第三章 小坂部姫編
三
わらわはいったい何をしているのか、ここはいったい何処であろうか。
わらわは美しかった。
わらわを取りおうて、幾つもの殿方が争うたのを覚えている、それ程わらわは美しかったのじゃ。
わらわを一目観ようと遠き国より使者を遣わした者も居ると聴いたこがある。
それも一人ではない、片手では足りないくらいの人数じゃ。
わらわの行く所にはいつも人が居って、わらわのすることをいつも羨望の眼差しで見つめて居るのじゃ。
その頃のわらわは蝶よ花よと育てられ、世の中のことは何一つ解っていなかった。
世の中はわらわの為にあるのだと思うておった。
わらわは幸せであったのじゃ。
遠い昔、大きな戦があった。
何が原因で何が目的なのかはわらわにはよく解らぬ。
外で慌ただしく音がして、城が燃え始めてから戦じゃと気が付いたのじゃ。
いや、戦じゃ、戦じゃ、と誰かが叫ぶ声を聴いて、これが戦なのじゃと初めて気付いたのじゃ。
わらわは腕を引かれ右へ左へと駆けずり回った、その時お気に入りの美しい羽織も何処かへ行ってしもうた。
気が付いたらわらわは、暗闇を独りで走って居た。
遠くから今まで暮らして居た城が焼け落ちるのが観えた。
それよりもわらわは足が傷だらけで、所々皮が破けている方が悲しかった。
その時わらわを喜ばす出来事がおこった。
姫、姫とわらわの家臣たちが追いかけて来てくれたのじゃ。
しかしその者達は嬉しくて抱きすがるわらわの頬を力一杯張り倒したのじゃ。
わらわは一瞬何が起ったのか解らなかったのだが、その者達がわらわの着物をはぎ取り始めたので理解した。
しとねのことは次女達から色々と聞いて居ったので、それが何かは解って居ったが、その時のわらわにとっては、ただ痛いだけの儀式であった。
わらわの秘部へ次から次へとその者達がのしかかって来た。
散々弄ばれたわらわは、そのまま近くの谷へと蹴落とされてしまった。
わらわは谷から落ちる途中にある木々に引っ掛かっていたことを、後から炭焼きの弥平から聴かされた。
始めはあれこれと介抱してくれて居た弥平も、やはりわらわの上にのしかかって来るようになった。
弥平の行為は興奮すると、わらわをひっぱたいてみたり、蹴り転がしたりするものであった。
わらわが逃げ出さないように、日中は縄で柱に縛り付けられていた。
たまに弥平は、連れを連れて帰って来ることがあり、その時は三日程、夜も眠らず連続してその行為が続く。
どうやら弥平はその連れ達から銭を取って居たようだ。
一度わらわは隙を見て逃げ出そうとしたのだが、今一歩のところで弥平に見つかり失敗に終わった。
当然、弥平は激怒した。
散々殴る蹴るをされた後に、もう二度と逃げ出さない様に両足を膝の上辺りから切断されてしまった。
血止めは、切断面を熱した鉄で焼き止めると言う簡単なもので、いつまでも痛みが続いて、気が狂いそうじゃった。
それでも毎日、しとねは続いた。
いつしか弥平が興奮して、両腕も切断されてしまった。
わらわは、しとねをするだけの、人形となった。
弥平はわらわにもう飽きたのだろう、雑な扱いになり、縄も掛けられなくなった。
三日程小屋を空けることも珍しくなく、そんな時も縄は掛けない。
勿論食料も置いて行かない、弥平もわらわを人形だと思って居たようだ。
弥平が小屋を空けるのを見計らって、わらわは芋虫の様にして谷まで行った。
普通であれば二刻もあれば到着するであろうが、わらわは芋虫なので丸一日は掛ったであろうが、弥平は追いかけても来なかった。
谷に到着したわらわはそのまま谷へと身を投げた、今度は木々に引っ掛からなかった。
わらわは長い間、暗闇を彷徨い続けた。
気の遠くなるほど長い間だったが、怨みだけは忘れなかった。
怨みだけを思い続けていると、他の事を考えなくて済む。
そうして怨みだけを抱え、長い間暗闇を彷徨い続けていたわらわは、夜叉に生まれ変わっていた。
わらわは夜叉になったのじゃ。
夜叉になったわらわは、まず弥平の所に行った、勿論食い殺すためじゃ。
しかし弥平は居なかった、懐かしいあの小屋も朽ち果てている。
どうやらわらわは暗闇の中を何百年も彷徨い続けて居た様じゃ。
憎き弥平は、もうこの世に居らぬ、恨めしい、ああ恨めしい。
復習出来ぬ、ああ恨めしい。
弥平の墓を探し出して、骨を喰ろうたが気が済まぬ、治まらぬ。
わらわをこの様なもののけに変えてしもうた弥平はもう居らぬのじゃ。
ああぁ、弥平が憎い、男が憎い。
ああぁ、生きたままの男を喰らいたい。
腸を食らい、生き血を啜るのじゃ。
わらわは夜叉になったが、人であった頃の記憶を覚えていた。
それは随分後になって解ったのだが、もののけになり人であった時代の記憶があるのは珍しいのだそうじゃ。
わらわは夜を彷徨うた、昼は嫌いじゃ。
美しい姫じゃった頃の自分に化けて、男を誘うた。
誘うて人気のない所で喰うのじゃ。
姫であった頃の自分はなんとも非力じゃったが、今のわらわは男なんかよりも力ははるかに上じゃ、それはまるで小動物を弄ぶ様なものじゃ。
彷徨うて居る内に、数匹の夜叉にも遇うたが、わらわの方が強いのが解った。
睨み合うた瞬間に、それは解るのじゃ。
ある夜叉が、狩場には縄張りがあると言うて居ったが、わらわがひと睨みしてやったら何所かえ消えて行った。
男は若ければ若い程旨いのじゃ、年寄りは肉も堅いし血も苦い・・・、若い男の血は甘く肉はとろけるようじゃ。
しかし一番旨いのは子供じゃ、子供なら女でも食える、大好物じゃ。
わらわが得意とするのは盛りの付いた男じゃ、姫の自分に化けて笑いながら暗闇に歩いて行けば間違いなく付いて来る。
今までに数千は喰ろうたかの、喰えば喰う程にわらわの力は強くなって行く様な気がするのじゃ。
あまり狩場を荒らし過ぎると坊主どもがやって来る事をわらわは学習した。
一度坊主を喰ろうてみた事があるが、不味くて喰えたものじゃなかった。
あ奴らの唱える念仏も嫌いじゃ、頭が割れそうになる。
坊主は喰わぬ様にした、殺すだけじゃ。
今まで出遭うたどのもののけよりも、わらわの方が強かった。
わらわを慕って家来になるもののけも少なくない。
わらわはもののけに生まれ変わっても姫なのじゃ。
わらわは皆に、ちやほやされるのが好きだから、それは夜叉になっても同じじゃ。
力は必要じゃ、力が弱いと思うようにされてしまうからのう。
今のわらわは思うようにする側じゃ。
憎しみと怨みがわらわに力を与えてくれたのじゃ、人であった頃のわらわを不憫に思うて、神がわらわに力を与えてくれたのじゃ。
人も、もののけもこの世に共存して居るのじゃ、ただわらわ達は、昼間は何処か暗闇に隠れて居るだけじゃ。
暗闇から今夜の獲物を探して居るのじゃ。
わらわは姫なので城が必要じゃ。
そう思って遠い昔の記憶を頼って置塩の城へ行ってみたが、城はもう無うなって居た。
城跡があるだけで草木が生え、気味の悪い森になって居った。
何処かに城は無いものか・・・
美しい姫が住むに相応しい城が必要じゃ。
もののけの一匹が姫路に美しい城があると申して来た。
姫路ならここからそう遠くは無い、早速わらわは姫路に行った。
それを観た瞬間わらわは心を奪われた。
なんと美しい城か・・・、わらわが住まうに相応しい。
わらわはこの城に巣くうのじゃ。
それはきっと昔から決まって居ったに違いない・・・、これはわらわの城じゃ。
わらわの名は坂部。
人はわらわのことを小坂部姫と呼ぶ。
姫路城に巣くう妖怪じゃと・・・