人形?」
店主はそう問い返した。そして、淡々とくり返す。
「西洋人形、ね」
「何かおかしかった?」
店主は箱の中に手を伸ばし、赤子を抱くようにして、その人形を手に取った。
「いや。間違ってはいない。しかし、そんな呼び方をするからには、詳しくはないのだろうと思ってね」
店主は手にした西洋人形をひっくり返すと、髪をかき上げてうなじの辺りを見たり、服を捲って中を覗き込んだりし始めた。鑑定しているのだろうか。
「まず、君の言う西洋人形の中でも、これは頭部がビスク――素焼きの磁器で作られているビスクドールに分類される物だ」
店主はそう言うと、磁器製であることを示すためだろうか、ご丁寧に人形の頭部を私の方へと差し出した。人形が苦手な私は思わず後ずさってしまう。
そんな反応には気づかずに、店主は淡々とこう続けた。
「そして、その中でもこのように子どもの姿を模した人形は、ベベドールと呼ばれている。べべはフランス語で赤ちゃんを意味する。パリ万博に出展された市松人形の影響があったとも言われているが――ともかく、十九世紀頃に、主に子どもの玩具として流行した。百年以上経ってからも愛され、コレクターがいることから、それらはアンティークドールとして、物によっては高値で取り引きされている」
人形に関する講釈を聞きに来たわけではないので、私は半分上の空だ。
「その――ベベドール、というのがアンティークドールってこと?」
その問いかけに、店主は呆れたように肩を竦めた。
「いや、アンティークとは、ようするに古い道具のことだ。ビスクのベベドールも、かつてほどではないが、今でも作られている。アンティークの定義については曖昧なところもあるが、基本的に百年経てばアンティークだ。よって、時を経た物だけをアンティークドールと呼ぶ。この国では、百年経った道具は化生になるがな」
「は?」
「つくも神のことだ」
店主はそう言うと、ほんの少し笑みを浮かべた。冗談のつもりだったのだろうか。しかし、私には何がおかしいのかわからない。
「その人形、値打ち物なの?」
私はとりあえず、そう尋ねた。別に価値など、どうでもいいのだが――ここまで語るなら珍しい物なのかと、単に興味を抱いたからだ。
しかし、店主はさして残念でもなさそうに、首を横に振る。
「いや。まず、ヘッドとボディが合っていない。この手のコレクター向きのアンティークは、元の状態が維持されていないなら、価値は著しく落ちる」
「ようするに偽物ってこと?」
わからないながらにそう尋ねると、店主から鋭い視線を向けられた。
「なぜそうなる。子どもの玩具だと言っただろう。もしかしたら修理され、長く大切にされていた品なのかもしれない。それを偽物と呼ぶのはどうかと思うが」
店主はそれだけ言うと、平静に戻った。私の言葉に気分を害した、というわけではないようだ。やはり、単に無愛想なだけか。
「まあ、そういう過去が仮にあったとしても、私には関係ないが。よほどの著名人が所持していたというならともかく。今ある状態から価値を判断するだけだ」
回顧にも感傷にも逸話にも興味はない、か。彼女にとってはこれが商売なのだから、その理屈自体おかしくはないだろう。客商売という点では、もう少し手心が欲しいところだが。
店主はそのアンティークドールをカウンターの上に座らせると、不意にこう問いかけた。
「それで? 君はこれをどこで手に入れた?」
私は思わず黙り込んだ。しかし、相手にしてみれば当然の疑問だろう。
これらの品に対して、私はあまりにも無知だ。嘘をついたところですぐバレる。とはいえ、ありのままを話すこともはばかられた。
何にせよ、いつまでも沈黙してはいられない。私はどうにか口を開いた。
「知人の――遺品なの」
私はそう答える。少なくとも嘘ではない。
店主はさらに問いかけた。
「呪い、と言ったな。なぜ、呪われている、と?」
「知人の亡くなった場所にあった物で……いや――」
私は咄嗟にそう答えてから、あらためてこう言い直した。
「その人形は、動くみたいで」
「みたい、とは?」
私はどこまで打ち明けるべきかを迷っていた。しかし、住職からこの店に連絡があった時点で、この人形がいわくつきであることは相手に知られているだろう。ならば、それ自体は隠すべきではない。
「前の持ち主がそう書き残してる。それで、その人形は、一度は捨てられたはずなんだけど……戻ってきたの。知人は何者かに殺されて――犯人はまだ、捕まっていない」
店主はおもしろくもなさそうな表情で、ふんと一笑する。それから、あらためてダンボール箱の中にある他の品を見やった。
黙り込んでしまった彼女に、私はこう言い添える。
「他の物については、よくわからないけど。もしかしたら、いわくつきの品が紛れているかもしれない」
店主はしばらくの間、それを見下ろしていたが、不意に目の前のダンボール箱へと手を伸ばしすと、おもむろにその中のひとつを取り出した。
彼女が手にしたのは、金属製の工芸品――だろうか。木の枝を模した物で、根の部分が銀色、茎は金色、実は真珠で作られているようだ。店主はそれをためつすがめつしていたが、不意に感心したような声で呟いた。
「おもしろい。誰によるものかは知らないが、蓬莱の玉の枝じゃないか。よくできている」
「何それ」
私が怪訝な顔をすると、店主は呆れたような表情で見返してきた。
「竹取物語も知らないのか」
「知ってるけど。かぐや姫でしょ。フィクションじゃない。それこそ偽物でしょう」
店主は私のことを無言でじっと見ている。
「何よ」
「感性の違いだな」
彼女はそう言って、ため息をついた。
次に店主が取り出したのは木製の箱。確か、千鳥が開けようとして、できなかった箱だ。立方体でいくつかの木が組み合わせられているようだが、どこから開けるのか一見しただけではわからない。店主もそれを軽く振っただけで――音はしなかったようだ――ダンボール箱に戻してしまった。
それから陶製の壷。表面には絵か、あるいは模様が描かれている。中には何かごわごわした布のような物――緩衝材だろうか――が詰められていた。
他は細々とした品だ。煌びやかな螺鈿の盃に、古めかしい鏡――湯飲みの茶碗を手に取ったときだけ店主は、安物だな、とぽつりともらす。しかし、その安物の茶碗ですら彼女はぞんざいに扱わず、丁寧に箱に戻した。
残りは古銭に、能の面らしき物と、そして――