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厄災流し  作者: 速水涙子
4/45

1 アンティークドール(4/5)

 え、と思って、私はその文章をくり返し読み直した。戻って来ている、とはどういうことだろう。捨てたはずの人形?


 私は思わずダンボール箱の方を見た。あの中には、西洋人形が一体、入っていたはず――


 視線を向けた先では、千鳥が箱の中をかき回しているところだった。あらためて中身を確かめているのか、中にある物を取り出しては、それをひとつひとつ眺めているようだ。


 私に見られていることに気づく様子はない。期待どおりの反応を示さなかったせいか、彼女は私への興味を失ってしまったらしい。


 千鳥に声をかけることをためらって、私は日記の内容へと戻っていった。他にも人形について何か書かれてはいないかと、過去へ日付を遡る。



 ――✕年✕月✕日

 西洋人形

 濃い茶色の波打つ髪に同じ色の目の色。

 ベルベット風の茶色いドレス。

 仏間に置く。



 人形に関する記述を見つけた。


 ダンボール箱の中で見た人形の姿を、できる限り頭の中で思い描いてみる。まじまじと見たわけではないので確かなことは言えないが、ここに書かれている内容と似ている気がした。もう一度見て、確認したいところだが――


 その前に、それ以外にも何か書かれていないかを先に探すことにした。



 ――人形が動いている気がする。

 仏間に置いてある西洋人形だ。

 たんすの上の花びんの横にあったはず。

 でも、気づくと位置が変わっていた。



 ――やはり動いている。

 ためしに結びつけたリボンが外れていた。

 何もしないでそうなるはずがない。



 どういうことだろう。知らない間に、人形の位置が変わっている。人形がひとりでに動いたとでもいうのだろうか。


 そんなことはあり得ない。彼女の勘違いだろう。たとえば、同居人が勝手に動かしたとか。


 いや、違う。彼女はひとり暮らしだったはず――


 しかし、日記には、やえさん、という名前があった。友人だろうか。あるいは、老人を支援しているような人が通っていたのかもしれない。


 だが、少なくともその人物は人形を動かしてはいないようだ。



 ――人形を手放すことにした。

 動く理由はやえさんにもわからない。

 危険な物なのだろうか。

 かわいらしいと思っていたが仕方がない。



 ――人形はどうして戻ってきたのか。

 わからないので茶の間に移した。

 やえさんに見ていてもらうことにする。



 おかしなことは、人形の位置が変わることだけ。しかし、それだけでも十分不気味だろう。そして、彼女は人形を捨てた――はずなのだが、それは戻ってきた。彼女の元へ。


 私は大きく息をはきながら、日記から目を離した。


 折しもそのとき、千鳥がその西洋人形を手にしていたところで――彼女は丁寧に、その髪を手櫛ですいている――その特徴は、やはり書かれている内容と一致していた。


 私は人形が苦手だ。人に似せて作られた、人ではない物。どうしても、私はそこに魂のようなものを幻視してしまう。そうして、何か得体の知れないものと対峙している気にさせられるので、正視することすらなるべく避けたいくらいだった。


 しかも、普通の人形ですらそうなのに、この人形は人知れず動き出し、捨てても戻って来るという。なぜ、よりによってそんな物を――


「その人形。少し不気味じゃない?」


 私は思わず、千鳥に向かってそう言った。


「え? かわいいでしょ。作りもよさそうだし」


 千鳥はそう答えると、人形の頭を慈しむように優しく撫でた。どうやら、彼女には人形に対する苦手意識はないようだ。むしろその表情を見る限り、こういう物が好きそうにも見える。


 とはいえ、千鳥がそんな反応をするのも、それが奇妙なことを起こす人形だとは知らないせいだろう。私はノートを差し出すと、該当の記述を読むように促した。


「――ほら」


 千鳥は人形を抱きしめたまま、日記の内容に目を向ける。何か所か読んで、それが確かにここにある人形のことだと確かめると、彼女は楽しそうにこう言った。


「へえ。おもしろいね。呪いの人形みたい。悪魔に憑かれてるやつ」


「何それ」


 思わぬ反応に、私は怪訝な顔をする。しかし、千鳥の方はいつもと変わらぬ調子でこう言った。


「有名なオカルトだよ。よくテレビの心霊特集とかでやってた。映画にもなっているよ。見たことはないけど」


 有名なオカルト? 確かに動く人形なんて、怪談にはありがちな気がする。


「人形のことを悪く言うと、首を絞められたり、事故が起こったりするんだって」


 何でもないことのように、彼女はそう続けた。私はその人形を――今しがた、不気味と称したばかりなのだが。


「でも、あれは何というか、もっと、こう――ぬいぐるみって感じの造形だったような。映画は違うらしいけどね」


 彼女の話を聞く傍らで、私はひとり混乱していた。


 千鳥が話しているのは映画の話か、それとも有名だというオカルトの方か。私は目の前の西洋人形について話していたつもりだったのだが――


 私はもう一度、日記にある記述を読み直した。呪いの人形。そんなことは書いていない。捨てても戻ってくるだけだ。首を絞めたりもしていない。


 捨てた物が戻ってくるだけでも、あり得ないことなのだけれども。


 私の様子がおかしいと見て、千鳥はこう問いかけた。


「何? そういうの、気にする方だった?」


「だって、書いてあるじゃない」


 私が食い気味にそう返すと、千鳥は軽く目を見開いた。そして、からかうような笑みを浮かべる。


「あ。本当に怖いんだ。意外」


 その言葉に対して、私はどうやら、よほど恐ろしい形相をしたらしい。千鳥はぎょっとした顔をすると、慌てたように目を逸らした。私はむっとして押し黙る。


 確かに、私はオカルトのたぐいが苦手だった。できればそんな話、一切耳に入れたくないと思うほどには。


 しばらくは、お互いに気まずい沈黙が続いた。私はノートを見るともなしに見て、千鳥は人形の衣服をやけに丁寧に整えている。


 そのうち、千鳥は大きくため息をつくと、諦めたようにこう言った。


「いいよ。これだけ先に処分してくる」


 処分してくる。その言葉からすると、元の場所に戻す気はないらしい。私はもう、その件について意見することを諦めていた。というより、関わり合いになりたくなかった。


 日記を受け取っておいて、そんなことを思うのもおかしいかもしれないが。


 ともかく、人形を処分する方法についても、問いただすようなことはしなかった。千鳥はどこかに売り払うつもりでそう言ったのかもしれない。高く売れると思って持ってきたのなら、そういうことだろう。


 私はあらためて手にしたノートへと目を向ける。それが日記だとわかったときには思わず高揚したが、今はその気持ちも萎んでいた。


 亡き人の思いを知りたいという、私の密かな願い。


 彼女がひとりで暮らしながら何を思っていたのか。これがあれば、知りたかったことを知ることはできるかもしれない。ただ、人形に関する奇妙な記述が、私の心に暗い影を落とし、これ以上彼女の人生を追うことをためらわせていた。


 そうでなくとも、これは無断で持ち出された物だ。私はそれを、好奇心で受け取ってしまっている。今さらながら、それが大きな後悔となって自分の心に重くのしかかっていた。

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