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厄災流し  作者: 速水涙子
7/45

2 日記帳(2/5)

 私はそのダンボール箱を家の中に持ち込むと、家具も何もない、がらんとした空き部屋に置いた。


 今はもう使っていないその部屋にあるのは、まさしく今、私が持ち込んだその箱だけ。ただ、そうして置き去りにされていたダンボール箱を持ち込んだはいいが、私はそれの処遇について、すでに頭を抱えていた。


 箱を前にして、私はただ呆然と立ち尽くす。


 ひとまず心を落ち着かせようと携帯端末(スマホ)を手に取ると、折よくメッセージが届いていることに気づいた。知り合いから、あれからどうですか、という簡単なひとことが送られていることを確認する。


 勤めていた会社の後輩に当たる社員からだ。彼とは偶然、出身大学が同じで――在学中は全く交流がなかったのだが――何となく目をかけていた。


 どう返信しようか、迷う。この奇妙な現象を話してみようかとも考えたのだが――


 東京から引き上げる際、彼にはいろいろと手伝ってもらっていた。それだけでも十分助けられている。いい後輩だ。だからこそ、こんなわけのわからないことに関わらせたくはない。


 考えた末に、私はひとまず彼に電話をかけた。三回目のコールで、彼はそれに応答する。


「久しぶり。岩槻いわつきくん」


 岩槻いわつきふみ。それが彼の名だ。


 相手に何か言われるより先に、私はできる限り明るく声をかけた。変に気づかいの言葉をかけられでもしたら、弱音を吐いてしまうかもしれないと思ったからだ。


 その思惑は、ひとまずうまくいったらしい。こちらがいつもの調子だからか、相手も同じように応じてくれる。


「お久しぶりです。大丈夫でしたか? あれから、あまり連絡できなくて。僕もその、何て言えばいいか……」


「大丈夫。こっちはどうにか落ち着いた」


 話題が望まない方へ転ぶことを恐れて、私は食い気味にそう答えた。続けて、こう問いかける。


「そんなことより、仕事は問題ない? 突然抜けておいて、私が言うことじゃないけどね」


「そんなこと――大丈夫ですよ。何とかやれてます。本のこと……残念です。あんなにがんばっていらしたのに」


 私は思わず顔をしかめてしまった。そのことを話題にされると、どうにも気まずく思えてしまう。未だに引きずっているからだろう。そうでなくとも――


 ぽつんと置かれたダンボール箱が、ふと目に入った。今さらながら、箱の中の人形が動き出すのではないか、目を離した隙にはもう、移動しているのではないか。そんな妙な妄想に囚われてしまう。


 今の私は、すぐにでも解決しなければならない問題を抱えている。あの箱の中身をどうにかしなければならない。しかし、大事な後輩を巻き込むのは忍びない。それならば――


「あー……電話したのはね。その――ちょっと聞きたいことがあるんだけど。学生でバイト扱いの、延坂のべさか……何だっけ。変わった名前の。連絡先、知らない?」


 思いつくままに、私はそう話す。正直なところ、電話をかける前はそんな人物のことなど、さっぱり忘れていたのだが――なぜかふと、その存在をはっきりと思い出したのだった。


 唐突にその名を出したことを、岩槻も怪訝に思ったらしい。電話の向こうで、戸惑う彼の息づかいが聞こえてくる。


 しかし、彼が沈黙したのはわずかな間だった。


「……延坂のべさか空木うつぎさんのことですか? 一応知ってますけど。それが何か?」


 延坂空木。確かに、そんな名前だった。


 実のところ、そのアルバイトとは大して親しくはない。あまり接点もなかったので、まともに会話した覚えもない。しかし――


 私は岩槻の問いかけに対して、ちょっとね、と答えを濁した。できた後輩は理由を深掘りせずに、快く連絡先を教えてくれる。また連絡する、とだけ言って、私はその通話を終えた。


 私はさっそく延坂に電話をかけることにする。善は急げ――ではないが、人形の入った箱を前にして、私は少し自棄になっていた。


 箱を家の中に持ち込んだことを、今さらながら失敗だったかもしれない、と思い始めていたからだ。とはいえ、まさか放っておくわけにもいかないし、箱を目にしたときはそうする以外にはないと思ったのだが。


 ずいぶんと長い間コールが鳴った後、延坂はようやく電話に出た。はい、と応じる声は、寝起きなのか不機嫌だからか、妙に投げやりだ。


 そんな不都合には目をつぶり、名乗ってから早々に本題へと入る。


「相談したいことがあるのだけど」


「怪奇現象のたぐいじゃないでしょうね」


 即座にそんな言葉を返される。私はたじろいだ。


「どうしてわかったの」


 私の言葉に、相手はあからさまなため息をついた。この態度。こんな生意気な男だったのか。私は彼に頼ろうとしたことを、もう後悔し始めていた。


 延坂はこう答える。


「俺とあなたは、別に親しくはなかったじゃないですか。それなのに、突然連絡が来るとか。普通の用件じゃないでしょう」


 言っていることはもっともだ。それでいて、こちらの事情を察してもらえるなら、むしろ話は早いのかもしれない。なぜなら――


「まあ、いいけど。あなた、実家が寺なんでしょ」


 私がどうにかそう返すと、延坂は、言うと思った、とこぼして、もう一度ため息をついた。そして、呆れたようにこう返す。


「実家が寺であれば、皆が皆、かけ声ひとつで除霊できるとか、思わないでもらえますかね」


「そんなこと、思ってないけど……」


 私は少しだけ声の調子を落とす。


 思ってはいない――が、少しだけ期待はしていた。かけ声ひとつでどうにかなるとまではいかなくとも、少しくらいは、この手の話を真面目に聞いてくれるのではないか、くらいには考えていたのだ。


 しかし、その期待は外れたらしい。とはいえ、落胆するにはまだ早いだろう。


「とにかく、困ってるの。何でもいいから、除霊か――供養? とかで、変なことが起きなくなるような、そういう実績のあるところ、知らない?」


 この男には直接頼れずとも、少しでも情報が得られるならそれでいい。そう思ったのだが――


 延坂はしばらく唸った後、仕方ない、といった様子で私のメールアドレスを尋ねた。何のつもりかは知らないが、とりあえず教えてみる。リストを送るから確認してくれと言われたので、一旦通話を切った。


 すぐさま、そのリストとやらが添付されたメールが送られてくる。ファイルを開き、ひと通り確認してから、すぐに電話をかけ直した。


「何これ」


「そういうことを引き受けてくれる宗教施設やらのリストです。ネットで調べれば出てくるものから、噂レベルのものまで。よりどりみどりっすよ」


 私は絶句した。知り合いを紹介してくれるとか、そうでなくとも、もっと何か――同業者の伝手だとか、そういうものですらないのか。


 延坂はいけしゃあしゃあと、こう言い放つ。


「そういうこと、たまに聞かれるんですよね。だから、用意してあるんですよ。一応」


 どうやら、頼る相手を間違えたようだ。私は彼に電話したことを、深く後悔した。


 こちらが黙り込んだことをどう思ったのか、延坂はさらに言い訳を重ねてくる。


「申し訳ないですけどね。うちは怪奇現象に関わるな、という親からの――いや、違うな――兄貴からのきつい言いつけがありまして。だから、それで勘弁しちゃあ、もらえませんかね」


 何だそれは。


 よくわからない理屈だったが、いちいち突っ込むのはやめにした。これ以上、この男には期待できない。そう判断したからだ。


 私が考えを巡らせているうちに、延坂はまた大きくため息をつく。


「と言いますか、相談するなら岩槻いわつきさんにすればいいじゃないですか。怪奇現象に詳しいかどうかは知りませんけど」


「かわいい後輩を、変なことに巻き込めないでしょ」


 私は反射的にそう返した。


「それ、俺ならいいってことですか。なかなかに理不尽っすね……」


 彼の嘆きを軽く聞き流して、私はおざなりな礼を述べてから通話を切った。これで何の情報も得られていないなら、もう少し噛みついていたところなのだが――


 延坂から送られて来たリストには、実家の近くにある寺の名があった。少なくともこの男よりは頼りになるだろう。そう考えたのだ。


 私はさっそくタクシーを呼んで、その寺へ向かうことにする。このダンボール箱を、長く手元に置いておきたくはない。そう考えて、すぐさま行動に移す。


 家からその寺へ行くのに、そう時間はかからなかった。門前でタクシーを降りて、ダンボール箱を抱えたまま境内へ。


 そうして私が訪れたのは、それなりに歴史がありそうな、それなりに大きい寺だった。そんな感想しか出てこないくらいだから、私はその寺の宗派すらよくわかっていない。当然、実家の近所とはいっても、ここには参拝に来たことすらなかった。


 ともかく、そんな寺で私のことを出迎えたのは、黒の僧衣に袈裟という、見るからに僧侶といった風体の中年の住職だった。


「困りましたね」


 私の話を聞いた住職は、本当に困っているとわかる表情でそう言った。


「何かその、噂になっているんでしょうか」


 住職はいかにも申し訳なさそうに、そう尋ねてくる。


 除霊の依頼を受けてくれるという噂になら、なっているのではないだろうか。延坂が言ったことが本当であれば、どこかしらでそういう話はあるのだろう。


 しかし、この反応からすると、それは本当にただの噂らしい。そして、この反応からすると――そういう依頼が増えて、困ってもいるのだろう。


 住職は首を横に振りながら、残念そうにこう言った。


「違うのです。うちではないんですよ。それを解決したのは。確かに、始めはうちに持ち込まれた物ではあるんですがね」


 うちではない。では、どこが解決したというのか。私は食い下がった。


「何とかならないでしょうか。こちらも困っているんです」


 そのとき私はなぜか、ふと――千鳥の死の光景を思い出した。


 あの場に突然現れた、西洋人形。それが本当に私のことを追って来たのだとしたら、また同じようなことが起こらないとは言い切れない。そんな考えが急に浮かび上がってくる。


 ここで、この件を解決する糸口を失うわけにはいかない。そう思って、私は必死になって住職へと詰め寄った。


「この、人形。西洋人形だけでも、お祓いしていただけたら……」


 お祓いは――もしかしなくとも神道か。口にしてから、そう気づく。しかし、住職が反応を示したのは、その言葉の方ではなかった。


「西洋人形、ですか。そうですね……少々お待ちください」


 住職はそう言うと、私を置いてどこかに行ってしまった。しかし、待たされたのは、それほど長い間ではない。


 戻って来た住職が告げたのは、こんな話だ。


「先方と連絡がとれました。解決は確約できないが、話を聞くだけなら、と。そちらでよろしければ、場所をお教えします」


 どういうことだろう。いや――住職は、解決したのはうちではない、と言っていた。ならば、連絡をとった、その先方とやらがそうなのだろう。それを教えてもらえるなら、願ったり、なのではないだろうか。


 とはいえ、私はたらい回しにされることを警戒してもいた。そうして向かった先で、また嫌な顔をされるのではないだろうか。そもそも、それはどんな場所なのか。


 住職は手にしていた名刺――あるいは、いわゆるショップカードだろか――を差し出しながら、こう続けた。


「ご相談に乗ってくださるのは、こちらのお店です」


 カードには簡素なデザインで、住所と電話番号と、そして店名が書かれていた。


 アンティークショップあかとき堂、と。

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